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「……いたっ」
爽やかな朝。豪華な朝食の席で、私は自分の顎をさすって涙目になっていた。
目の前にあるのは、こんがりと焼けた美味しそうなパン。
しかし、その実態は「パンの形をした岩」だった。
「どうしたのですか、お嬢様。そんなに情けない顔をして」
セバスチャンが呆れたように紅茶を注ぐ。
「セバスチャン……このパン、硬すぎるわ。私の顎が砕けるかと思ったわよ」
「それは失礼いたしました。この地で伝統的に愛されている『鉄壁パン』でございます。厳しい冬を越すための保存食として、釘が打てるほどの硬さが美徳とされております」
「伝統なんてどうでもいいわ! 私はもっと、こう……指で押したら沈むような、雲みたいな、ふわふわしたパンが食べたいの!」
私はテーブルをぺしぺしと叩いて抗議した。
「ふわふわ、ですか?」
「そうよ! 口に入れた瞬間に溶けてなくなるような、噛む必要すらない怠惰なパン! それを今すぐ用意して!」
「……噛む必要すらない、怠惰なパン。なるほど」
セバスチャンの眼鏡が不敵に光った。
「お嬢様は、この地の食文化に『革命』を望んでおられるのですね。既存の概念を打ち砕き、真の意味での安らぎを食卓に。……承知いたしました」
「え、いや、ただ柔らかいパンが食べたいだけで……」
「ジャン! 料理長を呼べ! お嬢様の『聖なる託宣』だ!」
セバスチャンが叫ぶと、厨房から元Sランク冒険者のジャンが血相を変えて飛んできた。
「なんだ! オークの襲来か!?」
「いいえ、ジャン。お嬢様が仰せだ。『噛む力すら使わせぬ、究極の雲を焼け』と」
「……何だって?」
ジャンが私を凝視する。
私はとりあえず、顎をさすりながら力強く頷いておいた。
「わかった……。お嬢様がそう仰るなら、俺の全技術を注ぎ込んでやる」
そこから、屋敷の厨房は戦場と化した。
ジャンは、先日討伐した特殊なスライムから抽出した「高活性天然酵母」を使用し、アメリア率いるメイド隊は、魔力を用いて小麦粉のグルテンを極限まで活性化させた。
そして三日後。
私の前に、それは現れた。
「……これが?」
お皿の上に乗っているのは、今にも消えてしまいそうなほど白く、繊細なパンだった。
少しでも風が吹けば飛んでいきそうだし、触れたら形が崩れそうだ。
「お嬢様。究極の低反発パン、『メシアの溜息』でございます」
「ネーミングセンスが独特ね……。いただきます」
指でつまもうとすると、指がパンの中にめり込んだ。
口に運ぶ。
「…………っ!!」
衝撃が走った。
噛んでいない。
本当に、噛んでいないのに、パンが口の中で甘い蜜のように溶けて消えた。
小麦の香りが鼻を抜け、後味にはほんのりとした癒やしの魔法の余韻。
「美味しい……! これよ、これ! これなら一生食べ続けられるわ!」
「お気に召して光栄です。……ところで、お嬢様」
セバスチャンが不敵に微笑む。
「このパン、試作段階で観光客に一口配ったところ、あまりの美味しさに失神する者が続出いたしまして」
「え?」
「『聖女の慈悲が詰まったパン』として、現在カジノの広場に一万人以上の行列ができております」
「……はぁ!?」
私は窓の外を見た。
そこには、私のタワーを取り囲むように、アリの行列のような人々が並んでいた。
「一個、金貨一枚で販売しておりますが、飛ぶように売れております。既に王都の商会からも『独占販売権をくれ』と鳩が百羽ほど届きました」
「金貨一枚!? パン一個で!? ボッタクリじゃないの!?」
「いいえ、お嬢様。これは単なるパンではありません。『食べるサプリメント』、あるいは『魂の休息』。激務に疲れた現代人にとって、この柔らかさは救いなのです」
セバスチャンが勝手にマーケティングを完結させていた。
「さらに、このパンの売上で、領内の全ての街道を絹のように滑らかな舗装に変える計画です。お嬢様の馬車がより揺れなくなりますよ」
「それは……。……まあ、いいわ。私の昼寝が快適になるなら」
結局、私の「顎が痛い」というワガママは、大陸全土を巻き込むパン革命へと発展した。
一ヶ月後には、王都でも「メシアの溜息」を食べることがステータスとなり、デレク王太子すらも行列に並ぼうとして門前払いされたという噂が届いた。
「(ふふ……ざまぁ見なさい)」
私は、ふわふわのパンをクッション代わりにしながら(※セバスチャンが特製した巨大パンクッション)、今日も幸せに二度寝の淵へと沈んでいくのであった。
爽やかな朝。豪華な朝食の席で、私は自分の顎をさすって涙目になっていた。
目の前にあるのは、こんがりと焼けた美味しそうなパン。
しかし、その実態は「パンの形をした岩」だった。
「どうしたのですか、お嬢様。そんなに情けない顔をして」
セバスチャンが呆れたように紅茶を注ぐ。
「セバスチャン……このパン、硬すぎるわ。私の顎が砕けるかと思ったわよ」
「それは失礼いたしました。この地で伝統的に愛されている『鉄壁パン』でございます。厳しい冬を越すための保存食として、釘が打てるほどの硬さが美徳とされております」
「伝統なんてどうでもいいわ! 私はもっと、こう……指で押したら沈むような、雲みたいな、ふわふわしたパンが食べたいの!」
私はテーブルをぺしぺしと叩いて抗議した。
「ふわふわ、ですか?」
「そうよ! 口に入れた瞬間に溶けてなくなるような、噛む必要すらない怠惰なパン! それを今すぐ用意して!」
「……噛む必要すらない、怠惰なパン。なるほど」
セバスチャンの眼鏡が不敵に光った。
「お嬢様は、この地の食文化に『革命』を望んでおられるのですね。既存の概念を打ち砕き、真の意味での安らぎを食卓に。……承知いたしました」
「え、いや、ただ柔らかいパンが食べたいだけで……」
「ジャン! 料理長を呼べ! お嬢様の『聖なる託宣』だ!」
セバスチャンが叫ぶと、厨房から元Sランク冒険者のジャンが血相を変えて飛んできた。
「なんだ! オークの襲来か!?」
「いいえ、ジャン。お嬢様が仰せだ。『噛む力すら使わせぬ、究極の雲を焼け』と」
「……何だって?」
ジャンが私を凝視する。
私はとりあえず、顎をさすりながら力強く頷いておいた。
「わかった……。お嬢様がそう仰るなら、俺の全技術を注ぎ込んでやる」
そこから、屋敷の厨房は戦場と化した。
ジャンは、先日討伐した特殊なスライムから抽出した「高活性天然酵母」を使用し、アメリア率いるメイド隊は、魔力を用いて小麦粉のグルテンを極限まで活性化させた。
そして三日後。
私の前に、それは現れた。
「……これが?」
お皿の上に乗っているのは、今にも消えてしまいそうなほど白く、繊細なパンだった。
少しでも風が吹けば飛んでいきそうだし、触れたら形が崩れそうだ。
「お嬢様。究極の低反発パン、『メシアの溜息』でございます」
「ネーミングセンスが独特ね……。いただきます」
指でつまもうとすると、指がパンの中にめり込んだ。
口に運ぶ。
「…………っ!!」
衝撃が走った。
噛んでいない。
本当に、噛んでいないのに、パンが口の中で甘い蜜のように溶けて消えた。
小麦の香りが鼻を抜け、後味にはほんのりとした癒やしの魔法の余韻。
「美味しい……! これよ、これ! これなら一生食べ続けられるわ!」
「お気に召して光栄です。……ところで、お嬢様」
セバスチャンが不敵に微笑む。
「このパン、試作段階で観光客に一口配ったところ、あまりの美味しさに失神する者が続出いたしまして」
「え?」
「『聖女の慈悲が詰まったパン』として、現在カジノの広場に一万人以上の行列ができております」
「……はぁ!?」
私は窓の外を見た。
そこには、私のタワーを取り囲むように、アリの行列のような人々が並んでいた。
「一個、金貨一枚で販売しておりますが、飛ぶように売れております。既に王都の商会からも『独占販売権をくれ』と鳩が百羽ほど届きました」
「金貨一枚!? パン一個で!? ボッタクリじゃないの!?」
「いいえ、お嬢様。これは単なるパンではありません。『食べるサプリメント』、あるいは『魂の休息』。激務に疲れた現代人にとって、この柔らかさは救いなのです」
セバスチャンが勝手にマーケティングを完結させていた。
「さらに、このパンの売上で、領内の全ての街道を絹のように滑らかな舗装に変える計画です。お嬢様の馬車がより揺れなくなりますよ」
「それは……。……まあ、いいわ。私の昼寝が快適になるなら」
結局、私の「顎が痛い」というワガママは、大陸全土を巻き込むパン革命へと発展した。
一ヶ月後には、王都でも「メシアの溜息」を食べることがステータスとなり、デレク王太子すらも行列に並ぼうとして門前払いされたという噂が届いた。
「(ふふ……ざまぁ見なさい)」
私は、ふわふわのパンをクッション代わりにしながら(※セバスチャンが特製した巨大パンクッション)、今日も幸せに二度寝の淵へと沈んでいくのであった。
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