上 下
1 / 62
プロローグ 次元宇宙

帰途にて 1

しおりを挟む
男は薄く眼を開けた、コックピットに大きく投げ出した両足の間から恒星の光が線となってモニターを彩る、コントロールパネルに無造作に置いたグラスへ手を伸ばし、かの惑星で唯一気に入ったウィスキーを舐めつつ、光の軌跡を眠そうに見詰めていた。

男は長期間の任務を終え帰路へ就いていた、名は無い、いや無いわけではない、偽名ならば幾つも持っていたし、戸籍上の名もある、男の持たない名とは生みの親から授けられるそれで、諸々の事情により元来存在したであろうそれを彼は知りえる事が出来なかった。だからといってさして卑下することもなく、彼の人生に然したる影響はなかった、そうなった理由こそが彼の人生を狂わせた原因ではあったのだが。故に時折男は名に悩んでいた、ここ暫くはキーツと名乗っている、響きが気に入りかつ覚えやすい名前であったからだが、本来苗字であり名では無い事を最近知った、それでも良いかと鷹揚に構えているが、助手の恋人からは今一つ不評であった。

彼の仕事は銀河連合隷下の警察官である、俗に宇宙刑事とか銀河警察等と呼ばれている。正式な組織の名称は御多分に漏れず長い、故に職業を明かす場合俗称を伝える方が便利が良かった、尤も、警察という組織概念が存在する社会で、銀河連合へ参画している文明であればの話ではある、その条件に見合う社会文明は未だ比較的に少数で、彼が赴く先は概ねその条件に合わない地であった。前回の任務地は警察は存在したが連合へは未加盟であった、その為現地の市民に偽装しつつ任務にあたった。

また彼は軍属上がりでもあった、名も適当で出自が訳アリの彼が市民権を得る為には軍に入るのが最も妥当な方策であったからだが、主に情報工作と作戦の立案を担当した、経緯はまた若干複雑であったが、要は彼の出自がそうさせたようである。後方勤務の汚れ仕事をこなした後に作戦参謀付き下士官を勤め除隊する事となる。
それなりに苦労人でそれなりの事務処理能力を持ち、それなりの肉体労働が出来るとは彼がよく言う自己評価であった。
彼が今脱力しつつアルコールを楽しめているのは、任期を終え帰路にあるからである、帰路は長い、といっても時間にして49時間程度、骨休めと言うには短い時間ではあるが、一時の開放感を享受するには丁度良い暇ではあった。

任地であるNCC-1701-3「地球」での現地時間で数年、彼は激務の中にいた。主な仕事は不法入国・密漁業者の取り締まり、侵略者と呼ばれる原始社会の乗っ取りを企てる輩の排除である、現地の警察組織又は軍の協力は仰げない、一般人の協力等論外であるが少しばかりの協力はあった、報告書には記載されていないが。

銀河連合の存在は未加入の文明社会へは秘匿される、加入へはまず文明社会が銀河連合へ接触する事が第一条件であったからで、それには高度な航宙技術が必須である。
恒星間航行さえままならない技術レベルではお話にならない、かといって他の文明社会はそういった未成熟な文明を観察している、時には理由をつけて接触を試みる、そして、収奪の対象とする。
かつてそうやって滅びた文明が数多存在した、技術力と倫理は往々にしてイコールにはならないのである。それを問題視した連合加盟国家と避難民の声を勘案し、銀河連合は未加入の文明圏の保護に乗り出す事となる、しかし軍を派遣するのは難しく、連合内での不和を招きかねない。
そこで銀河警察機構の一部がその任にあたる事となる、逮捕権と暫定的司法権を併せ持ち、一定の武力を有する組織となると軍以外には警察組織しか存在しなかった。
逮捕権については、形や程度は違えど多くの法治文明で共通の概念があり、それに準じる権限を付与されている。
暫定的司法権とは司法を司る組織との連絡が困難な地域も多い為、建前として付与された仕組みである、一部より批判の声もあったが、実質的な影響は連合外の社会へ限られる為、積極的に制限をかける者も少なく、犯罪被害者からの受けも悪くない為、やや強権なれど認められていた。
一定の武力とは犯罪組織の武力攻勢を一定期間押し留められる程度と定義されている、軍の装備と比べればヒヨコ程度と揶揄されているが、連合外文明と比較すれば、それはまさに異次元の兵器類であり、犯罪者の持つそれと比較しても過剰と感じられる装備が散見された、しかし現実に使用される装備は治安維持のパワードスーツとそれに関わる補助装置が主であり、大型破壊兵器の使用は数える程度しか実戦使用されていない、またそういった装備は使用制限が課されているものも多く、抑止力として喧伝されてもいた為、様々な意見はあれど概ね認められている状況である。

つまるところ銀河警察とは、被保護者に気づかれぬように、被保護者の技術的に数段上にある侵略者を逮捕もしくは追い返す事が任務となる。その為の権限と武力は付与されている、その力を行使するのは、当人と駐在員の判断による所が大であり、文明を崩壊させる懸念すらあった、その為彼の仕事は実に難解なのである、彼曰く遣り甲斐しかない、後アヤコが居てくれる、は現地駐在員に何度かボヤいた言葉であった、激務の表現は決して誇張表現では無かったのである。

「マスター、航路へ乗りました、オートパイロットへ切り替えます」

助手のアヤコがそう言って確認を求めてきた、キーツは了解任せたと気の無い返答をし、グラスを掴むと一気に煽る。
アヤコはキーツの助手である。長い黒髪と長身、紺色の瞳とすっと通った鼻筋、白い肌、誰もが認める美しい造作である、しかし美し過ぎる為か彼女の纏った空気感は静寂で冷たい。キーツとは2期連続でコンビを組んでいた、6年程度の付き合いである、何時の頃からか恋仲にもなっている。初見の印象はお互い良いものでは無かったとベッドで語り合った事があった、寝物語に訥々とお互いの不幸話をした事もあった。仕事中の彼女はアンドロイド以上にアンドロイド然としいる、一部の同僚は青の女王と彼女を評していた、それをアヤコは無感情に聞き流していたが、後から聞くと賛否の意思が良く解らなかったと困惑していたそうである。

「あとどれだけだっけ?」

「次元航行開け迄約6時間、通常航行移行後約12時間です」
アヤコは航行制御パネルから目を離さず声だけを返してくる、

「あー、一眠りするには丁度かな?」

「マスター・・・、寝すぎです」
アヤコはやっとキーツに向き直り、若干呆れた顔をして席を立つと、キーツのグラスをそっと奪って退室を目で促す。
キーツは一度コントロールパネルを振り返り、ボトルは食堂室だったか等と思いながら連れだってコックピットから通路へ出ると、アヤコは思い出したように話し出す。

「マスター、収集物の仕分けができておりません、到着までにまとめておかないと到着後ゆっくり休めませんよ、報告書は送信済みですし、犯罪者の時間凍結も終了しております、通常航行中はコックピットを離れてはいけませんし、壊しまくった装備品の修理・整備・補給諸々終了してます、残った作業はマスターが趣味で集めた収集品の検疫と区分けとレポート作成だけです」

キーツは若干思案して、

「君のも無かったけ?」

「何がですか?」

「収集品の中にさ、君のも」

「・・・ありましたっけ?」
わざとらしくすっ呆けるアヤコの目をじーっと見下ろす。藍色の瞳を覗き続けるとアヤコはすっと視線を外し、もうまたですかと頬を赤らめた。

「違うわ、誤魔化すな」

キーツは、即座に否定した。

「えっ」
とアヤコは驚いた顔をして、ニヤリと悪戯がバレた時の笑みを浮かべた、とても愛らしい。

地球での任務は彼女に感情の表出を促したらしい、現場就任以降日々表情を増やしていくアヤコを見るのは面白くもあり奇妙でもあった、診断プログラムに掛けてみたが特に異常は無く、今までがストレスによる抑圧下にあったものとの判断が下された。
キーツもアヤコもその出自は特殊なものであったし、アヤコに於いては感情を無くすのも致し方なしとも感じられる程であったが、公私共に大事なパートナーの変質はキーツにとっては大変嬉しくもあり、羨ましくも感じられる事であった。

「分りました、一緒にやりましょう、二人でやれば到着迄には終わると思います」
事務的な対応に戻っている、すっとアヤコの顔から表情が消えるのが感じられた。

「到着後でもいいんじゃないの?」
キーツは食い下がる、

「反省会に時間かかりますよ」
反省会ねと溜息を吐いた、

「次の辞令が用意されているようですし、マスターは腕利きなので」
と微妙に褒めそやす、

「優秀なアシスタントのお陰だな、俺の評価より君の評価の方が上じゃないのか?」

「あら、お褒め頂き嬉しいです、先に食堂室へ・・・、紅茶入れます」
そう言って、廊下の突き当りで別れた、キーツは観念して収集品を収める倉庫へ向かう。

「あ、さっきのお代わりを、まだ残ってたはず」
ふと、足を止めアヤコの背に声をかけるも、却下ですとあっさり断られた。不満げに唸ってみたがアヤコの背はそのまま遠ざかり、食堂室へ消えた。
キーツは素直に諦め階段を下り貨物室へ足を向け、密閉された大小様々なコンテナが20ほど乱雑に置かれた倉庫へ入る。
しおりを挟む

処理中です...