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第1章:二人の死にたがり
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「……というわけでして、かつて超自然的な存在ともさえ言われた幽霊は、今や日常の一部に溶け込んだんです」
シャープな眼鏡をかけた、いかにも博識だと思わせる風貌の男性教諭がハキハキとそう語った。黒板には、チョークで書かれた小綺麗な字が敷き詰められている。時折、雑な丸で囲んで矢印を引き延ばしたり、何重にも下線を引いたりしていた。
俺はそれを一つ残らずノートに書き写した。補足として、自分なりの要約や見解を書いておきながら。
午後の一番、五限目の授業である『霊媒学』は、唯一興味が持てる科目だった。国語や数学といった、学生であれば誰もが履修する基礎科目は退屈だ。それほど得意なわけでもないし。
ただ、この霊媒学だけは別格だ。今や当たり前となった事象についてばかりではあるが、真面目に霊媒学を教えている学校はそう多くない。霊媒学を選択した生徒はこのクラスでは半数ほど。昨年に比べたら履修者は増えたものだど、俺はノートにペンを走らせながら思った。
「そうですね、次の章は幽霊にまつわる病状などがメインとなってきます。ここで復習ですが……では、朝原くん」
突然指名されて、俺はぴくりと肩を揺らす。「はい」とやる気のなさそうな声で返事をすれば、『博識先生』はにこりと薄い笑みを湛えた。
「最初の頃に教えたと思うのですが、自分を幽霊だと思い込んで無意識的に動いてしまったり、幽体離脱をしてしまったりする病気は――」
「突発性霊体症候群」
「ほう、さすが朝原くんですね」
先生が言い終わる前にその単語だけ告げれば、「私の教えの成果だ」とでも言わんばかりに、博識先生がニヤリと口角を上げた。それで上機嫌になったのか、先生は饒舌に長い前置きを語り始めた。
突発性霊体症候群。
なんともそのままのネーミングだと、最初に聞いた時は鼻で笑った。
この病気は、人間と幽霊の境界線が曖昧になってから正式に認められた病気だった。かつて、生者と死者の間には明確な境界線が引かれていたが、時代の変化と共に次第に消えていった。
端的に言えば、今は生者と死者が共存している。いわゆる幽霊と呼ばれる存在が、今やほとんどの人間に認知されるようになり、幽霊側も体が透けたり物に触れられなくなったりといった事象がなくなったそうだ。
つまりは、人間が死を迎えようとも、幽霊としてまた人生の続きを歩める可能性が高いというわけだ。
ただ、生者と死者の区別がつかないから、誰が生者で誰が死者かは分からない。稀にそれを区別できる人間がいるらしいが、そういった人物にあったことがないので全く分からない。
そうした、幽霊と共存する世界になってから、『もしかしたら自分は幽霊ではないのか』、『本当は死んでいて、成仏できずに永遠に世界を彷徨っているだけではないだろうか』という強い妄想、あるいは強迫観念のようなものに駆られて、自らを幽霊だと思い込んでしまう病気を発症する人が現れ始めた。これまた厄介な病で、一度発症したら余程のことがない限りは、自身を幽霊だと思い込んで、突飛な行動に出るらしい。
たとえば、成仏するために未練を探すという目的でふらりと姿を消したり、幽霊だから構わないと割り切って犯罪を犯したり……。
あるいは、幽霊は自分が死んだ瞬間を繰り返すものだからと、死のうとする患者もいるそうだ。
おそらくその後は、本物の幽霊になってしまったのだろうと、先生の話をなんとなくで聞いていた俺は教科書にマーカーを引く。
可哀想だと単純に思う。
生きながらにして幽霊だと強く思い込むならば、最初から幽霊になってしまった方が楽だろうに。生者であるという自覚を持ったまま幽霊になれば、理性を失うこともなく幽霊になれたのに。
俺は幽霊について事細やかに書かれたページに視線を落としたまま、ペンを静かに置いた。
ここ最近、思っていることがある。
生者と死者の境界が曖昧であるならば、生きていようと死んでいようと変わらないのではないだろうか。誰が幽霊かも分からないし、幽霊になったとしても不便なく生活できるはず。なんなら、教科書によれば幽霊は食事も排せつもいらないそうだし、体も軽い。むしろ幽霊になった方がメリットが多そうだ。
一度死ねば、生者としての人生は終わる。
幽霊になれば、新たな人生を始められるかもしれない。
……いや、俺の場合は幽霊にならなくてもいい。そのまま、ただ静かに眠れたらそれでいい。
思えば、つまらない人生だった。
父は不倫で家を出て、残された母は育児の果てに精神的に不安定になってしまった。中学の頃に親友は自殺するし、一部の教師からは素行不良だと何度も叱られるばかり(こればっかりは俺が悪いが)。
自分でも、俺の人生はハードモードだったように感じる。
だから、終止符を打ちに行こう。
こんなに簡単に死を決意できるなんて、俺はきっと命を軽く見ているし、人生に意味など見いだせていない最低なクズ野郎だ。
そんなヤツ、居ても居なくても変わらないだろ。
なぁ、そうだよな?
窓の外の青空に問いかけても、何も返事は返ってこなかった。
シャープな眼鏡をかけた、いかにも博識だと思わせる風貌の男性教諭がハキハキとそう語った。黒板には、チョークで書かれた小綺麗な字が敷き詰められている。時折、雑な丸で囲んで矢印を引き延ばしたり、何重にも下線を引いたりしていた。
俺はそれを一つ残らずノートに書き写した。補足として、自分なりの要約や見解を書いておきながら。
午後の一番、五限目の授業である『霊媒学』は、唯一興味が持てる科目だった。国語や数学といった、学生であれば誰もが履修する基礎科目は退屈だ。それほど得意なわけでもないし。
ただ、この霊媒学だけは別格だ。今や当たり前となった事象についてばかりではあるが、真面目に霊媒学を教えている学校はそう多くない。霊媒学を選択した生徒はこのクラスでは半数ほど。昨年に比べたら履修者は増えたものだど、俺はノートにペンを走らせながら思った。
「そうですね、次の章は幽霊にまつわる病状などがメインとなってきます。ここで復習ですが……では、朝原くん」
突然指名されて、俺はぴくりと肩を揺らす。「はい」とやる気のなさそうな声で返事をすれば、『博識先生』はにこりと薄い笑みを湛えた。
「最初の頃に教えたと思うのですが、自分を幽霊だと思い込んで無意識的に動いてしまったり、幽体離脱をしてしまったりする病気は――」
「突発性霊体症候群」
「ほう、さすが朝原くんですね」
先生が言い終わる前にその単語だけ告げれば、「私の教えの成果だ」とでも言わんばかりに、博識先生がニヤリと口角を上げた。それで上機嫌になったのか、先生は饒舌に長い前置きを語り始めた。
突発性霊体症候群。
なんともそのままのネーミングだと、最初に聞いた時は鼻で笑った。
この病気は、人間と幽霊の境界線が曖昧になってから正式に認められた病気だった。かつて、生者と死者の間には明確な境界線が引かれていたが、時代の変化と共に次第に消えていった。
端的に言えば、今は生者と死者が共存している。いわゆる幽霊と呼ばれる存在が、今やほとんどの人間に認知されるようになり、幽霊側も体が透けたり物に触れられなくなったりといった事象がなくなったそうだ。
つまりは、人間が死を迎えようとも、幽霊としてまた人生の続きを歩める可能性が高いというわけだ。
ただ、生者と死者の区別がつかないから、誰が生者で誰が死者かは分からない。稀にそれを区別できる人間がいるらしいが、そういった人物にあったことがないので全く分からない。
そうした、幽霊と共存する世界になってから、『もしかしたら自分は幽霊ではないのか』、『本当は死んでいて、成仏できずに永遠に世界を彷徨っているだけではないだろうか』という強い妄想、あるいは強迫観念のようなものに駆られて、自らを幽霊だと思い込んでしまう病気を発症する人が現れ始めた。これまた厄介な病で、一度発症したら余程のことがない限りは、自身を幽霊だと思い込んで、突飛な行動に出るらしい。
たとえば、成仏するために未練を探すという目的でふらりと姿を消したり、幽霊だから構わないと割り切って犯罪を犯したり……。
あるいは、幽霊は自分が死んだ瞬間を繰り返すものだからと、死のうとする患者もいるそうだ。
おそらくその後は、本物の幽霊になってしまったのだろうと、先生の話をなんとなくで聞いていた俺は教科書にマーカーを引く。
可哀想だと単純に思う。
生きながらにして幽霊だと強く思い込むならば、最初から幽霊になってしまった方が楽だろうに。生者であるという自覚を持ったまま幽霊になれば、理性を失うこともなく幽霊になれたのに。
俺は幽霊について事細やかに書かれたページに視線を落としたまま、ペンを静かに置いた。
ここ最近、思っていることがある。
生者と死者の境界が曖昧であるならば、生きていようと死んでいようと変わらないのではないだろうか。誰が幽霊かも分からないし、幽霊になったとしても不便なく生活できるはず。なんなら、教科書によれば幽霊は食事も排せつもいらないそうだし、体も軽い。むしろ幽霊になった方がメリットが多そうだ。
一度死ねば、生者としての人生は終わる。
幽霊になれば、新たな人生を始められるかもしれない。
……いや、俺の場合は幽霊にならなくてもいい。そのまま、ただ静かに眠れたらそれでいい。
思えば、つまらない人生だった。
父は不倫で家を出て、残された母は育児の果てに精神的に不安定になってしまった。中学の頃に親友は自殺するし、一部の教師からは素行不良だと何度も叱られるばかり(こればっかりは俺が悪いが)。
自分でも、俺の人生はハードモードだったように感じる。
だから、終止符を打ちに行こう。
こんなに簡単に死を決意できるなんて、俺はきっと命を軽く見ているし、人生に意味など見いだせていない最低なクズ野郎だ。
そんなヤツ、居ても居なくても変わらないだろ。
なぁ、そうだよな?
窓の外の青空に問いかけても、何も返事は返ってこなかった。
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