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平和な朝だった。
小鳥のさえずりと、カジノの回転初めを告げるファンファーレをBGMに、私はベッドの上で優雅に二度寝を決め込んでいた。
「(ああ……幸せ)」
この最高級の羽毛布団。
肌触りはまるで雲のようで、一度入ったら二度と出られない魔性のアイテムだ。
今日は一日、ここから一歩も動かないぞ。
そう固く決意した、その時だった。
ウウゥゥゥゥーーーーッ!!
不穏なサイレンの音が、街中に響き渡った。
「な、なに!?」
私は飛び起きた。
火事? 地震? それともカジノで誰かが大負けして暴れているの?
バンッ!
ドアが開き、セバスチャンが飛び込んできた。
いつもの冷静な表情だが、その眼鏡は鋭く光っている。
「ご報告します、お嬢様。緊急事態です」
「なになに!? 朝食のパンが焦げたの!?」
「いいえ。スタンピード(魔物の大暴走)です」
「は?」
セバスチャンが窓のカーテンをシャッと開ける。
「北の山脈より、オークキング率いる魔物の群れ、推定三千体が当リゾート地に向かって進軍中。到着まであと十分といったところでしょうか」
「三千!?」
私は窓の外を見た。
遠くの山裾から、土煙を上げて何かが迫ってくるのが見える。
地響きがここまで伝わってくる。
「無理無理無理! 終わったわ! こんな辺境の別荘地なんて、一瞬で踏み潰されるじゃない!」
私はパニックになった。
まだ死にたくない。
せっかく手に入れたスローライフが、オークの足の裏で終わるなんて嫌だ!
「セバスチャン! 逃げるわよ! 隠し通路とかないの!?」
「迎撃準備は整っておりますが、お嬢様はいかがなされますか? 陣頭指揮を執られますか?」
「バカ言わないで!」
私は布団を頭からかぶった。
「私は戦わない! 怖いから部屋にいる! 一歩も出ないからね!」
ガタガタと震えながら叫ぶ。
「絶対に出ないから! 戸締まり厳重にして! 誰も入れるな! 私のことはいないものと思って!!」
布団の中で亀のように丸まる。
これが私の精一杯の防衛策だった。
現実逃避とも言う。
しばらくの沈黙。
やがて、セバスチャンの感嘆したような声が聞こえた。
「……なるほど。『不動』の構え、ですか」
「え?」
「三千の軍勢を前にしても、眉一つ動かさず、寝室(本陣)から一歩も動かない。それはすなわち、『お前たちごとき、私がわざわざ出向く価値もない』という敵への最大級の挑発」
「違う! ただビビってるだけ!」
「そして、我々使用人に対する『お前たちの力を信じている。私の安眠を妨げるゴミを掃除せよ』という絶対的な信頼の証……!」
「解釈が飛躍しすぎてる!!」
「承知いたしました、お嬢様。そのご期待、このセバスチャンが命に代えても応えてみせましょう」
「待って、期待してない! ただ隠れてたいだけ……」
バタン。
ドアが閉まる音がした。
行ってしまった。
「……うう、怖いよう」
私は布団の中で膝を抱えた。
外からは、ドカーン! バリバリ! ズドドドン! という派手な爆発音が聞こえ始める。
悲鳴? いや、あれは魔物の断末魔か?
私は耳を塞ぎ、ひたすら嵐が過ぎ去るのを待った。
◇ ◇ ◇
一時間後。
外が静かになった。
「……終わった、の?」
恐る恐る布団から顔を出す。
生きてる?
私、まだ生きてるわよね?
コンコン。
「お嬢様、清掃が完了いたしました」
セバスチャンの声だ。
私はおっかなびっくりドアを開けた。
「……セバスチャン、無事だったの?」
「はい。カスり傷ひとつございません」
彼は燕尾服のほこりを軽く払う仕草をした。
「それで、魔物は?」
「ご覧ください」
セバスチャンに促され、私はバルコニーに出た。
そこには、信じられない光景が広がっていた。
街の外壁の前には、山のように積み上げられた魔物の素材。
そして、その頂上で勝利のポーズを決めているのは……。
「あれ、うちの庭師の源さん?」
巨大なハサミ(植木用)でオークキングの首を狩っている老人がいた。
「はい。彼は元『剣聖』でしたが、引退して庭木の手入れをしておりました。久々の運動で腰の調子が良くなったそうです」
「あそこで肉を解体しているのは……」
「料理長のジャンです。彼は元『解体屋(デス・ブッチャー)』の異名を持つSランク冒険者でしたから。『新鮮なオーク肉だ! 今夜はバーベキューだぜ!』と張り切っております」
「メイドたちが魔法を撃ちまくってるんだけど」
「彼女たちは、王立魔法騎士団を『肌に合わない』と辞めた精鋭たちですので。洗濯魔法の応用で、敵を一掃(物理)いたしました」
「……」
我が家の求人採用基準はどうなっているんだ。
「お嬢様が『動くまでもない』と判断された通りでした。あの程度の雑魚、お嬢様が手を下すまでもありません」
セバスチャンがニッコリ笑う。
「しかも、今回のスタンピードで得られた魔石と素材、および肉の売却益は、およそ金貨五千枚になります」
「ご、五千枚!?」
「はい。向こうから勝手に素材とお金と食料を運んできてくれたようなものです。まさに、お嬢様の『幸運(ラック)』が引き寄せたボーナスステージでしたね」
街の方からは、歓声が上がっている。
「メシア様万歳!」
「我らがオーナーの威光に、魔物も恐れをなして絶命したぞ!」
「今夜はオーク肉のステーキ食べ放題だー!」
違う。
私はただ、布団の中で震えていただけなのに。
「……はぁ」
私は大きなため息をついた。
「お疲れのようですね。すぐに温かいハーブティーをご用意いたします」
「……うん、お願い」
「それと、捕獲した魔物の一部を、カジノの『闘技場』イベントに活用することにしました。これで見世物も増え、観光客も倍増することでしょう」
「転んでもただでは起きないわね、あんたたち……」
結局、私は指一本動かすことなく、街の英雄となり、莫大な資産を手に入れた。
しかし、私の願いである「静かな生活」は、カジノの歓声とバーベキューの煙によって、ますます遠のいていくのだった。
「(肉の焼けるいい匂いがする……お腹空いたな)」
恐怖が去ると、現金なもので食欲が湧いてくる。
「セバスチャン、お肉。一番いい部位を持ってきて」
「畏まりました。すでにレアで焼き上げております」
私の堕落ライフは、最強の使用人たちによって、強固に守られているようだ。
小鳥のさえずりと、カジノの回転初めを告げるファンファーレをBGMに、私はベッドの上で優雅に二度寝を決め込んでいた。
「(ああ……幸せ)」
この最高級の羽毛布団。
肌触りはまるで雲のようで、一度入ったら二度と出られない魔性のアイテムだ。
今日は一日、ここから一歩も動かないぞ。
そう固く決意した、その時だった。
ウウゥゥゥゥーーーーッ!!
不穏なサイレンの音が、街中に響き渡った。
「な、なに!?」
私は飛び起きた。
火事? 地震? それともカジノで誰かが大負けして暴れているの?
バンッ!
ドアが開き、セバスチャンが飛び込んできた。
いつもの冷静な表情だが、その眼鏡は鋭く光っている。
「ご報告します、お嬢様。緊急事態です」
「なになに!? 朝食のパンが焦げたの!?」
「いいえ。スタンピード(魔物の大暴走)です」
「は?」
セバスチャンが窓のカーテンをシャッと開ける。
「北の山脈より、オークキング率いる魔物の群れ、推定三千体が当リゾート地に向かって進軍中。到着まであと十分といったところでしょうか」
「三千!?」
私は窓の外を見た。
遠くの山裾から、土煙を上げて何かが迫ってくるのが見える。
地響きがここまで伝わってくる。
「無理無理無理! 終わったわ! こんな辺境の別荘地なんて、一瞬で踏み潰されるじゃない!」
私はパニックになった。
まだ死にたくない。
せっかく手に入れたスローライフが、オークの足の裏で終わるなんて嫌だ!
「セバスチャン! 逃げるわよ! 隠し通路とかないの!?」
「迎撃準備は整っておりますが、お嬢様はいかがなされますか? 陣頭指揮を執られますか?」
「バカ言わないで!」
私は布団を頭からかぶった。
「私は戦わない! 怖いから部屋にいる! 一歩も出ないからね!」
ガタガタと震えながら叫ぶ。
「絶対に出ないから! 戸締まり厳重にして! 誰も入れるな! 私のことはいないものと思って!!」
布団の中で亀のように丸まる。
これが私の精一杯の防衛策だった。
現実逃避とも言う。
しばらくの沈黙。
やがて、セバスチャンの感嘆したような声が聞こえた。
「……なるほど。『不動』の構え、ですか」
「え?」
「三千の軍勢を前にしても、眉一つ動かさず、寝室(本陣)から一歩も動かない。それはすなわち、『お前たちごとき、私がわざわざ出向く価値もない』という敵への最大級の挑発」
「違う! ただビビってるだけ!」
「そして、我々使用人に対する『お前たちの力を信じている。私の安眠を妨げるゴミを掃除せよ』という絶対的な信頼の証……!」
「解釈が飛躍しすぎてる!!」
「承知いたしました、お嬢様。そのご期待、このセバスチャンが命に代えても応えてみせましょう」
「待って、期待してない! ただ隠れてたいだけ……」
バタン。
ドアが閉まる音がした。
行ってしまった。
「……うう、怖いよう」
私は布団の中で膝を抱えた。
外からは、ドカーン! バリバリ! ズドドドン! という派手な爆発音が聞こえ始める。
悲鳴? いや、あれは魔物の断末魔か?
私は耳を塞ぎ、ひたすら嵐が過ぎ去るのを待った。
◇ ◇ ◇
一時間後。
外が静かになった。
「……終わった、の?」
恐る恐る布団から顔を出す。
生きてる?
私、まだ生きてるわよね?
コンコン。
「お嬢様、清掃が完了いたしました」
セバスチャンの声だ。
私はおっかなびっくりドアを開けた。
「……セバスチャン、無事だったの?」
「はい。カスり傷ひとつございません」
彼は燕尾服のほこりを軽く払う仕草をした。
「それで、魔物は?」
「ご覧ください」
セバスチャンに促され、私はバルコニーに出た。
そこには、信じられない光景が広がっていた。
街の外壁の前には、山のように積み上げられた魔物の素材。
そして、その頂上で勝利のポーズを決めているのは……。
「あれ、うちの庭師の源さん?」
巨大なハサミ(植木用)でオークキングの首を狩っている老人がいた。
「はい。彼は元『剣聖』でしたが、引退して庭木の手入れをしておりました。久々の運動で腰の調子が良くなったそうです」
「あそこで肉を解体しているのは……」
「料理長のジャンです。彼は元『解体屋(デス・ブッチャー)』の異名を持つSランク冒険者でしたから。『新鮮なオーク肉だ! 今夜はバーベキューだぜ!』と張り切っております」
「メイドたちが魔法を撃ちまくってるんだけど」
「彼女たちは、王立魔法騎士団を『肌に合わない』と辞めた精鋭たちですので。洗濯魔法の応用で、敵を一掃(物理)いたしました」
「……」
我が家の求人採用基準はどうなっているんだ。
「お嬢様が『動くまでもない』と判断された通りでした。あの程度の雑魚、お嬢様が手を下すまでもありません」
セバスチャンがニッコリ笑う。
「しかも、今回のスタンピードで得られた魔石と素材、および肉の売却益は、およそ金貨五千枚になります」
「ご、五千枚!?」
「はい。向こうから勝手に素材とお金と食料を運んできてくれたようなものです。まさに、お嬢様の『幸運(ラック)』が引き寄せたボーナスステージでしたね」
街の方からは、歓声が上がっている。
「メシア様万歳!」
「我らがオーナーの威光に、魔物も恐れをなして絶命したぞ!」
「今夜はオーク肉のステーキ食べ放題だー!」
違う。
私はただ、布団の中で震えていただけなのに。
「……はぁ」
私は大きなため息をついた。
「お疲れのようですね。すぐに温かいハーブティーをご用意いたします」
「……うん、お願い」
「それと、捕獲した魔物の一部を、カジノの『闘技場』イベントに活用することにしました。これで見世物も増え、観光客も倍増することでしょう」
「転んでもただでは起きないわね、あんたたち……」
結局、私は指一本動かすことなく、街の英雄となり、莫大な資産を手に入れた。
しかし、私の願いである「静かな生活」は、カジノの歓声とバーベキューの煙によって、ますます遠のいていくのだった。
「(肉の焼けるいい匂いがする……お腹空いたな)」
恐怖が去ると、現金なもので食欲が湧いてくる。
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