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その日、北の別邸周辺は、異様な騒がしさに包まれた。
小鳥のさえずりをかき消すような、派手なファンファーレ。
蹄の音。
そして、拡声魔法を使ったような大音量の声。
「ソフィエーーーッ! 来たぞーーーッ! 私が! 自ら! 迎えに来てやったぞーーーッ!!」
私は畑で収穫したばかりの大根を抱えたまま、天を仰いだ。
「……来ちゃいましたね」
「……来たな」
隣で鍬(くわ)を握るアレクシス公爵が、般若のような顔で門の方を睨む。
「ソフィエ。あの騒音の発生源を凍らせて砕いて肥料にしていいか?」
「肥料が腐ります。やめてください」
私はため息をつき、泥のついた軍手を外した。
「行きますよ。ここで逃げたら、一生追いかけ回されます。トドメを刺しましょう」
「……了解だ。俺の背中から離れるなよ」
私たちは畑を出て、正門へと向かった。
そこには、目を疑うような光景が広がっていた。
黄金の装飾が施された馬車(悪趣味)。
その周りを固める王家近衛兵たち(顔色が悪い)。
そして、馬車から降り立ち、両手を広げている一人の男。
ジェラルド・ヴィ・アルマン第一王子だ。
「おお、ソフィエ! 愛しのソフィエ!」
彼は私を見つけるなり、感動的な再会シーンを演出しようと駆け寄ってきた。
しかし、その顔を見て、私は思わず半歩下がった。
(……老けた?)
目の下には濃いクマ。
頬はこけ、自慢の金髪もツヤを失いパサパサになっている。
服のボタンも一つ掛け違えているし、全体的に「疲労困憊」のオーラが漂っている。
王宮での激務(という名の自業自得)が、いかに過酷だったかが見て取れた。
「ソフィエ! 会いたかったぞ! やはり君も、私が来るのを待っていたのだな!」
ジェラルド殿下は、私の姿を見て涙ぐんでいる。
「見ろ、この素晴らしい屋敷を! 荒れ果てた廃屋だと聞いていたが、まるで楽園ではないか! 君は私のために、ここを新居として整えてくれていたのだな!」
「違います」
「照れるな! 畑まで耕して……そうか、私と二人で家庭菜園を楽しむつもりだったのか! なんて健気なんだ!」
「違います」
「さあ、もう意地を張る必要はない! 私の胸に飛び込んでこい! すべてを許そう!」
彼は両手を広げ、私を抱擁しようと迫ってきた。
私は冷静に、一歩横にずれた。
ブンッ。
殿下は空振りをし、勢い余って地面につんのめりそうになった。
「おっと……ソフィエ? なぜ避ける?」
「汚いからです」
「は?」
「殿下、お風呂に入っていませんね? 3日分くらいの汗とストレスの臭いがします。近寄らないでください」
私は鼻をつまんだ。
殿下はショックを受けた顔をした。
「な、何を言う! 私は君を迎えに来るために、3日間不眠不休で馬を飛ばしてきたのだぞ! シャワーを浴びる暇などあるわけがない!」
「それを『不潔』と呼ぶのです。出直してください」
「くっ……相変わらず口の減らない女だ! だが、その強がりも今日までだ!」
殿下は気を取り直し、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
「これを見ろ! 『王宮復帰命令書』だ! 父上の署名入りだぞ! これでもう、君は拒否できない!」
彼は勝ち誇った顔で紙を突きつけた。
「さあ、喜べ! 君を『筆頭聖女兼、宰相補佐兼、王太子妃兼、雑用係』として再雇用してやる!」
「兼務しすぎです。労働基準法違反で訴えますよ」
「うるさい! とにかく戻るんだ! 君がいないと、私の靴下が見つからないんだ!」
「自分で探せ!」
会話が堂々巡りし始めた、その時だ。
「……おい」
私の背後から、低く、絶対零度の声が響いた。
ジェラルド殿下がビクリと震える。
「だ、誰だ! 私の感動の再会を邪魔する奴は!」
殿下が視線を向けると、そこには仁王立ちする大男がいた。
ピンク色のジャージ。
『主婦の友』のエプロン。
手には、鋭利に研ぎ澄まされた鍬(くわ)。
そして、人を殺せそうな青い魔眼。
「……ひっ!?」
殿下は悲鳴を上げて後ずさった。
「な、なんだこの不審者は!? 庭師か!? いや、その目は……まさか、魔物!?」
「……俺の名を忘れたか、ジェラルド」
アレクシス公爵が一歩前に出る。
その足元から、地面が白く凍りついていく。
「ア……アレクシス公爵!? 隣国の!?」
殿下は目を剥いた。
「な、なぜ貴殿がここに!? しかも、そのふざけた格好はなんだ!?」
「これは正装だ」
「はぁ!?」
「俺はこの屋敷の主(の夫予定)であり、警備主任だ。俺の許可なく敷地に入った者は、排除する」
アレクシス公爵は鍬を振り上げた。
「待て待て待て! 話が違うぞ!」
殿下はパニックになりながら叫んだ。
「ソフィエは一人で泣き暮らしているはずだ! なぜ隣国の公爵と同棲している! まさか……貴様、ソフィエを脅して乗っ取ったな!?」
「乗っ取られたのは俺の心だ」
「何言ってるのコイツ!?」
「俺はソフィエのものだ。そしてソフィエは俺のものだ。つまり、お前の入る隙間は1ミクロンもない」
アレクシス公爵は、私の肩を抱き寄せた。
「帰れ。さもなくば、この鍬でお前の頭に『バカ』という文字を刻んでやる」
「ひぃぃぃ! や、野蛮人め!」
殿下は涙目で私を見た。
「ソフィエ! 騙されるな! こいつは危険人物だ! 私の方がいいに決まっているだろう! 私は王子だぞ! 顔もいいぞ!」
「顔ならアレクシス様の方が良いですが」
「なっ……!?」
「それに、アレクシス様は働きます。殿下は?」
「私は……存在そのものが尊いのだ!」
「はい、0点」
私が冷たく採点した時、屋敷の扉がバン! と開いた。
「ちょっとぉ! うるさいわよ!」
現れたのは、口の周りをクリームだらけにしたミーナ男爵令嬢だった。
右手には食べかけのホールケーキを持っている。
「せっかくのおやつタイムなのに! 静かにしてよね!」
「ミ……ミーナ!?」
殿下が叫んだ。
「ミーナじゃないか! 探したぞ! 無事だったのか! あぁ、可哀想に、悪女に捕まって囚人として扱われていたんだな!?」
「は? 何言ってんの?」
ミーナ様はキョトンとした。
「囚人? まさか。ここは天国よ」
「えっ」
「見てよこれ。ソフィエお姉様が考案した『究極のショートケーキ』。王宮のパサパサのスポンジとはわけが違うの。フワッフワなの!」
彼女はケーキを頬張った。
「幸せぇぇ~♡」
「み、ミーナ……?」
殿下の顔が引きつる。
「帰ろう、ミーナ。王宮にはもっといいお菓子を用意させるから……」
「やだ」
即答。
「帰りたくない。王宮って窮屈だし、ジェラルド様すぐ怒るし、ご飯マズイし。私、ここで一生ソフィエお姉様のペットとして生きるって決めたの」
「ペ、ペット!?」
「うん! 『お手』も覚えたよ! ほら!」
彼女は私に向かって手を差し出した。
私は条件反射でその手にクッキーを乗せた。
「はい、よくできました」
「わーい!」
「……」
ジェラルド殿下は、口をパクパクさせていた。
理解が追いつかないのだろう。
元婚約者は隣国の公爵とイチャイチャし、現婚約者はペット化している。
自分の居場所が、完全に消滅している事実に。
「ど……どうなっているんだ……」
殿下は膝から崩れ落ちた。
「私は……私は王子だぞ……世界の中心だぞ……なのに、なぜ誰も私を敬わない……なぜ誰も私の言うことを聞かない……」
「それが人徳というものです、殿下」
私は冷ややかに見下ろした。
「人は、肩書きではなく『人』に付くのです。貴方が自分以外を愛さなかった結果が、これです」
「うぅ……うぅぅ……」
殿下は地面を叩いて泣き出した。
その姿は、あまりにも情けなく、そして滑稽だった。
周囲にいた近衛兵たちも、気まずそうに視線を逸らしている。
彼らとて、薄々は気づいていたのだろう。自分の主が「残念」な人であることに。
「さて、殿下」
私は懐から、分厚い封筒を取り出した。
「泣いている暇があったら、仕事の話をしましょう」
「……え?」
「請求書です」
私は封筒を彼の目の前に落とした。
ドサッ。
重たい音がした。
「婚約破棄による慰謝料。過去6年間の未払い残業代。休日出勤手当。精神的苦痛への賠償金。そして、今回の屋敷への不法侵入及び騒音への迷惑料。締めて、金貨5億枚になります」
「ご……5億!?」
殿下が飛び上がった。
「国家予算並みじゃないか! 払えるわけがない!」
「払えないなら、現物支給でも構いませんよ」
「げ、現物?」
「北の鉱山開発権、あるいは港湾都市の貿易権。どちらかを譲渡してください」
私はニッコリと笑った。
「これはビジネスです。私という有能な人材を不当に解雇した代償は、高くつきますよ?」
「き、鬼だ……貴様は鬼だ……!」
「お褒めに預かり光栄です」
殿下は震える手で請求書を拾い上げた。
そして、私と、殺る気満々のアレクシス公爵と、ケーキに夢中のミーナ様を交互に見て……。
「うわぁぁぁぁぁぁん!! 父上に言いつけてやるぅぅぅ!!」
脱兎のごとく逃げ出した。
「撤退! 撤退だ! ここは魔境だ! 二度と来るかぁぁぁ!」
近衛兵たちも慌てて馬車を走らせる。
砂煙を上げて去っていく黄金の馬車を見送りながら、私は肩の力を抜いた。
「……ふぅ。やっと静かになりましたね」
「逃げ足だけは速いな」
アレクシス公爵が鍬を下ろす。
「だが、これで諦めるようなタマか?」
「いえ、王宮に戻って泣きつけば、今度は国王陛下が出てくるでしょうね」
「……面倒だな。やはり国ごと凍らせるか?」
「だからやめてください」
私は苦笑しながら、彼の手を取った。
「でも、すっきりしました。言いたいことは言えましたし」
「そうか。なら良かった」
彼は不器用に私の頭を撫でた。
「よくやった、ソフィエ」
「ありがとうございます」
その時、背後からミーナ様の声がした。
「ねぇねぇ、ジェラルド様行っちゃったねー。あ、このケーキおかわりある?」
「ありますよ。皿洗いしたらね」
「はーい!」
こうして、元婚約者の襲来イベントは、私たちの完全勝利で幕を閉じた。
だが、物語はまだ終わらない。
私の「請求書」が王宮に届いた時、事態は国を揺るがす大騒動へと発展していくのだが……それはまた、別のお話。
とりあえず今は、冷めないうちにアレクシス様の淹れてくれた紅茶をいただくとしよう。
小鳥のさえずりをかき消すような、派手なファンファーレ。
蹄の音。
そして、拡声魔法を使ったような大音量の声。
「ソフィエーーーッ! 来たぞーーーッ! 私が! 自ら! 迎えに来てやったぞーーーッ!!」
私は畑で収穫したばかりの大根を抱えたまま、天を仰いだ。
「……来ちゃいましたね」
「……来たな」
隣で鍬(くわ)を握るアレクシス公爵が、般若のような顔で門の方を睨む。
「ソフィエ。あの騒音の発生源を凍らせて砕いて肥料にしていいか?」
「肥料が腐ります。やめてください」
私はため息をつき、泥のついた軍手を外した。
「行きますよ。ここで逃げたら、一生追いかけ回されます。トドメを刺しましょう」
「……了解だ。俺の背中から離れるなよ」
私たちは畑を出て、正門へと向かった。
そこには、目を疑うような光景が広がっていた。
黄金の装飾が施された馬車(悪趣味)。
その周りを固める王家近衛兵たち(顔色が悪い)。
そして、馬車から降り立ち、両手を広げている一人の男。
ジェラルド・ヴィ・アルマン第一王子だ。
「おお、ソフィエ! 愛しのソフィエ!」
彼は私を見つけるなり、感動的な再会シーンを演出しようと駆け寄ってきた。
しかし、その顔を見て、私は思わず半歩下がった。
(……老けた?)
目の下には濃いクマ。
頬はこけ、自慢の金髪もツヤを失いパサパサになっている。
服のボタンも一つ掛け違えているし、全体的に「疲労困憊」のオーラが漂っている。
王宮での激務(という名の自業自得)が、いかに過酷だったかが見て取れた。
「ソフィエ! 会いたかったぞ! やはり君も、私が来るのを待っていたのだな!」
ジェラルド殿下は、私の姿を見て涙ぐんでいる。
「見ろ、この素晴らしい屋敷を! 荒れ果てた廃屋だと聞いていたが、まるで楽園ではないか! 君は私のために、ここを新居として整えてくれていたのだな!」
「違います」
「照れるな! 畑まで耕して……そうか、私と二人で家庭菜園を楽しむつもりだったのか! なんて健気なんだ!」
「違います」
「さあ、もう意地を張る必要はない! 私の胸に飛び込んでこい! すべてを許そう!」
彼は両手を広げ、私を抱擁しようと迫ってきた。
私は冷静に、一歩横にずれた。
ブンッ。
殿下は空振りをし、勢い余って地面につんのめりそうになった。
「おっと……ソフィエ? なぜ避ける?」
「汚いからです」
「は?」
「殿下、お風呂に入っていませんね? 3日分くらいの汗とストレスの臭いがします。近寄らないでください」
私は鼻をつまんだ。
殿下はショックを受けた顔をした。
「な、何を言う! 私は君を迎えに来るために、3日間不眠不休で馬を飛ばしてきたのだぞ! シャワーを浴びる暇などあるわけがない!」
「それを『不潔』と呼ぶのです。出直してください」
「くっ……相変わらず口の減らない女だ! だが、その強がりも今日までだ!」
殿下は気を取り直し、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
「これを見ろ! 『王宮復帰命令書』だ! 父上の署名入りだぞ! これでもう、君は拒否できない!」
彼は勝ち誇った顔で紙を突きつけた。
「さあ、喜べ! 君を『筆頭聖女兼、宰相補佐兼、王太子妃兼、雑用係』として再雇用してやる!」
「兼務しすぎです。労働基準法違反で訴えますよ」
「うるさい! とにかく戻るんだ! 君がいないと、私の靴下が見つからないんだ!」
「自分で探せ!」
会話が堂々巡りし始めた、その時だ。
「……おい」
私の背後から、低く、絶対零度の声が響いた。
ジェラルド殿下がビクリと震える。
「だ、誰だ! 私の感動の再会を邪魔する奴は!」
殿下が視線を向けると、そこには仁王立ちする大男がいた。
ピンク色のジャージ。
『主婦の友』のエプロン。
手には、鋭利に研ぎ澄まされた鍬(くわ)。
そして、人を殺せそうな青い魔眼。
「……ひっ!?」
殿下は悲鳴を上げて後ずさった。
「な、なんだこの不審者は!? 庭師か!? いや、その目は……まさか、魔物!?」
「……俺の名を忘れたか、ジェラルド」
アレクシス公爵が一歩前に出る。
その足元から、地面が白く凍りついていく。
「ア……アレクシス公爵!? 隣国の!?」
殿下は目を剥いた。
「な、なぜ貴殿がここに!? しかも、そのふざけた格好はなんだ!?」
「これは正装だ」
「はぁ!?」
「俺はこの屋敷の主(の夫予定)であり、警備主任だ。俺の許可なく敷地に入った者は、排除する」
アレクシス公爵は鍬を振り上げた。
「待て待て待て! 話が違うぞ!」
殿下はパニックになりながら叫んだ。
「ソフィエは一人で泣き暮らしているはずだ! なぜ隣国の公爵と同棲している! まさか……貴様、ソフィエを脅して乗っ取ったな!?」
「乗っ取られたのは俺の心だ」
「何言ってるのコイツ!?」
「俺はソフィエのものだ。そしてソフィエは俺のものだ。つまり、お前の入る隙間は1ミクロンもない」
アレクシス公爵は、私の肩を抱き寄せた。
「帰れ。さもなくば、この鍬でお前の頭に『バカ』という文字を刻んでやる」
「ひぃぃぃ! や、野蛮人め!」
殿下は涙目で私を見た。
「ソフィエ! 騙されるな! こいつは危険人物だ! 私の方がいいに決まっているだろう! 私は王子だぞ! 顔もいいぞ!」
「顔ならアレクシス様の方が良いですが」
「なっ……!?」
「それに、アレクシス様は働きます。殿下は?」
「私は……存在そのものが尊いのだ!」
「はい、0点」
私が冷たく採点した時、屋敷の扉がバン! と開いた。
「ちょっとぉ! うるさいわよ!」
現れたのは、口の周りをクリームだらけにしたミーナ男爵令嬢だった。
右手には食べかけのホールケーキを持っている。
「せっかくのおやつタイムなのに! 静かにしてよね!」
「ミ……ミーナ!?」
殿下が叫んだ。
「ミーナじゃないか! 探したぞ! 無事だったのか! あぁ、可哀想に、悪女に捕まって囚人として扱われていたんだな!?」
「は? 何言ってんの?」
ミーナ様はキョトンとした。
「囚人? まさか。ここは天国よ」
「えっ」
「見てよこれ。ソフィエお姉様が考案した『究極のショートケーキ』。王宮のパサパサのスポンジとはわけが違うの。フワッフワなの!」
彼女はケーキを頬張った。
「幸せぇぇ~♡」
「み、ミーナ……?」
殿下の顔が引きつる。
「帰ろう、ミーナ。王宮にはもっといいお菓子を用意させるから……」
「やだ」
即答。
「帰りたくない。王宮って窮屈だし、ジェラルド様すぐ怒るし、ご飯マズイし。私、ここで一生ソフィエお姉様のペットとして生きるって決めたの」
「ペ、ペット!?」
「うん! 『お手』も覚えたよ! ほら!」
彼女は私に向かって手を差し出した。
私は条件反射でその手にクッキーを乗せた。
「はい、よくできました」
「わーい!」
「……」
ジェラルド殿下は、口をパクパクさせていた。
理解が追いつかないのだろう。
元婚約者は隣国の公爵とイチャイチャし、現婚約者はペット化している。
自分の居場所が、完全に消滅している事実に。
「ど……どうなっているんだ……」
殿下は膝から崩れ落ちた。
「私は……私は王子だぞ……世界の中心だぞ……なのに、なぜ誰も私を敬わない……なぜ誰も私の言うことを聞かない……」
「それが人徳というものです、殿下」
私は冷ややかに見下ろした。
「人は、肩書きではなく『人』に付くのです。貴方が自分以外を愛さなかった結果が、これです」
「うぅ……うぅぅ……」
殿下は地面を叩いて泣き出した。
その姿は、あまりにも情けなく、そして滑稽だった。
周囲にいた近衛兵たちも、気まずそうに視線を逸らしている。
彼らとて、薄々は気づいていたのだろう。自分の主が「残念」な人であることに。
「さて、殿下」
私は懐から、分厚い封筒を取り出した。
「泣いている暇があったら、仕事の話をしましょう」
「……え?」
「請求書です」
私は封筒を彼の目の前に落とした。
ドサッ。
重たい音がした。
「婚約破棄による慰謝料。過去6年間の未払い残業代。休日出勤手当。精神的苦痛への賠償金。そして、今回の屋敷への不法侵入及び騒音への迷惑料。締めて、金貨5億枚になります」
「ご……5億!?」
殿下が飛び上がった。
「国家予算並みじゃないか! 払えるわけがない!」
「払えないなら、現物支給でも構いませんよ」
「げ、現物?」
「北の鉱山開発権、あるいは港湾都市の貿易権。どちらかを譲渡してください」
私はニッコリと笑った。
「これはビジネスです。私という有能な人材を不当に解雇した代償は、高くつきますよ?」
「き、鬼だ……貴様は鬼だ……!」
「お褒めに預かり光栄です」
殿下は震える手で請求書を拾い上げた。
そして、私と、殺る気満々のアレクシス公爵と、ケーキに夢中のミーナ様を交互に見て……。
「うわぁぁぁぁぁぁん!! 父上に言いつけてやるぅぅぅ!!」
脱兎のごとく逃げ出した。
「撤退! 撤退だ! ここは魔境だ! 二度と来るかぁぁぁ!」
近衛兵たちも慌てて馬車を走らせる。
砂煙を上げて去っていく黄金の馬車を見送りながら、私は肩の力を抜いた。
「……ふぅ。やっと静かになりましたね」
「逃げ足だけは速いな」
アレクシス公爵が鍬を下ろす。
「だが、これで諦めるようなタマか?」
「いえ、王宮に戻って泣きつけば、今度は国王陛下が出てくるでしょうね」
「……面倒だな。やはり国ごと凍らせるか?」
「だからやめてください」
私は苦笑しながら、彼の手を取った。
「でも、すっきりしました。言いたいことは言えましたし」
「そうか。なら良かった」
彼は不器用に私の頭を撫でた。
「よくやった、ソフィエ」
「ありがとうございます」
その時、背後からミーナ様の声がした。
「ねぇねぇ、ジェラルド様行っちゃったねー。あ、このケーキおかわりある?」
「ありますよ。皿洗いしたらね」
「はーい!」
こうして、元婚約者の襲来イベントは、私たちの完全勝利で幕を閉じた。
だが、物語はまだ終わらない。
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