廻る人魚姫

貴様二太郎

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廻る人魚姫

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 十五の誕生日、私は恋をした。
 海の底のお城、私の花壇にあった大理石の美しい像に似た、大きな黒い瞳の王子様に。
 私の想いは届かなかったけれど、命を懸けて恋をしたことは後悔していない。王子様を助けたのも、王子様を殺さなかったのも、全部全部自分で決めたことだったから。それを愚かだとか哀れだとか言われようと、私は後悔していない。だって、それが私だから。

 私の恋は破れて、私の心臓も破れた。私は海の泡になって、そこから海の上へ、空気の娘たちのもとへと昇った。三百年の善行をつめば、今度こそ人間と同じ死ぬことのない魂をさずかって、限りない人間の幸せをもらえると言われて――


 ※ ※ ※ ※


 思い……出した。

 思い出した、思い出した、思い出した!
 そう、私はかつて、人間の王子様に恋をして死んだ人魚姫。十五歳で死んでしまった、愚かで哀れな人魚姫。

 これ、何回目?

 いつもいつも、十五の誕生日を迎えたその日に思い出す。
 かつての記憶、繰り返してきた茶番劇……私をこの出口のない運命に引きずり込んだ、海の魔女の呪い。

 本来なら私は空気の娘の一人となって、天の国へ昇るため、死ぬことのない魂を得るために善行をつむはずだった。けれど、空へ昇ろうとしたその時――私は引きずり降ろされた。他の娘たちが空へと昇っていく中、私だけが海へと引き戻されてしまった。

『おまえさんは逝けないよ、かわいそうな人魚姫。おまえさんの欠片かけらをわたしがもっている限り、おまえさんは天の国なんかに逝けやしない。永劫回帰えいごうかいき円環の中で、泡沫うたかたの生をくりかえすのさ』

 意識が閉ざされる直前、最後に聞こえたのは狂ったような魔女の笑い声。
 そして私は、永劫回帰の円環に閉じ込められた。不完全な魂は何度生まれても、必ず十五で終わる。そして十五の誕生日に、必ずこの記憶がよみがえる。まるで、呪いのように。
 もう、何度目だろう。私はまた、十五歳になっていた。

「シレーヌ。十五の誕生日、おめでとう」

 荒れ狂う記憶の海から私をすくいあげたのは、黒く大きな瞳が美しい男の子。赤い花を差し出す彼は、かつて恋した王子様にそっくりな、今生こんじょうの私の幼馴染。

 何度生まれ変わっても声を出せない私は、精一杯の笑みを浮かべて赤い花を受け取る。正直、笑える状態なんかじゃなかったけど、目の前の幼馴染には関係ないことだから。

「それとシレーヌ、きみに報告したいことがあるんだ」

 はにかむ幼馴染に、胸がざわつく。この感じ、知ってる。

「僕、秋にリュシーと結婚することになったんだ。ずっと応援してくれてたシレーヌに、一番に報告したくて」

 ほら、やっぱり。王子様は、人魚姫わたしを選ばない。今までも、そしてこれからも、きっと。
 声は出せなかったけど、それでも私は想いを伝えようとしてきた。けれど、どんなに想いを伝えようとしても、私の気持ちは伝わらなかった。馬鹿みたいに曲解されたり、邪魔が入ったり。そんなことをしてるうちに、王子様はお姫様を連れてくる。いつも、そう。

 ああ、何回目だったっけ。けど、失恋なんてもう慣れたものよ! それに記憶がよみがえるたびに、諦めの気持ちもよみがえるから。
 精一杯の笑顔で祝福したら、海へ行こう。そして、少しだけ泣くの。それでおしまい。恋なんて、生きていればまたできるから。……そう、生きていれば。

 今度こそ返してもらうから! 待ってなさい、海の魔女‼

 私は、十六歳になりたい。もっといえば、大人になりたい。
 何回十五歳まで生きても、十五歳までの時間を積み上げても、それだけじゃ大人にはなれない。私は知りたい。十六歳から先の時間を。今生では無理だって言うのなら、まずはこの不毛な生まれ変わりを止めたい。だから取られた欠片を取り戻して、空気の娘を三百年やった後でいいから、いつかでいいから、大人になれる未来を手に入れたい。

 私は、未来さきに進みたい!

 幼馴染の背中を見送った後、私はカバンに全財産を詰め込んで村を飛び出した。不幸中の幸い、全財産を持ち出してもとがめる家族はもういなかったから。途中、人のよさそうなおじさんに馬車に乗せてもらえたおかげで、目的の港町に予定よりも早く着けたのは運がよかった。
 前に聞いたことがある。この町に、すごく腕のいい占い師がいるって。失せもの探しなら、その人の右に出る者はいないって。


 ※ ※ ※ ※


 でも残念ながら、私には探し物の才能はなかったみたい。誰かに聞こうにも声が出ないから、身振り手振りで聞いてはみたものの収穫はさっぱり。なぜか私の思ってることは、ことごとく誤解される。
 一日中歩き回って、もう足が棒みたい。馬鹿みたいに勢いだけで出てきちゃったけど、今回も何の手掛かりもつかめないのかな……
 茜色の光をきらきらとはね返す海を前に、私は疲れと成すすべない現状に膝を抱えて座り込むしかなかった。

「アンタ、こんなところで何してんの?」

 唐突に頭の上に降ってきたのは男の子の声。ちょっとぶっきらぼうでかすれてて、でも、嫌いじゃない声。
 私は声を出すことができないから、とりあえず顔を上げた。するとそこにいたのは、あの海の魔女と同じ、灰色の髪に漆黒の瞳の男の子。本当、声も出ないほど驚いたわ。といっても私、声出ないけど。
 
「え⁉ いや、ちょっと待って! その顔、もしかしてアンタ……」

 私の顔を見た瞬間、なぜだか男の子はひどく驚いて。いきなり私の手を掴むと、走り出した。

「ずっと、ずっと探してたんだ!」

 男の子は私を見て、すごく嬉しそうに笑うんだけど……なんで? 私たち、今日、しかも今さっき初めて会ったばかりなのに。

「でもあのクソババァの妨害なのか、どんなに探しても、きみだけが見つからなかった」

 大通りから細い路地へ、階段をのぼってくだって右左――そしてようやくたどり着いたのは、路地裏の壁にはめ込まれた古ぼけた扉。きいきいと軋む扉をくぐりぬけると、なにやら怪しげなものが所狭しと並べられた小さな部屋に連れ込まれて……

 ここまでなんとなく流れでついてきちゃったけど……もしかしてこれ、乙女の危機なのでは⁉

 慌てて手を引き抜こうとしたんだけど、けっこうしっかり握られてて抜けない。男の子は不思議そうに首をかしげると、「こっちこっち」とさらに部屋の奥へと引っ張っていく。どうしよう。私、このままじゃ大人になれないのに、大人になっちゃう!

「これだ!」

 男の子は私の手を離すと、棚から小瓶を取り出して戻ってきた。そして小瓶をぎゅっと握りしめ、私をまっすぐ見てきて。

「長い間、苦しませてごめんなさい。これを返したくて、ずっときみを探してた」

 小瓶の中に入っていたのは、かつて薬と引き換えに魔女に渡したもの。それはふたを開けた途端、きらきらと輝く煙になってするりと私の口へ入ってきた。

「……こ、え」

 人間になるために捨てた、私の舌。私の――

「私の……声!」

 もう、戻らないと覚悟していた。大好きな歌も二度と歌えない、みんなとおしゃべりすることも、もうできないって。

「俺はリューヌ。アンタをこんな目にあわせた海の魔女……その孫、なんだ」
 
 男の子――リューヌ――は、「うちのクソババァがひどいことして、ごめん‼」って、すごい勢いで頭を下げてきた。

「だい、じょぶ。リューヌは悪くない、から。声、返してくれて、ありがとう」

 久々に喉を使うからか、声がすごく出しにくい。でも声が出せるのが、とても嬉しい。懐かしい、私の声。もう二度と戻らないと思っていた、私の声。

「本当にごめん。あのババァ、武勇伝のつもりなのか、アンタのこと俺に話してきてさ……俺、あんなのと血が繋がってるのかと思ったら、本当に情けないやら腹立つやらで」
「血が繋がってるとか、関係ない。リューヌはリューヌ、魔女さんは魔女さん。かけらは返してもらえたし、だからもう、充分」

 もういいよって笑ったのに、リューヌはまだ浮かない顔。どうして?

「たしかにこれでアンタは、繰り返す生まれ変わりからは解放されたけど……でも、このままじゃ」
「人間の愛をもらえなかった私は、海の泡になってしまう」
「……うん」

 リューヌはとっても優しい子らしい。会ったこともない私のために魔女から舌を取り返して、しかもそれを返すために私を探してくれていた。

「だから! その……」
「その?」

 リューヌは顔を真っ赤にして、うつむいて。なんだろう、これ。なんか、私の方も心臓がドキドキしてきた。

「俺の魂を、アンタに分けたい!」
「……え?」
「俺、人間じゃないけど! でも、俺と恋をしてくれ‼」
「…………え、えぇ⁉」

 思わず変な声が出ちゃった。だって、弱ってたところにこんなの……ずるい!
 昨日まで別の人に恋をしていたはずなのに。すごく、ドキドキしてる。私ってもしかして、ものすごく流されやすい?

「婆さんのところにあったアンタの絵姿。魔法の修行中、よく婆さんの目を盗んでは何度も見てた。ずっと、会ってみたかった」

 リューヌの告白に私の頭を懐かしい記憶がよぎる。
 海の底、小さな花壇にあった大理石の像に重ねて、私は王子様に恋をした。リューヌは絵姿を見て、私に……? そんな風に思ったら、私たちなんだか似た者同士で、ちょっとおかしくなってきて。

「リューヌのことは嫌いじゃないけど……私、今日失恋しちゃったの。だからもしかしたら、明日の朝には海の泡になっちゃうかもしれないよ」
「それでも! それにもしかしたら、もう一度恋をすれば泡にならないかもしれないだろ?」

 陽炎かげろうみたいに頼りない希望で、泡になる私を繋ぎ止めようとしてくれている。リューヌ、あなたは本当に優しい人。

「じゃあもし、明日の朝……お日様の光を浴びても私が泡にならなかったら」

 その優しさに、すがってもいい? 最後にほんの少し、甘えてもいいかな?

「私は、あなたに恋をする」

 心臓がばくばくと破れてしまいそうなほど暴れてる。
 ねえ、これはあの日の朝みたいに、心臓が破れて泡になってしまう前触れ? それとも…………

 私、今度こそ十六歳より先に、進めるのかな?
 
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