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「おーっほっほっほ! 見なさい、カイル殿下! この私こそが、王国を破滅に導く稀代の悪女、リペ・ブランシュですわ!」
豪華絢爛な王宮の一室に、リペの突き抜けた高笑いが響き渡った。
鏡の前で何度も練習した、渾身の「悪役令嬢ポーズ」である。
腰に手を当て、顎をツンと上に向ける。これぞ、物語に登場する「最後に婚約破棄されて自由を手に入れる女」の完成形だと彼女は確信していた。
しかし、対面に座る婚約者、カイル・ド・ラ・ヴァリエール第一王子は、微塵も動じなかった。
それどころか、その涼やかな美貌をさらに緩ませ、うっとりとリペを見つめている。
「……素晴らしいよ、リペ。今日の君は、一段と輝いているね。その高らかな笑い声、まるで朝を告げる小鳥の囀りのようだ。あまりに愛らしくて、胸が締め付けられるよ」
「……はい?」
リペの完璧なポーズが、わずかにピクリと震えた。
「小鳥の囀り……? 殿下、耳の調子がおよろしいですか? 今の笑いは、聞く者を恐怖のどん底に叩き落とす、邪悪な魔女のような笑いでしたのよ?」
「いいや、僕には天使の福音にしか聞こえなかった。君の喉の震え、そのリズム……楽譜に書き留めておきたいくらいだ」
カイルは本気で言っていた。
その瞳には、リペへの盲目的な愛情が凝縮されており、彼女が何をしても「プラス」にしか変換されないフィルターが装着されているようだった。
リペは心の中で、ぐぬぬ、と歯噛みする。
彼女が決意したのは、つい数日前のことだった。
この国において、王子の婚約者という立場はあまりに重い。将来の王妃としての教育、社交界のしがらみ、自由のない生活。
「私はもっと自由に、好きな時に好きなパンを食べ、好きな時に昼寝をする生活がしたいのですわ!」
そう考えたリペが行き着いた結論が、「悪役令嬢になって婚約破棄されること」だった。
悪評をばらまき、殿下に嫌われ、最後には「君のような女は婚約者にふさわしくない!」と突き放される。
それこそが、彼女の夢見るハッピーエンドへの唯一の道。
しかし、現実は非情だった。
「いいですか、殿下。私は最近、とっても悪いことをしていますの。例えば……そうですわ! 昨日の夜食に、こっそりお徳用のクッキーを三枚も食べたのです! しかも、歯を磨く前に!」
リペは精一杯の「悪行」を告白した。公爵令嬢として、これ以上の不品行があるだろうか。
カイルは一瞬、ハッとした表情で目を見開く。
「……三枚も?」
「そうですわ! 三枚です! 驚いたでしょう、この私の不摂生ぶりに!」
リペは勝ち誇った。さあ、今すぐ呆れて、婚約解消の書類を持ってくるがいい。
だが、カイルから返ってきたのは、悲痛なまでの謝罪だった。
「……すまない、リペ。僕の配慮が足りなかった」
「えっ?」
「君が夜中に三枚もクッキーを食べなければならないほど、空腹を我慢させていたなんて。あぁ、なんてことだ。きっと王妃教育のストレスが、君をそこまで追い詰めていたんだね。すぐに王宮のシェフを呼び出そう。夜中でも最高の軽食が提供されるよう、体制を整えさせる」
「違いますわ! そういうことではありませんの!」
「いいんだ、リペ。無理に強がらなくても。君はいつだって自分より他人のことを優先する。自分の健康を害してまで、僕に不満を言わずに耐えていたんだろう? 君のその健気さには、いつも頭が下がるよ」
カイルは椅子から立ち上がると、リペの元へ歩み寄り、その白く柔らかな手をそっと包み込んだ。
「殿下……近いですわ」
「いいや、まだ遠い。君の心をもっと近くに感じたいんだ。さあ、リペ。改めて僕に誓わせてほしい。君がどんなに『悪女』を演じようとしても、僕の君への愛は揺らがない。むしろ、不慣れな悪役を演じて僕を退屈させまいとするそのサービス精神に、僕はさらに惚れ直してしまったよ」
カイルの顔が、至近距離まで近づく。
芳醇な香水の香りと、有無を言わせぬ王者のオーラ。そして、逃げ場を塞ぐような熱い視線。
「ちょ、ちょっと待ってくださいまし! 説得の仕方が強引すぎますわ!」
「強引? そうだね、君を失うかもしれないという恐怖が、僕をそうさせるのかもしれない。リペ、君が婚約破棄を望むなら、僕は国中の全速力でそれを阻止する。君の隣は、世界中で僕だけの特等席なんだから」
リペの顔は、怒りではなく羞恥で真っ赤に染まっていった。
(な、なんですのこの殿下……! 何を言っても『愛』で殴り倒してきますわ……!)
彼女の悪役令嬢への道は、想像以上に険しいものになりそうだった。
リペは自由を求めて、再び震える声で叫ぶ。
「……あ、明日こそは、もっとすごい悪事をして見せますわ! 覚悟しておきなさい!」
「ああ、楽しみにしているよ。明日はどんな可愛い君が見られるのかな」
「可愛いって言わないでくださいましーっ!」
リペはカイルの手を振り払い、逃げるように部屋を飛び出した。
後ろからは、楽しげな王子の笑い声がいつまでも追いかけてきた。
公爵家の馬車に飛び乗ったリペは、窓の外を見ながら深くため息をつく。
「お嬢様、お疲れ様でございました」
御者台から、幼馴染でもある侍従のセバスが冷めた声をかけた。
「セバス……見ていましたわね。私の完璧な悪役っぷりを」
「はい。お嬢様が必死に顔を赤くして、殿下に愛の告白を受けている姿をバッチリと。ちなみに、お嬢様の言う『悪事』ですが、世間一般ではそれを『日常の幸せ』と呼びますよ」
「うるさいですわ! 次は……次こそは、マリアンヌ様をターゲットにして、ドロドロの三角関係を演出してやりますの!」
「マリアンヌ様ですか。あの方は確か、お嬢様が以前、道端で倒れているところを助けた令嬢ですよね。今ではお嬢様の熱狂的な信者だと聞いていますが」
「……うっ。それは、その、たまたまですわ!」
リペは拳を握りしめた。
自由なパン食い生活と昼寝三昧の未来のために。
彼女の、勘違いと溺愛に満ちた「悪役令嬢(仮)」の戦いは、まだ始まったばかりである。
豪華絢爛な王宮の一室に、リペの突き抜けた高笑いが響き渡った。
鏡の前で何度も練習した、渾身の「悪役令嬢ポーズ」である。
腰に手を当て、顎をツンと上に向ける。これぞ、物語に登場する「最後に婚約破棄されて自由を手に入れる女」の完成形だと彼女は確信していた。
しかし、対面に座る婚約者、カイル・ド・ラ・ヴァリエール第一王子は、微塵も動じなかった。
それどころか、その涼やかな美貌をさらに緩ませ、うっとりとリペを見つめている。
「……素晴らしいよ、リペ。今日の君は、一段と輝いているね。その高らかな笑い声、まるで朝を告げる小鳥の囀りのようだ。あまりに愛らしくて、胸が締め付けられるよ」
「……はい?」
リペの完璧なポーズが、わずかにピクリと震えた。
「小鳥の囀り……? 殿下、耳の調子がおよろしいですか? 今の笑いは、聞く者を恐怖のどん底に叩き落とす、邪悪な魔女のような笑いでしたのよ?」
「いいや、僕には天使の福音にしか聞こえなかった。君の喉の震え、そのリズム……楽譜に書き留めておきたいくらいだ」
カイルは本気で言っていた。
その瞳には、リペへの盲目的な愛情が凝縮されており、彼女が何をしても「プラス」にしか変換されないフィルターが装着されているようだった。
リペは心の中で、ぐぬぬ、と歯噛みする。
彼女が決意したのは、つい数日前のことだった。
この国において、王子の婚約者という立場はあまりに重い。将来の王妃としての教育、社交界のしがらみ、自由のない生活。
「私はもっと自由に、好きな時に好きなパンを食べ、好きな時に昼寝をする生活がしたいのですわ!」
そう考えたリペが行き着いた結論が、「悪役令嬢になって婚約破棄されること」だった。
悪評をばらまき、殿下に嫌われ、最後には「君のような女は婚約者にふさわしくない!」と突き放される。
それこそが、彼女の夢見るハッピーエンドへの唯一の道。
しかし、現実は非情だった。
「いいですか、殿下。私は最近、とっても悪いことをしていますの。例えば……そうですわ! 昨日の夜食に、こっそりお徳用のクッキーを三枚も食べたのです! しかも、歯を磨く前に!」
リペは精一杯の「悪行」を告白した。公爵令嬢として、これ以上の不品行があるだろうか。
カイルは一瞬、ハッとした表情で目を見開く。
「……三枚も?」
「そうですわ! 三枚です! 驚いたでしょう、この私の不摂生ぶりに!」
リペは勝ち誇った。さあ、今すぐ呆れて、婚約解消の書類を持ってくるがいい。
だが、カイルから返ってきたのは、悲痛なまでの謝罪だった。
「……すまない、リペ。僕の配慮が足りなかった」
「えっ?」
「君が夜中に三枚もクッキーを食べなければならないほど、空腹を我慢させていたなんて。あぁ、なんてことだ。きっと王妃教育のストレスが、君をそこまで追い詰めていたんだね。すぐに王宮のシェフを呼び出そう。夜中でも最高の軽食が提供されるよう、体制を整えさせる」
「違いますわ! そういうことではありませんの!」
「いいんだ、リペ。無理に強がらなくても。君はいつだって自分より他人のことを優先する。自分の健康を害してまで、僕に不満を言わずに耐えていたんだろう? 君のその健気さには、いつも頭が下がるよ」
カイルは椅子から立ち上がると、リペの元へ歩み寄り、その白く柔らかな手をそっと包み込んだ。
「殿下……近いですわ」
「いいや、まだ遠い。君の心をもっと近くに感じたいんだ。さあ、リペ。改めて僕に誓わせてほしい。君がどんなに『悪女』を演じようとしても、僕の君への愛は揺らがない。むしろ、不慣れな悪役を演じて僕を退屈させまいとするそのサービス精神に、僕はさらに惚れ直してしまったよ」
カイルの顔が、至近距離まで近づく。
芳醇な香水の香りと、有無を言わせぬ王者のオーラ。そして、逃げ場を塞ぐような熱い視線。
「ちょ、ちょっと待ってくださいまし! 説得の仕方が強引すぎますわ!」
「強引? そうだね、君を失うかもしれないという恐怖が、僕をそうさせるのかもしれない。リペ、君が婚約破棄を望むなら、僕は国中の全速力でそれを阻止する。君の隣は、世界中で僕だけの特等席なんだから」
リペの顔は、怒りではなく羞恥で真っ赤に染まっていった。
(な、なんですのこの殿下……! 何を言っても『愛』で殴り倒してきますわ……!)
彼女の悪役令嬢への道は、想像以上に険しいものになりそうだった。
リペは自由を求めて、再び震える声で叫ぶ。
「……あ、明日こそは、もっとすごい悪事をして見せますわ! 覚悟しておきなさい!」
「ああ、楽しみにしているよ。明日はどんな可愛い君が見られるのかな」
「可愛いって言わないでくださいましーっ!」
リペはカイルの手を振り払い、逃げるように部屋を飛び出した。
後ろからは、楽しげな王子の笑い声がいつまでも追いかけてきた。
公爵家の馬車に飛び乗ったリペは、窓の外を見ながら深くため息をつく。
「お嬢様、お疲れ様でございました」
御者台から、幼馴染でもある侍従のセバスが冷めた声をかけた。
「セバス……見ていましたわね。私の完璧な悪役っぷりを」
「はい。お嬢様が必死に顔を赤くして、殿下に愛の告白を受けている姿をバッチリと。ちなみに、お嬢様の言う『悪事』ですが、世間一般ではそれを『日常の幸せ』と呼びますよ」
「うるさいですわ! 次は……次こそは、マリアンヌ様をターゲットにして、ドロドロの三角関係を演出してやりますの!」
「マリアンヌ様ですか。あの方は確か、お嬢様が以前、道端で倒れているところを助けた令嬢ですよね。今ではお嬢様の熱狂的な信者だと聞いていますが」
「……うっ。それは、その、たまたまですわ!」
リペは拳を握りしめた。
自由なパン食い生活と昼寝三昧の未来のために。
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