31 / 123
あやとりはしにて。
しおりを挟む
◇
「食事どうだった?」
「美味しすぎて、最高でした。盛り付けも綺麗で、ホント幸せ」
「そう、良かった。料理長にも伝えておくよ」
濃紺の生地に大輪の芍薬が描かれた浴衣姿の沙羅が、ふふっ、と笑う。
穏やかな夜風を肌に感じ、宵闇の中、虫の音を聞きながら公園の遊歩道をゆっくりと歩いた。
「この時間になると涼しくなって、酔い覚ましの散歩にちょうどいい温度だな」
階段を上がると、ライトアップされた「あやとりはし 」の袂に辿り着く。
紅紫色をしたユニークなS字型のモダンな橋。
漆黒の中、光に照らされ紫色に浮かび上がる橋は幻想的で、このまま歩いていけば、どこか知らない世界に行けそうな気がした。
「わー。すごい! SF映画のセットに入り込んだみたい」
沙羅は、感嘆の声を上げ、スマホの写真アプリで幻想的景色を撮影した。
「写真撮ろうか?」
「お願い!」
是非にと慶太にスマホを預け、幻想的な橋をバックに写真に納まる。
「後で、俺のスマホにも写真送って」
「いいよ」
「それじゃあ、もっと撮らないと」
そう言って、慶太は沙羅の肩を抱き寄せた。
きゃっ、と驚く沙羅をよそに自撮りモードでシャッターを切る。
「もうっ、いきなりなんだから! 絶対、変な顔になった」
「どんな顔でも沙羅はかわいいよ」
慶太は、沙羅のスマホの画面を開いて操作する。
「そんなことない。変なのは、絶対に変! 今のは、消去しなきゃ!」
スマホを取り返そうと沙羅は手を伸ばすが、サッ、サッ、とその手を慶太が躱し取り戻せない。
そして、ニヤリと悪い笑みを浮かべる。
「もう、自分のスマホに送信したから、沙羅のスマホのデータを消去しても遅いよ」
「うそ!」
「残念」
「ひどーい」
顔を見合わせ、あはは、と笑い合う。
まるで、失われてしまった恋人時代をやり直すようにはしゃいでいる。
もしもあの時、慶太の母親・高良聡子に会わなければ、幸せな時間が続いていたのだろうか。
ふと、沙羅は考えてしまう。
そして、聡子に言われた「慶太には、然るべき所から妻を迎えるつもりなの。シンデレラを夢見てもあなたに傷が付くだけよ」という言葉が呪縛のようによみがえる。
別にシンデレラを夢見ていたわけじゃない。
ただ、慶太を好きになっただけだった。
「急に暗い顔をして、どうしたの?」
心配そうな慶太の声で、沙羅は自分がうつむいていた事に気付く。
「えっ? あっ、いえ、あの、慶太が未だに独身なのが不思議だなぁって。だって、慶太凄く優しいもの。女性が放って置かないでしょう」
慶太の母親に脅されて進路を変えたなどと言えずに、沙羅は咄嗟に誤魔化したつもりだが、自分でも何を言っているのか……かなり苦しい内容だ。
沙羅の問い掛けに反応したのか、慶太は橋の欄干に手を掛け、暗闇を見つめる。
その横顔は、何処か寂しそうに思えた。
「簡単に言えば、結婚したいと思える人に出会えなかったからかな。特にTAKARAグループの看板目当ての人とは、結婚したくないと思うよ。お金が絡むと人の汚い本性が浮き彫りになるから、ちょっと、人間不信があるかも」
確かに……。と沙羅は思った。
両親が事故で逝去した際にお金に群がる親類に嫌というほど泣かされた記憶がある。
慶太は暗闇を見つめたまま、細く息を吐き言葉を続けた。
「それに、結婚イコール幸せの図式が描けなくて……うちの両親、父が旅館の跡取り、母が呉服屋の娘で、政略結婚だったんだ。その結果、事業としては躍進をしたけど、家庭の中身は空っぽで、父も母も自宅の他に別宅があった。父は結婚前から続いている愛人……いや、本命が居て、母は自分のプライドを保つための男と。とにかく、そんな両親だったんだよ」
慶太の独白に、沙羅は驚きを隠せずに両手で口を覆う。
「特に母は、自己顕示欲が強い人で、自分の価値を高める事にしか興味がなかったんだ。政略結婚で辛い思いしているクセに、母にとって都合の良い相手を俺にも押し付けようとして……。まあ、俺は母の薦めるお相手は願い下げだったから、道具にもならなかったけどね。結局、母が晩年病に倒れても、父は心配ひとつしないで、本当に夫婦としては形さえも成してなかったんだ」
夫婦の不仲が目に見えるのは、子供には辛い記憶として心に刻まれるはずだ。沙羅は身につまされる思いで、慶太の話しを聞いていた。
女王然とした高圧的な振る舞いで、自分に関わる人を支配しようとしていた高良聡子。
母親だった聡子が病院のベッドの上で管で繋がれ、動けなくなっていく姿を思い出した慶太は、静かに瞼を閉じた。
消化できずに自分の中で抱えてきた弱く汚い部分を吐露する。
「俺は、沙羅が思っているほど、優しい人間じゃないよ。母が病で弱っていく姿を見て、ホッとしたんだ」
暗闇を向く慶太の広い背中が、心なしか頼りなく見える。それを支えたくなった沙羅はそっと手を添えた。
「結局、我が儘に振る舞っていた母は、父から最後まで愛されずに、愛人の男にも見放され孤独な死を迎えた。誰も母の死を悼む者が居なかったのは、母の自業自得でしかないと思う。ただ、唯一の息子である自分が母の死に対して、悲しみよりも安堵の気持ちの方が大きくて……自分でもこんな感情はおかしいと思うけど、どうしようもないんだ」
沙羅が聡子に会ったのは、あの凍えるような冬の日の一度きり。
それでも、冷たい瞳で見下ろされ抗う事など出来ずに、聡子に従う事しか出来なかった。もしも、聡子が自分の母親だったなら、事あるごとに口を挟まれ、選択の自由を奪われながら暮らさなければならないだろう。
聡子と親子だった慶太は、幾度となく辛い思いをしたに違いない。
なんの慰めにもならないかも知れないが、沙羅は言わずにはいられなかった。
沙羅は慶太へ両手を伸ばし、体温をわけ与えるように頬を包み込む。
「例え親子であっても、自分に負担ばかり強いる人に良い感情を持つのは難しいはず。親であっても無くても、自分に良くしてくれない人の死を悲しむ事なんて出来ないよ。だから慶太がお母様の死を悲しめなくてもおかしいとは思わない」
「沙羅……」
「私は慶太の優しさに救われているの。慶太が何度否定しても、私にとって慶太は優しくて素敵な人よ」
「食事どうだった?」
「美味しすぎて、最高でした。盛り付けも綺麗で、ホント幸せ」
「そう、良かった。料理長にも伝えておくよ」
濃紺の生地に大輪の芍薬が描かれた浴衣姿の沙羅が、ふふっ、と笑う。
穏やかな夜風を肌に感じ、宵闇の中、虫の音を聞きながら公園の遊歩道をゆっくりと歩いた。
「この時間になると涼しくなって、酔い覚ましの散歩にちょうどいい温度だな」
階段を上がると、ライトアップされた「あやとりはし 」の袂に辿り着く。
紅紫色をしたユニークなS字型のモダンな橋。
漆黒の中、光に照らされ紫色に浮かび上がる橋は幻想的で、このまま歩いていけば、どこか知らない世界に行けそうな気がした。
「わー。すごい! SF映画のセットに入り込んだみたい」
沙羅は、感嘆の声を上げ、スマホの写真アプリで幻想的景色を撮影した。
「写真撮ろうか?」
「お願い!」
是非にと慶太にスマホを預け、幻想的な橋をバックに写真に納まる。
「後で、俺のスマホにも写真送って」
「いいよ」
「それじゃあ、もっと撮らないと」
そう言って、慶太は沙羅の肩を抱き寄せた。
きゃっ、と驚く沙羅をよそに自撮りモードでシャッターを切る。
「もうっ、いきなりなんだから! 絶対、変な顔になった」
「どんな顔でも沙羅はかわいいよ」
慶太は、沙羅のスマホの画面を開いて操作する。
「そんなことない。変なのは、絶対に変! 今のは、消去しなきゃ!」
スマホを取り返そうと沙羅は手を伸ばすが、サッ、サッ、とその手を慶太が躱し取り戻せない。
そして、ニヤリと悪い笑みを浮かべる。
「もう、自分のスマホに送信したから、沙羅のスマホのデータを消去しても遅いよ」
「うそ!」
「残念」
「ひどーい」
顔を見合わせ、あはは、と笑い合う。
まるで、失われてしまった恋人時代をやり直すようにはしゃいでいる。
もしもあの時、慶太の母親・高良聡子に会わなければ、幸せな時間が続いていたのだろうか。
ふと、沙羅は考えてしまう。
そして、聡子に言われた「慶太には、然るべき所から妻を迎えるつもりなの。シンデレラを夢見てもあなたに傷が付くだけよ」という言葉が呪縛のようによみがえる。
別にシンデレラを夢見ていたわけじゃない。
ただ、慶太を好きになっただけだった。
「急に暗い顔をして、どうしたの?」
心配そうな慶太の声で、沙羅は自分がうつむいていた事に気付く。
「えっ? あっ、いえ、あの、慶太が未だに独身なのが不思議だなぁって。だって、慶太凄く優しいもの。女性が放って置かないでしょう」
慶太の母親に脅されて進路を変えたなどと言えずに、沙羅は咄嗟に誤魔化したつもりだが、自分でも何を言っているのか……かなり苦しい内容だ。
沙羅の問い掛けに反応したのか、慶太は橋の欄干に手を掛け、暗闇を見つめる。
その横顔は、何処か寂しそうに思えた。
「簡単に言えば、結婚したいと思える人に出会えなかったからかな。特にTAKARAグループの看板目当ての人とは、結婚したくないと思うよ。お金が絡むと人の汚い本性が浮き彫りになるから、ちょっと、人間不信があるかも」
確かに……。と沙羅は思った。
両親が事故で逝去した際にお金に群がる親類に嫌というほど泣かされた記憶がある。
慶太は暗闇を見つめたまま、細く息を吐き言葉を続けた。
「それに、結婚イコール幸せの図式が描けなくて……うちの両親、父が旅館の跡取り、母が呉服屋の娘で、政略結婚だったんだ。その結果、事業としては躍進をしたけど、家庭の中身は空っぽで、父も母も自宅の他に別宅があった。父は結婚前から続いている愛人……いや、本命が居て、母は自分のプライドを保つための男と。とにかく、そんな両親だったんだよ」
慶太の独白に、沙羅は驚きを隠せずに両手で口を覆う。
「特に母は、自己顕示欲が強い人で、自分の価値を高める事にしか興味がなかったんだ。政略結婚で辛い思いしているクセに、母にとって都合の良い相手を俺にも押し付けようとして……。まあ、俺は母の薦めるお相手は願い下げだったから、道具にもならなかったけどね。結局、母が晩年病に倒れても、父は心配ひとつしないで、本当に夫婦としては形さえも成してなかったんだ」
夫婦の不仲が目に見えるのは、子供には辛い記憶として心に刻まれるはずだ。沙羅は身につまされる思いで、慶太の話しを聞いていた。
女王然とした高圧的な振る舞いで、自分に関わる人を支配しようとしていた高良聡子。
母親だった聡子が病院のベッドの上で管で繋がれ、動けなくなっていく姿を思い出した慶太は、静かに瞼を閉じた。
消化できずに自分の中で抱えてきた弱く汚い部分を吐露する。
「俺は、沙羅が思っているほど、優しい人間じゃないよ。母が病で弱っていく姿を見て、ホッとしたんだ」
暗闇を向く慶太の広い背中が、心なしか頼りなく見える。それを支えたくなった沙羅はそっと手を添えた。
「結局、我が儘に振る舞っていた母は、父から最後まで愛されずに、愛人の男にも見放され孤独な死を迎えた。誰も母の死を悼む者が居なかったのは、母の自業自得でしかないと思う。ただ、唯一の息子である自分が母の死に対して、悲しみよりも安堵の気持ちの方が大きくて……自分でもこんな感情はおかしいと思うけど、どうしようもないんだ」
沙羅が聡子に会ったのは、あの凍えるような冬の日の一度きり。
それでも、冷たい瞳で見下ろされ抗う事など出来ずに、聡子に従う事しか出来なかった。もしも、聡子が自分の母親だったなら、事あるごとに口を挟まれ、選択の自由を奪われながら暮らさなければならないだろう。
聡子と親子だった慶太は、幾度となく辛い思いをしたに違いない。
なんの慰めにもならないかも知れないが、沙羅は言わずにはいられなかった。
沙羅は慶太へ両手を伸ばし、体温をわけ与えるように頬を包み込む。
「例え親子であっても、自分に負担ばかり強いる人に良い感情を持つのは難しいはず。親であっても無くても、自分に良くしてくれない人の死を悲しむ事なんて出来ないよ。だから慶太がお母様の死を悲しめなくてもおかしいとは思わない」
「沙羅……」
「私は慶太の優しさに救われているの。慶太が何度否定しても、私にとって慶太は優しくて素敵な人よ」
0
あなたにおすすめの小説
会社のイケメン先輩がなぜか夜な夜な私のアパートにやって来る件について(※付き合っていません)
久留茶
恋愛
地味で陰キャでぽっちゃり体型の小森菜乃(24)は、会社の飲み会で女子一番人気のイケメン社員・五十嵐大和(26)を、ひょんなことから自分のアパートに泊めることに。
しかし五十嵐は表の顔とは別に、腹黒でひと癖もふた癖もある男だった。
「お前は俺の恋愛対象外。ヤル気も全く起きない安全地帯」
――酷い言葉に、菜乃は呆然。二度と関わるまいと決める。
なのに、それを境に彼は夜な夜な菜乃のもとへ現れるようになり……?
溺愛×性格に難ありの執着男子 × 冴えない自分から変身する健気ヒロイン。
王道と刺激が詰まったオフィスラブコメディ!
*全28話完結
*辛口で過激な発言あり。苦手な方はご注意ください。
*他誌にも掲載中です。
社長の×××
恩田璃星
恋愛
真田葵26歳。
ある日突然異動が命じられた。
異動先である秘書課の課長天澤唯人が社長の愛人という噂は、社内では公然の秘密。
不倫が原因で辛い過去を持つ葵は、二人のただならぬ関係を確信し、課長に不倫を止めるよう説得する。
そんな葵に課長は
「社長との関係を止めさせたいなら、俺を誘惑してみて?」
と持ちかける。
決して結ばれることのない、同居人に想いを寄せる葵は、男の人を誘惑するどころかまともに付き合ったこともない。
果たして課長の不倫を止めることができるのか!?
*他サイト掲載作品を、若干修正、公開しております*
一夜限りのお相手は
栗原さとみ
恋愛
私は大学3年の倉持ひより。サークルにも属さず、いたって地味にキャンパスライフを送っている。大学の図書館で一人読書をしたり、好きな写真のスタジオでバイトをして過ごす毎日だ。ある日、アニメサークルに入っている友達の亜美に頼みごとを懇願されて、私はそれを引き受けてしまう。その事がきっかけで思いがけない人と思わぬ展開に……。『その人』は、私が尊敬する写真家で憧れの人だった。R5.1月
交際マイナス一日婚⁉ 〜ほとぼりが冷めたら離婚するはずなのに、鬼上司な夫に無自覚で溺愛されていたようです〜
朝永ゆうり
恋愛
憧れの上司と一夜をともにしてしまったらしい杷留。お酒のせいで記憶が曖昧なまま目が覚めると、隣りにいたのは同じく状況を飲み込めていない様子の三条副局長だった。
互いのためにこの夜のことは水に流そうと約束した杷留と三条だったが、始業後、なぜか朝会で呼び出され――
「結婚、おめでとう!」
どうやら二人は、互いに記憶のないまま結婚してしまっていたらしい。
ほとぼりが冷めた頃に離婚をしようと約束する二人だったが、互いのことを知るたびに少しずつ惹かれ合ってゆき――
「杷留を他の男に触れさせるなんて、考えただけでぞっとする」
――鬼上司の独占愛は、いつの間にか止まらない!?
龍の腕に咲く華
沙夜
恋愛
どうして私ばかり、いつも変な人に絡まれるんだろう。
そんな毎日から抜け出したくて貼った、たった一枚のタトゥーシール。それが、本物の獣を呼び寄せてしまった。
彼の名前は、檜山湊。極道の若頭。
恐怖から始まったのは、200万円の借金のカタとして課せられた「添い寝」という奇妙な契約。
支配的なのに、時折見せる不器用な優しさ。恐怖と安らぎの間で揺れ動く心。これはただの気まぐれか、それとも――。
一度は逃げ出したはずの豪華な鳥籠へ、なぜ私は再び戻ろうとするのか。
偽りの強さを捨てた少女が、自らの意志で愛に生きる覚悟を決めるまでの、危険で甘いラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる