婚約破棄? ああ、そうですか。では実家に帰るので構わないでください。

ちゅんりー

文字の大きさ
7 / 27

7

「いらっしゃいませ、お嬢様方。本日は『王妃の微笑み(ブリオッシュ)』が焼き上がっておりますぞ」

「きゃあ! 執事様よ! 素敵!」

「その紅茶、私がいただくわ!」

『ベーカリー・シナモン』に、新たな名物が誕生していた。

銀髪の美形店員(クラウス)に続き、ロマンスグレーの完璧な紳士(セバス)がホールに立ったのだ。

彼の接客は洗練を極めていた。

農家のおばちゃん相手でも、まるで王族に仕えるかのように恭(うやうや)しくトレイを差し出す。

「奥様、こちらのパンは焼きたてでございます。火傷なさらぬよう、私の手でお包みしましょう」

「あ、あらやだ……ポッ」

おばちゃんが乙女の顔になった。

私はレジの奥で、カチャカチャと金貨を数えながら呟いた。

「すごいわセバスさん。客単価が三割増しよ」

「恐縮です、オーナー。しかし、このブリオッシュ……バターの含有量が絶妙ですな。紅茶との相性が計算し尽くされている」

セバスは優雅に微笑んだが、そのポケットにはちゃっかり賄(まかな)いのパンがねじ込まれているのを見逃さなかった。

この主従、揃いも揃ってパン中毒である。

「おいセバス。あまり愛想を振りまくな。俺の(パンを食べる)時間が減るだろう」

厨房から、不機嫌そうなクラウスが顔を出した。

彼は今、黒縁眼鏡をかけて変装している。

一応、王都からの捜索を警戒してのことだが、その眼鏡姿が逆に「知的なイケメン」として人気を博していることに本人は気づいていない。

「おやクラウス様。嫉妬ですか? ご安心を、一番人気の座は譲りますよ」

「誰が人気争いなどするか。俺が守りたいのは、シナモンのパンと、平穏な試食タイムだけだ」

そんな平和な(?)営業風景が繰り広げられていた時だった。

店の外から、蹄(ひづめ)の音と、仰々しいラッパの音が聞こえてきた。

パパラパー!

「な、なんだ?」

お客さんたちがざわつく。

私は嫌な予感がして、窓の外を覗いた。

そこには、王家の紋章が入った豪華絢爛な馬車が止まっていた。

「……嘘でしょ」

最悪の客が来てしまった。

馬車の扉が開き、キラキラとしたオーラを纏(まと)って降りてきたのは、金髪碧眼の王子様――エドワード殿下だ。

彼は店の看板『ベーカリー・シナモン』を見上げると、フッと哀れむように笑った。

「こんな煤(すす)けた小屋で……。シナモン、どれほど惨めな思いをしていることか」

大きな独り言が、風に乗って店内まで聞こえてくる。

「皆様! 営業妨害になりそうな予感がするので、本日はこれにて閉店とさせていただきます!」

私は即座に叫んだ。

お客さんを裏口から逃がし、扉の鍵を閉めようとする。

しかし、一足遅かった。

バンッ!

扉が勢いよく開かれた。

「シナモン! 迎えに来たぞ!」

エドワード殿下が、無駄にポーズを決めて立っていた。

逆光で無駄に輝いている。

私はため息をつき、持っていた麺棒を構えた。

「いらっしゃいませ。当店は売り切れです」

「強がるな。報告は聞いているぞ。毎日、粉まみれになって泣いているそうじゃないか」

「泣いてません。粉が目に入っただけです」

「嘘をつくな! 寂しかったのだろう? 辛かったのだろう? かつての婚約者が、こうして救いの手を差し伸べてやったのだ。さあ、その胸に飛び込んでくるがいい!」

殿下は両手を広げた。

私は真顔で一歩下がった。

「お断りします。今、酵母の機嫌が悪いので」

「酵母だと? そんなカビの話より、我々の愛の話をしよう!」

「カビですって!?」

私のこめかみに青筋が浮かんだ。

私の可愛い酵母ちゃんを、またしても愚弄したわね。

「殿下。二度と言わないでください。酵母はカビではありません。真菌です。そして、私の大切なビジネスパートナーです」

「なっ……! お前、まだそんなことを……!」

殿下は顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。

「なぜ分からん! 私は、お前のためにわざわざ来てやったのだぞ! 本来なら処刑されてもおかしくない悪役令嬢を、許してやると言っているのだ!」

「頼んでません」

「ええい、黙れ! とにかく帰るぞ! お前がいないと、王都のパンが不味くて仕方がないのだ!」

あ、本音が出た。

結局、美味しいパンが食べたいだけじゃないか。

「嫌です。私はここで、自分の城(パン屋)を築くのです。お引き取りください」

「き、貴様……! 王族の命令に逆らう気か! 衛兵! この女を縛り上げろ!」

殿下の合図で、後ろに控えていた衛兵たちがジャラジャラと入ってきた。

「ちょっと! 土足で上がらないで! 床を磨いたばかりなのよ!」

私が叫んだその時。

「……私の店で、乱暴な真似は許さん」

ドスの利いた低い声が響いた。

厨房の奥から、眼鏡をかけたクラウスがゆっくりと姿を現した。

その手には、焼き上がったばかりのフランスパン(極太)が握られている。

「なんだ貴様は! ただの店員風情が!」

殿下が怒鳴る。

クラウスは無言のまま、フランスパンを剣のように構えた。

「下がれ、シナモン。……こいつらの相手は、俺がする」

「クラウスさん! でも相手は王族ですよ!?」

「関係ない。俺の平穏なパン生活(ライフ)を脅かす奴は、誰であろうと敵だ」

クラウスの眼鏡の奥の瞳が、青白く光った気がした。

「いけっ、衛兵! その無礼者を捕らえろ!」

衛兵たちが剣を抜いて襲いかかる。

対するクラウスの武器は、フランスパン一本。

どう見ても不利だ。

「危ない!」

私が叫んだ瞬間。

カァンッ!!

硬質な音が響いた。

衛兵の剣が、フランスパンに弾かれたのだ。

「なっ……!?」

衛兵が目を見開く。

「馬鹿な……パンが、剣を弾いた!?」

「当然だ」

クラウスは冷ややかに言った。

「シナモンが焼いたバゲットのクラスト(皮)は、鋼鉄より硬く、そして粘り強い。貴様らのなまくらな剣で斬れるものか」

「そんな理屈があるかー!!」

ツッコミが入るが、現実は非情だ。

クラウスは目にも止まらぬ速さでバゲットを振るった。

バシッ! ゴスッ! ドカッ!

「ぐわあぁ!」「い、いい匂いがするのに痛いぃ!」「鼻が! 鼻が折れた気がする!」

次々と薙ぎ倒される衛兵たち。

それはまさに、パン無双だった。

「ひ、ひいいっ! なんだその強さは!」

殿下が腰を抜かした。

クラウスは、先端が少しかけたバゲットを肩に担ぎ、殿下に歩み寄る。

「……王子。一つ忠告しておく」

「ひっ、な、なんだ!?」

「シナモンを連れて行くなら、俺を倒してからにしろ。……あと、この店のパンを食べたいなら、ちゃんと行列に並べ」

「は、はい……!」

殿下は涙目で頷いた。

その威圧感は、どう見ても「ただのバイト」ではなかったが、パニック状態の殿下は気づいていないようだ。

「さあ、お帰りください。営業終了です」

セバスがニコニコしながら扉を開けた。

「く、くそー! 覚えていろシナモン! 次はもっと大軍を連れてきてやるからな!」

捨て台詞を吐いて、殿下は逃げていった。

嵐が去った店内には、静寂と、フランスパンの香ばしい匂いだけが残った。

「……はあ。疲れた」

私はへたり込んだ。

「ありがとう、クラウスさん。助かりました」

「礼には及ばない。……だが、バゲットが一本無駄になったな」

彼はボロボロになったパンを見て、悲しげに眉を下げた。

「敵を殴ったパンなど、食べるわけにはいかない」

「そうですね。じゃあ、パン粉にしてカツレツの衣にしましょう」

「……無駄がないな、君は」

クラウスはふっと笑った。

その笑顔を見て、私は思った。

(やっぱりこの人、ただの公爵様じゃないわ。パンの守護騎士(ガーディアン)ね)

こうして、王子の襲来を(物理的に)撃退した私たちだったが、これで終わるはずもなかった。

翌日。

王都中に「辺境のパン屋には、伝説の剣豪がいる」という噂が広まり、今度は武術マニアたちが押し寄せることになったのである。

私の「のんびりパン屋ライフ」は、どこへ行ってしまったのだろうか。
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】男装して会いに行ったら婚約破棄されていたので、近衛として地味に復讐したいと思います。

銀杏鹿
恋愛
次期皇后のアイリスは、婚約者である王に会うついでに驚かせようと、男に変装し近衛として近づく。 しかし、王が自分以外の者と結婚しようとしていると知り、怒りに震えた彼女は、男装を解かないまま、復讐しようと考える。 しかし、男装が完璧過ぎたのか、王の意中の相手やら、王弟殿下やら、その従者に目をつけられてしまい…… ◆◆◆◆◆◆◆◆ 作品の転載(スクショ含む)を禁止します。 無断の利用は商用、非営利目的を含め利用を禁止します。 作品の加工・再配布・二次創作を禁止します 問い合わせはプロフィールからTwitterのアカウントにDMをお願いします ◆◆◆◆◆◆◆◆

誰もが我儘な私ではないお方が良かったようなので、悪役の私は残忍な猛将達に手酷く扱われに行きます。戻れ? 絶対に離れるなと脅されているのですが

迷路を跳ぶ狐
ファンタジー
 魔法もろくに使えない役立たずと言われ、婚約者にも彼の周りの人達にも馬鹿にされてきた私。ずっと耐えてきたつもりだったけど、誰もがこんな私よりも、もっと優秀な魔法使いがいたはずなのに、とため息をつく。  魔法によって栄え、王都にまでその名を知らしめた貴族の婚約者は、「なんでこんな役立たずが……」と私を蔑み、城の中で魔法使いたちを統率する偉大な魔法使いは、「こんな女がこの領地を任されるだなんて! なんて恐ろしく愚かなことだ!!」と嘆く。  貴族たちに囲まれ詰られて、婚約者には見放され、両親には罵声を浴びせられ、見せ物のように惨たらしく罰せられた。「なんでこんな役立たずがこの城に来たんだ……」そう落胆されながら。  魔法が苦手でここを出る手段はないけど……もうこんなところにいられるか!  そう決意した私に、私を虐げていた誰もが腹を立てる。激しくぶたれた私は、機嫌を損ねた残忍な竜たちに、枷をされて隣の領地まで連れて行かれることになった。  重労働を言いつけられ、魔物や魔獣、竜たちがうろつく森の城についてからは、暗く小さな部屋に放り込まれた。  たった一人で食事をして、何もない部屋から見窄らしい格好で窓の外を見上げる。  なんだこれ………… 「最高…………」  もう、私を踏み躙る奴らに好きに扱われることはないんだ! それだけで、何もかもが最高!!  金もなければ能力もまるでない! 魔法すらまともに使えない! だけど今は思いのままに身につけに行ける!! 何もないのでこれから欲しいもの全部、手に入れに行きます!  そんな風にして竜族の城に住むことになった私。気づいたらやけに皆さんとの距離が近い? 元婚約者も「戻って来い」なんてうるさいけど、知りません!! 私は忙しいので!

『生きた骨董品』と婚約破棄されたので、世界最高の魔導ドレスでざまぁします。私を捨てた元婚約者が後悔しても、隣には天才公爵様がいますので!

aozora
恋愛
『時代遅れの飾り人形』――。 そう罵られ、公衆の面前でエリート婚約者に婚約を破棄された子爵令嬢セラフィナ。家からも見放され、全てを失った彼女には、しかし誰にも知られていない秘密の顔があった。 それは、世界の常識すら書き換える、禁断の魔導技術《エーテル織演算》を操る天才技術者としての顔。 淑女の仮面を捨て、一人の職人として再起を誓った彼女の前に現れたのは、革新派を率いる『冷徹公爵』セバスチャン。彼は、誰もが気づかなかった彼女の才能にいち早く価値を見出し、その最大の理解者となる。 古いしがらみが支配する王都で、二人は小さなアトリエから、やがて王国の流行と常識を覆す壮大な革命を巻き起こしていく。 知性と技術だけを武器に、彼女を奈落に突き落とした者たちへ、最も華麗で痛快な復讐を果たすことはできるのか。 これは、絶望の淵から這い上がった天才令嬢が、運命のパートナーと共に自らの手で輝かしい未来を掴む、愛と革命の物語。

ある日、私は事故で死んだ───はずなのに、目が覚めたら事故の日の朝なんですけど!?

ねーさん
恋愛
   アイリスは十六歳の誕生日の前の日に、姉ヴィクトリアと幼なじみジェイドと共に馬車で王宮に向かう途中、事故に遭い命を落とした───はずだったが、目覚めると何故か事故の日の朝に巻き戻っていた。  何度もその日を繰り返して、その度事故に遭って死んでしまうアイリス。  何度目の「今日」かもわからなくなった頃、目が覚めると、そこにはヴィクトリアの婚約者で第三王子ウォルターがいた。  「明日」が来たんだわ。私、十六歳になれたんだ…

王命での結婚がうまくいかなかったので公妾になりました。

しゃーりん
恋愛
婚約解消したばかりのルクレツィアに王命での結婚が舞い込んだ。 相手は10歳年上の公爵ユーグンド。 昔の恋人を探し求める公爵は有名で、国王陛下が公爵家の跡継ぎを危惧して王命を出したのだ。 しかし、公爵はルクレツィアと結婚しても興味の欠片も示さなかった。 それどころか、子供は養子をとる。邪魔をしなければ自由だと言う。 実家の跡継ぎも必要なルクレツィアは子供を産みたかった。 国王陛下に王命の取り消しをお願いすると三年後になると言われた。 無駄な三年を過ごしたくないルクレツィアは国王陛下に提案された公妾になって子供を産み、三年後に離婚するという計画に乗ったお話です。  

次こそあなたと幸せになると決めたのに…中々うまくいきません

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のシャレルは、第二王子のジョーンによって無実の罪で投獄されてしまう。絶望の中彼女を救ってくれたのは、ずっと嫌われていると思っていた相手、婚約者で王太子のダーウィンだった。 逃亡生活を送る中、お互い思い合っていたのにすれ違っていた事に気が付く2人。すれ違った時間を取り戻すかのように、一気に距離を縮めていく。 全てを失い絶望の淵にいたシャレルだったが、ダーウィンとの逃避行の時間は、今まで感じた事のないほど、幸せな時間だった。 新天地マーラル王国で、ダーウィンとの幸せな未来を思い描きながら、逃避行は続く。 そしていよいよ、あと少しでマーラル国というところまで来たある日、彼らの前にジョーンが現れたのだ。 天国から地獄に叩き落されたシャレルは、絶望の中生涯の幕を下ろしたはずだったが… ひょんなことから、ダーウィンと婚約を結んだ8歳の時に、戻っていた。 2度目の人生は、絶対にダーウィンと幸せになってみせる、そう決意したシャレルだったが、そううまくはいかず、次第に追い詰められていくのだった。 ※シャレルとダーウィンが幸せを掴むかでのお話しです。 ご都合主義全開ですが、どうぞよろしくお願いします。 カクヨムでも同時投稿しています。

【完結】ケーキの為にと頑張っていたらこうなりました

すみ 小桜(sumitan)
恋愛
 前世持ちのファビアは、ちょっと変わった子爵令嬢に育っていた。その彼女の望みは、一生ケーキを食べて暮らす事! その為に彼女は魔法学園に通う事にした。  継母の策略を蹴散らし、非常識な義妹に振り回されつつも、ケーキの為に頑張ります!

完結 貴族生活を棄てたら王子が追って来てメンドクサイ。

音爽(ネソウ)
恋愛
王子の婚約者になってから様々な嫌がらせを受けるようになった侯爵令嬢。 王子は助けてくれないし、母親と妹まで嫉妬を向ける始末。 貴族社会が嫌になった彼女は家出を決行した。 だが、有能がゆえに王子妃に選ばれた彼女は追われることに……