46 / 100
背後
背後④
しおりを挟む
*****
気が付くと、すぐ目の前に楠ノ瀬の顔があった。
「あぁ……」
俺の目を見た楠ノ瀬が、安堵とも落胆ともつかない呻き声を漏らした。
「ん、楠ノ瀬? 俺、寝てた……?」
寝惚け眼の俺の目をじっと覗き込んだ楠ノ瀬が、
「……よかったぁ」
ほっとしたように大きく息をついてから、顔を綻ばせた。
嬉しそうに笑う楠ノ瀬の様子から、俺は自分の目が元に戻ったことを察した。
念のため鏡で確認してみると、先ほどまで青白い光を放っていた瞳はすっかり落ち着いて、何の変哲もない黒い目に戻っている。
「……よかった」
――けど、また楠ノ瀬の力に頼ってしまった。
やっぱりまだ俺一人の力では、完全に制御しきれない。
あの『声』に引きずり込まれそうになる俺を、いつも楠ノ瀬が引き戻してくれる。
この間だってそうだ。
甘い誘惑に惑わされそうになった俺を踏みとどまらせてくれたのは……楠ノ瀬だった。
「あの人……どうしてる?」
俺は気になっていたことを尋ねた。
「……直之さんのこと? いま、入院してる。何カ所か骨折してるんだって……。でも、命に関わるほどではないから」
「そうか……よかったな」
俺は心の底からそう思った。
――あの時。
あのまま、あの男を殺すこともできたのかと思うと……体が震えてくる。
あの力を使えば……竜巻を起こすことも、湖を涸らすことも……おそらく簡単にできてしまう。自然の脅威の前に、ちっぽけな人間の命を奪うのも、きっと簡単な話だ。
祖父さんも町の人も……みんなが恐れおののく理由がわかった。
あれは簡単に使っていいものじゃない。
あれは……罪だ。
ベッドに腰かけたまま小刻みに震える俺を、
「高遠くん……大丈夫?」
楠ノ瀬が気づかわしげに見つめていた。
隣に腰かけた彼女の手がやさしく俺の背中を撫でてくれる。
楠ノ瀬の手が触れた辺りから、ぬくもりが広がっていくような気がした。
「楠ノ瀬……いつも、ありがとう」
ごく自然に、彼女への感謝の言葉が口をついた。
「え、なに、いきなり改まって……」
楠ノ瀬がどぎまぎと挙動不審になって、目を泳がせている。たぶん、照れているんだろう。
――かわいい。
「あ、えーと……高遠くん、落ち着いたみたいだから、私そろそろ帰るね」
バタバタと立ち上がった楠ノ瀬が早口で言った。
「え、もう……?」
もう少し一緒にいたい俺は、彼女を引き留めたくて、
「なんか飲み物持ってくるから! お菓子も!」
食べ物で釣ろうとした。
「すぐ持ってくるから……ちょっとだけ待ってて!」
遠慮しようとする楠ノ瀬を無理やり押し留めて部屋のドアを開けると――
「あ……。コーヒー、お持ちしました」
お盆を持った使用人が立っていた。
――いつから、いたんだ?
タイミングが良すぎないか!?
しかもコーヒーの隣にはクッキーまで添えられている。
俺と大して年も変わらなそうなのに気の利きすぎるその使用人に、
「……ありがとう。ちょうど今、取りに行こうと思ってたんだ」
俺は少したじろぎながら、礼を言った。
「それは良かったです! いやぁ、キレイなヒトですね!」
その若い使用人は明るい声でそう言うと、ニカッと笑ってみせた。タレ目がちで人懐っこい笑顔が、小動物を連想させる。
「いいなぁ。僕もあんなカノジョが欲しいですよ。では、ごゆっくりどうぞ~」
俺が口を挟む隙もなかった。
やけに馴れ馴れしい調子でまくし立てると、俺にお盆を預けて軽やかに立ち去っていく。
「なんだ、あの男……」
飄々とした男の背中を見送りながら、俺は首を捻った。
――この時。
俺はまだ気付いていなかったんだ。
俺の大切なものを……全て奪いさろうとする影が、すぐ背後まで迫っていたことに――。
気が付くと、すぐ目の前に楠ノ瀬の顔があった。
「あぁ……」
俺の目を見た楠ノ瀬が、安堵とも落胆ともつかない呻き声を漏らした。
「ん、楠ノ瀬? 俺、寝てた……?」
寝惚け眼の俺の目をじっと覗き込んだ楠ノ瀬が、
「……よかったぁ」
ほっとしたように大きく息をついてから、顔を綻ばせた。
嬉しそうに笑う楠ノ瀬の様子から、俺は自分の目が元に戻ったことを察した。
念のため鏡で確認してみると、先ほどまで青白い光を放っていた瞳はすっかり落ち着いて、何の変哲もない黒い目に戻っている。
「……よかった」
――けど、また楠ノ瀬の力に頼ってしまった。
やっぱりまだ俺一人の力では、完全に制御しきれない。
あの『声』に引きずり込まれそうになる俺を、いつも楠ノ瀬が引き戻してくれる。
この間だってそうだ。
甘い誘惑に惑わされそうになった俺を踏みとどまらせてくれたのは……楠ノ瀬だった。
「あの人……どうしてる?」
俺は気になっていたことを尋ねた。
「……直之さんのこと? いま、入院してる。何カ所か骨折してるんだって……。でも、命に関わるほどではないから」
「そうか……よかったな」
俺は心の底からそう思った。
――あの時。
あのまま、あの男を殺すこともできたのかと思うと……体が震えてくる。
あの力を使えば……竜巻を起こすことも、湖を涸らすことも……おそらく簡単にできてしまう。自然の脅威の前に、ちっぽけな人間の命を奪うのも、きっと簡単な話だ。
祖父さんも町の人も……みんなが恐れおののく理由がわかった。
あれは簡単に使っていいものじゃない。
あれは……罪だ。
ベッドに腰かけたまま小刻みに震える俺を、
「高遠くん……大丈夫?」
楠ノ瀬が気づかわしげに見つめていた。
隣に腰かけた彼女の手がやさしく俺の背中を撫でてくれる。
楠ノ瀬の手が触れた辺りから、ぬくもりが広がっていくような気がした。
「楠ノ瀬……いつも、ありがとう」
ごく自然に、彼女への感謝の言葉が口をついた。
「え、なに、いきなり改まって……」
楠ノ瀬がどぎまぎと挙動不審になって、目を泳がせている。たぶん、照れているんだろう。
――かわいい。
「あ、えーと……高遠くん、落ち着いたみたいだから、私そろそろ帰るね」
バタバタと立ち上がった楠ノ瀬が早口で言った。
「え、もう……?」
もう少し一緒にいたい俺は、彼女を引き留めたくて、
「なんか飲み物持ってくるから! お菓子も!」
食べ物で釣ろうとした。
「すぐ持ってくるから……ちょっとだけ待ってて!」
遠慮しようとする楠ノ瀬を無理やり押し留めて部屋のドアを開けると――
「あ……。コーヒー、お持ちしました」
お盆を持った使用人が立っていた。
――いつから、いたんだ?
タイミングが良すぎないか!?
しかもコーヒーの隣にはクッキーまで添えられている。
俺と大して年も変わらなそうなのに気の利きすぎるその使用人に、
「……ありがとう。ちょうど今、取りに行こうと思ってたんだ」
俺は少したじろぎながら、礼を言った。
「それは良かったです! いやぁ、キレイなヒトですね!」
その若い使用人は明るい声でそう言うと、ニカッと笑ってみせた。タレ目がちで人懐っこい笑顔が、小動物を連想させる。
「いいなぁ。僕もあんなカノジョが欲しいですよ。では、ごゆっくりどうぞ~」
俺が口を挟む隙もなかった。
やけに馴れ馴れしい調子でまくし立てると、俺にお盆を預けて軽やかに立ち去っていく。
「なんだ、あの男……」
飄々とした男の背中を見送りながら、俺は首を捻った。
――この時。
俺はまだ気付いていなかったんだ。
俺の大切なものを……全て奪いさろうとする影が、すぐ背後まで迫っていたことに――。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
清掃員と僕の密やかな情状
MisakiNonagase
恋愛
都心のオフィスビルで働く会社員の26歳・高城蓮(たかぎれん)。彼の無機質な日常に唯一の彩りを与えていたのは、夕方から現れる70歳の清掃員・山科和子だった。
青い作業服に身を包み、黙々と床を磨く彼女を、蓮は「気さくなおばあちゃん」だと思っていた。あの日、立ち飲み屋で私服姿の彼女と再会するまでは――。
肉じゃがの甘い湯気、溶けゆく氷の音、そして重ねた肌の温もり。
44歳の年齢差を超え、孤独を分かち合った二人が辿り着いた「愛の形」とは。これは、一人の青年が境界線の向こう側で教わった、残酷なまでに美しい人生の記録。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる