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第二章 Dance in the dark -闇のサーカス-
第18話 melancholia
しおりを挟む「おい…何なんだよ、こいつはよ……。」
リヒトが息を呑んだ。
少なくともリヒトの理解の範疇では、この世界にはこんな生き物など存在しない。
いや、できれば知りたくなかった。
檻から姿を表したその獣は、四足歩行の体躯を漆黒の毛に覆われ、前足には鋭い爪。
フォルム自体は完全に肉食獣のそれなのだが、何よりも一番不気味だったのが、頭部は人間の顔をしていることだった。額はコブのように大きく突き出ており、嫌にギラついた目つき、そして艶のない土気色の肌は、全体的に岩のような印象がある壮年の男の顔だ。
「キメラだ……。」
リヒトの背後にいたジョージが低く呟いた。
「なんだ、それ?!」
「異なる2つ以上の遺伝子情報を持つ生き物を、人工的に掛け合わせた生き物だ。あれはおそらく、人と獅子の合成獣……。」
聴き慣れない単語と、小難しい話は理解できなかったが、一つだけ理解できたことがある。
「こいつが人間だって言うのか?こんなもんを作って、こんなもんを見世物にしてるって言うのかよ?!」
「いや!あれはここにいる私たちでも知らない生き物だ。気をつけろ、ボウズ!この技術はおそらく……」
そこまで言って、ジョージは口をつぐんだ。
「さあ、紳士淑女の皆さん。」
スペードが両手を広げてやたらと仰々しく煽る。
そこで初めて、誰もいないと思っていた観客席に、まばらではあるが人がいることに気がついた。
ある客は、白髪の老紳士。
「おお……!今日の獲物は随分活きのいい軍人だ。素晴らしい……。」
そしてまたある客は、あからさまに高価そうな宝石をゴテゴテと身につけた、中年の婦人。
「んふふふ……今夜のショーも楽しみですわねぇ。」
恰幅のいい中年男性、青年や若い女性二人組なんかもいる。
客席を一瞥したアヤメが気になったことがある。
皆、共通してやたらと身なりがいいということだ。
そのことから考えられるのは、このサーカスはおそらく、資金力のあるものだけが入場を許される場所ということ。
そういった場所は大概、法外なことをしているものだ。
「……悪趣味ね。私たちが、あの獣に殺される様子を見たいみたい。まるでオペラでも鑑賞するような感覚でね……。」
アヤメがはぁ、と一つ息を吐いた。
そうすることで、冷静になる作業が必要だったのだ。
「リヒト君。ヤマト様とリヒト君が追っていた、アークレーで軍人5人が殺害された事件。
あれもたぶんこんなふうに、観衆の前で見世物として殺されたのよ……。」
「許せねぇ。変態共の見世物かよ……。」
それを見たいと望む者にも、吐き気がする。
不快さを隠そうともせず、リヒトが舌打ちすると、スペードは嗤った。
「変態?そんなチンケな一言で片付けてくれるなよ。みんな口では人を殺してはイケナイと言っておきながら、古今東西、権力者の処刑に群衆が集まり、血を流す様に歓喜してるだろ?」
「お前、何が言いたいんだ?」
リヒトのエメラルドのような瞳が細められた。そこに滲み出る、嫌悪感。
「それが人間の本能だからさ。人はみんな、見たいんだよ。流れる血が、飛び出る内臓が、死の瞬間を。人殺しが駄目だなんて、それは人間サマが社会生活の中で勝手に作った秩序に過ぎない。人は所詮、動物だ。本能には抗えない。だが本能に忠実な人間ほど、この世界はちょっとばかし生きにくい。だから処理する場所が必要なんだ。お前も分かるだろ?男の子だったらよぉ。」
「分かるかよ、変態クソ野郎。」
「ふふふっ、品も教養もねぇガキだな?食い殺してやれ。」
ピエロが鞭を床に叩きつけるのを合図に、キメラがリヒトたちに向かってきた。
「下がって、アヤメさん!」
キメラが鋭い爪を持った前足を、リヒトの前でブン、と大きく振りかぶった。黒い髪を寸前のところで掠める。そのたった一撃で、リヒトはキメラとの間合いを測ったようだ。
キメラの二撃目、三撃目は、ただ空気を切り裂くだけに終わる。
リヒトもヤマトと同じく、屈強さを求められる軍人としては、細身で、決して恵まれた体型とは言い難いだろう。それにまだ、15歳の少年だ。だが、瞬きもせずにキメラの攻撃を身軽に躱す様子は、その欠点を補ってあまりある身体能力だ。普段の訓練の成果もさることながら、天性の要素も大きいのだろう。
見ていた観客たちも沸いた。
「遅いんだよ!」
連続して体を斬りつけたあと、サーベルを握る掌を翻し、切っ先で突いた。
獣が後ろに体勢を崩した刹那、リヒトは地面を蹴って宙を舞うと、右腕に向かって剣を振り落ろした。
「ガアァアアアッ!」
喉をすり潰されたかのような獣の叫び声。
地面に切り落とされた右腕が転がった。
傷口からボタボタと流れる赤い血液。
だが、時間が巻き戻されたかのように、再び右腕が現れた。
「再生した……?!」
目を疑った一瞬の隙、左腕に薙ぎ払われたリヒトの身体が観客席まで飛ばされた。
「リヒト君!」
アヤメが口元を押さえて青ざめる。
その声は、リヒトの耳にも届いていた。
椅子の背もたれに打ち付けられた背中全体が鈍く痛む。
「くそっ……、いってぇ……」
呻き声を上げながら上半身を起こすと、獣が舞台から観客席に向かって跳躍するのが見えてハッとした。
その先には、観客の姿。
「何してんだ?!さっさと逃げろ!」
リヒトがそう叫ぶも遅かった。
恰幅のいい男が頭から噛みちぎられた。頭部を失った身体が、ゆっくりと前のめりに倒れる。
「っ……くそっ……」
リヒトが目を伏せた。
同時に、中年の女が「ぎゃああ」と言うような金切声を上げた。
「おっと。お客様の安全はこちらでは保証しかねますので、あしからず。ふふふふふ……」
サーカスのテント内には、逃げ惑う客たちの悲鳴が響きわたった。
「なんてことを……」
舞台上から客席の惨状を見ていたアヤメが呟いた。
これこそが、ここのサーカスの正体だ。
そこには客と演者なんていう関係など、最初から存在していなかった。
殺すものと、殺されるもの。
ただそれだけだ。
シェリーが泣き崩れ、スペードの足元に縋った。
「お願い、もうやめて!関係ない人を巻き込まないで!もう逃げ出そうなんてしない!なんでもいうこと聞くからぁ!」
「シェリー、これはお前のためなんだぜ?」
それはゾッとするくらい優しい声色。
シェリーは「え…?」と顔を上げる。綺麗にまとめられていた金糸の髪が、涙で頬に張り付いていた。
「お前、この女の腕が欲しいと思わないか?この女を殺して、お前に腕をやるよ。」
そう言いながら、アヤメの方を指差す。
アヤメは耳を疑ったが、不信感や疑惑の色を表情には出さないようにした。
第一、そんなことは不可能だ。
それに、悪意のある人間の話すことなんて、嘘偽りの可能性がある。
聞く耳を持つ必要なんてない。
……が、あながち嘘じゃないかもしれない。
ヒトと獅子を合成したようなものを作り出す、あの技術。
そんな神の領域みたいな高等な技術をもってすれば、他人の腕を誰かにつけかえることも不可能ではないのかもしれない。まるで人形遊びのように。
どちらにせよ、今は無反応を貫くのが正解だろう。この男は、こちらの様子を見て、楽しんでいるだけだ。
それはアヤメのこれまでの経験則から分かること。
だが、この少女はどうだ。
自分より歳も若い、この少女。
向けられた悪意から身を守る術を、知っているか。
「憧れなんだろ?本物のバレリーナになれるぜ?」
そのたった一言に、あぁ、やられた、と思った。
同じ女という性別だから分かる。
女の、容姿に対する劣等感というものは強烈なものだ。
例え他人からどれだけ肯定されようが、その感情は度し難い。
特にこの年頃。
シェリーの場合、もし両腕があればと願うのが普通だろう。
コンプレックスにつけ込むような言葉は、幼い少女の心を揺さぶるには、あまりにも魅力的で、十分すぎる。
「どうなんだよ?言えよ。」
……シェリーに向ける笑顔の、嫌らしい事。
「そんなこと……」
シェリーが声を震わせながらアヤメを振り返った。無意識なのだろうが、アヤメの白い腕に釘付けになっている。
そんなことが叶うなら、というその目線に、アヤメは思わず顔を逸らしてしまった。
この少女の感情を弄んで、間接的に精神的動揺を誘ったのなら、大したものだ。もちろん褒めているわけではない。
もし、シェリーがこのピエロの言うことに同意したのなら、自分はどうなるんだ。
背筋あたりに緊張感が纏わりつく。
「なんでもお前の願いをきいてやれる。あいつもそれを望んで、あの姿になったんだぜ?」
親指で背後の客席を指した。
「え……?」
シェリーの瞳に映る、キメラの姿。
かつて、艶やかな黒い毛が見事だった獅子がいた。
そして、それを操る優しい男がいた。
「ミックとリリィ……?」
瞳に重なったのは、かつての仲間たちの姿だった。
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