劉縯

橘遼治

文字の大きさ
上 下
11 / 11

誅殺

しおりを挟む
 そしてついにそのときが来た。
 劉稷りゅうしょくという男がいる。
 その名の通り劉一族の一人で、武勇は三軍(全軍)に冠すると言われるほどの猛将であり、そして強烈な劉縯びいきであった。
 劉玄が皇帝に立てられたとき、劉稷は苑にはおらず魯陽ろようを攻めていたが、その報を聞いて激怒した。
「そもそも真っ先に兵を起こしてここまでの大事だいじをやってのけたのは伯升どのら三兄弟であろうが。劉玄がいったい何をしたというのか!」
 この言は当然更始帝たちにも届き劉稷をむようになるが、彼の武勇は惜しかった。それに劉稷を劉縯から引き離して味方につけられればこれ以上のことはない。
 苑へ戻ってきた劉稷のもとへ、一日いちじつ、更始帝からの使者がやってきた。
「汝を抗威こうい将軍に任ずる。謹んで拝命せよ」
 懐柔である。だがここでも更始陣営は中途半端であった。確かに将軍職は高職だが、本気で劉稷を引き抜こうというのであれば、もっと高い地位を提示すべきだったろう。なにしろ「三軍に冠する」勇者である。更始帝の下風に立つことすら不快であるのに、その取り巻き(側近)のさらに下に就くなど不可能であった。
「断る」
 劉稷は傲然と拒絶すると、使者を追い返した。
 だがこれはまずかった。いかに劉稷に不満があろうと今の劉玄は皇帝である。これは「勅命」にそむいたことになり、立派な叛逆罪であった。


「許せぬ。討伐せよ」
 味方でなければ殺す。誅殺の大義名分を得た更始帝と彼の側近は数千の兵を引き連れて劉稷の陣営へ攻め込むと、油断していた彼をあっさりと捕縛してしまった。
「勅命に叛くは叛意のあらわれである。弁解の余地なし。極刑に処す」
 縛られ、御前に引き出された劉稷は、その場で処刑を言い渡された。
 が、そこへ数騎の供を連れて、劉縯が駆け込んできた。
「待たれよ! その儀、待たれよ!」
 更始帝直属の兵が多数動けば、そのしらせは劉縯へもたちどころに届く。そして理由を聞いた彼は劉稷を救うため、急ぎ駆けつけたのである。
 馬を降りた劉縯は息を整えながら更始帝の前に座らされている劉稷の横に膝をつき、両手を合わせて主君へ頭を下げる。
「陛下、臣の無礼どうぞお許しくだされ。ですが漢の将来、そして陛下の覇業のおんためにならぬと思えばこそ、どうぞ臣の愚見をお聞き及びください」
 そして劉縯は劉稷助命の嘆願を始める。その内容は整然としており、滔々とうとうと流れるようで、なにより劉縯の威が更始帝らを侵してゆく。彼らにしてもこの誅殺は強い意志や理由があってのことではなく、自らに逆らう者への怒りから激しただけで、劉縯に説得されれば消沈してゆく程度のものなのだ。後になれば劉縯に言いくるめられたことへの怒りが湧いても来ようが、それも小器なればこそ、今この場では最初の勢いはしおれ始めている。


 それを感じ取った劉縯の表情にかすかな軽侮が浮かぶ。
 確かに更始帝も彼の側近のほとんども、侮られても仕方がないであろう。
 だがやはり劉縯は迂闊うかつだった。更始帝の側近の中に、彼の軽侮を感じ取った男がいたのだ。
「陛下、なりませぬ。劉縯の申すこと、いかに美辞麗句を並べようと陛下のご意思をないがしろにするものに他なりませぬ。まして勅命に叛いた劉稷を弁護するなど、陛下への叛意のあらわれ以外何物でもありますまい。この者も劉稷同様、叛逆の徒にございます。どうぞ極刑を!」
 男の名は朱鮪しゅいという。古くから緑林に所属しており、有能で、これまでも様々に有用な献策や助言をおこなってきたのだが、側近たちの間では一段低い地位にとどめられていた。それゆえ彼の献言はさえぎられることが多く、結果、劉縯の視界に朱鮪の真価が入ってこなかったのである。
 その朱鮪が強硬に劉縯の処刑を主張してくることに、更始帝たちは最初面喰めんくらった。だが朱鮪の目配せに側近たちも自らが劉縯を誅殺したがっていたことを思い出す。
 朱鮪も劉縯に恨みがあるわけではないし、更始帝より劉縯の方が皇帝にふさわしい器だと理解してもいたが、彼は更始陣営の一員であり、政敵である劉縯を生かしておいては、いずれ自分たちが彼に滅ぼされかねないとわかってもいたのだ。


 そしてここで劉縯が失策ミスを犯したことに気づいていたのも朱鮪だけだった。
 劉縯にしてみれば自分の支援者である劉稷を助けるのは当然のことなのだが、これが更始帝に対する叛意にでっちあげられる行為と気づいていなかったのである。いや、あるいは気づいていてなお自分の主張を押し通せると考えていたのかもしれない。それほど更始帝たちは劉縯に舐められていたのだ。
 朱鮪が劉縯の傲慢を見抜いたのはこのときが初めてだったが、彼が優秀な男だとはわかっている。傲慢からくる失策を犯すのはこれが最初で最後かもしれず、これから先、劉縯を殺す大義名分を得られる機会はないかもしれない。
「千載一遇だ。がせぬ」
 朱鮪は焦慮にも押され、自分の横にいる李軼を軽く肘で突いた。前述したように李軼はもともと劉縯陣営だったが今は更始陣営へ鞍替えしている。その直接の昵懇じっこん先が朱鮪だったのである。
 李軼は明敏な性質たちとはいえないが、このときは朱鮪の真意をとっさに理解できた。
「さようにございます。本日このときだけでなく、劉縯は以前から陛下を侮る発言をしていました」
 でまかせである。だが李軼がもともと劉縯の麾下きかにいたことは全員が知っている。


 そしてここでようやく側近の中にも劉縯が失策を犯したことに気づいた者が出てきた。
「それは聞き捨てならぬ。まことか」
「はい、確かです」
 劉縯が自らの危機と失策を真に自覚したのは、この側近と李軼のやり取りのときだったかもしれない。
 失策と言っても劉稷を救いに来たことではない。朱鮪という男を見誤っていたこと。そして李軼の存在を軽く見ていた――ひいては劉秀の忠告を軽視していたことをである。
「陛下、お待ちを!」
 それでもここでむざと殺されるわけにはいかない。劉縯はやや蒼白になった顔を上げて更始帝を直視する。
 が、更始帝はその視線を避けるように横を向き、甲高い声で叫んだ。
「殺せ! 劉縯、劉稷、共に斬首に処せ!」
 このときは更始帝も自分が劉縯を殺したがっていたこと、そして前回の自身の醜態を思い出していた。
 それゆえ今回は自分に考える隙さえ与えないように即決したのである。
「陛下のご下命である! 劉縯を捕えよ。刑もすぐに執行せよ!」
 更始帝の命令を聞いた朱鮪が周囲の兵に鋭く命令する。
 劉縯に我が身の急転を驚く暇があっただろうか。彼も劉稷も、互いがどうなったかを確かめる間もなく、斬首された。
 舂陵での起兵からわずか一年のことだった。
 
 
 ――天下が再統一されたのは、劉縯の死から十三年後である。成し遂げたのは彼の弟、光武帝・劉秀であった。
 劉秀は劉縯に斉武王、劉仲に魯哀王の爵位を、それぞれ追贈した。




                                                    完
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...