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“ジャン様”
しおりを挟む領地に到着してから、1人でボォーっとする事が増えた。
誰にも気を遣う事もないし、思い出さなきゃと焦らなくてもいいので、1人は気楽だ。
みんな優しいが、やっぱり気を遣う。
思い出したいのはやまやまだが、婚約解消の理由や、刺された理由、どうしてここで静養していたのか、そしてどうしてラインハル侯爵様を見ていると切なくなるのか、何もまだ教えてもらってない事にモヤモヤしてしまい、毎日何もせずに窓から外を見ていた。
そんな毎日を送っていると、一緒に付いて来てくれたユリアが、
「リア様、夜お出かけしませんか?」と言った。
夜?と思ったけれど、どうやら以前ここで静養していた時、お酒も飲める飲食店に何度か行っていたと聞いていたのを思い出した。
そのお店でラインハル侯爵様と知り合ったと言っていた事を思い出した。
それなら一度行きます、と言ってユリアと護衛のバートと出かけた。
その店はとても賑やかで驚いてしまった。
入り口で固まっていると、
「リアさん⁉︎」とカウンター席にいるラインハル侯爵様が驚いた顔で声をかけて来た。
「どうしたのですか?体調は大丈夫なのですか?」と矢継ぎ早に聞いてきて、
「ユリアに以前ここに私が来ていたと聞いて、何か思い出すかなと思いまして来てみました。」
と言うと、
「そうですか…。ではいつもの席に行きましょうか。」と私をカウンター席に案内してくれた。
「リアさんとユリアさんはここでお酒を飲んでいたんですよ。」と教えてくれた。
「ラインハル侯爵様、私はここでどんな事をしていたのですか?」と聞くと、
「美味しい料理を食べて、美味しいお酒を飲んで、楽しいお喋りを私やユリアさん、バートさんとしていたのですよ」と教えてくれた。
「リアさん、リアさんは私の事を“ジャン”と呼んでいたのです。
もし宜しければまたジャンと呼んでは頂けませんか?」と少し悲しそうに言われた。
「ジャン・・・ですか?」
「フフ、呼び捨ても良いですね。リアさんは“ジャン様”と呼んでくださっていました。」
「ジャン様…」
なんだか懐かしく感じる。もう一度、
「ジャン様」と呼ぶと、とっても嬉しそうにジャン様が笑った。
それが嬉しくて、「なんだかジャン様と呼ぶと安心します。」と言った。
とても懐かしいような、嬉しいような感じがして、きっと以前の私はここに座ってジャン様やユリア、バートと楽しく過ごしていたんだというのが分かった。
「もう“ジャン様”と呼んではもらえないのかと思っていました・・・とても、とても嬉しいです。
ここで初めてリアさんとお話しした時、リアさんは瞳いっぱいに涙を溜めて、必死に泣くまいとしていました。
その姿があまりにも切なくて、思わず声をかけてしまったんです。
ユリアさんは酔って寝てしまいましたから、2人でリアさんはノアさんの事を、私は元妻の事をたくさん悪口を言って、リアさんはやっと笑ってくれたんです。
とてもその時の悪口は人にはいえないんですけどね。
その日から私達は友人になったんですよ。
楽しい時間でした。」
とジャン様との出会いを教えてくれた。
優しい口調で落ち着く声で話すジャン様に、私は癒されたんだろうなと思う。
まさに今私は癒されているから。
「ジャン様とどんなお話しをしたのでしょうか・・・思い出したいです・・・・」
「大丈夫ですよ、焦らないのが肝心です。
またこうやってお話ししながら美味しい料理を食べて、お酒を飲んだら思い出すかもしれませんし、新しい思い出も出来ますからね。
だから今日はたくさん食べて、お酒は少しだけ飲んで楽しみましょうね。」
と言ってみんなで食べて飲んで、お喋りを楽しんだ。
時々、ジャン様が胸に手をあてるのが気になり聞いてみた。
「ジャン様、胸が痛いのですか?」
「胸?あ~痛くはないのですが、少し苦しいのです。でも病気ではないですから大丈夫ですよ。寝不足ではありますが。」
ジャン様の奥様が私を刺したのなら、そんな事をさせてしまった私と会うのは嫌なのではないだろうか。
今頃その事に気付き、ハッとした。
ひょっとして、こうして私といる所を見てしまい誤解してしまったのだろうか?
それとも奥様に恨まれるような事をしていたのだろうか?
分からない…何も分からない…
「あの・・申し訳ございません・・・私の顔を見ると奥様を思い出してしまいますよね…私、帰ります…」
そう言って帰ろうとした私の腕をジャン様が掴んだ。
「待って下さい。急にどうしたのですか?
リアさん、少し私の話しを聞いて下さい。
すぐ終わりますから。」
腕を掴んだまま離さないジャン様は、立ち上がろうとしていた私を座らせた。
「リアさん、今の貴方は自分の状況を何も分からず不安ですよね。
何を聞いて良いのか、何を知らないのか、何を知らなければならないのか、誰に何を何処まで聞いて良いのかすら分からない。そんな時は正直に聞けば良いんです。
自己完結してはいけません。
貴方が分からないのなら、分かってる人がちゃんと今のリアさんに何を伝えれば良いのか判断してくれます。
ですから不安なら聞いて下さい。
それが今貴方がしなければならない大切な事だと思いますよ。
試しに私に聞いてみてください。
大丈夫です。言ってみて下さい。」
そう言うジャン様は私を真っ直ぐ見つめ言ってくれた。
そうなのだ。誰も聞いて良いとは言ってくれなくて不安だった。
聞いてはいけないのかと思って、知りたい事が聞けなかった。
聞きたい事が頭の中でパンパンになって、もうどうしていいのか分からなくなっていた。
ジャン様なら答えてくれるだろうか…。
「ジャン様は・・・聞いたら答えてくれますか?」
「はい。でもリアさんが体調を崩しそうな時は次回に持ち越します。
たくさんは無理でしょうから今日は2~3個の質問にしましょうか。
それではどうぞ。」
「あの・・ジャン様は私と一緒にいても不快ではありませんか?」
「不快に思っていたら、引き止めませんよ。
今日、ここでリアさんとお会い出来てとても嬉しいです。」
「でも私は・・私のせいでジャン様の奥様が・・その・・罪を犯してしまいました。
私が何か奥様をそうさせてしまう事をしてしまったのかと思って、ここにいてはいけないと思いました…」
ひょっとしたら私は酷い事をしてしまったかもと思うと怖くて、手を強く握りしめた。
するとその手を優しくジャン様は包んでくれた。
「リアさん、まだ体調が万全ではないリアさんに全てを話す事は出来ませんが、私の妻だった人の事を話しますね。」
そしてジャン様と元奥様との関係を説明してくれた。その話しは元奥様の異常性に驚愕するばかりの話だった。
ジャン様は淡々と話してくれていたけど時々苦しそうに話していて、話しの内容の酷さに涙が出た。
元奥様が治療の為に入院した所で一旦話しを終わらせたジャン様が、
「以前同じ話しをした時もリアさんは私の為に泣いてくれたんですよ。
でも、今日はここまでにしましょう。
リアさん、だから元妻と私は契約結婚のようなもので愛していたわけではないのです。気に病む事などないのですよ。」
と言ってハンカチで涙を拭いてくれた。
「また教えてくれますか?」
「私の話しの続きを聞く前にノアさんの話しを少し聞いていた方が良いと思うのですが、リアさんにとって少し・・・辛い話になるのです。それがあってここに静養に来たのですから。
でもこれだけは知っていて下さい。
ノアさんは以前も今もリアさんの事をずっと変わらず愛しています。
ただそのお二人を破滅させようとした人がいたのです。」
ノアが私をとても大切にしている事は分かっている。
おそらく私もノアを愛していたんだろう。
それをよく思わない人が私達を別れさせたという事なんだろう。
そして私が静養しなければならない程の事をされたという事だ。
だから誰も何も言わなかったのだろう。
私も余程の覚悟がないと聞けないという事か・・・。
私もまだその事を聞くのは怖い。
きっとノアも話すのは辛いだろう。
けど、いずれは聞かねばならない。
「その事をノアに聞いてもいいのでしょうか・・・」
「どうしてそう思いましたか?」
「私が辛かったのならノアも辛かったのではないかと…思いました。」
「そうですね・・・あの時のノアさんはリアさんと同じに傷付き、絶望していました。
話すのは辛いと思います。
ですので、聞くタイミングはリアさんの体調やノアさんの体調にもよると思います。
ですから二人きりではなく私やパトリックさんも同席した時の方が安心出来るのではないかと思います。
私もパトリックさんも全て知っていますから。」
「どうしてノアの話しを先に聞かなければならないのですか?」
「私とリアさんがどう友人になって、私がリアさんのご家族、ノアさんのご家族とどうして親しくなれたのかは、お二人の婚約破棄から説明しなければなりませんから。」
「婚約は解消ではなく破棄だったのですか?」
「そうですね…すみません、皆さんは解消と言っていたのですね…。
その時は婚約破棄でしたが、今は皆さんが心情的には婚約解消だと思っている、という事ではないでしょうか。」
「それは家からですか?ノアからですか?」
「ルーロック家がエリソン家の有責で婚約破棄しました。」
「家から、という事ですね・・・原因はノアという事ですね。」
「そうなりますが、これ以上はノアさんがリアさんに言うべき事なので私の口からは言えません、申し訳ありません。」
「分かりました。少し考えます。
でも、ジャン様と話せて良かったです。
とても楽しかったですし、気持ちが楽になりました。ありがとうございました。」
「こちらこそありがとうございました。
またお話ししましょうね、リアさん。」
そう言ってその夜のお出かけは終わった。
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