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その人は有名人
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スタジオに残された未惟奈と俺は、互いに話しかけるタイミングを失ってしまい、妙な沈黙が続いてしまった。
いつも未惟奈と話すときに気を使うことは全くないのだが、今の俺は、彼女のいつもと違う態度に妙な緊張を覚えていた。
「もう、ここ出ましょう」
そう言って未惟奈は沈黙を破った。
しかし、依然として俺とは目を合わせようとしなかった。
「そうだな。もう用は済んだし、解散にするか?」
「そうじゃなくて」
俺の言葉に食い気味に、未惟奈はそう返した。
「え? どういうこと?」
「いや、だから……このスタジオ、この後すぐに新体操の体験教室があるから」
「ああ、そうなんだ。へえ……このジム、新体操の教室までやってるんだな」
「まあ、ママが経験者だから」
「ああ、確かにそうだったな。……って、経験者どころかオリンピックの金メダリストじゃんか。しかも二連覇の」
「でも、ママが直接教えているわけじゃないけどね」
未惟奈は、陸上界のレジェンドであるエドワード・ウィリスだけでなく、新体操界の女王として五輪を制した保科聡美の血も受け継いでいるのだ。
そんな母親の名前を冠した教室なら、たとえ東北の田舎町であっても、相当な入会希望者が集まるに違いない。
……そんな話をしていれば、早速スタジオのドアが開き、何組もの親子連れが続々と中に入ってきた。
「あの、新体操の体験教室ってこちらでよろしかったでしょうか?」
入ってきた母親の一人が、遠慮がちに声を掛けてきた。
「はい、そうです。ここで行いますので、どうぞ皆さん中にお入りください」
未惟奈は、さっきまでの態度が嘘のような満面の作り笑顔と、いつもよりトーンの高い声で愛想よく応えた。
「えっ、もしかして、ウィリス未惟奈さんですか?」
母親の一人が未惟奈の存在に気づき、声を弾ませた。
すると……途端に現場は大変な騒ぎになってしまった。
そこにいた親子全員が、わらわらと未惟奈の方へ駆け寄ってきたのだ。
「未惟奈さん! 一度お会いしたかったんです! 子供がファンで!」
「うわぁ、間近で見ると本当に綺麗……!」
「一緒に写真、いいですか?」
「サイン、いただけますか?」
「今日は未惟奈さんも指導してくださるんですか?」
未惟奈の周囲は、まるで有名人の記者会見のような様相を呈し、いよいよ収拾がつかなくなってきた。
俺は自然と親子の輪からはじき出され、完全に邪魔者扱いされていた。
しかし、こうして見ると改めて、未惟奈がどれほどの有名人であるかを思い知らされる。
当たり前のことを忘れてしまうほど、俺と彼女の距離は、いつの間にか近くなりすぎていたのだ。
さらに驚いたのは、未惟奈が俺の前で見せるような不遜な態度を一切見せず、終旨笑顔で一人一人に丁寧にファンサービスをこなしていることだった。
そんな喧騒の中、ようやくインストラクターらしき女性がスタジオに入ってきた。
「はい、今日体験教室を受ける方は、こちらに集まってくださーい」
その女性が声を張り上げたことで、ようやく事態は落ち着きを見せた。
細身で姿勢が異様に美しいその女性は、一目で新体操の経験者だと分かった。
「なんの騒ぎかと思ったら、未惟奈さんだったんですね」
二十代前半だろうか。
黒髪をポニーテールにしたそのインストラクターは、親しげに未惟奈に話しかけた。
「ごめんなさい、ギリギリまでここを使っちゃって」
「いいのいいの。……空手の練習?」
そう言って、その女性は俺の方に視線を移した。
「ええ、彼とちょっと……」
未惟奈は何故か言葉を濁すように応えた。
「え? もしかして、翔さん?」
「は?」
……は? なんでこの人、俺の名前を知っているんだ?
「いや、そうだけど……。もうここ出るから!」
未惟奈が慌てた様子で俺の手を引っ張り、急いでスタジオを出ようとした。
それを目ざとく見つけた女性が、ニヤニヤと笑いながら俺の顔をマジマジと見返してきた。
「へえ、そうなんだ。この人が翔さんなんだぁ」
「じゃあ、保奈美さん……お邪魔しました!」
「うん、じゃあね未惟奈さん。……それと、翔さんもね」
“保奈美”と呼ばれた女性は、意味深な笑顔で手を振りながら、俺たちを見送った。
「……彼女、誰? なんで俺のこと知ってるの?」
スタジオを出た俺は、真っ先にその疑問をぶつけた。
「見ての通り、新体操のインストラクターよ。私と仲がいいから、空手の練習のことも話してあるの」
なるほど、仲の良い年上の友人といったところか。
それなら、未惟奈に空手を教えている同級生の男子がいると聞けば、興味本位であれこれ質問されることもあるだろう。
まあ、それ以上でもそれ以下でもないはずだ。
未惟奈が俺のことをどう話しているのかは少し気になるが……。
それについては深追いせず、話題を変えることにした。
「それにしても、未惟奈ってやっぱり有名人なんだな」
「は? 今更そんなこと言うの?」
「ほら、俺たちは毎日当たり前みたいに会って練習してるからさ。お前の特別感にすっかり慣れてたけど……一般人の反応って、さっきのが普通なんだよな」
「そうよ。翔はもっと私に対して特別感を持ちなさいよ。……本当に、あんたはいちいちムカつくんだから」
いつものような毒舌が返ってきて、俺は少しだけホッとした。
「あとさ、さっきの何だよ?」
「え? 何のことよ」
「あのファンへの神対応。お前らしくなくてビビったんだけど」
「そ、それは翔が私のことを誤解してるからよ! あれがいつもの私なの!」
「そんなわけないだろ」
俺は思わず吹き出してしまった。
「……本当に、ムカつく」
そう言い捨てた未惟奈の、透き通るような白い肌がピンク色に染まっていた。
珍しく照れているのだろうか。
「で、この後はどうするんだ?」
スタジオでの緊迫したムードはすっかり消え去っていたので、俺は気楽な調子で尋ねた。
「とりあえず着替えて」
「おう、分かった。……それから?」
「それから……私の部屋に行きましょ」
「……は?」
いつも未惟奈と話すときに気を使うことは全くないのだが、今の俺は、彼女のいつもと違う態度に妙な緊張を覚えていた。
「もう、ここ出ましょう」
そう言って未惟奈は沈黙を破った。
しかし、依然として俺とは目を合わせようとしなかった。
「そうだな。もう用は済んだし、解散にするか?」
「そうじゃなくて」
俺の言葉に食い気味に、未惟奈はそう返した。
「え? どういうこと?」
「いや、だから……このスタジオ、この後すぐに新体操の体験教室があるから」
「ああ、そうなんだ。へえ……このジム、新体操の教室までやってるんだな」
「まあ、ママが経験者だから」
「ああ、確かにそうだったな。……って、経験者どころかオリンピックの金メダリストじゃんか。しかも二連覇の」
「でも、ママが直接教えているわけじゃないけどね」
未惟奈は、陸上界のレジェンドであるエドワード・ウィリスだけでなく、新体操界の女王として五輪を制した保科聡美の血も受け継いでいるのだ。
そんな母親の名前を冠した教室なら、たとえ東北の田舎町であっても、相当な入会希望者が集まるに違いない。
……そんな話をしていれば、早速スタジオのドアが開き、何組もの親子連れが続々と中に入ってきた。
「あの、新体操の体験教室ってこちらでよろしかったでしょうか?」
入ってきた母親の一人が、遠慮がちに声を掛けてきた。
「はい、そうです。ここで行いますので、どうぞ皆さん中にお入りください」
未惟奈は、さっきまでの態度が嘘のような満面の作り笑顔と、いつもよりトーンの高い声で愛想よく応えた。
「えっ、もしかして、ウィリス未惟奈さんですか?」
母親の一人が未惟奈の存在に気づき、声を弾ませた。
すると……途端に現場は大変な騒ぎになってしまった。
そこにいた親子全員が、わらわらと未惟奈の方へ駆け寄ってきたのだ。
「未惟奈さん! 一度お会いしたかったんです! 子供がファンで!」
「うわぁ、間近で見ると本当に綺麗……!」
「一緒に写真、いいですか?」
「サイン、いただけますか?」
「今日は未惟奈さんも指導してくださるんですか?」
未惟奈の周囲は、まるで有名人の記者会見のような様相を呈し、いよいよ収拾がつかなくなってきた。
俺は自然と親子の輪からはじき出され、完全に邪魔者扱いされていた。
しかし、こうして見ると改めて、未惟奈がどれほどの有名人であるかを思い知らされる。
当たり前のことを忘れてしまうほど、俺と彼女の距離は、いつの間にか近くなりすぎていたのだ。
さらに驚いたのは、未惟奈が俺の前で見せるような不遜な態度を一切見せず、終旨笑顔で一人一人に丁寧にファンサービスをこなしていることだった。
そんな喧騒の中、ようやくインストラクターらしき女性がスタジオに入ってきた。
「はい、今日体験教室を受ける方は、こちらに集まってくださーい」
その女性が声を張り上げたことで、ようやく事態は落ち着きを見せた。
細身で姿勢が異様に美しいその女性は、一目で新体操の経験者だと分かった。
「なんの騒ぎかと思ったら、未惟奈さんだったんですね」
二十代前半だろうか。
黒髪をポニーテールにしたそのインストラクターは、親しげに未惟奈に話しかけた。
「ごめんなさい、ギリギリまでここを使っちゃって」
「いいのいいの。……空手の練習?」
そう言って、その女性は俺の方に視線を移した。
「ええ、彼とちょっと……」
未惟奈は何故か言葉を濁すように応えた。
「え? もしかして、翔さん?」
「は?」
……は? なんでこの人、俺の名前を知っているんだ?
「いや、そうだけど……。もうここ出るから!」
未惟奈が慌てた様子で俺の手を引っ張り、急いでスタジオを出ようとした。
それを目ざとく見つけた女性が、ニヤニヤと笑いながら俺の顔をマジマジと見返してきた。
「へえ、そうなんだ。この人が翔さんなんだぁ」
「じゃあ、保奈美さん……お邪魔しました!」
「うん、じゃあね未惟奈さん。……それと、翔さんもね」
“保奈美”と呼ばれた女性は、意味深な笑顔で手を振りながら、俺たちを見送った。
「……彼女、誰? なんで俺のこと知ってるの?」
スタジオを出た俺は、真っ先にその疑問をぶつけた。
「見ての通り、新体操のインストラクターよ。私と仲がいいから、空手の練習のことも話してあるの」
なるほど、仲の良い年上の友人といったところか。
それなら、未惟奈に空手を教えている同級生の男子がいると聞けば、興味本位であれこれ質問されることもあるだろう。
まあ、それ以上でもそれ以下でもないはずだ。
未惟奈が俺のことをどう話しているのかは少し気になるが……。
それについては深追いせず、話題を変えることにした。
「それにしても、未惟奈ってやっぱり有名人なんだな」
「は? 今更そんなこと言うの?」
「ほら、俺たちは毎日当たり前みたいに会って練習してるからさ。お前の特別感にすっかり慣れてたけど……一般人の反応って、さっきのが普通なんだよな」
「そうよ。翔はもっと私に対して特別感を持ちなさいよ。……本当に、あんたはいちいちムカつくんだから」
いつものような毒舌が返ってきて、俺は少しだけホッとした。
「あとさ、さっきの何だよ?」
「え? 何のことよ」
「あのファンへの神対応。お前らしくなくてビビったんだけど」
「そ、それは翔が私のことを誤解してるからよ! あれがいつもの私なの!」
「そんなわけないだろ」
俺は思わず吹き出してしまった。
「……本当に、ムカつく」
そう言い捨てた未惟奈の、透き通るような白い肌がピンク色に染まっていた。
珍しく照れているのだろうか。
「で、この後はどうするんだ?」
スタジオでの緊迫したムードはすっかり消え去っていたので、俺は気楽な調子で尋ねた。
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「それから……私の部屋に行きましょ」
「……は?」
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