1 / 1
二人乗り
しおりを挟む
その物体は風を切り、空気を振動させ、爽快さを際限なく増幅させながらアスファルトに美しい傷跡を描く。夏服のセーラーの躍動と少し錆び付いたチェーンの回転量が私たちの思い出を一直線に作り上げていく。それはまるで、青い空中庭園の中を物理法則の束縛を振りほどいて駆け回る初々しい天使の滑空のようで、とても夏らしいシーンのひとつであった。
咲は自転車のハンドルを力を込めて握り、そして大地の様子を伺う。初夏の空気を沢山吸い込んだコンクリートロードは上気した乙女のように顔面の体温を上昇させ、息を吹き返すような陽炎を自然発生的に生み出す。咲は懸命に自転車を漕ぎながら、今年の大地の感触を一挙手一投足かけてしっかりと味わう。田舎の空気は青臭くて泥臭くて新鮮で心地いいな、と己の純粋かつ快活な思考が咲の内臓を駆け巡った。
反対に稀有で儚くて物憂げな顔をこの世に見せる少女が、揺れる後部座席兼荷台に着席していた。瑞希である。風に打たれた反動で無作為に暴れる前髪を右手でかきあげながら、瑞希は流れ行く油絵調の現実を瞬きで受け止め、藍色と青春を混ぜたようなコマ撮りのシーンを心で大事そうに抱えていた。
二人は何も会話せず、ただ時間と音と背景と場面だけが倍速の映画の如く進んでいく。抽象的なパンクチュエーションや高慢な蒙昧はとっくの昔に群青色の気体の中に落としてしまったようだ。
ただ不可視な愛情と摩訶不思議な思いやりが良心の呵責のように、このイニシエーションの中を浮かび出ては沈みを繰り返し、決心と言う鋼鉄を歪な形にひしゃげさせていた。
咲はその絹のような薄く鋭い指先を血の滲むくらいの力強さでハンドルの上にのせ、汗ばんだうなじを恥も知らずに開け放し、一心不乱に平行移動を繰り返す。乙女の可憐な素肌は色欲を白日の下で煌々と照らし合わせたかのように白く光り、表面を伝う果汁のような汗は、およそこの世のものとは思えないほどに怪しく甘い蜜を彷彿とさせていた。
瑞希はそのみずみずしい青春の色気に包まれた黒髪をもてあますようにかきあげながら、咲の醸し出す艶かしさを真っ正面から受け取った。その瞬間、瑞希は己の人生最大の過ちに再度気がつき、蠱毒を許嫁に与えるときのような冷たい後ろめたさを全神経が絡めとった。
瑞希は恵まれない人間であった。地方の田舎の無駄に富だけ蓄えた地主のもとに生まれ、幼少期から高潔という名の愛を肉親や召し使いから執拗に押し付けられていた。小学生の低学年の頃から食事や社会ののマナーを教えられ、その規律に背こうものなら母親や召し使いからの平手打ちを無遠慮に受けた。さらに、優秀な形質を作ろうとする愛はさらにエスカレートの一途をたどり、遂に今年の春にはすでに許嫁を紹介された。相手は、隣の村一帯を治めている資産家の一人息子であった。恐らく、瑞希を生け贄に出して両家の富を更に強大化させようという魂胆なのだろう。そして、私に跡継ぎを生ませ子孫を支配の道具に用いてしまおうという策略なのだ。
結局、瑞希は跡継ぎを生む為だけの生き物でしかなかったのだ。一生懸命に生きてきたこの十数年間は子供を産むための準備期間でしかなかったのだ。その刹那、瑞希は黒々とした未来と贋作の寵愛をこの世という深淵の中に見いだした。さらに、ここら一帯の地方は女卑思想が未だ根強く残っているようで、女性の地位は尊重されず、一生社会性の檻の中でもがく人生が主流となっている頓痴気なenferなのであった。
瑞希は男性が好きではなく、むしろ同姓である女性に色恋を募らせていた。小・中学校の時から男尊女卑思想が蔓延していて、同級生の男子から陰湿ないじめを受けていたせいである。そこから男性が苦手となり甘く優しい女性に救いを求めるようになったのだ。そして、昔からの幼なじみであった咲に少しずつ想いをよせるようになった。
煩悶も疑念も後悔の予定全てを溶かしてしまいそうな目先の天井は限りなく青く、そして残酷なまでにあっけらかんとしていた。
咲は愛されるべき人間であった。両親は仲が悪く、父親は咲が三才のときに出ていってしまった。彼は不倫をしていたのだ。母親は夫を失ってから咲の身体に傷をつけるようになった。まるで、自分の領域から逃がさないようにと丁重に彼女を縛り上げていった。彼女の衣服によって隠れる二の腕や太ももは、もう二度と消えることの無さそうな醜い蚯蚓脹れが大量に蠢いていた。母親は彼女を苦しめるとき、「お前がいなきゃよかったんだ」「お前がいなきゃよかったんだ」と口に出すこともおぞましいような呪いをしきりに吐き続けた。それがこの世の理であるかのように。
彼女は苦しんだ。苦しんだ。そして踠いた。
昨日、彼女は母親を殺した。
そして、瑞希の愛を受け止めるために「二人乗り」に誘った。
二人を乗せたひしゃげた愛憎は、村の裏山にある人を殺めるのに十二分な滝に彼女らを優雅に誘った。眼下には、それはそれは美しい滝壺が大きな口を開けて今か今かと彼女らを待っていた。まるで、この世とあの世を繋ぐ深淵が無遠慮に湧いて出てきたように。
八月四日快晴。
二人は「せーのっ」の合図で滝壺に向かって自らを乗せた自転車を力一杯漕いだ。
ふたりぼっちの永遠に続く自由落下旅行が今始まったようだ。
咲は自転車のハンドルを力を込めて握り、そして大地の様子を伺う。初夏の空気を沢山吸い込んだコンクリートロードは上気した乙女のように顔面の体温を上昇させ、息を吹き返すような陽炎を自然発生的に生み出す。咲は懸命に自転車を漕ぎながら、今年の大地の感触を一挙手一投足かけてしっかりと味わう。田舎の空気は青臭くて泥臭くて新鮮で心地いいな、と己の純粋かつ快活な思考が咲の内臓を駆け巡った。
反対に稀有で儚くて物憂げな顔をこの世に見せる少女が、揺れる後部座席兼荷台に着席していた。瑞希である。風に打たれた反動で無作為に暴れる前髪を右手でかきあげながら、瑞希は流れ行く油絵調の現実を瞬きで受け止め、藍色と青春を混ぜたようなコマ撮りのシーンを心で大事そうに抱えていた。
二人は何も会話せず、ただ時間と音と背景と場面だけが倍速の映画の如く進んでいく。抽象的なパンクチュエーションや高慢な蒙昧はとっくの昔に群青色の気体の中に落としてしまったようだ。
ただ不可視な愛情と摩訶不思議な思いやりが良心の呵責のように、このイニシエーションの中を浮かび出ては沈みを繰り返し、決心と言う鋼鉄を歪な形にひしゃげさせていた。
咲はその絹のような薄く鋭い指先を血の滲むくらいの力強さでハンドルの上にのせ、汗ばんだうなじを恥も知らずに開け放し、一心不乱に平行移動を繰り返す。乙女の可憐な素肌は色欲を白日の下で煌々と照らし合わせたかのように白く光り、表面を伝う果汁のような汗は、およそこの世のものとは思えないほどに怪しく甘い蜜を彷彿とさせていた。
瑞希はそのみずみずしい青春の色気に包まれた黒髪をもてあますようにかきあげながら、咲の醸し出す艶かしさを真っ正面から受け取った。その瞬間、瑞希は己の人生最大の過ちに再度気がつき、蠱毒を許嫁に与えるときのような冷たい後ろめたさを全神経が絡めとった。
瑞希は恵まれない人間であった。地方の田舎の無駄に富だけ蓄えた地主のもとに生まれ、幼少期から高潔という名の愛を肉親や召し使いから執拗に押し付けられていた。小学生の低学年の頃から食事や社会ののマナーを教えられ、その規律に背こうものなら母親や召し使いからの平手打ちを無遠慮に受けた。さらに、優秀な形質を作ろうとする愛はさらにエスカレートの一途をたどり、遂に今年の春にはすでに許嫁を紹介された。相手は、隣の村一帯を治めている資産家の一人息子であった。恐らく、瑞希を生け贄に出して両家の富を更に強大化させようという魂胆なのだろう。そして、私に跡継ぎを生ませ子孫を支配の道具に用いてしまおうという策略なのだ。
結局、瑞希は跡継ぎを生む為だけの生き物でしかなかったのだ。一生懸命に生きてきたこの十数年間は子供を産むための準備期間でしかなかったのだ。その刹那、瑞希は黒々とした未来と贋作の寵愛をこの世という深淵の中に見いだした。さらに、ここら一帯の地方は女卑思想が未だ根強く残っているようで、女性の地位は尊重されず、一生社会性の檻の中でもがく人生が主流となっている頓痴気なenferなのであった。
瑞希は男性が好きではなく、むしろ同姓である女性に色恋を募らせていた。小・中学校の時から男尊女卑思想が蔓延していて、同級生の男子から陰湿ないじめを受けていたせいである。そこから男性が苦手となり甘く優しい女性に救いを求めるようになったのだ。そして、昔からの幼なじみであった咲に少しずつ想いをよせるようになった。
煩悶も疑念も後悔の予定全てを溶かしてしまいそうな目先の天井は限りなく青く、そして残酷なまでにあっけらかんとしていた。
咲は愛されるべき人間であった。両親は仲が悪く、父親は咲が三才のときに出ていってしまった。彼は不倫をしていたのだ。母親は夫を失ってから咲の身体に傷をつけるようになった。まるで、自分の領域から逃がさないようにと丁重に彼女を縛り上げていった。彼女の衣服によって隠れる二の腕や太ももは、もう二度と消えることの無さそうな醜い蚯蚓脹れが大量に蠢いていた。母親は彼女を苦しめるとき、「お前がいなきゃよかったんだ」「お前がいなきゃよかったんだ」と口に出すこともおぞましいような呪いをしきりに吐き続けた。それがこの世の理であるかのように。
彼女は苦しんだ。苦しんだ。そして踠いた。
昨日、彼女は母親を殺した。
そして、瑞希の愛を受け止めるために「二人乗り」に誘った。
二人を乗せたひしゃげた愛憎は、村の裏山にある人を殺めるのに十二分な滝に彼女らを優雅に誘った。眼下には、それはそれは美しい滝壺が大きな口を開けて今か今かと彼女らを待っていた。まるで、この世とあの世を繋ぐ深淵が無遠慮に湧いて出てきたように。
八月四日快晴。
二人は「せーのっ」の合図で滝壺に向かって自らを乗せた自転車を力一杯漕いだ。
ふたりぼっちの永遠に続く自由落下旅行が今始まったようだ。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる