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馬車に揺られること数日。
私は快適な睡眠ライフを満喫していた。
セバスチャンが開発した『路面の凹凸を完全に吸収するサスペンション』のおかげで、馬車の中は揺りかごのように静かだったのだ。
「……ん」
ふと目が覚めると、窓の外の空気がひんやりとしていることに気づいた。
「お嬢様、お目覚めですか」
タイミングよく、セバスチャンが温かいタオルを差し出してくる。
「おはよう、セバスチャン。ここは?」
「はい。間もなく、我がレイジー公爵家が所有する北の別荘、通称『最果ての地』に到着いたします」
最果ての地。
いい響きだ。
父様が「あそこは雪と岩しかないから、税金対策で持っているだけの土地だ」と嘆いていた場所。
つまり、人は来ないし、産業もないし、社交界もない。
あるのは静寂と睡眠だけ。
「やっと……やっと私の理想郷(エデン)に辿り着いたのね」
私は感動に打ち震えながら、窓のカーテンを開けた。
さあ、見せておくれ。
一面の雪景色と、ボロボロの古びた屋敷を!
「……は?」
私の目に飛び込んできたのは、極彩色の光だった。
雪?
いや、雪はある。あるけれど、それ以上に何か眩しいものが輝いている。
「いらっしゃいませー! 大当りー!!」
「カローン温泉へようこそ! 効能は疲労回復、美肌、そして金運アップです!」
「あちらに見えますのが、先月オープンしたばかりの大型カジノ『ゴールデン・スロース』でございます!」
窓の外には、巨大な歓楽街が広がっていた。
湯煙が立ち上る温泉街。
煌びやかなネオン(魔道具による発光)。
そして、中央にそびえ立つ、王城よりも立派な白亜の城(別荘?)。
街道は綺麗に舗装され、多くの観光客らしき人々で賑わっている。
「……」
私は無言でカーテンを閉めた。
見なかったことにしよう。
これは夢だ。
まだ寝ぼけているに違いない。
「お嬢様、到着いたしました。素晴らしい発展ぶりですね」
セバスチャンが爽やかに告げる。
「……セバスチャン」
「はい」
「ここ、どこ?」
「ですから、レイジー家の北の別荘地でございます」
「私の記憶にある別荘と、今見た光景の解像度が一致しないんだけど?」
「お嬢様が『領地でダラダラしたい』と仰ったあの日から、先行して現地入りさせた工兵部隊(庭師)と錬金術師(メイド)たちが突貫工事を行いました」
セバスチャンは事もなげに言った。
「ダラダラするためには、先立つもの……つまり資金が必要です。しかし、お嬢様が労働に従事するのは本末転倒。そこで、『お嬢様が寝ている間に勝手にお金が入ってくるシステム』を構築いたしました」
「それが……カジノと温泉?」
「はい。偶然掘ったら温泉が出ましたし、ついでに希少金属の鉱脈も見つかりましたので、それを元手に複合リゾート施設を建設しました。今や大陸中から富裕層が集まる一大観光地です」
「バカなの!?」
私は叫んだ。
「静かな場所がいいって言ったじゃない! こんな賑やかな場所で、どうやって安眠しろっていうのよ!」
「ご安心ください。中央にそびえる『お嬢様専用タワー』は、最新の防音結界で遮断されており、外部の音は一切聞こえません。かつ、窓からは発展する街並みを見下ろし、『ふふ、人間がゴミのようだ』と優越感に浸りながら二度寝することが可能です」
「そんな性格悪い趣味はないわよ!」
馬車が止まる。
ドアが開くと、そこにはレッドカーペットが敷かれていた。
両脇には、整列した数百人の使用人たち。
「「「お帰りなさいませ! 我らがメシアお嬢様!!」」」
地響きのような大合唱。
観光客たちが「あの方が……この街のオーナー?」「なんて神々しい……」「悪役令嬢なんて噂は嘘だったんだ!」と騒いでいる。
私は頭を抱えて馬車を降りた。
その時、後ろの馬車から降りてきたカイル辺境伯が、目を丸くして周囲を見渡していた。
「……信じられん」
「あ、カイル様。ごめんなさい、こんな騒がしいところで……」
「これが……メシア嬢の『経営手腕』か……!」
カイルが震える声で呟いた。
「え?」
「この土地は、長年『不毛の大地』と呼ばれ、誰もが見捨てていた場所だ。それを、君はわずかな期間でここまでの経済特区に変貌させたというのか」
カイルの瞳が、またしても尊敬の光を帯びていく。
「い、いや、これは勝手に使用人が……」
「部下に適切な権限を与え、その能力を最大限に引き出す。それこそが君主の資質だ。君は『ダラダラしたい(=現場には口を出さない)』という姿勢で、部下たちの自主性を爆発させたのだな」
「解釈がポジティブすぎる!」
「素晴らしい……。私の領地はすぐ隣だが、武力一辺倒で経済面が弱かった。ぜひ、このノウハウをご教授願いたい」
カイルが私の手を取る。
「メシア。君はやはり、私が生涯をかけて守るべき女神だ」
「(ただの金蔓だと思われてない!?)」
違う。
私はただ、雪の中で冬眠したかっただけなのに。
「さあ、お嬢様。タワーの最上階へご案内します。お風呂にお湯を張ってありますよ。湯加減は42度、お好みの温度です」
アメリアが満面の笑みで寄ってくる。
「……入浴剤は?」
「もちろん、お肌がつるつるになる高級バラエキスを入れてあります」
「……夕食は?」
「カニと温泉卵のフルコースをご用意しております」
「……」
私はため息をついた。
悔しいけれど、待遇が良すぎる。
この包囲網から逃げる気力すら削ぎ落とされていくようだ。
「……分かったわ。とりあえずお風呂に入る」
「畏まりました!」
使用人たちが歓声を上げる。
私はレッドカーペットを歩き出した。
周囲からの「ありがたや~」という拝むような視線を受けながら。
(覚えてなさいよ。明日こそは……明日こそは絶対に、何もしないで一日を終えてやるんだから!)
そう心に誓いながら、私は自動ドア(人力)をくぐり、豪華絢爛なロビーへと足を踏み入れた。
しかし私はまだ知らなかった。
この温泉地が、単なるリゾートではなく、大陸の情勢すら左右する『情報のハブ』になってしまっていることを。
そして、私が風呂上がりに飲むコーヒー牛乳(特産品)が、またしても新たな伝説を生むことになるのを。
不毛の大地は、私の怠惰によって、最もホットな聖地へと生まれ変わってしまったのだった。
私は快適な睡眠ライフを満喫していた。
セバスチャンが開発した『路面の凹凸を完全に吸収するサスペンション』のおかげで、馬車の中は揺りかごのように静かだったのだ。
「……ん」
ふと目が覚めると、窓の外の空気がひんやりとしていることに気づいた。
「お嬢様、お目覚めですか」
タイミングよく、セバスチャンが温かいタオルを差し出してくる。
「おはよう、セバスチャン。ここは?」
「はい。間もなく、我がレイジー公爵家が所有する北の別荘、通称『最果ての地』に到着いたします」
最果ての地。
いい響きだ。
父様が「あそこは雪と岩しかないから、税金対策で持っているだけの土地だ」と嘆いていた場所。
つまり、人は来ないし、産業もないし、社交界もない。
あるのは静寂と睡眠だけ。
「やっと……やっと私の理想郷(エデン)に辿り着いたのね」
私は感動に打ち震えながら、窓のカーテンを開けた。
さあ、見せておくれ。
一面の雪景色と、ボロボロの古びた屋敷を!
「……は?」
私の目に飛び込んできたのは、極彩色の光だった。
雪?
いや、雪はある。あるけれど、それ以上に何か眩しいものが輝いている。
「いらっしゃいませー! 大当りー!!」
「カローン温泉へようこそ! 効能は疲労回復、美肌、そして金運アップです!」
「あちらに見えますのが、先月オープンしたばかりの大型カジノ『ゴールデン・スロース』でございます!」
窓の外には、巨大な歓楽街が広がっていた。
湯煙が立ち上る温泉街。
煌びやかなネオン(魔道具による発光)。
そして、中央にそびえ立つ、王城よりも立派な白亜の城(別荘?)。
街道は綺麗に舗装され、多くの観光客らしき人々で賑わっている。
「……」
私は無言でカーテンを閉めた。
見なかったことにしよう。
これは夢だ。
まだ寝ぼけているに違いない。
「お嬢様、到着いたしました。素晴らしい発展ぶりですね」
セバスチャンが爽やかに告げる。
「……セバスチャン」
「はい」
「ここ、どこ?」
「ですから、レイジー家の北の別荘地でございます」
「私の記憶にある別荘と、今見た光景の解像度が一致しないんだけど?」
「お嬢様が『領地でダラダラしたい』と仰ったあの日から、先行して現地入りさせた工兵部隊(庭師)と錬金術師(メイド)たちが突貫工事を行いました」
セバスチャンは事もなげに言った。
「ダラダラするためには、先立つもの……つまり資金が必要です。しかし、お嬢様が労働に従事するのは本末転倒。そこで、『お嬢様が寝ている間に勝手にお金が入ってくるシステム』を構築いたしました」
「それが……カジノと温泉?」
「はい。偶然掘ったら温泉が出ましたし、ついでに希少金属の鉱脈も見つかりましたので、それを元手に複合リゾート施設を建設しました。今や大陸中から富裕層が集まる一大観光地です」
「バカなの!?」
私は叫んだ。
「静かな場所がいいって言ったじゃない! こんな賑やかな場所で、どうやって安眠しろっていうのよ!」
「ご安心ください。中央にそびえる『お嬢様専用タワー』は、最新の防音結界で遮断されており、外部の音は一切聞こえません。かつ、窓からは発展する街並みを見下ろし、『ふふ、人間がゴミのようだ』と優越感に浸りながら二度寝することが可能です」
「そんな性格悪い趣味はないわよ!」
馬車が止まる。
ドアが開くと、そこにはレッドカーペットが敷かれていた。
両脇には、整列した数百人の使用人たち。
「「「お帰りなさいませ! 我らがメシアお嬢様!!」」」
地響きのような大合唱。
観光客たちが「あの方が……この街のオーナー?」「なんて神々しい……」「悪役令嬢なんて噂は嘘だったんだ!」と騒いでいる。
私は頭を抱えて馬車を降りた。
その時、後ろの馬車から降りてきたカイル辺境伯が、目を丸くして周囲を見渡していた。
「……信じられん」
「あ、カイル様。ごめんなさい、こんな騒がしいところで……」
「これが……メシア嬢の『経営手腕』か……!」
カイルが震える声で呟いた。
「え?」
「この土地は、長年『不毛の大地』と呼ばれ、誰もが見捨てていた場所だ。それを、君はわずかな期間でここまでの経済特区に変貌させたというのか」
カイルの瞳が、またしても尊敬の光を帯びていく。
「い、いや、これは勝手に使用人が……」
「部下に適切な権限を与え、その能力を最大限に引き出す。それこそが君主の資質だ。君は『ダラダラしたい(=現場には口を出さない)』という姿勢で、部下たちの自主性を爆発させたのだな」
「解釈がポジティブすぎる!」
「素晴らしい……。私の領地はすぐ隣だが、武力一辺倒で経済面が弱かった。ぜひ、このノウハウをご教授願いたい」
カイルが私の手を取る。
「メシア。君はやはり、私が生涯をかけて守るべき女神だ」
「(ただの金蔓だと思われてない!?)」
違う。
私はただ、雪の中で冬眠したかっただけなのに。
「さあ、お嬢様。タワーの最上階へご案内します。お風呂にお湯を張ってありますよ。湯加減は42度、お好みの温度です」
アメリアが満面の笑みで寄ってくる。
「……入浴剤は?」
「もちろん、お肌がつるつるになる高級バラエキスを入れてあります」
「……夕食は?」
「カニと温泉卵のフルコースをご用意しております」
「……」
私はため息をついた。
悔しいけれど、待遇が良すぎる。
この包囲網から逃げる気力すら削ぎ落とされていくようだ。
「……分かったわ。とりあえずお風呂に入る」
「畏まりました!」
使用人たちが歓声を上げる。
私はレッドカーペットを歩き出した。
周囲からの「ありがたや~」という拝むような視線を受けながら。
(覚えてなさいよ。明日こそは……明日こそは絶対に、何もしないで一日を終えてやるんだから!)
そう心に誓いながら、私は自動ドア(人力)をくぐり、豪華絢爛なロビーへと足を踏み入れた。
しかし私はまだ知らなかった。
この温泉地が、単なるリゾートではなく、大陸の情勢すら左右する『情報のハブ』になってしまっていることを。
そして、私が風呂上がりに飲むコーヒー牛乳(特産品)が、またしても新たな伝説を生むことになるのを。
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