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3話 目指せ婚約解消!
しおりを挟むノワールの吐息が唇のすぐ先に漂う。
あとほんの少し、距離が縮まれば触れてしまう。
そう思ったら、目から勝手に涙が零れ落ちた。
……ぐす。
「!?」
前世で三十年。この世界で十五年も生きてきたのに。
キスひとつ奪われると思っただけで泣くなんて情けない。
って思うけど、出てしまったものは仕方がない。
だって、夢だったんだもん。
可愛い彼女と手を繋いでデートして、別れ際にそっとキスをするシチュエーション。
「ア、アル!?」
ノワールが慌てて上から飛びのいておろおろと俺を見下ろす。
「俺、ヤダ……。ノワールとは友達で、こういうのヤダ……」
「おおお、す、すまん。焦りすぎた。そうだよな、お前の気持ちも待たずに済まない」
慌てふためき、俺の顔を覗き込む。
基本的に強引で我が道を行くノワール。
だが、俺が本気で嫌がったり、泣いたりするとすぐに慌てて手を引いてくれる。
そうして全力で俺の許しを乞おうとした。
そんな風にするから、俺はノワールを見捨てられない。
嫌な奴だなんて思えないんだ。
「悪かった。お前が俺を好きになるまで待つ、待つから……。泣かないでくれ」
「ぐす……。泣いてない」
「泣いてるだろ。ほら、鼻をかめ」
「ん……」
懐紙で鼻を押さえられて、俺は素直に鼻をかんだ。
「なんで、婚約者なんだよ。友達じゃダメなのか?」
「嫌だ」
「なんで」
「俺はアルが好きなんだ」
「俺も好き」と言いかけて、口を閉じた。
ノワールの『好き』は恋愛感情。俺の『好き』は友情。
同じ言葉でも込められている意味はまるで違う。
だから返す言葉を飲み込み、無言で視線だけをベッドに落とした。
その反応にノワールの表情が少し歪んだのが見えてしまった。
けれど今の俺にできることはない。
「アル」
それを許さないとノワールが両手で俺の頬を包んで顔を上げさせた。
「来月から学園に通うだろう?」
「うん」
十五歳になったら俺たち貴族は二年間、学園に通わなくてはならない。
これは貴族としての義務だ。
それは王族も同じ。
「アルはとても可愛くて魅力的だ。きっと他の奴もお前を好きになる」
「ノワールのほうがかっこよくてきれいだと思うけど?」
「ふっ、お前のそういうとこも好きだ」
「……っ」
「俺の物だって証が欲しかった」
「……」
そうは言っても、その学園で運命の出会いがあるんだよなぁ。
主人公に出会ったら俺の事なんてどうでもよくなるくらい、その相手に心を奪われる。
婚約者なんていたらその邪魔になってしまう。
「婚約解消……」
「しない!」
食い気味に否定されて、次の手段を思案する。
「……」
「アル……」
黙り込んだ俺にノワールは不安げな表情を浮かべ抱きしめようと手を伸ばした……。
その時。
「……ぅ、はぁ……」
ノワールは苦しげに息を吐き出し、自分の心臓に手を当てて呻き始める。
『発作』が起きたんだ。
「ノワール!」
「……アル」
助けを求めるように伸ばされた手をしっかり掴んで倒れていく体を抱きしめた。
「今、楽にしてやるからな」
ノワールが小さく頷くのを感じながら、俺は自分の体に宿る魔力を操り彼の体を癒していく。
「く……ぅ……は、ぁ」
脂汗が徐々に引いて、呼吸が整っていく。
ノワールの体にある乱れた魔力を、俺の治癒術で整えて正常な流れへ導く。
神の愛し子であるノワールは、この国の災いとなるものを無意識に祓う。
『何を祓ったのか』本人にもわからず、その代償をただ一人、体に背負わされる。
国が平穏を保つ裏側で、ノワールがこうして苦しんでいることを一部の人間しか知らない。
愛し子がいなくても、女神の祝福なんてなくても、平和な世界は作れる。
だから女神がいらないことをしなくたって大丈夫なんだ。
自分たちの世界は人間自らが作り上げればいい。
なのにどうして気まぐれで選ばれただけのノワールだけが、こんな風に苦しまなきゃいけないんだろう。
この国の誰もが信仰する女神ナリアが、俺は嫌いだ。
妹が説明してくれた時には、何気なく聞いていただけだった『設定』。
けれど実際にこんなノワールを何度も見てきたから、あまりにも理不尽だと思った。
力を使うたびに愛し子は寿命を削り、女神が自分の元へ魂が早く還ることを促すなんて。
こんな一方的な『愛』が加護だなんて反吐が出る。
こんなものは加護じゃなくて呪いだ。
女神像を見るたび舌打ちしたくなる。
「はぁ、はぁ、アル。ありがとう」
血の気が戻ってきたノワールは、呼吸を整えながら顔を上げた。
「ん、いいよ。友達だろ」
「……ああ」
いつものように返したら少しの間のあと、頷いて俺を抱きしめた。
俺がノワールの友人として選ばれたのは、これが理由だ。
この世界の人間は皆魔力を持ち、ひとりにつきひとつ、属性魔法の適性を持っている。
俺の場合、水属性の適性があり、その魔力は治癒に適していた。
まっとうに生きる決意をして以来、その才能も伸ばし続けた。結果、十歳にして王城の治癒術師に勝るとも劣らない力を身につけた。
その噂を聞きつけた王から、父へ打診があり、俺は王宮に招かれた。
そこでノワールと出会った。
初めて発作を見た時は、本当に焦った。
ノワールの魔力がぐちゃぐちゃになって乱れ、何処かへ流れ、そうして一気に戻ってくる。
魔力は血液と同じようなものだ。
それが自分の意思とは無関係に動き暴れるなど、どれほどの負担になるのか想像もつかない。
痛みと不快感、それから大量の魔力が一度に出入りするなんて、体に多大な負荷がかかる。
初めてノワールの『発作』を見たときあまりの酷さに、半泣きで治癒したのを今でも覚えている。
王宮の治癒師だって、ずっとノワールに張りついていられるわけじゃない。
俺が「友人」として選ばれた理由には、治癒師としてそばに置く意味もあったんだ。
治癒師はそもそも少ない。
まして王族に付き添えるほど腕がよく、信用もある人間なんてさらに限られる。
だから、ノワールの隣に常に置ける治癒師として、俺が必要だったんだ。
俺がすぐ治癒を施せるようになってから、ノワールはみるみる元気になっていった。
かつては大人しく静かだった生活が、だんだんと快活になり……。
最終的には、わがままにもなった。
それは俺のせいじゃない。
……多分。
「アル……、アル……」
「もう大丈夫だろ」
すがりつくように抱きつくノワールの背中を優しく撫でる。
発作が起きるとノワールは決まってこうして俺に抱き着いて甘えた。
「ずっとアルと一緒にいたい……」
「いるだろ」
「ずっとだ」
「うん」
——お前を幸せにするのは俺の役目じゃない。
俺はさ、主人公に出会って呪いが解かれ、幸せになるお前が見たいんだよ。
こんな状態のノワールに婚約解消の話をする気になれず、この日は言われるままノワールの部屋へ泊まり一緒に眠った。
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