悪役令嬢、婚約破棄に「御意!」と即答!

ちゅんりー

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「うまい……! なんだこれは、この世の食べ物か……!?」


リズナ商会の食堂(元・山賊のたまり場)。

夕食の時間。長テーブルの隅で、一人の男が涙を流しながら皿に向かっていました。

雑用係のギルバート(元王子)です。

彼の手にあるのは、固い黒パンと、薄い野菜スープ。
そして、今日の功労賞として特別に支給された、極薄のハムが一枚。

彼はそのハムを、まるで聖遺物のように慎重にフォークで刺し、口へと運びました。


「……塩気が、染みる……! 労働で疲弊した筋肉に、豚肉のタンパク質と塩分がダイレクトに響く……!」


彼は咀嚼(そしゃく)しました。
王宮で食べていた最高級のローストポークよりも、トリュフソースのかかったステーキよりも、このペラペラのハムの方が圧倒的に美味く感じるのです。


「これが……『稼ぐ』ということなのか」


ギルバートは呆然と呟きました。

自分の手足を動かし、汗をかき、元恋人を物理的に拘束して得た対価。
その重みが、舌の上で旨味となって爆発しています。


「おい新人。さっさと食わねえと奪うぞ」

「ああっ!? ダメだ! これは俺のハムだ! 俺がミアを捕獲して勝ち取った戦利品だ!」


隣の元山賊にフォークを向けられ、ギルバートは必死に皿を抱え込みました。

その瞬間、彼の脳裏に閃光が走りました。


(……待てよ?)


彼はハムを見つめながら、深い思索の海へと沈んでいきました。

つい数時間前まで、彼はミアのことを「運命の相手」だと思っていました。
彼女のためなら国を捨ててもいい、とさえ思っていました。

しかし、どうでしょう。
今、彼の心の中にある優先順位は、以下の通りでした。

1位:ハム
2位:明日の筋肉痛の心配
3位:オーナー(リズナ)の評価
……
圏外:ミア


「俺は……ミアのことが好きだったんじゃないのか?」


自問自答します。
遠くの納屋からは、「ここから出してぇ! 王宮に帰してぇ!」というミアの悲鳴が微かに聞こえてきます。
しかし、ギルバートの心はピクリとも動きません。
むしろ、「うるさいな、明日の業務に響く」と苛立ちすら覚えます。


「そうか……俺はミアが好きだったんじゃない。ミアに『すごいですね!』とチヤホヤされる、自分が好きだっただけなんだ」


第一の覚醒です。
彼は自分のナルシシズムを客観視することに成功しました。

では、リズナはどうでしょう?
彼女はチヤホヤしてくれません。
「無能」「邪魔」「働け」と罵倒してきます。

なのに、なぜ自分はここにいるのか?
なぜ、泥だらけになってまで、彼女のそばにいたいと思うのか?


「……まさか」


ギルバートはガタッと椅子を鳴らして立ち上がりました。
食堂の視線が集まります。


「俺は……リズナに叱られたかったのか? いや、違う! 俺は彼女に『認められたい』んだ!」


第二の覚醒です。
彼は気づきました。
今までリズナに甘え、面倒な仕事を押し付け、彼女の有能さに胡座(あぐら)をかいていた自分。
そんな自分を見限った彼女を、見返したい。
「よくやった」と、あの冷徹な瞳で褒められたい。

その欲求こそが、今の彼の原動力だったのです。


「そうか……! リズナは俺を見捨てたんじゃない! 俺に『王としての資質』が足りないから、あえて突き放し、『這い上がってこい』と試練を与えているんだ!」


第三の覚醒。
……残念ながら、ここで致命的な方向転換(ミス)が生じました。

リズナは単に「いらないから捨てた」だけです。
しかし、超ポジティブ思考のギルバート回路において、それは「愛の鞭」へと変換されました。


「リズナァァァ! 待っていてくれ! 俺は答えを見つけたぞォォォ!」


ギルバートは残りのパンを一気に口に詰め込むと、食堂を飛び出しました。


          ◇


執務室。
私は一日の業務を終え、セオドアが入れてくれたハーブティーでリラックスしていました。


「ふぅ。今日の売上も上々ね。ミア様からの徴収見込み額も帳簿に入れたし、完璧だわ」

「お嬢様、そろそろお休みになられては? 明日は早朝から、隣国の鉱山視察ですよ」

「そうね。……ん?」


ドンドンドンドンッ!!

扉が壊れそうなほど激しく叩かれました。


「オーナー! ギルです! 開けてください! 重要な報告があります!」

「……はぁ」


私はカップを置きました。
この時間帯の訪問者など、ロクな用件ではありません。


「入りなさい。ただし、用件は10秒以内で」


ガチャリと扉が開き、ギルバートが入ってきました。
彼は作業着のままでしたが、その顔つきは今までとは違いました。
憑き物が落ちたような、清々しい表情です。


「オーナー……いや、リズナ」

「職場ではオーナーと呼びなさいと言ったはずですが」

「今だけは許してくれ。……俺は、気づいたんだ」


ギルバートは私の机の前に立ち、真っ直ぐに私を見据えました。


「俺はずっと、君に甘えていた。君が何も言わずに書類を片付けてくれるのをいいことに、自分は王になる努力を怠っていた」

「……ええ、その通りですね。やっと自覚しましたか」

「ああ。そして、君がここへ来た理由も分かった」


彼はビシッ、と私を指差しました。


「君は俺を試しているんだろう!? 『平和ボケした王子に、本当の王の覇気を取り戻させるための荒療治』として、あえて悪役を演じ、俺をここまで導いたんだな!」

「……はい?」


私は首を90度傾げました。
何を言っているのでしょう、この生物は。
私の思考回路(ロジック)にはない、未知の言語です。


「違うとは言わせない! だって、君ほどの合理主義者が、何の利益もなく元婚約者を雇うはずがない! 俺をそばに置いたのは、俺の成長を見守るため……そう、愛ゆえの行動だ!」


ギルバートの瞳がキラキラと輝いています。
完全なる誤解です。
私が彼を雇ったのは、「野放しにするとうるさいから」と「安価な労働力確保」のためです。


「……セオドア」

「はい」

「彼、毒草でも食べたのかしら? それとも頭を打った?」

「いいえ。おそらく『ポジティブ思考の暴走』による現実逃避の一種かと。重症ですね」


私が呆れている間にも、ギルバートの演説は続きます。


「リズナ! 俺は決めたぞ! 俺は王都へ戻る!」

「それは賢明ですね。どうぞお気をつけて」

「ああ! そして父上に直談判し、王としての責務を果たす! もう逃げない! 君が守ろうとしたこの国を、俺の手で再建してみせる!」


おお、言うことだけは立派です。
方向性はともかく、やる気になったのは良いことです。
私が全権を握った今、彼が傀儡(かいらい)として真面目に働いてくれるなら、それに越したことはありません。


「そうですか。頑張ってください。では、退職届を書いて……」

「だから!」


ダンッ!
ギルバートが机に手をつき、顔を近づけてきました。


「君も一緒に来るんだ、リズナ!」

「……は?」

「俺一人では無理だ。……いや、違うな。俺が王になるためには、君という『最強のパートナー』が必要なんだ!」


彼は私の手を取りました(汚い軍手で)。


「勘違いしないでくれ。これは愛の告白ではない! ……いや、愛もあるかもしれないが、今はまだ言わない! これは『契約』だ!」

「契約?」

「俺は君の能力を高く評価している。だから、俺の右腕として……いや、俺の『頭脳』として、俺を補佐してほしい! その代わり、俺は君の『手足』となり、君が望む国を作るための権力を提供する!」


ギルバートはニヤリと笑いました。


「どうだ? 合理的だろう? 辺境の商会でちまちま稼ぐより、一国を動かす方が、君のビジネスセンスを満たせるはずだ!」


……。
…………。

私は瞬きを数回しました。

(……生意気にも、私の思考回路に寄せてきたわね)

確かに、一理あります。
リズナ商会は順調ですが、規模の限界はあります。
国の中枢に戻り、国家予算そのものを運用資金として回せるなら、利益の桁が変わります。

それに、今の彼には、かつてのような「お花畑」の雰囲気はありません。
泥臭く、計算高く、そして少しだけ「男」の顔をしていました。

(へえ……。雑用係(ゴミ)だと思っていたけど、磨けば光る石ころくらいにはなったのかしら)


私は少しだけ口角を上げました。
そして、掴まれた手をそっと引き抜き、ハンカチで拭きました。


「……悪くないプレゼンです。少なくとも、今までの『愛しているから戻ってくれ』という寝言よりは、建設的ですね」

「だろう!? 俺も成長したんだ!」

「ですが」


私は眼鏡をクイと上げました。


「私は高いですよ?」

「望むところだ! 金か? 領地か? それとも……俺の貞操か?」

「最後のは要りませんが……そうですね」


私は引き出しから、あらかじめ用意していた(いつか使うと思っていた)分厚い契約書を取り出しました。


「私が王都に戻る条件。それは単純な金銭ではありません。貴方が、私の提示する『労働条件』をすべてクリアできるかどうかです」

「労働条件?」

「ええ。貴方は『手足になる』と言いましたね? それが比喩ではなく、文字通りの意味であることを証明していただきます」


私は契約書を突きつけました。


「さあ、覚悟はいいですか? 元・王子様。私の条件は、悪魔との契約よりも厳しいですよ?」


ギルバートはゴクリと喉を鳴らしました。
しかし、その目は逃げていませんでした。


「……受けて立つ! 俺はもう、方向音痴の王子じゃない! 君という道標(ガイド)を手に入れた、王の器だ!」


大きく出ましたね。
まあ、道標を見る目が曇っている(勘違いしている)時点で、まだ方向音痴は治っていない気もしますが。

こうして、私たちの奇妙な関係は、新たなステージへと進むことになりました。
雇用主と雑用係から、ビジネスパートナー(仮)へ。

ただし、私の提示する条件を見て、彼が泡を吹いて倒れなければの話ですが。
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