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葛葉との1日
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「玄弥、悪いんだけどさ」
夕方。
母の声に振り向くと、エプロン姿で財布を持っていた。
「今日、少し帰り遅くなりそうでね。
夜ご飯のおかず、買ってきてくれない?」
「いいよ。何買えばいい?」
「揚げ物でもいいかな。コロッケとか」
「了解」
そう答えた瞬間――
胸の奥が、かすかにざわりとした。
『ほう』
頭の中で、声。
『それが“ころっけ”というやつか』
「……聞こえてるぞ」
『無論じゃ』
玄弥は苦笑しながら靴を履く。
「一緒に行くか?」
『暇つぶしにはなるのう』
そうして、二人で商店街へ向かった。
――正確には、
玄弥が歩き、葛葉は“ついてきている”。
精肉店の前で、足が止まった。
ガラスケースの中。
黄金色に揚がったコロッケが、湯気を立てて並んでいる。
『……』
珍しく、葛葉が黙った。
視線――いや、意識が、完全にそこに向いているのが分かる。
「……気になるのか?」
『……あれは』
葛葉の声が、わずかに低くなる。
『何を使っておる』
「じゃがいもと、肉とか?」
『揚げておるのか』
「まあな」
『……』
完全に見入っていた。
九尾の妖狐が。
戦場では冷静沈着な存在が。
町のコロッケに。
『油の匂いが、妙じゃ』
「妙?」
『嫌ではない。
むしろ……腹の奥が騒ぐ』
玄弥は思わず吹き出した。
「妖怪も腹減るんだな」
『失礼な。
ただ、こういうものを“見る”のは初めてじゃ』
「食べたことないのか」
『油揚げも、芋も知らん』
「……そりゃそうか」
注文して、紙袋を受け取る。
揚げたての熱が、手に伝わった。
『……それ、少し分けよ』
「え?」
『味見じゃ。
契約者の生活を知るのも、主の務めじゃろ』
「都合いいな」
そう言いつつ、玄弥は一つだけ追加で買った。
人目の少ない路地で、割る。
中から、湯気。
『……』
葛葉は、じっとそれを見ている。
『……不思議じゃな』
「何が?」
『ただの食い物に、
ここまで人の手間と温もりが詰まっておる』
一口。
一拍。
『……』
そして――
『……美味いのう』
静かな、けれどはっきりした声。
尻尾があれば、きっと揺れていた。
「気に入ったならよかった」
『ああ。
これは……守る価値がある味じゃ』
「大げさだろ」
『いや』
葛葉は、どこか満足そうだった。
『こういう日常を壊す輩がいるなら、
斬る理由には十分じゃ』
夕暮れの商店街。
紙袋の中で、コロッケが温かい。
コロッケを一つ、半分に割ったはずだった。
『……もう一口よいか』
「少しなら――」
そう言い終わる前に、
葛葉の気配が、ぴたりと袋に吸い寄せられた。
『……』
「……葛葉?」
『……いや、これは違う』
違わない。
『腹が、要求しておる』
「妖怪の言い訳にしては人間臭すぎだろ」
『知らん。
だがこの“ころっけ”とかいうもの……』
一拍、間。
『――もっと食べたい』
はっきり言った。
玄弥は思わず笑った。
「一個だけな。夕飯の分もある」
『分かっておる』
分かっていなかった。
袋の中で、気配が動く。
「……おい」
『少しだけじゃ』
「少しの定義おかしいだろ」
気づいた時には――
紙袋が、やけに軽い。
「……葛葉?」
沈黙。
嫌な予感。
袋を覗く。
空。
「……」
『……』
「……全部?」
『……』
「全部?」
『……うむ』
開き直りが早い。
「母さんに頼まれた分までか?」
『“頼まれた”というのは、
つまり“任された”という意味じゃろ』
「言葉の解釈が妖怪すぎる」
『安心せい』
「何がだ」
『味は覚えた』
「それ安心要素じゃない」
葛葉は、どこか満足そうだった。
『不思議じゃな』
「まだ言うのか」
『食う、という行為は……
ただ力を得るだけではないのだな』
夕暮れの風が、商店街を抜ける。
『温い。
甘い。
それでいて、腹の奥が落ち着く』
玄弥は、ため息をついた。
「……もう一回買うか」
『よいのか』
「俺も食いたくなったし」
『……玄弥よ』
「ん?」
『これは、良い一日じゃ』
袋を提げ直して、精肉店へ戻る。
今度は、
最初から多めに。
――妖怪と人が並んでコロッケを買う夕方。
それだけのことが、
不思議と胸に残った。
夕方。
母の声に振り向くと、エプロン姿で財布を持っていた。
「今日、少し帰り遅くなりそうでね。
夜ご飯のおかず、買ってきてくれない?」
「いいよ。何買えばいい?」
「揚げ物でもいいかな。コロッケとか」
「了解」
そう答えた瞬間――
胸の奥が、かすかにざわりとした。
『ほう』
頭の中で、声。
『それが“ころっけ”というやつか』
「……聞こえてるぞ」
『無論じゃ』
玄弥は苦笑しながら靴を履く。
「一緒に行くか?」
『暇つぶしにはなるのう』
そうして、二人で商店街へ向かった。
――正確には、
玄弥が歩き、葛葉は“ついてきている”。
精肉店の前で、足が止まった。
ガラスケースの中。
黄金色に揚がったコロッケが、湯気を立てて並んでいる。
『……』
珍しく、葛葉が黙った。
視線――いや、意識が、完全にそこに向いているのが分かる。
「……気になるのか?」
『……あれは』
葛葉の声が、わずかに低くなる。
『何を使っておる』
「じゃがいもと、肉とか?」
『揚げておるのか』
「まあな」
『……』
完全に見入っていた。
九尾の妖狐が。
戦場では冷静沈着な存在が。
町のコロッケに。
『油の匂いが、妙じゃ』
「妙?」
『嫌ではない。
むしろ……腹の奥が騒ぐ』
玄弥は思わず吹き出した。
「妖怪も腹減るんだな」
『失礼な。
ただ、こういうものを“見る”のは初めてじゃ』
「食べたことないのか」
『油揚げも、芋も知らん』
「……そりゃそうか」
注文して、紙袋を受け取る。
揚げたての熱が、手に伝わった。
『……それ、少し分けよ』
「え?」
『味見じゃ。
契約者の生活を知るのも、主の務めじゃろ』
「都合いいな」
そう言いつつ、玄弥は一つだけ追加で買った。
人目の少ない路地で、割る。
中から、湯気。
『……』
葛葉は、じっとそれを見ている。
『……不思議じゃな』
「何が?」
『ただの食い物に、
ここまで人の手間と温もりが詰まっておる』
一口。
一拍。
『……』
そして――
『……美味いのう』
静かな、けれどはっきりした声。
尻尾があれば、きっと揺れていた。
「気に入ったならよかった」
『ああ。
これは……守る価値がある味じゃ』
「大げさだろ」
『いや』
葛葉は、どこか満足そうだった。
『こういう日常を壊す輩がいるなら、
斬る理由には十分じゃ』
夕暮れの商店街。
紙袋の中で、コロッケが温かい。
コロッケを一つ、半分に割ったはずだった。
『……もう一口よいか』
「少しなら――」
そう言い終わる前に、
葛葉の気配が、ぴたりと袋に吸い寄せられた。
『……』
「……葛葉?」
『……いや、これは違う』
違わない。
『腹が、要求しておる』
「妖怪の言い訳にしては人間臭すぎだろ」
『知らん。
だがこの“ころっけ”とかいうもの……』
一拍、間。
『――もっと食べたい』
はっきり言った。
玄弥は思わず笑った。
「一個だけな。夕飯の分もある」
『分かっておる』
分かっていなかった。
袋の中で、気配が動く。
「……おい」
『少しだけじゃ』
「少しの定義おかしいだろ」
気づいた時には――
紙袋が、やけに軽い。
「……葛葉?」
沈黙。
嫌な予感。
袋を覗く。
空。
「……」
『……』
「……全部?」
『……』
「全部?」
『……うむ』
開き直りが早い。
「母さんに頼まれた分までか?」
『“頼まれた”というのは、
つまり“任された”という意味じゃろ』
「言葉の解釈が妖怪すぎる」
『安心せい』
「何がだ」
『味は覚えた』
「それ安心要素じゃない」
葛葉は、どこか満足そうだった。
『不思議じゃな』
「まだ言うのか」
『食う、という行為は……
ただ力を得るだけではないのだな』
夕暮れの風が、商店街を抜ける。
『温い。
甘い。
それでいて、腹の奥が落ち着く』
玄弥は、ため息をついた。
「……もう一回買うか」
『よいのか』
「俺も食いたくなったし」
『……玄弥よ』
「ん?」
『これは、良い一日じゃ』
袋を提げ直して、精肉店へ戻る。
今度は、
最初から多めに。
――妖怪と人が並んでコロッケを買う夕方。
それだけのことが、
不思議と胸に残った。
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