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ホラー君襲来

590日目 懐かしの我が家

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「痛!」

 私の手を包み込んでいたマロウ……マエローさんの手が引き剝がされ、捩じり上げられる。
捩じり上げているのは、勿論アスラーダさんだ。

「誰と、誰の身分差が無くなって、結婚の報告をすると……?」

 今まで、聞いた事もない様な、冷たく低いアスラーダさんの声に私の方が震えあがった。


アスラーダさん、こんな声が出せたんですね?


 いつも、私に対しては優しかった彼の知らなかった一面……なのかもしれない。
それが、マエローさんに向けられてる事でちょっとときめいちゃったとか言うのは、内緒の話です。
だって、私の為に怒ってくれてるんだよ?
怖いけど、やっぱり嬉しい……。
 そして、アスラーダさんにときめいた事によって私の気持ちにも少し余裕が生まれた。


うん。
やっぱり、アスラーダさんが居るから大丈夫。


「アスラーダさん、帰りましょう?」
「……ああ。」

 彼はマエローさんの手を少し乱暴に離すと、私の腰を抱いて自分の方に引き寄せる。
マエローさんに背を向けた彼の表情は、少し悲しげだった。
地べたに座り込んでいる彼に声が届かないところまで移動したところで、小さくアスラーダさんは呟いた。

「……恩師の1人だったんだ……。」

 その言葉だけで、彼のやりきれない気持ちが分かる様な気がした。
今回の事が起こってから、アスラーダさんは実際にこの現場を見た事が無かったから。
話に聞いていたとはいっても、やっぱり信じたくない気持ちも混在していたんだろうと思う。
それが、学生時代の恩師だったのなら尚更だろう。
私は、アスラーダさんに握られた手を、少しだけ強く握り返す。
少し驚いた様に私に視線を落とした彼の目は、少し悲しげに見えた。





 そのまま、私達はアッシェの待つ懐かしの我が家へと向かった。
マエローさんが来る前までの、楽しい気持ちはすっかり息を潜めてしまっていたけれど、久しぶりに見る我が家にはやっぱり気分が高揚した。

「おかえりなさいですぅ~!」
「良く帰った。」

 予定よりも遅くなってしまったのに、迎え入れてくれたアッシェとコンカッセも嬉しげで、私も破顔してしまう。
そうして思ってしまうのだ。ほんの、2か月前まではここに帰って来るのが普通だったのに……と。
今では、トーラスさんの館が私の家になってしまっていて、ソレが少しだけ寂しい。
やっぱり、どうしても最初にこの町で暮らし始めたこの家が、私にとっての我が家だと思ってしまうんだよね……。こればっかりはどうしようもない事の様な気もする。
 久しぶりの我が家で、アッシェ達と3人で一緒にお風呂に入って前の様に言葉を交わす。
ジュリアーナさんには申し訳ない気持ちになる物の、アッシェ達との会話には心穏やかになる気がした。
今までずっと庶民でやってきたからね。
どうしても、貴族の方々の交わす言葉の様に、裏にある物を考えながらの会話はどうしても気疲れしちゃうんだよね……。そのうち慣れなきゃいけないんだろうけど、それでもやっぱり辛い物がある。

「そういえばですねぇ~。りえらちゃんが居ない間に、王宮からの通達が来たですよ。」
「どんなの??」
「魔法薬の、値段の改正について。」
「あ、やっと確定したんだ?」
「です~!」

 とうとう、と言うかやっと?
王宮から、魔法薬の価格の改正と統一化についての通達が出されたらしい。
これは、私達の作った『家庭用デラックス』と『治療薬』の製法を、国に献上した辺りから出ていた話の筈なんだけれども、国中にきちんと広まるまでは……と言う事で公にされていなかった話だ。
この通達によって、魔法薬は国の定めた基準よりも効果の落ちる物を売る事を禁じられる事になる。
ソレと同時に、価格についても『定価』と言う物が定められて、それ以上・もしくは以下の価格で売る事が禁じられる事になった。
この効果の判別は、国家から抜き打ちで1年に2回の検査官が派遣されるそうで、その検査の結果が3回の内1度でも基準値を下回る場合には営業停止などの処分が下されるらしい。
コレによって、『高速治療薬』は一律5000ミルに、『治療薬』は1000ミル、家庭用デラックスは300ミルと言う形で価格が固定されるそうだ。

「これで、ラヴィーナさんの初期指令は達成、かな?」
「ウチに来て、お礼を言ってたですよー!」
「うん。達成らしい。」


それはなによりだ。
残念なのは、ここに居続ける理由が減っている事位。


「そういえば、私も報告する事があるよ。」
「おお?」
「嬉しそうな顔してる。どんな?」

 私からも、報告がある事を思い出して口元が緩む。

「おお?なんです~?」
「気になる言い方。」

 2人が身を乗り出してきたところで、少し勿体ぶりながら内容を発表する。

「なんと、このアトモス村にも学校が出来る事になりました!」
「おおお?」
「この規模だと、結構な快挙?」
「『治療薬』と『家庭用デラックス』のグラムナード分の取り分を、私の希望に沿う様に使う様にって、グラムナード公が言ってくれたんだって。」
「…… 太っ腹!」

 これは、レシピの使用料をグラムナードが受け取り拒否した結果らしい。
以前、お会いした時にアスラーダさんのご両親に対して話した事を覚えてくれていたみたいで、レシピの使用料として開発したグラムナード領分の取り分として、レシピを使用された品物の売り上げから1%納められる予定だったものを受け取らない代わりに、レシピ考案者の希望に沿った形で使って欲しいと国に寄付してくれたんだそうだ。

「りえらちゃんの野望が一歩足を踏み出したですぅ~……。」
「だねぇ。こんなに早く、形になるとは思わなかったよ。」

 私以上に嬉しそうに頬を緩めるアッシェに、彼女以上に嬉しくなってしまう。
そうなんだよね。
私が、こうやって錬金術師としてやっていけるようになったのも、元を辿るなら、孤児であっても『都心部でなら』基本となる学問を学ばせて貰えるというこの国の制度があってこその事で。
 だからこそ、育ててくれた孤児院への恩を返して上で、余力があるのならば是非とも『都心部』以外にも教育機関を増やして欲しいと思っていた。
それが、私に教育を受けさせてくれてきた国に対して出来る、私の最大の恩返しだと思うから。
ただ、教育機関ってお金が掛かるんだよね……。
人を育てる過程って、工房内だけで見ても結構な金額がかかるんだよ。
流石に、私財でソレを賄うのは難しいので、ちょっと回り道かとは思ったんだけれどもレシピの献上と言う形でソレが叶わないかと、試してみたんだけれども……。
その希望が、早速身近なところで叶う事になったと言う塩梅だ。
ただ、コレに関しては、多分、献上者の希望が叶えられたと言うよりも、アスラーダさんとの関係や。グラムナード公である彼の父親の助力が大きいんじゃないかとは思うけどね。
それでも、私の希望の一部が叶う事になったのは単純に嬉しい事だ。
私達は、3人でその成果を喜び合った。
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