女王曰く、

野良

文字の大きさ
1 / 3

しおりを挟む
「お前は本当に菜々子のことが好きだな」

 そのときの絶望感を今でも時折、思い出す。変化に臆病な俺が、無意識下で押し止めていた感情を悠人はあっさりと指摘した。あれからというもの、俺の心内はどうしようもないほどに菜々子への想いで溢れている。
 俺、倉林宏樹の幼少期の記憶は、兄である倉林悠人と幼馴染みの宮坂菜々子で占められている。公園デビューからお使いやお泊まりといった、ほとんどの「はじめて」を共に経験してきた。しかし、当然のことながら年齢の差は埋まらない。それを最初に思い知ったのは、二人が幼稚園に通うようになったときだった。
 昨日まで一緒に遊んでいたのに、幼稚園に通う二人と家にいる俺。やっと帰ってきたと思えば、悠人と菜々子の間で交わされる今日あったことの話に入れず、寂しい思いをした。悠人は別にいい。昼間いなくなっても必ず家に帰ってきて構ってくれる。でも、菜々子は違う。待っていても来てはくれないし、会いに行こうにも幼子の足では遠かった。
 菜々子と今までのように遊べなくなる。その不安から、彼女が家に来ると必ず隣に座ったし、悠人が帰ってきたら出迎えもそこそこに彼女について尋ねた。一途だった。そう言えば聞こえはいいが、言い換えればただひたすらに盲目だったというだけのこと。

「倉林、お前は聖人でも目指してるのか」

 中学時代、三年間クラスが同じだった友人は言った。曰く、俺の口から嫌いな人間について聞いたことがないと。正直、彼とは好き嫌いを話すような仲ではなかったし、なにより当時の俺はどうにか二人に追いつこうと必死に背伸びをしていて、あまり周りに目がいかなかった。

「倉林くん。これ、今度の交流試合についての詳細だから、目を通しておいてね」
「あ、はい。ありがとうございます」
「悪いんだけど、八千草くんと榊さんにも渡してもらってもいい?」
「大丈夫です。渡しておきます」
「ありがとう。じゃあ、宜しくね」

 本来は中学時代にそういった人への対処の仕方を学ぶのだろう。けれど俺はそれをしてこなかった。それゆえに、彼女との距離を測りかねている。
 彼女、天羽やちる先輩は弓道部のマネージャーだ。部内に限らず、その人となりに対する信頼と憧憬の言葉はよく耳にする。いつも穏やかで、少し天然。ほわほわという柔らかな形容が似合う、まさにテンプレートな女の子の彼女が俺は苦手だった。
 天羽先輩がとても有能なマネージャーであることは間違いない。今し方渡されたプリントも要点がまとまっていて分かりやすい。それに好感は抱けど、やはりどうしても彼女とは極力関わりたくなかった。

「八千草、榊。天羽先輩から」
「んー」
「今度の交流試合のか。サンキュー、倉林」
「え、場所うちじゃないの?」
「それはあれだろ、向こうのコーチにインハイ経験者がいるとかなんとか」
「合同練習も兼ねるって言ってたしな」
「まーじーかー…私、向こうの一年、苦手なんだよね。嫌みだし」
「同じく」

 榊の言葉にうんうんと頷く八千草に思わず苦笑する。同じ地区の大会出場校だが、強豪校として名が売れているせいか、どうにも虎の威を借る狐が多い。試合に出てもいないのに口だけは一丁前。それがあの学校の伝統とも言うべき一年の姿だった。

「そういえば私、こないだ見ちゃった」
「見た、って何を」
「向こうの学校の主将さん」
「少し強面の人だよな?名前なんだっけ」
「……確か楢崎さん、じゃなかったか?」
「そうそう、楢崎さん!」
「で、その楢崎さんがどうしたって?」
「天羽先輩に告白して振られた挙げ句、主将に蹴飛ばされてた」
「……。」
「……。」

 なんともコメントしづらく、俺と八千草は顔を見合わせて黙り込む。告白のくだりには特に驚きはない。なにせ、楢崎さんの視線は的よりも天羽先輩に強く向けられていた。あれで彼の思いに気がつかないとなると、天然か興味がないか、はたまた気がついていて無視をしていたかのどれかだ。いずれにせよ、タチが悪い。
 あれ、と違和感を覚えて眼鏡を押し上げる。榊は、誰が天羽先輩に告白した楢崎さんを撃退したと言っただろう。

「…主将も容赦ないなぁ」

 しみじみとした八千草の声にああ、と思い出す。そうだ、主将がだ。すると今度はどうして、と疑問がわき上がる。
 答えは欲しい。けれど欲しくない。自分の中で弾き出したそれを深く深く押し込めようとしているときに限って、周りの人間はするりと口にする。

「やっぱり、あの二人って付き合ってるのかな」

 否定も同意もできない。だが、もしそうだったらどうしよう。どうすればいいのだろう。
 予鈴がやけに遠くで響いている気がした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

大丈夫のその先は…

水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。 新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。 バレないように、バレないように。 「大丈夫だよ」 すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

【完結】あなた方は信用できません

玲羅
恋愛
第一王子から婚約破棄されてしまったラスナンド侯爵家の長女、ファシスディーテ。第一王子に寄り添うはジプソフィル子爵家のトレニア。 第一王子はひどい言いがかりをつけ、ファシスディーテをなじり、断罪する。そこに救いの手がさしのべられて……?

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

【完結】愛されないと知った時、私は

yanako
恋愛
私は聞いてしまった。 彼の本心を。 私は小さな、けれど豊かな領地を持つ、男爵家の娘。 父が私の結婚相手を見つけてきた。 隣の領地の次男の彼。 幼馴染というほど親しくは無いけれど、素敵な人だと思っていた。 そう、思っていたのだ。

処理中です...