アクアヴェルン 婚約破棄された令息は隣国で護衛騎士に溺愛される。

中洲める

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1話 卒業式と旅立ち

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「クリス・ラーカイル! お前との婚約を破棄する!」

 今日はアマハガ魔法学園の卒業式。
 厳かな式典を終え、解放感に包まれたパーティの最中だった。
 突如響いたその声が、会場に冷たい波紋を広げる。

 高らかに婚約破棄を宣言したのは婚約者のラカルド・アマハガ。
 このアマハガ国の第二王子にして、美しい金の髪とサファイアの瞳を持つ、誰もが憧れる完璧な貴公子だ。
 その口元が今、嫌悪に歪んでいる。
 そして、その隣には彼の腕に抱かれるように立つ、魔力の高さが目に留まり、貴族の養子となった麗しい少年がいた。
 並んだ二人は愉悦の笑みを浮かべ壇上から僕を見下ろしている。

「なぜですか!? 僕に何の落ち度が……!」
「とぼけるな、この不細工が!」
「!?」
 突きつけられた言葉に、胸がじくりと痛んだ。
 もさもさした癖毛のくすんだ茶髪、薄い緑の瞳、そしてそばかす。
 僕は誰が見ても地味で、王子の伴侶としては相応しくなかった。

 そんな僕が王子の婚約者に選ばれたのは、『祝福の恩恵(ヴェルン)』だからだ。

 ヴェルンとは、性別を問わず、強い魔力を持つ者同士が深く愛し合ったときに生まれる特別な子。
 女の胎を通らず、互いが「子を望む」という強い想いと、混ざり合った愛と魔力が凝縮し、人の形をなして現れる。

 そうして生まれたヴェルンは、例外なく高い魔力と優れた知性を持っている。

 僕は公爵夫夫の間に生まれたヴェルン。
 属性は水。1つしか持っていないけれど、その分力は強く、天候すらも自由に操れる僕は『水属性の祝福(アクアヴェルン)』と呼ばれていた。


 ラカルド様は、美しいものが好きだった。
 自身の美しさに見合うもので囲まれていたいお人。
 完璧で、冷ややかで、触れるのも憚られるほどに。
 彼の周りにはいつだって、光を反射してきらめく宝石のような人や物で満ちていた。

 そんな彼の唯一の汚点が、みすぼらしい容姿の婚約者。
 つまり、僕だ。

 初めて会ったときから、ラカルド様の態度は酷かった。
 こちらからも婚約の話を進めて欲しいと打診したわけでもなく、むしろそれとなく合わないようだと伝えたはず。
 それでも、王命に近い形で婚約は成立した。
 王家がアクアヴェルンを、僕の血に宿る魔力を欲しているのだと、漠然と悟った。
 けれど男である僕は、ただ体を重ねても子を成すことができない。
 愛し合わなければヴェルンは生まれない。
 だったら、せめて愛されようと思った。

 無謀だと分かっていた。
 けれど、あの方を初めて見た瞬間に、僕はすでに心奪われていた。
 あまりにも美しくて、遠くて、少し笑うだけで、息が止まりそうだった。
 あの人の隣に立てるのなら、どんな努力でも惜しくないと思った。

 それからの僕の世界は、ラカルド様を中心に回りはじめた。
 勉強も、魔術の訓練も、幼い頃から課せられた公務も、全部こなした。
 さらにラカルド様が押し付けてくる仕事まで請け負い、眠る時間さえ削って、ただ一心に努力を重ねた。
 褒められなくても、感謝されなくてもいい。
 あの方の隣に並ぶ資格のかけらでも手に入れたかった。

 だけど、学園に入ってからの3年間。
 僕らはほとんど言葉を交わさなかった。

 冷たくなった僕らの関係の向こう側で、ラカルド様が別の誰かと愛し合う仲になっていたと知ったとき、胸の奥で、何かが崩れ落ちた。

 それでも。
 それでも僕は、まだあの人を嫌いになれなかった。

 呆然として顔を見つめることしかできない僕に、ラカルド様は愉悦の表情でやった覚えのない罪状を読み上げる。


 怖かった。
 彼の口から出る言葉が、自分を断ち切る刃みたいで、息をするのも痛い。
 こんなにも憎まれ、突き放されているのに、それでも僕はまだ、あの人の声を聞きたいと思っていた。
 もう一度、優しい呼び方で名前を呼んでほしいと、望んでしまう自分が情けなくて仕方がない。

 現実逃避をするように大好きなラカルド様の顔を見つめて……。


「……!?」

 そこから話の内容が全く頭に入ってこなくなった。


 だって。

 ラカルド様、鼻毛が出てるんだもん……っ!!



 あの完璧な顔に、ちょろんと。
 息をするたびにピロピロ動いてる。
 あ、中に入った。息すったのか……。
 今度は出てきた。息吐いたんだ……。
 呼吸に合わせて揺れ動くそれは、シャンデリアの光に輝いていて、目が離せない。

 周りの人、誰も言わないの!?
 隣のその人、何故気づかない!?

「聞いているのか、クリス!」
「あ、はい」

 反射的に返事をしたものの、僕の視線は鼻毛に釘付け。
 そして……。

 ぷっ、と音が漏れた。

 これはだめだ、堪えなくては……。
 けれど、耐えようとすればするほどそれはどんどんせりあがって来る。

 顔を俯かせ、震える体を抱きしめた。

 苦しくて涙が浮かぶ。

 今にも零れそうな笑いを口の中へ押し留める。

 泣いているにしては様子がおかしい僕に、ラカルド様が初めて、戸惑ったように声を落とした。

「……クリス?」
 そんな初めて聞く声に、僕は我慢が限界を超えた。

「ぶっふぉ」
「!?!?!?」

 駄目だ、もう無理。
 笑っちゃいけないのに。

 感情のまま大笑いをした。

 広い会場に僕の引きつった笑い声だけが響く。
 けれどそれも気にならない。

 ああ、おかしい。なんでこんなにおかしいんだ。
 抑え込んでいた感情が爆発したようだ。



 笑いながら脳裏にラカルド様のと思い出が駆け巡る。

 ……けど。
 お茶会はすっぽかされる。エスコートはない。
 面と向かって罵倒され、押し付けられる課題は多く睡眠時間が削られる。
 それすらも出来が良すぎて僕がやったとバレて怒られた……。

 なんか、いい思い出1つもないな?

 そう思ったら笑いが自然と収まった。

 そうして真っ直ぐ顔をあげて、改めてラカルド様を見る。

「……? あれ」
 相変わらず視線は鼻毛にしか向かない。
 あれほど好きだったラカルド様が、間抜けな坊ちゃんにしか見えなくなった。

 輝いていて素敵だったあの人はどこ?

 見るたびにいつもうるさかった胸の高鳴りもない。
 確認するように胸へ手を置いたが全く変化はない。


 なんだろう。
 僕、この人のこと、もう好きじゃない……、かも。

 首を傾げている僕に再びラカルド様は高らかに宣言した。

「とにかく、お前との婚約を破棄する!」
 一瞬だけ胸の奥がちくりと痛んだ。
 ……でも、その痛みがすぐに薄れていく。
 そして残ったのは晴れやかさだ。

「謹んで、お受けいたします。婚約の破棄、了承いたしました」
「……え?」

 淀みなく告げた僕に、彼が一瞬呆けた顔をして、ほんのわずか言葉を詰まらせた。

 なぜそのような顔をなさるのです。
 あなたがそう望んだのでしょう?

 間抜けた返事をするラカルド様に、また笑いが込み上げた。

 それを誤魔化すように、僕はたぶん、初めてラカルド様に笑いかけた。
 今なら、笑うな汚いと言われても平気な気がしたからだ。
 作る必要なんてなかった。
 自然と笑顔が浮かぶ。

「どうぞ、お幸せに」

 そう言った瞬間、あれほどざわめいていた会場が、今は静まり返っている。
 僕の笑顔がそんなに珍しかったのかな。ま、いいか。
 どうせ今日で、全部おしまいだ。

 臣下の礼をして、静かにその場を去った。




 心の中は爽快感で満たされている。
 婚約者としての責務からは解放されたし、アクアヴェルンはただの呼び名であって役職じゃない。

 つまり、僕は自由だ!


「さて、何をしようか!」


 その声に、天から小さな水滴が降ってきて青空に虹をかけた。
 水の女神が、笑っているように見えて、僕も自然と笑顔になった。
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