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第22話 公爵と令嬢の誓い
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昼下がりの光が淡く雪を照らしていた。
冬が少しだけ遠のき、屋敷の庭にわずかな草の芽が顔を出している。
リリアナの馬車が出て行ってから二日、エルシャルトの屋敷は不思議な静けさに包まれていた。
使用人たちも、主人の沈黙を恐れて声を潜める。
セドリックは執務室の机に向かい、書類に目を落としたままほとんど動かない。
ロイが控えめに近づき、紅茶を差し出す。
「閣下……お加減はいかがです。」
「変わりない。」
「それは結構。しかし、目の下が少々……。」
「余計な心配をするな。」
言葉は冷静だったが、ロイには分かっていた。
閣下がどれほど無理をしているか。
彼が眠っていないのは、屋敷中が知っている。
セドリックは机上の報告書に目を通しながら、無意識に頭の中の声を追い払おうとした。
――君は誰の庇護にもいらない。
――自分の力で生きたい。
あの夜、彼女の瞳は涙ではなく光で満たされていた。
言葉も表情も忘れられない。
だが、立ち去る背を止めることはできなかった。
「……風が強くなってきたな。」
窓の外を見ると、空が急に暗くなる。
季節外れの嵐が遠くの空で暴れているらしい。
そのとき、扉が勢いよく開いた。
「閣下!」
駆け込んできた兵が息を整える。
「王都方面より騎馬隊が急行中です! 旗印はグロリア王国――王太子直属の紋章です!」
部屋の空気が一瞬で凍った。
「どういうことだ。退去したはずのアルベルトが、なぜもう一度?」
「情報が錯綜しておりますが、先行していた分隊によると――“公爵領の掌握命令”という名目で、正式な討伐令が出ていると。」
「……討伐令。」
セドリックは低くつぶやいた。その握りしめた拳から血が滲みそうなほど力がこもる。
「まさかあの男、正気を失ったか。」
「おそらく、殿下はご自身の威信の回復を狙っておられます。」
ロイが唇を引き結ぶ。
「リリアナ様を守るために動いた閣下を、反逆者と仕立てるおつもりでしょう。」
「……愚かだ。」
セドリックは立ち上がり、ローブを羽織った。
「全軍に号令を。迎撃はしない。門を閉ざし、防衛のみで構えろ。民に危害を加えるな。」
「閣下!」
「血を流すための戦いはしない。俺が止める。」
その声は冷たくも強く響き、誰も逆らえなかった。
***
一方その頃、東の道を行く馬車の中でリリアナは急に風の変化を感じた。
窓の外の雲が厚く覆い、雪ではなく雨まじりの風が吹き荒れ始めている。
「どうしたのですか?」
御者が顔を出す。
「嵐が近い。けれど、道の先に見えるあれは……。」
遠く、地平線の上に立ちのぼる旗の列。
青と金。王家の旗。
(おかしい……どうして王都から部隊が……。)
次の瞬間、リリアナは胸騒ぎに駆られた。
嫌な予感が背筋を締めつける。
頭の奥で、彼の顔が浮かぶ。
「エルシャルト公爵……。」
気づけば扉を開け、風の中に身を乗り出していた。
「引き返して!」
御者が驚く。
「ですが、嵐が――」
「構いません、戻ります!」
馬車が方向を変え、雪を蹴立てて走り出した。
心臓の鼓動が痛いほど速い。
不安も迷いももうなかった。
守られるだけの自分は、もう終わりにしたい。
***
夜。
嵐が最も激しく土地を叩く頃、エルシャルトの城門の前では火がいくつも灯っていた。
王家の旗を掲げた騎馬隊が陣を張り、城を囲んでいる。
指揮官の声が響く。
「王太子殿下の命により、エルシャルト公爵を拘束せよ!」
城門の上に立つ黒い影。
それは、暴風をまといながらも微動だにしないセドリックだった。
「陛下の正式な印がない命令に従う理由はない。」
そう告げた声は、嵐に消されることなく広場の隅々まで届いた。
「俺は王家の盾だ。だが、腐った誇りに剣を抜く義理はない。」
兵たちは躊躇した。
彼がこれまでに救ってきた民の英雄であることを、皆が知っている。
戦えば、自分たちが民の憎しみを買うことになる。
「お前たちが軍人なら、誇りを選べ!」
雷鳴の下で叫ぶ声に、兵の列が揺れた。
そのとき、門の外から別の声が響いた。
「やめて! 争わないで!」
セドリックが振り返る。
吹雪の中を駆けてくる影――リリアナだった。
マントが風に裂かれ、頬には血のように紅が差している。
「どうして……戻ってきた。」
「放っておけるはずがありません!」
兵たちが道を開ける。
彼女は濡れた髪のまま城門をくぐり、セドリックのもとまで駆け寄った。
「貴方がこの国で血を流す姿なんて、見たくない!」
リリアナの目に涙が滲む。
その指で、彼の剣を掴んだ。
「お願い……戦わないで。貴方の信じた“守るための力”を、私に見せて。」
セドリックはその瞳をじっと見つめた。
嵐の中、その声だけが確かに届いている。
「言ったはずだ。もう庇護の中では生きないと。」
「なら、共に立たせてください。
私が貴方の隣にいてもいいというなら、どんな運命でも受け入れます。」
セドリックの眉がわずかに動く。
風が止まったような一瞬。
彼はゆっくりと剣を鞘に収めた。
「いいだろう。――誓う。この手で、何があってもお前を奪わせない。」
「私も誓います。この命が尽きるまで、あなたを信じます。」
ふたりの間に、言葉ではない誓いが生まれた。
それは契約でも命令でもなく、心で結ばれた絆だった。
リリアナの頬をセドリックの掌がそっと撫でる。
「また風が強くなる。中へ入れ。」
「はい。」
門の向こうでは、兵たちが次第に隊列を崩していく。
王太子の命への不信が波のように広がっていた。
その光景を見つめながら、セドリックは微かに微笑んだ。
「戦いは、これで終わるかもしれん。」
「いいえ、これはきっと――あなたが民に示した最後の抵抗ですね。」
「……そうかもしれない。」
雷が遠ざかり、雨の音が静まる。
やがて、夜空にひとすじの光が走った。
嵐が明ける兆し。
セドリックはその光を見上げ、リリアナの手を取った。
「この嵐が過ぎたら話そう。
――お前と共に歩む未来を。」
彼女は静かに頷いた。
その瞳にはもう、迷いも恐れもなかった。
続く
冬が少しだけ遠のき、屋敷の庭にわずかな草の芽が顔を出している。
リリアナの馬車が出て行ってから二日、エルシャルトの屋敷は不思議な静けさに包まれていた。
使用人たちも、主人の沈黙を恐れて声を潜める。
セドリックは執務室の机に向かい、書類に目を落としたままほとんど動かない。
ロイが控えめに近づき、紅茶を差し出す。
「閣下……お加減はいかがです。」
「変わりない。」
「それは結構。しかし、目の下が少々……。」
「余計な心配をするな。」
言葉は冷静だったが、ロイには分かっていた。
閣下がどれほど無理をしているか。
彼が眠っていないのは、屋敷中が知っている。
セドリックは机上の報告書に目を通しながら、無意識に頭の中の声を追い払おうとした。
――君は誰の庇護にもいらない。
――自分の力で生きたい。
あの夜、彼女の瞳は涙ではなく光で満たされていた。
言葉も表情も忘れられない。
だが、立ち去る背を止めることはできなかった。
「……風が強くなってきたな。」
窓の外を見ると、空が急に暗くなる。
季節外れの嵐が遠くの空で暴れているらしい。
そのとき、扉が勢いよく開いた。
「閣下!」
駆け込んできた兵が息を整える。
「王都方面より騎馬隊が急行中です! 旗印はグロリア王国――王太子直属の紋章です!」
部屋の空気が一瞬で凍った。
「どういうことだ。退去したはずのアルベルトが、なぜもう一度?」
「情報が錯綜しておりますが、先行していた分隊によると――“公爵領の掌握命令”という名目で、正式な討伐令が出ていると。」
「……討伐令。」
セドリックは低くつぶやいた。その握りしめた拳から血が滲みそうなほど力がこもる。
「まさかあの男、正気を失ったか。」
「おそらく、殿下はご自身の威信の回復を狙っておられます。」
ロイが唇を引き結ぶ。
「リリアナ様を守るために動いた閣下を、反逆者と仕立てるおつもりでしょう。」
「……愚かだ。」
セドリックは立ち上がり、ローブを羽織った。
「全軍に号令を。迎撃はしない。門を閉ざし、防衛のみで構えろ。民に危害を加えるな。」
「閣下!」
「血を流すための戦いはしない。俺が止める。」
その声は冷たくも強く響き、誰も逆らえなかった。
***
一方その頃、東の道を行く馬車の中でリリアナは急に風の変化を感じた。
窓の外の雲が厚く覆い、雪ではなく雨まじりの風が吹き荒れ始めている。
「どうしたのですか?」
御者が顔を出す。
「嵐が近い。けれど、道の先に見えるあれは……。」
遠く、地平線の上に立ちのぼる旗の列。
青と金。王家の旗。
(おかしい……どうして王都から部隊が……。)
次の瞬間、リリアナは胸騒ぎに駆られた。
嫌な予感が背筋を締めつける。
頭の奥で、彼の顔が浮かぶ。
「エルシャルト公爵……。」
気づけば扉を開け、風の中に身を乗り出していた。
「引き返して!」
御者が驚く。
「ですが、嵐が――」
「構いません、戻ります!」
馬車が方向を変え、雪を蹴立てて走り出した。
心臓の鼓動が痛いほど速い。
不安も迷いももうなかった。
守られるだけの自分は、もう終わりにしたい。
***
夜。
嵐が最も激しく土地を叩く頃、エルシャルトの城門の前では火がいくつも灯っていた。
王家の旗を掲げた騎馬隊が陣を張り、城を囲んでいる。
指揮官の声が響く。
「王太子殿下の命により、エルシャルト公爵を拘束せよ!」
城門の上に立つ黒い影。
それは、暴風をまといながらも微動だにしないセドリックだった。
「陛下の正式な印がない命令に従う理由はない。」
そう告げた声は、嵐に消されることなく広場の隅々まで届いた。
「俺は王家の盾だ。だが、腐った誇りに剣を抜く義理はない。」
兵たちは躊躇した。
彼がこれまでに救ってきた民の英雄であることを、皆が知っている。
戦えば、自分たちが民の憎しみを買うことになる。
「お前たちが軍人なら、誇りを選べ!」
雷鳴の下で叫ぶ声に、兵の列が揺れた。
そのとき、門の外から別の声が響いた。
「やめて! 争わないで!」
セドリックが振り返る。
吹雪の中を駆けてくる影――リリアナだった。
マントが風に裂かれ、頬には血のように紅が差している。
「どうして……戻ってきた。」
「放っておけるはずがありません!」
兵たちが道を開ける。
彼女は濡れた髪のまま城門をくぐり、セドリックのもとまで駆け寄った。
「貴方がこの国で血を流す姿なんて、見たくない!」
リリアナの目に涙が滲む。
その指で、彼の剣を掴んだ。
「お願い……戦わないで。貴方の信じた“守るための力”を、私に見せて。」
セドリックはその瞳をじっと見つめた。
嵐の中、その声だけが確かに届いている。
「言ったはずだ。もう庇護の中では生きないと。」
「なら、共に立たせてください。
私が貴方の隣にいてもいいというなら、どんな運命でも受け入れます。」
セドリックの眉がわずかに動く。
風が止まったような一瞬。
彼はゆっくりと剣を鞘に収めた。
「いいだろう。――誓う。この手で、何があってもお前を奪わせない。」
「私も誓います。この命が尽きるまで、あなたを信じます。」
ふたりの間に、言葉ではない誓いが生まれた。
それは契約でも命令でもなく、心で結ばれた絆だった。
リリアナの頬をセドリックの掌がそっと撫でる。
「また風が強くなる。中へ入れ。」
「はい。」
門の向こうでは、兵たちが次第に隊列を崩していく。
王太子の命への不信が波のように広がっていた。
その光景を見つめながら、セドリックは微かに微笑んだ。
「戦いは、これで終わるかもしれん。」
「いいえ、これはきっと――あなたが民に示した最後の抵抗ですね。」
「……そうかもしれない。」
雷が遠ざかり、雨の音が静まる。
やがて、夜空にひとすじの光が走った。
嵐が明ける兆し。
セドリックはその光を見上げ、リリアナの手を取った。
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――お前と共に歩む未来を。」
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