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「……はあ。ようやく、本当の意味で太陽が目に優しくなった気がするわ」
季節は巡り、爽やかな初夏の風が公爵邸の庭園を吹き抜けていく。
私は木漏れ日の下、お気に入りの長椅子に身を預け、究極の贅沢――すなわち「何もしない時間」を堪能していた。
あの日、卒業パーティーでの大自爆から数ヶ月。
リュカ殿下は国王陛下の命により、「真の王族としての見聞を広める」という名目のもと、隣国への長期親善大使(という名の事実上の隔離)として旅立っていった。
出発の際、殿下は「僕の不在という名の夜が、この国を寂しくさせるだろう。だが案じないでくれ、空の月を見れば、それは僕の微笑みの代わりなのだから」と言い残したそうだが、誰もが「これでようやく安眠できる」と安堵の溜息を漏らしたという。
「リリン様、またそんな幸せそうな顔をして。……ほら、あちらから新しい『爆弾』が届きましたわよ」
テラスに現れたマリエル様が、呆れたように一通の手紙を差し出してきた。
彼女は最近、例の「普通すぎる」ジュリアン様と順調に仲を深めているらしく、その瞳からはかつての虚無感が消え、幸せそうな輝きが宿っている。
「爆弾……? まさか、殿下から?」
「ええ。隣国からの親善報告(自画像付き)ですわ」
私は恐る恐る手紙を開いた。
中には、砂漠のオアシスで水面に映る自分に見惚れている殿下のスケッチと、震えるようなポエムが綴られていた。
『親愛なる僕の聖女、リリンへ。隣国の砂漠は、僕の肌を黄金に焼こうと必死だよ。だが、日焼けした僕もまた、ワイルドな魅力に溢れていて困ってしまうね。君の夢の中に、少しだけスパイシーな僕を届けてあげよう』
「……安定の、というか、さらに深刻化しているわね。隣国の方々が同情を禁じ得ないわ」
私は手紙をそっと閉じ、マリエル様に返した。
「まあ、遠くにいる分には最高のエンターテインメントですわ。……それよりマリエル様、そちらの調子はどうなの? ジュリアン様とは、ちゃんと『普通の会話』ができているかしら?」
「ええ、もう最高ですわ! 昨日は二人で『最近の小麦の相場』について三十分も語り合いましたの。なんて平和で、なんて地に足のついた時間……。私、これこそが真の贅沢だと気づきましたわ」
マリエル様はうっとりと頬を染めた。
私たちは、一人のナルシストという共通の敵(?)を乗り越えたことで、世界で最も「普通の幸せ」に敏感な令嬢へと成長を遂げたのである。
「……お前たち、またあいつの手紙を読んで笑っているのか」
不機嫌そうな声とともに、私の隣の席にドサリと座る影があった。
騎士団の非番の日らしく、軽装ながらもしっかりと剣を帯びたエリオットだ。
「あら、エリオット。笑っているんじゃなくて、観察しているだけよ。……ほら、あなたもリンゴ食べる?」
「いらん。……それよりリリン、公爵閣下からお前に話があるそうだ」
「お父様から? 何かしら、また新しい帳簿のチェック?」
私が首を傾げると、エリオットは急に視線を逸らし、耳の裏を赤く染めた。
「……違う。来月の、俺たちの……その、婚約披露宴の準備についてだ」
「…………あ」
そうだった。
殿下との婚約が正式に解消された後、お父様は「娘をあんな災難から守り抜いた男なら、公爵家の婿として申し分ない」と、エリオットを大歓迎で迎えたのだ。
エリオットは、私の手を不器用に、けれど壊れ物を扱うような優しさで握りしめた。
「……リリン。お前が『普通』の生活を望んでいるのは分かっている。俺は王子のように、お前に愛の詩を囁くことはできないし、後光を射すこともできん。……だが、お前が腹を立てた時は一緒に怒り、疲れた時は隣で黙って茶を淹れる。……そんな男で良ければ、一生お前の隣に置いてくれ」
「……エリオット」
私は、彼の無骨で熱い手のひらを握り返した。
鏡の中の自分ではなく、真っ直ぐに私だけを見つめる、誠実な瞳。
ポエムなんていらない。
鏡の角度なんてどうでもいい。
私のズボラな本性を知っていて、それでも「愛おしい」と言ってくれる。
「……いいわね。ただし、披露宴のケーキは私が選ぶわ。マリエル様と一緒に、王都中のケーキ屋を制覇してからね」
「……勝手にしろ。ただし、食べ過ぎて胃を壊しても俺は看病しかできんからな」
エリオットが、少しだけ照れくさそうに笑った。
その笑顔は、どんな王子の肖像画よりもずっと、私の心を温めてくれる。
「リリン様、披露宴の余興は私が企画してもよろしいかしら? 殿下のポエムを逆手に取った『精神修養・忍耐力コンテスト』なんていかが?」
「絶対にダメよ、マリエル様。せっかくの披露宴を、地獄の業火で焼くつもり?」
私たちは、青空の下で笑い合った。
悪役令嬢と呼ばれ、断罪を恐れていた日々。
略奪ヒロインを演じ、殿下の毒牙に耐えていた日々。
全ては、この穏やかな午後のためにあったのかもしれない。
ふと、視界の隅で、エリオットが私の髪に、例の青い花を一輪、そっと差し込んでくれたのが分かった。
「……似合っているぞ。お前には、それが一番いい」
「ありがとう、エリオット」
私は彼の肩に、そっと頭を預けた。
私の新しい人生。
それは、かつて思い描いた「完璧な物語」とは違うけれど、何よりも彩り豊かで、最高に「普通」で、そして――。
「リリン様ぁぁぁ! 殿下から追加で、自分の産声の譜面が届きましたわよー!」
「……やっぱり、まだ平和は遠そうね」
「……次は、俺が物理的に門を閉める」
私たちは、再び訪れた賑やかな騒動に向かって、幸せな溜息をつきながら立ち上がった。
愛すべき「普通」を、この手で守り抜くために。
悪役令嬢の本当の休日は、どうやらこれからが本番のようだった。
季節は巡り、爽やかな初夏の風が公爵邸の庭園を吹き抜けていく。
私は木漏れ日の下、お気に入りの長椅子に身を預け、究極の贅沢――すなわち「何もしない時間」を堪能していた。
あの日、卒業パーティーでの大自爆から数ヶ月。
リュカ殿下は国王陛下の命により、「真の王族としての見聞を広める」という名目のもと、隣国への長期親善大使(という名の事実上の隔離)として旅立っていった。
出発の際、殿下は「僕の不在という名の夜が、この国を寂しくさせるだろう。だが案じないでくれ、空の月を見れば、それは僕の微笑みの代わりなのだから」と言い残したそうだが、誰もが「これでようやく安眠できる」と安堵の溜息を漏らしたという。
「リリン様、またそんな幸せそうな顔をして。……ほら、あちらから新しい『爆弾』が届きましたわよ」
テラスに現れたマリエル様が、呆れたように一通の手紙を差し出してきた。
彼女は最近、例の「普通すぎる」ジュリアン様と順調に仲を深めているらしく、その瞳からはかつての虚無感が消え、幸せそうな輝きが宿っている。
「爆弾……? まさか、殿下から?」
「ええ。隣国からの親善報告(自画像付き)ですわ」
私は恐る恐る手紙を開いた。
中には、砂漠のオアシスで水面に映る自分に見惚れている殿下のスケッチと、震えるようなポエムが綴られていた。
『親愛なる僕の聖女、リリンへ。隣国の砂漠は、僕の肌を黄金に焼こうと必死だよ。だが、日焼けした僕もまた、ワイルドな魅力に溢れていて困ってしまうね。君の夢の中に、少しだけスパイシーな僕を届けてあげよう』
「……安定の、というか、さらに深刻化しているわね。隣国の方々が同情を禁じ得ないわ」
私は手紙をそっと閉じ、マリエル様に返した。
「まあ、遠くにいる分には最高のエンターテインメントですわ。……それよりマリエル様、そちらの調子はどうなの? ジュリアン様とは、ちゃんと『普通の会話』ができているかしら?」
「ええ、もう最高ですわ! 昨日は二人で『最近の小麦の相場』について三十分も語り合いましたの。なんて平和で、なんて地に足のついた時間……。私、これこそが真の贅沢だと気づきましたわ」
マリエル様はうっとりと頬を染めた。
私たちは、一人のナルシストという共通の敵(?)を乗り越えたことで、世界で最も「普通の幸せ」に敏感な令嬢へと成長を遂げたのである。
「……お前たち、またあいつの手紙を読んで笑っているのか」
不機嫌そうな声とともに、私の隣の席にドサリと座る影があった。
騎士団の非番の日らしく、軽装ながらもしっかりと剣を帯びたエリオットだ。
「あら、エリオット。笑っているんじゃなくて、観察しているだけよ。……ほら、あなたもリンゴ食べる?」
「いらん。……それよりリリン、公爵閣下からお前に話があるそうだ」
「お父様から? 何かしら、また新しい帳簿のチェック?」
私が首を傾げると、エリオットは急に視線を逸らし、耳の裏を赤く染めた。
「……違う。来月の、俺たちの……その、婚約披露宴の準備についてだ」
「…………あ」
そうだった。
殿下との婚約が正式に解消された後、お父様は「娘をあんな災難から守り抜いた男なら、公爵家の婿として申し分ない」と、エリオットを大歓迎で迎えたのだ。
エリオットは、私の手を不器用に、けれど壊れ物を扱うような優しさで握りしめた。
「……リリン。お前が『普通』の生活を望んでいるのは分かっている。俺は王子のように、お前に愛の詩を囁くことはできないし、後光を射すこともできん。……だが、お前が腹を立てた時は一緒に怒り、疲れた時は隣で黙って茶を淹れる。……そんな男で良ければ、一生お前の隣に置いてくれ」
「……エリオット」
私は、彼の無骨で熱い手のひらを握り返した。
鏡の中の自分ではなく、真っ直ぐに私だけを見つめる、誠実な瞳。
ポエムなんていらない。
鏡の角度なんてどうでもいい。
私のズボラな本性を知っていて、それでも「愛おしい」と言ってくれる。
「……いいわね。ただし、披露宴のケーキは私が選ぶわ。マリエル様と一緒に、王都中のケーキ屋を制覇してからね」
「……勝手にしろ。ただし、食べ過ぎて胃を壊しても俺は看病しかできんからな」
エリオットが、少しだけ照れくさそうに笑った。
その笑顔は、どんな王子の肖像画よりもずっと、私の心を温めてくれる。
「リリン様、披露宴の余興は私が企画してもよろしいかしら? 殿下のポエムを逆手に取った『精神修養・忍耐力コンテスト』なんていかが?」
「絶対にダメよ、マリエル様。せっかくの披露宴を、地獄の業火で焼くつもり?」
私たちは、青空の下で笑い合った。
悪役令嬢と呼ばれ、断罪を恐れていた日々。
略奪ヒロインを演じ、殿下の毒牙に耐えていた日々。
全ては、この穏やかな午後のためにあったのかもしれない。
ふと、視界の隅で、エリオットが私の髪に、例の青い花を一輪、そっと差し込んでくれたのが分かった。
「……似合っているぞ。お前には、それが一番いい」
「ありがとう、エリオット」
私は彼の肩に、そっと頭を預けた。
私の新しい人生。
それは、かつて思い描いた「完璧な物語」とは違うけれど、何よりも彩り豊かで、最高に「普通」で、そして――。
「リリン様ぁぁぁ! 殿下から追加で、自分の産声の譜面が届きましたわよー!」
「……やっぱり、まだ平和は遠そうね」
「……次は、俺が物理的に門を閉める」
私たちは、再び訪れた賑やかな騒動に向かって、幸せな溜息をつきながら立ち上がった。
愛すべき「普通」を、この手で守り抜くために。
悪役令嬢の本当の休日は、どうやらこれからが本番のようだった。
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