悪役令嬢、婚約破棄に「御意!」と即答!

ちゅんりー

文字の大きさ
25 / 27

25

しおりを挟む
「――というわけで、この小切手にサインをしてくれれば、君の国の借金はチャラだ」


リズナ臨時政府・執務室。

隣国のレオナルド殿下が、優雅に指で弾いた一枚の紙切れ。
それは、我が国の国家予算の3倍に相当する金額が記載された、魔法銀行の小切手でした。

目の玉が飛び出るような巨額です。
後ろに控えていたセオドアでさえ、眼鏡の位置を直すほどの一品。


「どうだい、リズナ嬢? 僕との結婚契約書(婚姻届)にサインするだけで、君は明日から『借金取りに追われる元悪役令嬢』から、『大国の王太子妃』にクラスチェンジできる。君の大好きな『効率的解決』だろう?」


レオナルド殿下は、勝ち誇った笑みを浮かべていました。

確かに、合理的です。
この小切手があれば、私は今の激務から解放され、悠々自適なセレブ生活を送ることができます。
国も救われ、私も幸せ。Win-Winの関係……に見えます。


「……ふむ」


私は電卓を叩く手を止め、小切手を手に取りました。
紙質の良さ、インクの匂い。本物です。


「お待ちください、レオナルド殿下!」


叫んだのは、部屋の隅でモップがけをしていたギルバートでした。
彼はモップを放り出し、私の前に立ち塞がりました。


「そ、そんな金に目がくらんじゃダメだ! これは罠だ! いや、魂の売買だ!」

「うるさいな、掃除夫くん」


レオナルド殿下が冷ややかに見下ろしました。


「君には関係ない話だ。それとも何か? 君にこれ以上の金額が出せるのかい? 今の君の時給は、確か……パンの耳3枚分だったかな?」

「ぐぬっ……!」

「愛だの情熱だの、安っぽい言葉はいらない。ビジネスの話をしよう。君はこの提示額に対し、対抗できる『資産』を何も持っていない。なら、大人しく退場したまえ」


正論です。
資本主義社会において、資本なき者は発言権を持ちません。

ギルバートは唇を噛み締め、拳を震わせました。
悔しさが滲み出ています。
しかし、彼は退場しませんでした。
その代わり、彼は懐からクシャクシャになった一枚の紙を取り出しました。


「……金はない。資産もない。だが、俺には『これ』がある!」


彼がテーブルに叩きつけたのは、以前私が彼に書かせた『労働契約書(奴隷契約書)』でした。


「これは……?」

「俺の人生だ!」


ギルバートは叫びました。


「レオナルド! お前は『金』を出した。だが、それは使い切れば終わりの有限な資産だ! だが俺は、この契約書を通して、俺の『未来』と『可能性』のすべてをリズナに捧げている!」

「はぁ? 何の意味が……」

「意味はある! 俺はこれから成長する! 今は無能かもしれないが、1年後、10年後には、お前の国をも凌ぐ利益を生み出す男になる! リズナはそれを知っているからこそ、俺を雇ったんだ!」


ギルバートは私に向き直り、熱っぽい瞳で訴えかけました。


「リズナ! 選んでくれ! 『今の安定』か、『未来の可能性』か! 目先の小切手で満足して終わるのか、それとも俺という『未公開株』を育て上げて、世界一の利益(リターン)を手にするか!」

「……」


執務室に沈黙が降りました。
セオドアが興味深そうに眉を上げています。

レオナルド殿下は「プッ」と吹き出しました。


「あははは! 傑作だ! 自分を『未公開株』だと? ただの『紙くず』かもしれないのに?」

「紙くずにはさせない! 俺がさせるものか!」


ギルバートの瞳には、揺るぎない決意の炎が宿っていました。
かつての、誰かに守られて生きていた王子の目ではありません。
自分の足で立ち、自分の言葉で価値を証明しようとする、一人の男の目です。

私は小切手と、泥だらけの契約書を見比べました。

そして、ゆっくりと口を開きました。


「……レオナルド殿下」

「なんだい? サインペンならここにあるよ」

「この小切手、魅力的です。額面通りの価値があるでしょう」


私は小切手を指先で弾きました。


「ですが……『天井』が見えています」

「え?」

「この金額は固定です。これ以上増えません。私は強欲なのです。固定された利益では満足できません」


私は小切手をテーブルに置き、ギルバートの契約書を手に取りました。


「対して、こちらの物件(ギルバート)。……リスクは極大です。暴落の危険性もあります。しかし」


私はギルバートを見つめ、ニヤリと笑いました。


「彼が言う通り、化ければ『青天井』です。私の計算では、彼を徹底的に扱き使えば、この小切手の100倍の価値を生む可能性があります。経営者として、どちらに投資すべきかは明白です」

「な……っ!?」


レオナルド殿下の顔が引きつりました。


「正気か!? 不確実な未来に賭けるというのか!?」

「ええ。それが『投資』というものですから」


私は契約書をギルバートに突き返しました。


「ギルバート。貴方のプレゼン、採用します」

「リ、リズナ……!」

「ただし!」


私は釘を刺しました。


「貴方が『紙くず』になった瞬間、私は即座に損切り(処分)します。死ぬ気で働きなさい。私の期待値(ハードル)は、エベレストより高いですよ?」

「……望むところだ! 必ず超えてみせる!」


ギルバートは破顔し、契約書を抱きしめました。
レオナルド殿下は、しばらく呆然としていましたが、やがてフンと鼻を鳴らしました。


「……負けたよ。狂ってるね、君たちは」

「最高の褒め言葉です」

「いいだろう。今回は手を引く。だが覚えておきたまえ。その男が少しでも君を泣かせたら、今度こそ僕が国ごと買い取るからね」


レオナルド殿下は、小切手を回収すると、風のように去っていきました。
またしても嵐が過ぎ去った執務室。

残されたのは、私と、ニヤニヤするセオドアと、そして感極まって泣いているギルバートでした。


「うぐっ……うぅぅ……! リズナぁぁ……!」

「泣かないでください。床が濡れます」

「ありがとう……! 俺を選んでくれて……!」

「勘違いしないでください。最も利益率が高い選択をしただけです」


私はハンカチを投げ渡しました。
ギルバートはそれをキャッチし、顔を拭いました。
そして、真っ赤な目で私を見つめ、居住まいを正しました。


「リズナ。改めて、申し込ませてくれ」

「何をです?」

「婚約だ」


彼は私の前に片膝をつきました。
手には指輪も花束もありません。あるのはモップだけです。


「一度目の婚約は、親が決めたものだった。俺はそれを自分勝手に破棄した。……だが、今度は違う」


彼は私の手を取り、甲に唇を寄せようとして……寸前で止めました。
手が泥だらけだったことに気づいたようです。
彼は苦笑して、手を放しました。


「俺自身の意志で、君を選ぶ。俺の生涯のパートナーは、リズナ・フォン・アークライト、君しかいない」

「……」

「今はまだ、君の部下だが……いつか必ず、君の隣にふさわしい男になってみせる。だから……俺と、二度目の婚約をしてくれないか?」


執務室の窓から、夕日が差し込んでいました。
逆光の中の彼は、ボロボロの作業着姿でしたが、私が今まで見たどの王子様よりも、輝いて見えました。

私は溜息をつき、眼鏡を外しました。


「……契約期間は?」

「一生だ」

「違約金は?」

「俺の命すべてだ」

「……条件は悪くありませんね」


私は右手を差し出しました。


「いいでしょう。契約成立です。……ただし、覚悟しておきなさい。私の婚約者になるということは、この国の借金返済義務の『連帯保証人』になるということですよ?」

「ははっ! 望むところだ!」


ギルバートは私の手を取り、今度こそ力強く握りしめました。
泥の感触が伝わってきましたが、不快ではありませんでした。

こうして、私たちは「二度目の婚約」を結びました。
ロマンチックなキスも、誓いの言葉もありません。
あったのは、膨大な借金と、果てしない労働の約束だけ。

それでも、私の胸の計算機は、これ以上ない『黒字(幸福)』を弾き出していました。


「さあ、感動の時間は終わりよ。仕事に戻りなさい、婚約者(パートナー)」

「御意! マイ・ハニー……じゃなくて、マイ・CEO!」

「その呼び方、減給対象です」


私たちは笑い合いました。
机の上には、山積みの書類。窓の外には、復興を待つ王都。
私たちの戦いは、まだ始まったばかりです。

……そして数年後。
この二人がどのようにして国を立て直し、伝説の『悪妻(名君)』として歴史に名を刻むことになるのか。
それはまた、別のお話――。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

追放された悪役令嬢は辺境にて隠し子を養育する

3ツ月 葵(ミツヅキ アオイ)
恋愛
 婚約者である王太子からの突然の断罪!  それは自分の婚約者を奪おうとする義妹に嫉妬してイジメをしていたエステルを糾弾するものだった。  しかしこれは義妹に仕組まれた罠であったのだ。  味方のいないエステルは理不尽にも王城の敷地の端にある粗末な離れへと幽閉される。 「あぁ……。私は一生涯ここから出ることは叶わず、この場所で独り朽ち果ててしまうのね」  エステルは絶望の中で高い塀からのぞく狭い空を見上げた。  そこでの生活も数ヵ月が経って落ち着いてきた頃に突然の来訪者が。 「お姉様。ここから出してさし上げましょうか? そのかわり……」  義妹はエステルに悪魔の様な契約を押し付けようとしてくるのであった。

恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ

恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。 王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。 長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。 婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。 ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。 濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。 ※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています

彼女が高級娼婦と呼ばれる理由~元悪役令嬢の戦慄の日々~

プラネットプラント
恋愛
婚約者である王子の恋人をいじめたと婚約破棄され、実家から縁を切られたライラは娼館で暮らすことになる。だが、訪れる人々のせいでライラは怯えていた。 ※完結済。

公爵夫人は愛されている事に気が付かない

山葵
恋愛
「あら?侯爵夫人ご覧になって…」 「あれはクライマス公爵…いつ見ても惚れ惚れしてしまいますわねぇ~♡」 「本当に女性が見ても羨ましいくらいの美形ですわねぇ~♡…それなのに…」 「本当にクライマス公爵が可哀想でならないわ…いくら王命だからと言ってもねぇ…」 社交パーティーに参加すれば、いつも聞こえてくる私への陰口…。 貴女達が言わなくても、私が1番、分かっている。 夫の隣に私は相応しくないのだと…。

【完結】堅物な婚約者には子どもがいました……人は見かけによらないらしいです。

大森 樹
恋愛
【短編】 公爵家の一人娘、アメリアはある日誘拐された。 「アメリア様、ご無事ですか!」 真面目で堅物な騎士フィンに助けられ、アメリアは彼に恋をした。 助けたお礼として『結婚』することになった二人。フィンにとっては公爵家の爵位目当ての愛のない結婚だったはずだが……真面目で誠実な彼は、アメリアと不器用ながらも徐々に距離を縮めていく。 穏やかで幸せな結婚ができると思っていたのに、フィンの前の彼女が現れて『あの人の子どもがいます』と言ってきた。嘘だと思いきや、その子は本当に彼そっくりで…… あの堅物婚約者に、まさか子どもがいるなんて。人は見かけによらないらしい。 ★アメリアとフィンは結婚するのか、しないのか……二人の恋の行方をお楽しみください。

心配するな、俺の本命は別にいる——冷酷王太子と籠の花嫁

柴田はつみ
恋愛
王国の公爵令嬢セレーネは、家を守るために王太子レオニスとの政略結婚を命じられる。 婚約の儀の日、彼が告げた冷酷な一言——「心配するな。俺の好きな人は別にいる」。 その言葉はセレーネの心を深く傷つけ、王宮での新たな生活は噂と誤解に満ちていく。 好きな人が別にいるはずの彼が、なぜか自分にだけ独占欲を見せる。 嫉妬、疑念、陰謀が渦巻くなかで明らかになる「真実」。 契約から始まった婚約は、やがて運命を変える愛の物語へと変わっていく——。

悪役令嬢まさかの『家出』

にとこん。
恋愛
王国の侯爵令嬢ルゥナ=フェリシェは、些細なすれ違いから突発的に家出をする。本人にとっては軽いお散歩のつもりだったが、方向音痴の彼女はそのまま隣国の帝国に迷い込み、なぜか牢獄に収監される羽目に。しかし無自覚な怪力と天然ぶりで脱獄してしまい、道に迷うたびに騒動を巻き起こす。 一方、婚約破棄を告げようとした王子レオニスは、当日にルゥナが失踪したことで騒然。王宮も侯爵家も大混乱となり、レオニス自身が捜索に出るが、恐らく最後まで彼女とは一度も出会えない。 ルゥナは道に迷っただけなのに、なぜか人助けを繰り返し、帝国の各地で英雄視されていく。そして気づけば彼女を慕う男たちが集まり始め、逆ハーレムの中心に。だが本人は一切自覚がなく、むしろ全員の好意に対して煙たがっている。 帰るつもりもなく、目的もなく、ただ好奇心のままに彷徨う“無害で最強な天然令嬢”による、帝国大騒動ギャグ恋愛コメディ、ここに開幕!

処理中です...