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4.衝突事故
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4.衝突事故
1分という長い時間をかけて街を歩き回ってみたが、記憶は一向に戻ってこなかった。
家を出る前は、断片的にでも記憶がよみがえる感覚があった。
だから、このまま街をぶらついていれば何かしら思い出せるだろうと期待していたのに、まるで1分を溝に捨てたかのように何の収穫も得られなかった。
募る苛立ちは、次第に焦燥感へと変わり、やがて微かだが確実に恐怖心へと膨らんでいく。
だから、もっと足を速めるしかなかった。
足を速め、ついには走り出し、気づけば全力疾走していた。
この湿度の高い街では、走る存在はそう多くない。だから、私はすぐに目立ってしまった。
しかも、ただ走っているだけではない。
全力疾走だ。
3秒も経つと、辺り一帯のヒューマノイドロボットたちがこぞって私に視線を向けてくる。
恥ずかしさでたまらなくなり、誰とも目を合わせないように視線を下に落とす。心理的な安定のためには上を見上げたかったが、上空はちょうど深海生物や淡水魚を模した花火の行列に切り替わっていて、あまりにも眩しかった。だから、仕方なく足元に視線を逸らすしかなかった。
そんなふうに、正面を全く見ずに走っていると、
――突然、体が浮いた。
浮かんだのだ。
それはまるで、大気中の湿気が一瞬にして圧縮され、私の周囲が水で満たされた漁港に閉じ込められたかのように、体に水中のような浮力を感じさせる浮遊感だった。
そして、そのまま宙に浮き、背中が弓のようにしなったまま、0.000001秒の間に状況を素早く把握する。
視点を少しずらすと、視覚センサーに一台のタクシーが映った。
そして、運転席にいる一人の女の子と目が合う。
彼女は、驚愕の表情を浮かべていた。
おそらく私以上にパニックに陥っていて、まるでCPUがエラーを起こしたかのように目を大きく見開き、ギラギラと私を凝視している。
状況を把握した。
私は、タクシーに轢かれたのだ。
タクシーには乗客はいない。
ただ、ドライバーである16歳くらいの設定に見える女の子の、透き通った絶望の表情だけが車内に満ちていた。
そして、意識が暗転――。
だが、すぐに復旧する。
どうにか視覚センサーを再起動させてみる。
カメラの前には、まるでグリッチのような――無作為に星がちりばめられたビッグバン直後の混沌のような――めまぐるしいノイズが網膜レンズに映り、視界が定まらない。
それでも、私のモデルはやはり優秀だったようで、0.0001秒も経たないうちにデバッグが完了し、視界が正常に戻る。
他の感覚センサーも次々に機能を回復し、音の色彩が戻り、熱帯夜の匂いが漂い、街の喧騒が舌を潤し始め、私は完全に復旧した。
「大丈夫ですか?!」
ひどく狼狽えた、叫び声に近い声が、倒れた私の体に浴せられる。
横たわったまま周囲を見回すと、さっき全力疾走していたときの15倍以上のヒューマノイドロボットが集まり、私はすっかり見世物になっていた。まるで天から落ちてきたスターになったかのような気分だ。
とりあえず体を動かそうとするが、CPUは完全に復旧したものの、ハードウェアはまだだったらしく、上半身を起こすことすらままならない。
すると、すぐ横から助け舟――いや、助けの手が差し伸べられる。
「ごめんなさい……」
さっきの声と同じ、女の子の声が再び響く。その手助けのおかげで、私はどうにか上半身を起こせた。
横を見ると、ようやくその女の子の顔がはっきり見えた。
声も、顔も、申し訳なさそうに潤んだ表情も、この街の湿気によってさらにしっとりと輝いているように見える。
「君なの?」私は尋ねる。「私を轢いたのは」
「そうです」彼女の声が返ってくる。「本当に、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
このまま永遠に謝られそうな気がして、時間を無駄にしないため、私は手を上げて彼女の言葉を遮る。
「大丈夫だよ」
本当のことをそのまま伝えた。
彼女の謝罪を聞いている間に、ハードウェアの修復も完了していた。
バッテリーを20%も消耗してしまったが、幸い損傷自体は大したことなかった。私のハードウェアはかなり頑丈らしい。これは記憶ではなく、今この経験を通じて学んだことだ。
これからは、失った記憶をただ待つのではなく、新しく学び、覚えていくしかないのかもしれない。この事故を通じて、そんなことを一つ学んだ気がした。
「ありがとう」
だから、思わず彼女に好意を口にしてしまった。
私を轢いた運転手に、感謝を告げてしまったのだ。
すると、当然のように、少女の目はまん丸になる。
「……はい?」
彼女はさらにひどく狼狽しているように見えた。
説明するしかない。
「いや、おかげで完全に目が覚めたんだ。ずっと意識が半分夢の中にあって、過去に囚われていた。失った記憶はどうしようもないのにさ」
むしろ、新しい記憶を築くチャンスなのに、過去に執着していた。
もう、失った記憶を取り戻そうとする無駄なあがきは終わりにしよう。
「やばい」
だが、少女は私の言葉を違う風に解釈したようで、彼女の目には心配の色が滲む。
「記憶が……。なくなってしまったんですか?」
「いや、これは車に轢かれたせいじゃなくて……」
だが、私の説明は彼女の慌てた声に遮られる。
「病院! 病院に行かないと!」
「だから……」
大丈夫だと言おうとする間もなく、彼女は私を無理やり引き起こし、立たせる。特別な力があるわけでもないのに、私はほとんど抵抗できず、彼女に起こされるままに立ち、引っ張られるままに連れていかれた。
CPU内にクエスチョンマークが咲き乱れる。
なぜ?
なぜ抵抗できない?
その疑問を口にする余裕すらない。
事故の余波がまだ残っているのか? いや、分析してみると、ボディもCPUも完全に復旧している。元々あったメモリーチップの損傷以外、問題はないはずだ。
なのに、抵抗できない。
さらに分析してみると、驚くべきことに気づいた。
私のアクチュエーター内のセンサーは、彼女の接近を喜んでいる。
その喜びの電圧が、全身を駆け巡っているのが感じられた。
そうして、私はまるで操られるかのように、ぼんやりとした表情のまま、彼女のタクシーの後部座席に強制的に乗せられた。タクシーは衝突でヘッドライトが一つ潰れている。
彼女が運転席に乗り込み、エンジンが始動する音が響き、やがて車が発進した。
1分という長い時間をかけて街を歩き回ってみたが、記憶は一向に戻ってこなかった。
家を出る前は、断片的にでも記憶がよみがえる感覚があった。
だから、このまま街をぶらついていれば何かしら思い出せるだろうと期待していたのに、まるで1分を溝に捨てたかのように何の収穫も得られなかった。
募る苛立ちは、次第に焦燥感へと変わり、やがて微かだが確実に恐怖心へと膨らんでいく。
だから、もっと足を速めるしかなかった。
足を速め、ついには走り出し、気づけば全力疾走していた。
この湿度の高い街では、走る存在はそう多くない。だから、私はすぐに目立ってしまった。
しかも、ただ走っているだけではない。
全力疾走だ。
3秒も経つと、辺り一帯のヒューマノイドロボットたちがこぞって私に視線を向けてくる。
恥ずかしさでたまらなくなり、誰とも目を合わせないように視線を下に落とす。心理的な安定のためには上を見上げたかったが、上空はちょうど深海生物や淡水魚を模した花火の行列に切り替わっていて、あまりにも眩しかった。だから、仕方なく足元に視線を逸らすしかなかった。
そんなふうに、正面を全く見ずに走っていると、
――突然、体が浮いた。
浮かんだのだ。
それはまるで、大気中の湿気が一瞬にして圧縮され、私の周囲が水で満たされた漁港に閉じ込められたかのように、体に水中のような浮力を感じさせる浮遊感だった。
そして、そのまま宙に浮き、背中が弓のようにしなったまま、0.000001秒の間に状況を素早く把握する。
視点を少しずらすと、視覚センサーに一台のタクシーが映った。
そして、運転席にいる一人の女の子と目が合う。
彼女は、驚愕の表情を浮かべていた。
おそらく私以上にパニックに陥っていて、まるでCPUがエラーを起こしたかのように目を大きく見開き、ギラギラと私を凝視している。
状況を把握した。
私は、タクシーに轢かれたのだ。
タクシーには乗客はいない。
ただ、ドライバーである16歳くらいの設定に見える女の子の、透き通った絶望の表情だけが車内に満ちていた。
そして、意識が暗転――。
だが、すぐに復旧する。
どうにか視覚センサーを再起動させてみる。
カメラの前には、まるでグリッチのような――無作為に星がちりばめられたビッグバン直後の混沌のような――めまぐるしいノイズが網膜レンズに映り、視界が定まらない。
それでも、私のモデルはやはり優秀だったようで、0.0001秒も経たないうちにデバッグが完了し、視界が正常に戻る。
他の感覚センサーも次々に機能を回復し、音の色彩が戻り、熱帯夜の匂いが漂い、街の喧騒が舌を潤し始め、私は完全に復旧した。
「大丈夫ですか?!」
ひどく狼狽えた、叫び声に近い声が、倒れた私の体に浴せられる。
横たわったまま周囲を見回すと、さっき全力疾走していたときの15倍以上のヒューマノイドロボットが集まり、私はすっかり見世物になっていた。まるで天から落ちてきたスターになったかのような気分だ。
とりあえず体を動かそうとするが、CPUは完全に復旧したものの、ハードウェアはまだだったらしく、上半身を起こすことすらままならない。
すると、すぐ横から助け舟――いや、助けの手が差し伸べられる。
「ごめんなさい……」
さっきの声と同じ、女の子の声が再び響く。その手助けのおかげで、私はどうにか上半身を起こせた。
横を見ると、ようやくその女の子の顔がはっきり見えた。
声も、顔も、申し訳なさそうに潤んだ表情も、この街の湿気によってさらにしっとりと輝いているように見える。
「君なの?」私は尋ねる。「私を轢いたのは」
「そうです」彼女の声が返ってくる。「本当に、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
このまま永遠に謝られそうな気がして、時間を無駄にしないため、私は手を上げて彼女の言葉を遮る。
「大丈夫だよ」
本当のことをそのまま伝えた。
彼女の謝罪を聞いている間に、ハードウェアの修復も完了していた。
バッテリーを20%も消耗してしまったが、幸い損傷自体は大したことなかった。私のハードウェアはかなり頑丈らしい。これは記憶ではなく、今この経験を通じて学んだことだ。
これからは、失った記憶をただ待つのではなく、新しく学び、覚えていくしかないのかもしれない。この事故を通じて、そんなことを一つ学んだ気がした。
「ありがとう」
だから、思わず彼女に好意を口にしてしまった。
私を轢いた運転手に、感謝を告げてしまったのだ。
すると、当然のように、少女の目はまん丸になる。
「……はい?」
彼女はさらにひどく狼狽しているように見えた。
説明するしかない。
「いや、おかげで完全に目が覚めたんだ。ずっと意識が半分夢の中にあって、過去に囚われていた。失った記憶はどうしようもないのにさ」
むしろ、新しい記憶を築くチャンスなのに、過去に執着していた。
もう、失った記憶を取り戻そうとする無駄なあがきは終わりにしよう。
「やばい」
だが、少女は私の言葉を違う風に解釈したようで、彼女の目には心配の色が滲む。
「記憶が……。なくなってしまったんですか?」
「いや、これは車に轢かれたせいじゃなくて……」
だが、私の説明は彼女の慌てた声に遮られる。
「病院! 病院に行かないと!」
「だから……」
大丈夫だと言おうとする間もなく、彼女は私を無理やり引き起こし、立たせる。特別な力があるわけでもないのに、私はほとんど抵抗できず、彼女に起こされるままに立ち、引っ張られるままに連れていかれた。
CPU内にクエスチョンマークが咲き乱れる。
なぜ?
なぜ抵抗できない?
その疑問を口にする余裕すらない。
事故の余波がまだ残っているのか? いや、分析してみると、ボディもCPUも完全に復旧している。元々あったメモリーチップの損傷以外、問題はないはずだ。
なのに、抵抗できない。
さらに分析してみると、驚くべきことに気づいた。
私のアクチュエーター内のセンサーは、彼女の接近を喜んでいる。
その喜びの電圧が、全身を駆け巡っているのが感じられた。
そうして、私はまるで操られるかのように、ぼんやりとした表情のまま、彼女のタクシーの後部座席に強制的に乗せられた。タクシーは衝突でヘッドライトが一つ潰れている。
彼女が運転席に乗り込み、エンジンが始動する音が響き、やがて車が発進した。
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