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第10話 思春期
⑧「受験勉強は人間修養の道場みたいなもんだよ」
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それから、香織と聡亮は晴れない心を引き摺って公園の在る山の頂きへ登った。暮れ泥む夕焼け空の下に遠く人家が密集しているのが見えた。
二人はどちらからとも無く、小石を拾って眼下の人家に向かって投げ始めた。出来るだけ遠くへ放うれるように力を込めて投げた。
一投目、二投目・・・だが、幾ら力をこめて投げても、石は夕間暮れの街の喧騒に吸い込まれて、ガラスの砕ける音も、屋根に弾む音も、壁に当る音も、樹枝にかすれる音も、何一つ聞こえて来なかった。石は無限の空間へ吸収されて、二人の何の悪意も無い投石を巨大な何者かの掌が受取ってしまうかのようであった。
「ねえ、石は何処へ消えてしまったの?何の音も聞こえて来ないじゃない!」
香織が戸惑って叫んだ。
「この野郎!」
「今畜生!」
二人が何度繰り返して石を投げてみても、結果は同じだった。何の物音も返って来ない。
香織は思った。
今、この瞬間に、この世で安穏に日常生活を送っている大人や年寄りや子供たちを、私たちの投げる小さな石から守っている何か巨大なものが存在するのではないか?・・・
その時、聡亮が言った。
「なあ、例えば君が数百回も石を投げてみても、何一つ、今のこの瞬間に、その結果が現れないとすれば、君が自分の存在感を確認する為には、小石などという不確かな小さなものではなく、もっと確実な方法で、この世に凄い結果を引き起こさなければならないんじゃないか?」
「そうね、その通りだわ。もっと燃焼的で内実的なもので、自分の実在感を獲得しなければならないのね。そうして初めてあたし自身の独自の真正性をしっかり持って、自分の存在を証明出来るのね」
「例えばボクシングやラグビーのように、顔を緊張させ刺し違えるほどにきつい眼差しを交錯させて相手と激突する時、人間はその一つの行為の中でカッと燃焼することが出来る訳だろう。やったという満足、或いは、出来なかったという焦燥や悔恨、そうした感慨以外に一体、何に自己充実感を期待出来るんだ?一つの行為の後の率直な感慨の内でこそ、初めて自分ひとりの自己存在感を獲得することが出来るんじゃないかな?」
「セックスだってそうよね。心が蕩けるような陶酔感と躰の芯から突き上げて来る熱い燃焼感があるわ」
「・・・・・」
「淫乱の血だろうと淫女だろうと、あたしは、あたし自身のこの世における存在を実感する何かを行わなきゃいけないと言うことね」
「人間は何がどうであれ、自分が今やっていることの意味が解らないままそれをするというのは、とても苦痛なことだろう?そんなことが積もり積もって、自分が何故この場所に居るのか、納得が行かないまま生き続けるというのは、やり切れないものだろう?」
「でも、思った通りに青春を生きていると考えることの出来る若者なんて滅多に居ないんじゃないの?居心地の悪さ、収まりの悪さがいつもあたし達には付き纏っているわ。それほど青春は自分の思いと違うことの連続である訳でしょう?」
香織は、思い通りにならないもの、思い通りにならない理由が解らないものに取り囲まれて、苛立ち焦り、不満や違和感の息苦しさを胸一杯に溜め込んで、その鬱ぎを突破する為に、自分が置かれている状況を解り易い行動論理に包んで、その論理に立て篭もって生きている気がした。
「ねえねえ、受験勉強についてもそんな小難しい理屈をあれこれ考えているの?あんた」
「そうだな。今までの話とはちょっと意味は違うけど、受験勉強はそれに挑戦する奴の人間性を造るんじゃないかな。それは人間修養の道場みたいなもんだよ」
「人間修養の道場?」
「ああ。際限無く深く、奥行きも広くて、必死に立向かわないと必ずしっぺ返しが来る。挑んで行く姿勢や闘う心や諦めない粘り強さ、或いは、上手く行った高揚感や失敗の失望感、立ち上がる不屈の精神、その他、俺達がこれからの人生を生きて行く上で強靭に身につけていかなければならないものが一杯詰まっているのが受験勉強だと俺は考えているんだ」
聡亮にとって真実に必要なのは、自分が心で感じている「この躰と頭脳は俺のものだ。だから、それらが感得する感覚を最も大事にして俺は生きて行く」という観念であった。
だが、聡亮は急に話を打ち切るように言った。
「でもな、そういう、人生如何に生きるか、なんてことを考えるのは当分の間、二人ともタブーにしようよ、な。今は唯、眼の前に在る、大学入試に合格すること、この一つに全力を尽くそう。ひたすら全身全霊、死に物狂いで勉強に励んで、二人して、目指す国立大学に合格しよう!」
「そうね、余計なことを考えている時間は無いもんね」
「一日二十四時間、皆、平等だが、活かすも殺すも本人次第だ。睡眠時間は一日四時間、それ以外は、食事をする時もトイレに入っている時も入浴中も、受験のことだけを考えよう。皆、そうやって挑んでいるんだ。なまじっかなことでは国立大学へ現役で入ることなんて出来はしないんだから・・・」
「あんた、やっぱり秀才ね。頭が良いだけじゃなく、覚悟も決心も相当なもんだわ」
香織は改めて聡亮を見直す貌で彼を見やった。
「長い人生の中で、一年や二年の間、唯ひたすらに誠心誠意、全身全霊、今在る眼の前のことに自分の全てを賭して挑み続ける、そんな時間があっても良いと思うよ。それはきっとその先に生きて行く為のバックボーンを俺たちの心と躰に根付けてくれると思う」
頷きながら香織は、差すようなきつい眼差しで燃える夕空を見上げた。
二人はどちらからとも無く、小石を拾って眼下の人家に向かって投げ始めた。出来るだけ遠くへ放うれるように力を込めて投げた。
一投目、二投目・・・だが、幾ら力をこめて投げても、石は夕間暮れの街の喧騒に吸い込まれて、ガラスの砕ける音も、屋根に弾む音も、壁に当る音も、樹枝にかすれる音も、何一つ聞こえて来なかった。石は無限の空間へ吸収されて、二人の何の悪意も無い投石を巨大な何者かの掌が受取ってしまうかのようであった。
「ねえ、石は何処へ消えてしまったの?何の音も聞こえて来ないじゃない!」
香織が戸惑って叫んだ。
「この野郎!」
「今畜生!」
二人が何度繰り返して石を投げてみても、結果は同じだった。何の物音も返って来ない。
香織は思った。
今、この瞬間に、この世で安穏に日常生活を送っている大人や年寄りや子供たちを、私たちの投げる小さな石から守っている何か巨大なものが存在するのではないか?・・・
その時、聡亮が言った。
「なあ、例えば君が数百回も石を投げてみても、何一つ、今のこの瞬間に、その結果が現れないとすれば、君が自分の存在感を確認する為には、小石などという不確かな小さなものではなく、もっと確実な方法で、この世に凄い結果を引き起こさなければならないんじゃないか?」
「そうね、その通りだわ。もっと燃焼的で内実的なもので、自分の実在感を獲得しなければならないのね。そうして初めてあたし自身の独自の真正性をしっかり持って、自分の存在を証明出来るのね」
「例えばボクシングやラグビーのように、顔を緊張させ刺し違えるほどにきつい眼差しを交錯させて相手と激突する時、人間はその一つの行為の中でカッと燃焼することが出来る訳だろう。やったという満足、或いは、出来なかったという焦燥や悔恨、そうした感慨以外に一体、何に自己充実感を期待出来るんだ?一つの行為の後の率直な感慨の内でこそ、初めて自分ひとりの自己存在感を獲得することが出来るんじゃないかな?」
「セックスだってそうよね。心が蕩けるような陶酔感と躰の芯から突き上げて来る熱い燃焼感があるわ」
「・・・・・」
「淫乱の血だろうと淫女だろうと、あたしは、あたし自身のこの世における存在を実感する何かを行わなきゃいけないと言うことね」
「人間は何がどうであれ、自分が今やっていることの意味が解らないままそれをするというのは、とても苦痛なことだろう?そんなことが積もり積もって、自分が何故この場所に居るのか、納得が行かないまま生き続けるというのは、やり切れないものだろう?」
「でも、思った通りに青春を生きていると考えることの出来る若者なんて滅多に居ないんじゃないの?居心地の悪さ、収まりの悪さがいつもあたし達には付き纏っているわ。それほど青春は自分の思いと違うことの連続である訳でしょう?」
香織は、思い通りにならないもの、思い通りにならない理由が解らないものに取り囲まれて、苛立ち焦り、不満や違和感の息苦しさを胸一杯に溜め込んで、その鬱ぎを突破する為に、自分が置かれている状況を解り易い行動論理に包んで、その論理に立て篭もって生きている気がした。
「ねえねえ、受験勉強についてもそんな小難しい理屈をあれこれ考えているの?あんた」
「そうだな。今までの話とはちょっと意味は違うけど、受験勉強はそれに挑戦する奴の人間性を造るんじゃないかな。それは人間修養の道場みたいなもんだよ」
「人間修養の道場?」
「ああ。際限無く深く、奥行きも広くて、必死に立向かわないと必ずしっぺ返しが来る。挑んで行く姿勢や闘う心や諦めない粘り強さ、或いは、上手く行った高揚感や失敗の失望感、立ち上がる不屈の精神、その他、俺達がこれからの人生を生きて行く上で強靭に身につけていかなければならないものが一杯詰まっているのが受験勉強だと俺は考えているんだ」
聡亮にとって真実に必要なのは、自分が心で感じている「この躰と頭脳は俺のものだ。だから、それらが感得する感覚を最も大事にして俺は生きて行く」という観念であった。
だが、聡亮は急に話を打ち切るように言った。
「でもな、そういう、人生如何に生きるか、なんてことを考えるのは当分の間、二人ともタブーにしようよ、な。今は唯、眼の前に在る、大学入試に合格すること、この一つに全力を尽くそう。ひたすら全身全霊、死に物狂いで勉強に励んで、二人して、目指す国立大学に合格しよう!」
「そうね、余計なことを考えている時間は無いもんね」
「一日二十四時間、皆、平等だが、活かすも殺すも本人次第だ。睡眠時間は一日四時間、それ以外は、食事をする時もトイレに入っている時も入浴中も、受験のことだけを考えよう。皆、そうやって挑んでいるんだ。なまじっかなことでは国立大学へ現役で入ることなんて出来はしないんだから・・・」
「あんた、やっぱり秀才ね。頭が良いだけじゃなく、覚悟も決心も相当なもんだわ」
香織は改めて聡亮を見直す貌で彼を見やった。
「長い人生の中で、一年や二年の間、唯ひたすらに誠心誠意、全身全霊、今在る眼の前のことに自分の全てを賭して挑み続ける、そんな時間があっても良いと思うよ。それはきっとその先に生きて行く為のバックボーンを俺たちの心と躰に根付けてくれると思う」
頷きながら香織は、差すようなきつい眼差しで燃える夕空を見上げた。
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