二人乗り

九条

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二人乗り

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 その物体は風を切り、空気を振動させ、爽快さを際限なく増幅させながらアスファルトに美しい傷跡を描く。夏服のセーラーの躍動と少し錆び付いたチェーンの回転量が私たちの思い出を一直線に作り上げていく。それはまるで、青い空中庭園の中を物理法則の束縛を振りほどいて駆け回る初々しい天使の滑空のようで、とても夏らしいシーンのひとつであった。
 咲は自転車のハンドルを力を込めて握り、そして大地の様子を伺う。初夏の空気を沢山吸い込んだコンクリートロードは上気した乙女のように顔面の体温を上昇させ、息を吹き返すような陽炎を自然発生的に生み出す。咲は懸命に自転車を漕ぎながら、今年の大地の感触を一挙手一投足かけてしっかりと味わう。田舎の空気は青臭くて泥臭くて新鮮で心地いいな、と己の純粋かつ快活な思考が咲の内臓を駆け巡った。
 反対に稀有で儚くて物憂げな顔をこの世に見せる少女が、揺れる後部座席兼荷台に着席していた。瑞希である。風に打たれた反動で無作為に暴れる前髪を右手でかきあげながら、瑞希は流れ行く油絵調の現実を瞬きで受け止め、藍色と青春を混ぜたようなコマ撮りのシーンを心で大事そうに抱えていた。
 二人は何も会話せず、ただ時間と音と背景と場面だけが倍速の映画の如く進んでいく。抽象的なパンクチュエーションや高慢な蒙昧はとっくの昔に群青色の気体の中に落としてしまったようだ。
 ただ不可視な愛情と摩訶不思議な思いやりが良心の呵責のように、このイニシエーションの中を浮かび出ては沈みを繰り返し、決心と言う鋼鉄を歪な形にひしゃげさせていた。
 咲はその絹のような薄く鋭い指先を血の滲むくらいの力強さでハンドルの上にのせ、汗ばんだうなじを恥も知らずに開け放し、一心不乱に平行移動を繰り返す。乙女の可憐な素肌は色欲を白日の下で煌々と照らし合わせたかのように白く光り、表面を伝う果汁のような汗は、およそこの世のものとは思えないほどに怪しく甘い蜜を彷彿とさせていた。
 瑞希はそのみずみずしい青春の色気に包まれた黒髪をもてあますようにかきあげながら、咲の醸し出す艶かしさを真っ正面から受け取った。その瞬間、瑞希は己の人生最大の過ちに再度気がつき、蠱毒を許嫁に与えるときのような冷たい後ろめたさを全神経が絡めとった。

 瑞希は恵まれない人間であった。地方の田舎の無駄に富だけ蓄えた地主のもとに生まれ、幼少期から高潔という名の愛を肉親や召し使いから執拗に押し付けられていた。小学生の低学年の頃から食事や社会ののマナーを教えられ、その規律に背こうものなら母親や召し使いからの平手打ちを無遠慮に受けた。さらに、優秀な形質を作ろうとする愛はさらにエスカレートの一途をたどり、遂に今年の春にはすでに許嫁を紹介された。相手は、隣の村一帯を治めている資産家の一人息子であった。恐らく、瑞希を生け贄に出して両家の富を更に強大化させようという魂胆なのだろう。そして、私に跡継ぎを生ませ子孫を支配の道具に用いてしまおうという策略なのだ。
 結局、瑞希は跡継ぎを生む為だけの生き物でしかなかったのだ。一生懸命に生きてきたこの十数年間は子供を産むための準備期間でしかなかったのだ。その刹那、瑞希は黒々とした未来と贋作の寵愛をこの世という深淵の中に見いだした。さらに、ここら一帯の地方は女卑思想が未だ根強く残っているようで、女性の地位は尊重されず、一生社会性の檻の中でもがく人生が主流となっている頓痴気なenferなのであった。
 瑞希は男性が好きではなく、むしろ同姓である女性に色恋を募らせていた。小・中学校の時から男尊女卑思想が蔓延していて、同級生の男子から陰湿ないじめを受けていたせいである。そこから男性が苦手となり甘く優しい女性に救いを求めるようになったのだ。そして、昔からの幼なじみであった咲に少しずつ想いをよせるようになった。
 煩悶も疑念も後悔の予定全てを溶かしてしまいそうな目先の天井は限りなく青く、そして残酷なまでにあっけらかんとしていた。

 咲は愛されるべき人間であった。両親は仲が悪く、父親は咲が三才のときに出ていってしまった。彼は不倫をしていたのだ。母親は夫を失ってから咲の身体に傷をつけるようになった。まるで、自分の領域から逃がさないようにと丁重に彼女を縛り上げていった。彼女の衣服によって隠れる二の腕や太ももは、もう二度と消えることの無さそうな醜い蚯蚓脹れが大量に蠢いていた。母親は彼女を苦しめるとき、「お前がいなきゃよかったんだ」「お前がいなきゃよかったんだ」と口に出すこともおぞましいような呪いをしきりに吐き続けた。それがこの世の理であるかのように。
 彼女は苦しんだ。苦しんだ。そして踠いた。
 昨日、彼女は母親を殺した。
 そして、瑞希の愛を受け止めるために「二人乗り」に誘った。

 二人を乗せたひしゃげた愛憎は、村の裏山にある人を殺めるのに十二分な滝に彼女らを優雅に誘った。眼下には、それはそれは美しい滝壺が大きな口を開けて今か今かと彼女らを待っていた。まるで、この世とあの世を繋ぐ深淵が無遠慮に湧いて出てきたように。
 八月四日快晴。
 二人は「せーのっ」の合図で滝壺に向かって自らを乗せた自転車を力一杯漕いだ。
 ふたりぼっちの永遠に続く自由落下旅行が今始まったようだ。
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