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第22話 沈黙の二週間
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怜司と再会した夜から、すでに二週間が経っていた。
その間、彼は一度も公の場に顔を出していない。会社へも戻らず、連絡も最低限。
紗耶だけが、ひっそりと彼の再起を助けていた。
旧デザイン事務所で二人が再び動き出した日、怜司は机の上に書類を広げ、静かに言った。
「まずは証拠を揃える。佐伯の不正契約の原本を奪い返す。あれさえあれば、すべて取り戻せる。」
「それ、会社の内部にしかない資料ですよね。」
「ああ。だが、お前には入れるルートがある。」
紗耶は頷いた。
「あたしの社内アカウントはまだ削除されていません。監査チームのシステムも復旧しているはずです。そこを経由すればログインできるかもしれません。」
「危険だ。見つかればすべて終わりだ。」
「もう怖くありません。」
そう言うと、怜司は苦笑した。
「昔はそんな無鉄砲じゃなかったのにな。」
「昔はあなたが守ってくれてたからです。」
彼の瞳がわずかに揺れたが、何も言わなかった。
昼間はそれぞれ別の場所に身を置き、夜になると事務所で会う。
静かな空間にキーボードの音と紙をめくる音だけが響く。
緊張の中に奇妙な安らぎがあった。
だが、その日常は長く続かなかった。
一週間目の夜、新聞に一本の記事が掲載された。
「辞任した持田怜司氏、反逆の動きを見せる」
記事の中には、彼と紗耶が密かに接触しているという匿名の情報が記されていた。
「また嗅ぎ回られてるな。」怜司が唇を噛む。
「誰かが見てますね。」
「佐伯の監視網だろう。だが、こっちには時間がない。」
二人は証拠探しを急いだ。
残業を装い、夜間のシステムへの侵入を数度試みるも、ファイアウォールに阻まれる。
「向こうも気づいたみたいですね。」
「奴ら、本気で隠す気だ。」
怜司の声には焦りと怒りの両方が混じっていた。
「手を打たないと。」
「方法がある。ただ、成功すればお前はもう社には戻れない。」
「構いません。」
即答に、怜司は息を飲んだ。
「……そこまでの覚悟が、嬉しいような、怖いような。」
「私、もう逃げませんから。」
その夜遅く、紗耶は怜司を残して自宅に戻った。
玄関のポストには白い封筒が差し込まれていた。差出人はなし。
中にはUSBメモリが一本。
メモにこう残されていた。
“真実が知りたければ、これを開け。”
躊躇の末、パソコンに差し込む。
映し出されたのは監視カメラ映像。
日付は一ヶ月前、怜司が社長だった時期。
画面には、怜司が一枚の書類にサインする姿。そしてその横で佐伯が微笑んでいる。
その下には、問題の契約書のタイトルが映っていた――「外部資金流入覚書」。
まるで、怜司自身が不正に関与していたように見える映像だった。
「そんな……これは、捏造……」
声が震える。だが映像のリアルさは否定できない。
翌日になっても、頭の中でその映像が離れなかった。
次に会ったとき、紗耶はその映像を怜司に見せた。
怜司は無言で画面を見つめ、しばらく口を開かなかった。
やがて、低い声で言った。
「これを見て、どう思う。」
「信じたい。でも……これはあまりに巧妙です。」
「俺がサインしている映像を作るのは不可能じゃない。だが、本当に記録が残っているとすれば、社の中に協力者がいる。」
「協力者?」
「……恐らく、森園専務本人じゃない。別の誰かだ。」
そのとき、怜司の携帯が鳴った。
ディスプレイには、“森園美沙”。
無言のまま、怜司は通話ボタンを押した。
『久しぶりね。静かにしていると思ったら、また危ないことをしてるじゃない。』
「何の用だ。」
『父にもう逆らわないで。これ以上騒げば、本当に潰されるわ。あなたも、水城さんも。』
「警告か?」
『違うわ。忠告よ。あなたをまだ少しでも守りたいから言ってるの。』
怜司は冷たく笑った。
「守ってくれる人間が裏でナイフを研いでるなんて笑わせるな。」
通話が途切れる。静寂のあと、怜司が苦く呟いた。
「……あいつが動くということは、何かが起こる。」
二人は、再び資料の整理に戻った。だが空気は重い。
沈黙が続く中で、紗耶はふと気づく。怜司の指先が微かに震えている。
疲労か、それとも焦りか。
「……眠ってください。少しだけでも。」
「眠ったら、すべてを奪われそうだ。」
「誰も奪えません。」
「そう言い切れるか?」
怜司の声がわずかに揺れる。
「俺は昨日、旧取締役の一人から呼び出された。『黙っていれば戻してやる』と。」
「それで?」
「断った。」
「当然です。」
「だが、その代わりに“警察が動いている”と聞いた。」
室内の時計の針が止まったかのように、空気が凍る。
「どういう意味ですか。」
「俺が本当に逮捕される。形だけでも。そうして専務たちは“正義を示す”つもりだ。」
怜司の目は遠くを見ていた。
「そのための準備が、この二週間だったんだ。」
しばらく言葉が出なかった。
「じゃあ……どうするんですか。」
「最後に、証拠を公表する。俺たちのほうから。」
「でも、それじゃ……あなたが」
「構わない。事実を出せば必ず何かが動く。」
「でもっ!」
紗耶の声が震える。
「それでも、あなたが消えたら、私は――」
「泣くな。」怜司の声が優しく割り込む。
「もう泣いてる暇はない。」
「泣くのは止めません。あなたを失うほうが、よっぽど怖いです。」
怜司はしばらく彼女を見つめ、それから静かに笑った。
「強くなったな。本当に。」
「社長が私をそうしたんです。」
「その呼び方、懐かしいな。」
「だって、あなたはまだ私の社長です。」
彼の瞳が揺らぐ。
「……ありがとう。」
翌朝、怜司は一枚の封筒を机に置いた。
中には、全データのバックアップとともに、一通の手紙が入っていた。
“これを公開すれば、俺は戻れない。
けれど、真実を知らなければ誰も救われない。
水城、どうか強く生きろ。”
その手紙を見たとき、紗耶は悟った。
これから始まるのは、きっと終わりではなく――犠牲の始まりだ。
そして、怜司は静かに姿を消した。
残された沈黙の二週間が、嵐の前触れにすぎないことを、彼女はまだ知らなかった。
(続く)
その間、彼は一度も公の場に顔を出していない。会社へも戻らず、連絡も最低限。
紗耶だけが、ひっそりと彼の再起を助けていた。
旧デザイン事務所で二人が再び動き出した日、怜司は机の上に書類を広げ、静かに言った。
「まずは証拠を揃える。佐伯の不正契約の原本を奪い返す。あれさえあれば、すべて取り戻せる。」
「それ、会社の内部にしかない資料ですよね。」
「ああ。だが、お前には入れるルートがある。」
紗耶は頷いた。
「あたしの社内アカウントはまだ削除されていません。監査チームのシステムも復旧しているはずです。そこを経由すればログインできるかもしれません。」
「危険だ。見つかればすべて終わりだ。」
「もう怖くありません。」
そう言うと、怜司は苦笑した。
「昔はそんな無鉄砲じゃなかったのにな。」
「昔はあなたが守ってくれてたからです。」
彼の瞳がわずかに揺れたが、何も言わなかった。
昼間はそれぞれ別の場所に身を置き、夜になると事務所で会う。
静かな空間にキーボードの音と紙をめくる音だけが響く。
緊張の中に奇妙な安らぎがあった。
だが、その日常は長く続かなかった。
一週間目の夜、新聞に一本の記事が掲載された。
「辞任した持田怜司氏、反逆の動きを見せる」
記事の中には、彼と紗耶が密かに接触しているという匿名の情報が記されていた。
「また嗅ぎ回られてるな。」怜司が唇を噛む。
「誰かが見てますね。」
「佐伯の監視網だろう。だが、こっちには時間がない。」
二人は証拠探しを急いだ。
残業を装い、夜間のシステムへの侵入を数度試みるも、ファイアウォールに阻まれる。
「向こうも気づいたみたいですね。」
「奴ら、本気で隠す気だ。」
怜司の声には焦りと怒りの両方が混じっていた。
「手を打たないと。」
「方法がある。ただ、成功すればお前はもう社には戻れない。」
「構いません。」
即答に、怜司は息を飲んだ。
「……そこまでの覚悟が、嬉しいような、怖いような。」
「私、もう逃げませんから。」
その夜遅く、紗耶は怜司を残して自宅に戻った。
玄関のポストには白い封筒が差し込まれていた。差出人はなし。
中にはUSBメモリが一本。
メモにこう残されていた。
“真実が知りたければ、これを開け。”
躊躇の末、パソコンに差し込む。
映し出されたのは監視カメラ映像。
日付は一ヶ月前、怜司が社長だった時期。
画面には、怜司が一枚の書類にサインする姿。そしてその横で佐伯が微笑んでいる。
その下には、問題の契約書のタイトルが映っていた――「外部資金流入覚書」。
まるで、怜司自身が不正に関与していたように見える映像だった。
「そんな……これは、捏造……」
声が震える。だが映像のリアルさは否定できない。
翌日になっても、頭の中でその映像が離れなかった。
次に会ったとき、紗耶はその映像を怜司に見せた。
怜司は無言で画面を見つめ、しばらく口を開かなかった。
やがて、低い声で言った。
「これを見て、どう思う。」
「信じたい。でも……これはあまりに巧妙です。」
「俺がサインしている映像を作るのは不可能じゃない。だが、本当に記録が残っているとすれば、社の中に協力者がいる。」
「協力者?」
「……恐らく、森園専務本人じゃない。別の誰かだ。」
そのとき、怜司の携帯が鳴った。
ディスプレイには、“森園美沙”。
無言のまま、怜司は通話ボタンを押した。
『久しぶりね。静かにしていると思ったら、また危ないことをしてるじゃない。』
「何の用だ。」
『父にもう逆らわないで。これ以上騒げば、本当に潰されるわ。あなたも、水城さんも。』
「警告か?」
『違うわ。忠告よ。あなたをまだ少しでも守りたいから言ってるの。』
怜司は冷たく笑った。
「守ってくれる人間が裏でナイフを研いでるなんて笑わせるな。」
通話が途切れる。静寂のあと、怜司が苦く呟いた。
「……あいつが動くということは、何かが起こる。」
二人は、再び資料の整理に戻った。だが空気は重い。
沈黙が続く中で、紗耶はふと気づく。怜司の指先が微かに震えている。
疲労か、それとも焦りか。
「……眠ってください。少しだけでも。」
「眠ったら、すべてを奪われそうだ。」
「誰も奪えません。」
「そう言い切れるか?」
怜司の声がわずかに揺れる。
「俺は昨日、旧取締役の一人から呼び出された。『黙っていれば戻してやる』と。」
「それで?」
「断った。」
「当然です。」
「だが、その代わりに“警察が動いている”と聞いた。」
室内の時計の針が止まったかのように、空気が凍る。
「どういう意味ですか。」
「俺が本当に逮捕される。形だけでも。そうして専務たちは“正義を示す”つもりだ。」
怜司の目は遠くを見ていた。
「そのための準備が、この二週間だったんだ。」
しばらく言葉が出なかった。
「じゃあ……どうするんですか。」
「最後に、証拠を公表する。俺たちのほうから。」
「でも、それじゃ……あなたが」
「構わない。事実を出せば必ず何かが動く。」
「でもっ!」
紗耶の声が震える。
「それでも、あなたが消えたら、私は――」
「泣くな。」怜司の声が優しく割り込む。
「もう泣いてる暇はない。」
「泣くのは止めません。あなたを失うほうが、よっぽど怖いです。」
怜司はしばらく彼女を見つめ、それから静かに笑った。
「強くなったな。本当に。」
「社長が私をそうしたんです。」
「その呼び方、懐かしいな。」
「だって、あなたはまだ私の社長です。」
彼の瞳が揺らぐ。
「……ありがとう。」
翌朝、怜司は一枚の封筒を机に置いた。
中には、全データのバックアップとともに、一通の手紙が入っていた。
“これを公開すれば、俺は戻れない。
けれど、真実を知らなければ誰も救われない。
水城、どうか強く生きろ。”
その手紙を見たとき、紗耶は悟った。
これから始まるのは、きっと終わりではなく――犠牲の始まりだ。
そして、怜司は静かに姿を消した。
残された沈黙の二週間が、嵐の前触れにすぎないことを、彼女はまだ知らなかった。
(続く)
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