時代小説の愉しみ

相良武有

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第二話 やさぐれ同心

④下引きが見つけた犯人は逃げた後だった

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 聞き込みに行き詰って下引きの源蔵は、思案投げ首でぶらぶらと歩いていた。
視線を上げた神社の前の空き地に七、八人の人だかりがしていた。その人だかりの向かいに、額に三角巾を巻いた一人の小柄な男が何かを拡げていた。
源蔵は十手を懐に隠して、何気無く近寄って覗き込んだ。
「皆さん、皆さんは誰もが心も身体も病みついています。良いですか、よく耳を澄ませてじい~っと聴いて下さい。キシキシ、キシキシと音を立てているでしょう。この絵を拝むとそれが直ちに治ります。真実に治るのです」
「おっ、可愛い女子やないか」
「これ、何の絵なんじゃ?」
「これは観音様ですよ。堕落して地獄に落ちた者達を救うお助けの光です。これを朝晩拝むとこの世に居たまま救われるのです。実際に病の治った人も子宝に恵まれた人も居られます」
「これ、幾らや?」
「二百文です」
「そりゃ高えよ」
「もっと面白い絵は無いのか?」
「あそこに黒いお毛々の有るやつとか、な、はっはっはっはっはっ」
男の顔がすっと蒼ざめ、突然、身体を震わせ声を張り上げて怒り出した。
「何という罰当たりなことを言うのですか!そんな人は皆、死んでしまえば良いのです。梅毒に罹って死ねば良いのです。女は皆、尊く敬うものです!」
 源蔵は最初、何気無く見ていたが、その内に、はっと思い当った。
男が拡げていたのは鬼頭が見せたあの絵と同じものだった。
源蔵は直ぐにその場を離れ、男の後方に回って数間先の木立の陰に身を潜めた。
暫くして、白けた顔付きで人だかりが散ってしまうと、男は額の三角巾を解いて汗を拭った。それから、男は何やらぶつぶつ呟き乍ら絵を纏めると側に置いてあった箱に終い込み、風呂敷に包んで背中に背負った。
少し離れた後を源蔵がつけ出した。
 
 翌朝、探索方が出払ってガランとした部屋で、不貞腐れたように鬼頭が一人仰向けに寝転んでいた。
「旦那、あの変な絵を売っている男を見つけやした。ドヤも突き止めました。直ぐに出張っておくんなさいやし」
慌ただしく駈け込んで来たのは源蔵だった。
「よし、分かった。案内してくれ!」
 二人がやって来たのは、十軒ほどの長屋が並ぶ薄汚い路地の奥だった。
鬼頭はうっそりと家の前に立って中の様子を窺った。中は暗く静まり返って人の気配はなかった。鬼頭は暫しじっと佇んで鋭い眼で家を凝視していた。
と、突如、ウオ~ッ、ウオ~ッという狼の遠吠えのような異様な声が聞こえて来た。思わずギョッとなって振り向くと、向う隣の部屋の格子窓から外に向かって男が吠えていた。
「おい、おやじ!」
声を掛けられた男はびっくりしたように吠えるのを止めて此方を見た。
「向かいの男は未だ戻って居らんか?」
「ああ、あの男なら昨夜遅く出て行きよりましたわ」
「なに、出て行っただと!」
 鬼頭が表戸を引き開けてダア~ッと中へ飛び込んだ。
家の中はしんと静まり返って蛻の殻だった。六畳一間に勝手があるだけの部屋は綺麗に片付いていた。押入れにも特段手掛かりになる目ぼしいものは無かった。
「くそぉ!」
表へ飛び出して向かいのおやじに忙しく訊ねた。
「おやじ、奴が何処へ行ったか知らんか?」
「へい、儂は何も知りません」
「本当に何も聞いておらんか?隠し立てをすると為にならんぞ!」
「別に何も・・・」
「そうか・・・」
もう一度、部屋の中へ引き返した鬼頭はじい~っと周囲を見回したが、ふと、壁に貼られた一枚の絵に眼を留めた。それは既に色褪せて破れかけていた。鬼頭は一瞬、眇すように目を細めたが、黙って踵を返した。
「どうもあっしがしくじっちまったようで申し訳ありません。気付かれた気配は無いと確信していたのですが、真実に相済みません」
源蔵が平身低頭の態で頻りに詫びた。
「まあ良いってことよ。また探しゃ良いんだから、そう気にするな」
二人はまた、埃と汗に塗れて聞き込みと探索に奔走した。
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