没落令息は、元許嫁の護衛騎士に買われ所有物になりました。

桜塚あお華

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第33話 決別 

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 エドガー邸――石造りの重厚な建物は、夜の静寂の中に息を潜めていた。
 夜露に濡れた石畳を一人歩く足音が響く。
 ユリウスは使者に案内されながら、心の中で何度も深く呼吸を繰り返していた。
 けれど、震えは止まらない。
 それでも、引き返すことはなかった。

 そして――書斎の扉が、重々しく開かれる。

「やぁ、数週間ぶり、ユリウス」
「……エドガー」

 静かな声が、室内から響いた。
 燭台の灯に照らされたその男は、相変わらず洗練された衣装に身を包み隙のない笑みを湛えていた。
 相変わらず変わらない笑みを見せるエドガーにユリウスは嫌悪感を抱きながら睨みつける。

「思ったより早く来てくれて助かったよ、やはり君は素直だ」

 皮肉交じりの声音に、ユリウスは静かに歩みを進める。

「……脅しの手紙を送っておいて、『素直』とは随分な言い草ですね?」

 その声には、以前のような怯えはなかった。
 感情を抑えた平坦な語調――けれど、その奥には確かな怒りが潜んでいる。
 エドガーは机の後ろで優雅に微笑むと、一枚の書類を取り出した。

「懐かしいだろう?君の借用書の『再発行分』……額面が、少々増えているが……君の名前はちゃんと残っている」

 ユリウスの眉が、わずかに動いた。

「……また偽造ですか?」
「私が直接手を下したとはひと言も言っていない。ただ、都合のいい帳簿を作れる部下は多い」

 その余裕のある態度に、ユリウスは拳を握りしめる。

「……いいかげん、諦めてほしいです。私はもう、あなたの所有物ではありません。あの時、私は諦めたんですよ?」
「君が何を言おうと、『誰のものでもない』などと主張し始めたのが、滑稽でね。
 誰の名で育ち、誰の庇護で生きてきたのか――忘れたわけじゃあるまい?」
「人の話を聞けよ……確かに庇護を求めましたが、結局お断りしたはずですよ、エドガー……それに、もう一つ」

 低く吐き捨てるように言う。

「――俺の名義を使い、勝手に借金を作り破産を仕立てて競売にかけた。お前が潰したんだよ、俺の家を……俺の人生を」

 最初からわかっていた。
 エドガーと言う男が初めからユリウスの家を外から人を使っておもちゃのように壊していた事を。
 わかっていたが、証拠はなかった。
 
 ユリウスの言葉に、しばし沈黙が落ちる。
 エドガーは視線を逸らさず、けれどどこか投げやりな口調で言った。

「君を利用するためだ……血筋も、美しさも、従順さも、そして誇り高さすらも……すべて、魅力的だった」
「『駒』として、ですか?」

 ユリウスは笑いもしなかった。

「貴族社会の上層部に差し出して、また誰かに『所有』させるつもりだったのでは?」
「君のような存在は政治の場で非常に有用なんだ。黙って笑っていればいい……君にはそれができたはずだ」

 その言葉に、ユリウスの中で何かが切れた。

「……俺はそんな生き方はしない。もう誰にも命令されない。お前にも……もう絶対に、従うつもりはない!!」

 ユリウスが声を荒げたその瞬間、エドガーの顔がわずかに歪む。

「……それでも、君は私の元に来た」
「……っ」
「否定するなら、なぜひとりで? 本当は怖かったんじゃないのか……私に『また』支配されることを」

 言葉の刃が、過去の傷を抉る。
 ユリウスが一歩下がる。
 エドガーは机を回り込み、その背を追う。

「君の声、肌、温もり……全部、俺の中に焼き付いてる。忘れられるわけがない……今も、こうして……」

 その手がユリウスの腕を掴む。

「離せ……っ!」
「君は俺のものだ俺のものだ……だって、まだ俺を覚えてるだろう?身体が、そう言ってる」

 背が壁に押し付けられ、逃げ場をなくす。
 振り払おうとするが、エドガーの顔が近づく。
 ユリウスの視界が揺れる。
 あの夜の記憶――震えながら、泣きながら無理やり口付けられた記憶が、喉を焼くように蘇る。

「やめろ……やめろ……っ……カイン……!」

 叫ぶような声が、空気を裂いた。

 バン――!

 その瞬間、書斎の扉が激しく開く。

「――ユリウスから離れろ」

 重い低音が部屋を満たす。
 そこにいたのは、長い外套を揺らすカインだった。

「カ、カイン!?」

 ユリウスの肩が震える。
 だが、カインの目はただ、獲物を見据える獣のようだった。

「護衛ごときが……」

 その言葉は、最後まで発せられなかった。

 ドガッ!

 重たい拳がエドガーの頬に炸裂した。
 男の体が壁に叩きつけられ、書斎に衝撃音が響く。

「……もう二度と、ユリウスに指一本触れるな」

 低く、殺気を孕んだ声だった。

「ユリウスを『誰のものか』決めるのは、お前じゃない……選ぶのはユリウス自身だ」

 カインが振り返り、ユリウスの傍にしゃがむ。
 その目には、優しさと怒りと――そして、深い愛情があった。

「……ユリウス。遅れて、悪かった」
「……っ、来てくれて、助かりました……そして遅い!!」
「うむ、すまない」

 ユリウスの声が震えながらも、カインに向かって叫ぶ。
 しかし、微かに震えているユリウスの姿に、カインはそっとその肩を抱き寄せ、強く支えた。

「お前が声をあげるなら、俺は何度だって来る。遅れても、必ず行く」

 エドガーは床に膝をつき、呻きながら二人を睨みつけた。

「お前だけは……奪わせない……っ」
「もう、お前の『もの』じゃない」

 カインが静かに言う。
 ユリウスもまた、毅然と顔を上げた。

「……俺はもう、『駒』じゃない。誰にも命令されない。誰の所有物でもない。
 これは俺の意志だ……俺は、カインと生きるって、決めたんだ」

 言葉は、確かな決別となって、エドガーの胸に突き刺さる。
 やがて、ユリウスは背を向け、カインと並んで歩き出す。

「行こう」
「ああ」

 二人の背中が、静かに書斎を出ていく。
 重たい扉が、ゆっくりと、だが確かに閉ざされた。
 残されたのは、机の上に置かれた借用書と――床にうずくまる、支配者のなれの果てだった。
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