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少年赤ずきんと赤ずきんちゃん

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 むかしむかし、私たちが今いるこの世界とは、ほんの少し違う世界のむかしむかし。
 黒く美しい森に、小さな小さな村がありました。

「ルー。このお菓子と葡萄酒ぶどうしゅを、森の奥にいらっしゃるおばあさんへ持っていっておくれ」

 ルーと呼ばれた少年は元気に「はい」と返事をすると、お母さんからお菓子と葡萄酒の入ったかごを受け取りました。さっそく意気揚々いきようようと出かけようとするルーをお母さんが慌てて追いかけます。

「ちょいとお待ちな、ルー。頭巾ずきんを忘れているよ」

 お母さんはルーの黒くつやつやとした頭の上に、真っ赤なかわいらしい頭巾をかぶせました。

「いいかい? 知らない人についていってはだめですからね。それと寄り道もだめよ。おばあさんは病気でお加減が悪いのだから、早く行ってお前の顔を見せておあげ。ああそれと、暑くならないうちに行くんだよ。それとそれと、ご挨拶もきちんと忘れずにね」
「大丈夫だよ、お母さん。僕、もうそんな子どもじゃないんだから!」

 心配するお母さんにルーは頬をふくらませ、けれどきちんと「いってきます」と挨拶をして家を出ました。おばあさんの家は村から半時間ほどいった森の中。偏屈なおばあさんは森の中に一人で住んでいました。

「勇者ルーの剣技、とくと見よ!」

 ころころと木漏れ日がはねる森の中、ルーは木の枝を剣に見立てて進みます。そんな勇者の行く手に、突如大きな影が立ちふさがりました。

「こんにちは、赤い頭巾がすてきな勇者様」
「こんにちは、おじさん。ここいらじゃ見かけない顔だね」

 木の陰から出てきたのは、優しそうな顔をしたおじさんでした。おじさんは背中にかけた猟銃りょうじゅうを見せると、「獲物えものを追っていて、迷ってしまったんだ」と肩をすくめました。

「それなら、あっちの方へまっすぐ進めば森から出られるよ」
「ああ、親切にどうもありがとう。そういえば勇者様は、こんなに朝早くからどこへ行くんだい?」

 にこにこ、にこにこ。人の好さそうなおじさんがルーにたずねました。

「おばあさんのところへ」
「ところでそのかごの中は、いったい何が入っているの?」

 にこにこ、にこにこ。おじさんはルーの持つかごを指さしました。

「お母さんが昨日焼いたケーキと葡萄酒だよ。家族の代表で、僕がおばあさんのお見舞いに行くんだ」
「そうかいそうかい、勇者様はえらいね。ところで、おばあさんの家はどこにあるんだい?」
「ここからもう少し進んだ森の奥だよ。大きなかしの木が三本立っているのが目印なんだ」

 にこにこ、にこにこ。得意げに答えるルーを見て、おじさんは笑みをいっそう深くしました。

「ねえ、勇者様。せっかくお見舞いに行くのなら、お花を持って行ってあげたらおばあさん喜んでくれるんじゃないかなぁ」

 おじさんは道からそれた森の中、木漏れ日の下で揺れる白い花たちを指さすとルーに言いました。

「そうだね! おばあさん、喜んでくれるかな? ありがとうね、おじさん。あ、帰り道はあっちだよ。今度は気をつけてね」
「ありがとう、勇者様。じゃあ、またね」

 にこにこ、にこにこ。おじさんは白い花に夢中なルーを見て微笑むと、ルーが教えた道とは別、森の奥へと消えていきました。


 ※ ※ ※ ※


 花摘みに夢中になり、ルーはいつしか脇道から森の奥へと入り込んでしまっていました。気づいて辺りを見回した時にはすでに遅し、ルーは迷子になってしまっていました。

「どうしよう……おばあさんの家どころか、自分の家にも帰れなくなっちゃったよぉ」

 大きな琥珀の瞳を潤ませ、ルーはその場にうずくまってしまいました。ぽたりぽたりと、緑の葉っぱを温かい雨が濡らします。

「なんでこんなところに子供が?」

 唐突に後ろからかけられた声に、ルーの肩がびくりと跳ね上がりました。ルーが慌てて振り向くと、そこにいたのは……

「お姉さん、誰?」

 あごのあたりで切り揃えられた真っ白な髪に琥珀の瞳。ルーを見下ろすその人は、とても美しい女の子でした。

「少年。人に名を聞くときは、まず自分から名乗るものだよ。まあ、いいか。私はルーヴだ」

 ルーヴはうずくまるルーに手を差し伸べると、ふっくらとしたルーの頬を軽く親指でぬぐいました。

「迷子か。さて、お前の村はどこだ? 送っていってやろう」
「ありがとう、お姉さ――ルーヴさん。あ、僕はルーといいます。でも僕ね、村じゃなくて、おばあさんの家に行きたいんだ」

 ルーは持っていたかごとよい香りのする白い花を持ち上げ、ルーヴを見上げました。するとルーヴは少しだけ困ったように眉を寄せました。

「そうは言ってもな、私はルーのおばあさんの家とやらはわからないぞ」
「おばあさんの家はね、ガルーの村から半時間森の奥へ行った、大きい三本の樫の木の下の家だよ。胡桃くるみ垣根かきねもあるよ」
「……ああ、あの一軒家か。仕方ないな。子供一人で放り出すわけにもいかないし、送ってやろう」

 こうしてルーは、森の奥で出会った真っ白できれいなルーヴに助けられ、無事おばあさんの家へとたどり着けました。そして家の前でルーヴと別れると、ルーはノックをしてからおばあさんの家に入りました。

「こんにちは、おばあさん。ルーです。お見舞いのお菓子と葡萄酒と、あときれいなお花を持ってきたよ」

 いつもならばすぐにおばあさんの優しい声が返ってくるのですが、なぜだか今日はそれが返ってきません。おかしいなと思いつつも、ルーは奥の部屋、おばあさんが寝ている部屋へと進んでいきます。
 部屋へ入ると、ベッドが大きく膨らんでいました。ああ、おばあさんは寝ていたんだと思い至ったルーは、テーブルにお菓子と葡萄酒、白い百合の花を置くと、おばあさんのベッドへと駆け寄りました。
 頭まで掛布団をかぶり、おばあさんは寝ていました。ルーは変だなと思いつつも、おばあさんに声をかけます。

「おばあさん、具合が悪いの?」

 ルーの問いかけに、おばあさんは布団の中で首を横にふりました。

「おばあさん、じゃあ寒いの? 今日はよく晴れて、とても気持ちがいいのに」

 ルーの問いかけに、おばあさんはまた首を振ります。

「おばあさん。なんだか今日は、いつもより体が大きいような気がするよ」

 ルーの問いかけに、おばあさんは布団の中で体を縮めました。
 そんなやり取りの中、ルーはベッドの下に見慣れない物があることに気づきました。

「おばあさん。これって、人間の猟師りょうしさんが使う猟銃じゃない? こんなの、おばあさん持ってたっけ……?」

 ベッドの下を覗き込んだルーが首をかしげたその時、布団の中から大きな人影が飛び出してきました。

「そいつはな、赤ずきんを狩るためのものさ!」

 大きな人影は森で出会った人間のおじさんでした。おじさんはルーの首根っこを掴むと、ぐいぐいと床に頭を押し付けます。

「痛い、痛いよ、おじさん! どうしてこんなことするの!?」
「なんだぁ? 聞いてた話と違ってずいぶんと弱っちいな。真っ赤な頭巾をかぶった、人畜無害そうな人狼じんろうのガキだって話だったのによ。これが賞金首赤ずきんレッドキャップ……なわけねぇよな、どう見ても。たくっ、紛らわしいもん被りやがって!」

 おじさんは吐き捨てると、ルーの被っていた赤い頭巾をむしり取って床に投げ捨ててしまいました。赤い頭巾の下から現れたのはつやつやの濡れ羽色の髪と、大きな黒い狼の耳。ズボンのお尻から出ている黒い大きな尻尾は、丸められてルーの足の間で震えていました。
 そう、ルーはこの森に住む人狼の男の子。まだ小さく、力をうまく使うことができないルーは、中途半端な姿を隠すためにお母さんが作ってくれた赤い頭巾をかぶっていたのでした。

「ねえ、おばあさんは? 僕のおばあさんは、どこ⁉」

 震えながらもルーは必死にたずねました。大好きなおばあさんのことが心配で、怖かったけれど勇気を出しておじさんにたずねました。
 するとおじさんはにやりと笑い、ルーを見下ろしました。

「無駄に抵抗してなけりゃ、まだ生きてるんじゃねぇか? いざという時、人質として使おうと思ってたからよ。ま、お前はただのガキだったし、もう必要ねえからどうでもいいけどな」
「おばあさんをどこにやった! 返せ、返せよ‼」

 ぐるるとルーが威嚇いかくします。けれどおじさんは鼻で笑うと、もがくルーをより強く床へと押し付けてきました。

「人狼のガキか……はした金にしかなんねぇだろうが、ま、こいつでも手ぶらよりゃマシってもんか」

 おじさんは縄を取り出すと、あっという間にルーを縛り上げてしまいました。牙をむきだしてうなるルー。するとおじさんはそれが鬱陶うっとうしかったのでしょう。ルーの首を締めあげると、ルーの意識を奪ってしまいました。
 おじさんは静かになったルーを肩に担ぎあげると、猟銃を持っておばあさんの家を出ました。

「ここにいたのか。探したぞ、薄汚い狼狩りめ」

 扉をくぐったおじさんの前に立ちはだかったのは、まだどこか幼さの残る人狼の少女。真っ白な髪を真っ赤に染め、琥珀の瞳ウルフアイズに金の炎を宿したルーヴでした。

赤ずきんレッドキャップ……なるほど、そういうことだったのかよ」

 おじさんは返り血で真っ赤に染まったルーヴの髪を見て苦笑い。ルーヴはそんなおじさんを冷たく一瞥すると、すぐにおじさんの肩に担がれているルーへと目を向けました。
 するとおじさんはしめたとばかりに、肩にかけている猟銃とは別の小さな銃を取り出すとルーに突きつけました。

「このガキを傷つけたくなきゃ動かねぇこった。お前のその様子じゃ、どうやら仲間はやられちまったらしいしな。俺は命が惜しいんで、今日のところは帰らせてもらうぜ」

 おじさんはじりじりとルーヴと距離を取り、森の出口の方向へと後ずさりしていきます。ルーヴは何も言わず、それを静かに見つめていました。

「……う、ん」

 おじさんの肩の上でルーが息を吹き返しました。少しの間ぼうっとしていたルーですが、すぐに状況を思い出し、縛られているにも関わらず暴れ始めました。

「ばっ、このガキ! 静かにしろ‼」

 暴れるルーを止めようと、おじさんがルーの足を撃とうとしたその一瞬――そんな隙を見逃す赤ずきんレッドキャップではありませんでした。ルーヴは目にもとまらぬ早さでおじさんへ跳びかかると、その喉笛のどぶえを一息に食いちぎってしまったのです。

 ルーヴの白い髪に、ルーの白い頬に、ぱあっと咲いたのはたくさんの赤い花。温かく降り注ぐ命の素は、ルーとルーヴを赤く赤く染めて――
 動かなくなったおじさんから放り出されて地面に転がっていたルーの縄を切ると、ルーヴは悲しそうにうつむいて小さな声で「すまなかった」とつぶやきました。

「ルーたちが襲われたのは私のせいだ。私と間違われたせいで――」

 大慌てでぶんぶんと首を横に振るルー。

「そんなのいいよ! それよりも、助けてくれてありがとう。あのね、あの……」
「いや、本当にすまなかった。ああ、そうそう。ルーのおばあさんも無事だったよ」

 ルーの言葉をさえぎるようにルーヴはおばあさんの無事を告げると、そのまま立ち上がりました。そしてルーに背を向け、森の奥へと……

「ルーヴ! あのね、戦ってるときのルーヴ、とってもきれいだった‼」

 ルーは頬を真っ赤に染めルーヴに告げます。

「僕も、強くなるから! だから、僕がもう少しだけ大きくなったら、僕のつがいになってください‼」

 驚きに目を丸くするルーヴにルーはたたみかけます。

「僕たち同じ赤ずきんだし、お似合いだと思うんだ。だから、待ってて! 僕、絶対に強くなるから‼」

 なにやら無茶苦茶なルーの言い分に、ルーヴはとうとうお腹を抱えて笑い出してしまいました。

「わかったわかった。いいよ、ルーが強くなったら番になってあげる。でも、強くならないとだめだからね」
「約束だよ、絶対だからね! だからいつか、僕と一緒ににパックを作ってください」

 むかしむかし、私たちが今いるこの世界とは、ほんの少し違う世界のむかしむかし。
 黒く美しい森で、黒と白の人狼の番が、幸せに暮らしましたとさ。

 
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