婚約破棄は当たり前!悪役のはずが伝説の聖女?

ちゅんりー

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学園の卒業パーティー。

それは、貴族の子女たちが着飾り、将来の社交界デビューに向けて最後のアピールをする華やかな戦場だ。

会場には生演奏が響き、色とりどりのドレスが花のように咲き乱れている。

しかし、私、メシア・フォン・レイジーにとっては、ただの拷問時間でしかなかった。

「(帰りたい……)」

壁の花になって一時間。

私の体力ゲージはすでに赤く点滅している。

ヒールは痛いし、コルセットは苦しいし、愛想笑いで頬の筋肉が痙攣しそうだ。

早く実家に帰って、ジャージに着替えてふかふかのクッションに埋もれたい。

「お嬢様。あと少しの辛抱です。本日のこのイベントが終われば、お嬢様の願いは成就いたします」

給仕に扮したセバスチャンが、私のグラスにノンアルコールの炭酸水を注ぎながら囁いた。

「本当でしょうね、セバスチャン。今日こそ、本当に終わるのよね?」

「ええ。脚本通りに進めば、あと五分で『アレ』が始まります」

セバスチャンが眼鏡を怪しく光らせる。

彼が言う『アレ』とは、もちろん私の待ち望んだ婚約破棄だ。

最近、デレク王太子は私を避けている。

リリィとの仲睦まじい様子をこれ見よがしに見せつけ、私には冷ややかな視線しか送ってこない。

準備は整っている。

さあ、来い。

私を自由にしてくれ!

その時だった。

ジャーン!

唐突に音楽が止まり、会場の入口が大きく開かれた。

現れたのは、我が国の王太子デレク。

その腕には、ピンク色のドレスを着た男爵令嬢リリィがしがみついている。

会場が一瞬で静まり返った。

デレクは真っ直ぐに私を見据え、舞台の中央まで大股で歩いてくる。

そして、高らかに叫んだ。

「メシア・フォン・レイジー! 前へ出ろ!」

来た!

私は心の中でガッツポーズをした。

(待ってましたー!!)

しかし、表面上は驚いたように眉を寄せ、優雅な所作で一歩前へ出る。

「はい、殿下。いかがなさいましたか?」

「白々しいぞ! 今日この場において、貴様の悪逆非道な行いを白日の下に晒し、断罪してやる!」

デレクの声がホールに響き渡る。

周囲の貴族たちが「おお……」とどよめいた。

ついに始まった断罪劇。

私は扇子で口元を隠し、ニヤつきそうになるのを必死で堪えた。

「貴様は、私の最愛の人であるリリィに対し、数々の陰湿な嫌がらせを行ってきたな!」

「(やったことないけど、ここは肯定一択ね)」

私はスッと視線を伏せた。

「……身に覚えがございます」

「認めたな! 先日の夜会でも、リリィのドレスにワインをかけようとしたそうじゃないか!」

デレクが得意げに指摘する。

ああ、あの時のことか。

セバスチャンに阻止されて未遂に終わったけれど、デレクの中では「やった」ことになっているらしい。

好都合だ。

「ええ、その通りですわ」

私は殊勝に頷いた。

「さらに! 王妃教育の重要な書類を暖炉に投げ捨てて燃やしたとも聞いている! 国の未来よりも、自分の感情を優先してヒステリーを起こすなど、王妃となる資格はない!」

デレクが指を突きつける。

うんうん、燃やした燃やした。

あれはサボりたかっただけだけど、ヒステリーという解釈でオッケーです。

「弁明の余地もございません」

私は深く頭を下げた。

これでいい。

これで「悪役令嬢」のレッテルが貼られ、婚約は破棄され、私は自由の身だ。

領地に戻って、農業でもしながらスローライフを送る未来が、すぐそこまで来ている!

あまりの嬉しさに、私の顔はどうしても綻んでしまう。

それを隠すために、私は伏し目がちに、静かに微笑んだ。

「(ああ、やっと解放される……!)」

その、歓喜の微笑みを浮かべた瞬間だった。

会場の空気が、奇妙な方向にねじれ始めたのは。

「……おい、見たか? メシア様のあの表情……」

近くにいた伯爵令嬢が、ハンカチで口元を押さえて震えている。

「ええ……なんて、なんて悲しくも美しい微笑みなの……」

「全てを受け入れているわ。ご自身の名誉を捨ててまで、殿下を立てようとなさっているのね」

……ん?

何の話?

「ドレスの件だって、あれはリリィ様のドレスのほつれを直すための早業だったと、専属デザイナーが証言していたはずだぞ」

「書類の件も、敵国のスパイによる呪術から王城を守るための、勇気ある焼却処分だったと聞いているわ」

「それなのに、殿下は真実を知らずにメシア様を責め立てて……」

「メシア様は、殿下のプライドを傷つけないために、あえて悪名を被るおつもりなんだわ!」

ざわざわ、ざわざわ。

周囲のささやき声が、波紋のように広がっていく。

私の耳にもはっきりと聞こえてくる。

待って。

ちょっと待って。

なんでそうなるの!?

私はただ、本当に嫌がらせしようとして(未遂)、本当にサボりたくて燃やしただけなのに!

「メシア……お前……」

デレク王太子までもが、周囲の空気に当てられて動揺し始めた。

「なぜ反論しない? なぜ、そんなに穏やかな顔で私を見るんだ?」

「え、いや、それは……」

早く終わらせて帰りたいからですが?

「そうか……お前は、私の未熟さを全て知った上で、それでも私を包み込もうというのか……?」

「違います殿下! 断じて違います! 私は性格の悪い女です!」

私は慌てて否定した。

しかし、その言葉すらも、この場では「謙遜」というフィルターを通して変換されていく。

「ご自分を悪く言うなんて……どこまで慈悲深いお方なの」

「聖女だ……救国の聖女様だ……」

誰かが啜り泣き始めた。

拍手が、パラパラと起こり始める。

それは次第に大きくなり、会場全体を包み込む大喝采へと変わっていった。

「メシア様万歳!」

「真の国母たる器だ!」

「なんて高潔な魂なんだ!」

割れんばかりの拍手と称賛の嵐。

私はその中心で、冷や汗をダラダラと流しながら立ち尽くしていた。

「(嘘でしょ……? どうしてこうなった……!)」

チラリとセバスチャンを見る。

彼は会場の隅で、満足げに頷きながら涙を拭うフリをしていた。

お前の仕業か!

あの「噂」を流したのは、間違いなくあの執事だ。

「メシアお姉様……」

リリィが私の手を取り、涙目で訴えかけてくる。

「私、知らなかった……お姉様が影でそんなに私を守ってくれていたなんて……! 私、自分が恥ずかしいです!」

「いや、守ってない。本当に守ってないから」

「そんなご謙遜を! 私、一生お姉様についていきます!」

リリィが私の腰に抱きついてきた。

デレクも何やら感動した面持ちで、自分の胸に手を当てている。

「私は……とんだ勘違いをしていたようだ。メシア、お前の愛の深さに気づかなかった私が愚かだった」

やめて。

その「愛」とかいう誤解に基づく感情を向けないで。

私はただ、家に帰って寝たいだけなのに!

このままでは、婚約破棄どころか、「絆が深まりました」で終わってしまう。

それだけは絶対に阻止しなければならない。

私は震える手で扇子を握りしめ、覚悟を決めた。

こうなったら、最後の手段だ。

デレク王太子が一番言われて嫌なこと、つまり「婚約破棄」の言葉を、私から引き出してやる。

「で、殿下。そのようなお言葉は結構です。それより、結論をお聞かせください」

私は努めて冷徹な声を出し、デレクを睨みつけた(つもりだが、周囲には『愛ある叱責』に見えたらしい)。

「私の罪を断罪し、婚約を破棄するのでしょう? さあ、はっきりとおっしゃってください!」

「メシア……」

デレクが苦渋の表情を浮かべる。

さあ、言え!

「婚約破棄だ!」と叫べ!

そして私を追放しろ!

会場中の視線が、デレクの口元に注がれる。

彼の唇が動いた。

「……婚約は……」

ごくり、と誰かが唾を飲み込む音がした。

私の運命が決まる瞬間。

しかし、その時だった。

「待った!!」

よく通るバリトンボイスが、会場の空気を切り裂いた。

入口に立っていたのは、軍服に身を包んだ精悍な男。

北の国境を守る『氷の閣下』こと、カイル・アークライト辺境伯だった。

「その婚約破棄、私が引き受けよう」

「は?」

私とデレクの声が重なった。

カイルはマントを翻し、颯爽とこちらへ歩いてくる。

その瞳は、獲物を狙う猛獣のようにギラギラと輝き、真っ直ぐに私を射抜いていた。

「メシア嬢。君のような傑物を、見る目のない王家に置いておくのは損失だ。……私の妻になれ」

事態は、私の予想を斜め上に暴走し始めていた。
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