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婚約破棄(という名の祝宴)の翌日。
ナーナリアは、いつもよりずっと早く目を覚ました。
「(ああ……素晴らしい朝ですわ!)」
小鳥のさえずりすら、昨日は「騒音」に聞こえたのに、今日は「祝賀のファンファーレ」に聞こえる。
「アマンダ! アマンダ! 早く起きてちょうだい!」
「……お嬢様。まだ夜明けでございます」
ベッドの横で丸くなっていた侍女のアマンダが、眠い目をこすりながら起き上がる。
「何が夜明けですの! もう太陽は真上にありますわよ!」
「ありません。あと、お嬢様のベッドで寝るのはおやめくださいと、あれほど」
「固いことは言いっこなしですわ! それより、支度を!」
「支度、と申されますと? 今日はもう、お妃教育は……」
「ありません!」
ナーナリアは、ベッドから飛び降りて高らかに宣言した。
「今日からわたくしは自由! 自由の第一歩を踏み出しますの!」
「はあ。それで、具体的にどちらへ?」
「決まっていますわ!」
ナーナリアは、窓の外……活気あふれる王都の市街地を指差した。
「『買い食い』ですわ!」
「……はい?」
アマンダが、何を言われたのか分からない、という顔をする。
「お妃教育中は、はしたないからと禁止されていました! ですがもう関係ありません! クレープ! ジェラート! 串焼き肉!」
「(お嬢様……食べ物ばかりですわね)」
「さあ、アマンダ! 一番地味な服を持ってきて! お忍びですわ!」
「御意に」
こうして、侯爵令嬢ナーナリアの「初・お忍び買い食いツアー」は、幕を開けた。
「それから、アマンダ」
「はい」
「わたくしの大切な相棒も、一緒に行ってもらいますわ!」
「……まさか」
アマンダの顔が、わずかに引きつった。
「(ブオオオオオン!)」
屋敷の裏庭から、地響きのような雄叫びが聞こえた。
---
数時間後。王都の目抜き通り。
「わあ! 見てくださいまし、アマンダ! 焼きたてのパンですわ!」
地味な町娘の服(ただし最高級のシルク製)に着替えたナーナリアが、目を輝かせる。
「お嬢様、声が大きいです。あと、あまりキョロキョロなさいますな」
アマンダもまた、地味な侍女服(ただし最高級の(略))姿だ。
「だって、こんなに活気があるなんて!」
「いつも馬車の上から眺めていらっしゃったでしょう」
「上から見るのと、この匂いと喧騒を肌で感じるのは違いますわ!」
ナーナリアが、パン屋の匂いに引き寄せられようとした、その時。
「(グルルルル……!)」
ナーナリアの隣を歩く「それ」が、低い唸り声を上げた。
「それ」は、ナーナリアの腰の高さをゆうに超える。
黒曜石のような毛並み。
燃えるような三つの赤い目。
そして、首にはご丁寧に「ケル☆」と書かれた可愛らしい首輪。
ナーナリアの愛犬(?)、魔犬ケルベロス(推定・生後六ヶ月)である。
「こら、ケルベロス。よだれを垂らしてはいけませんわ」
「(クウン……)」
ケルベロスが、しょんぼりと三つの頭を垂れる。
「ああっ! お嬢様! だから言ったのです! ケルベロス様を連れてくるのは無茶だと!」
アマンダが、周囲の悲鳴に頭を抱えた。
「な、なんだあの魔物は!」
「ひいっ! 冥府の番犬だ!」
「逃げろー!」
「あらあら。皆様、お元気ですこと」
「お嬢様! 『お元気ですこと』ではございません! パニックでございます!」
「失礼ですわね! ケルベロスはこんなに可愛いのに!」
ナーナリアが、ケルベロスの一番真ん中の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「(ゴロゴロゴロ……)」
「犬(?)が喉を鳴らしたぞ……!」
「とにかく! アマンダ! まずはあそこのクレープ屋へ!」
「この状況でですか!?」
「ケルベロス! 『おすわり』!」
「(ドンッ!)」
ケルベロスが、三つの頭をかしげながら「おすわり」をすると、石畳が軽く揺れた。
「よし、いい子ですわ! さあ、クレープですわ!」
ナーナリアが、ケルベロス(という名の地獄の番犬)を引き連れて、クレープ屋の行列に並ぼうとした、その時。
「待て! 止まれ!」
甲高い声と共に、数名の衛兵が駆けつけた。
「市民からの通報だ! 危険な魔獣を連れている者がいると!」
「危険な魔獣? どこですの?」
ナーナリアが、きょとんとしてあたりを見回す。
「貴様だ! その黒い……三つ頭の……狼(?)は!」
衛兵の一人が、震える槍をケルベロスに向ける。
「(グルルルウウウウ!)」
ケルベロスが、槍の先を睨みつけ、牙を剥いた。
「ひいっ!」
「こら、ケルベロス。『お手』」
「(え? いま?)」という顔で、ケルベロスがナーナリアを見上げる。
「あら、違いましたわ。『伏せ』ですわ」
「……お嬢様。遊んでいる場合では」
「遊んでませんわ! この子がいかに安全か、証明しているのです!」
「貴様! 問答無用だ! その魔獣を今すぐ……!」
衛兵が、槍を構え直した。
「失礼な!」
ナーナリアが、一歩前に出る。
「この子はケルベロス! わたくしの大切な家族ですわ!」
「魔獣を家族だと!? 気でも狂ったか!」
「この子は魔獣ではありません! 『愛犬』ですわ!」
「どこに三つ頭の犬がいる!」
「ここにいますわ!」
「問答無用! 捕らえよ!」
衛兵たちが、一斉に飛びかかろうとした、その時。
「(ブオオオオオオオオオオオオン!!!)」
ケルベロスが、天に向かって盛大な遠吠えを上げた。
ビリビリと空気が震え、近くの店の窓ガラスが数枚割れる。
「「「(((……総員、退避!!!)))」」」
衛兵たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「……あら。行ってしまいましたわ」
ナーナリアは、肩をすくめた。
「皆様、お騒がせしましたわね。ケルベロス、もう大丈夫よ」
「(クウン……)」
しょんぼりするケルベロス。
「……お嬢様」
「何ですの、アマンダ」
「……とりあえず、クレープは諦めて、裏路地のジェラート屋にいたしましょう」
「それがよろしいですわね」
こうして、ナーナリアの「自由の第一歩」は、王都の衛兵たちに、消えないトラウマを植え付ける結果となった。
「それにしても、ひどいですわ。『猛犬』だなんて」
「(猛犬どころか、災害級ですわ……)」
アマンダは、心の中で深くため息をつくのだった。
ナーナリアは、いつもよりずっと早く目を覚ました。
「(ああ……素晴らしい朝ですわ!)」
小鳥のさえずりすら、昨日は「騒音」に聞こえたのに、今日は「祝賀のファンファーレ」に聞こえる。
「アマンダ! アマンダ! 早く起きてちょうだい!」
「……お嬢様。まだ夜明けでございます」
ベッドの横で丸くなっていた侍女のアマンダが、眠い目をこすりながら起き上がる。
「何が夜明けですの! もう太陽は真上にありますわよ!」
「ありません。あと、お嬢様のベッドで寝るのはおやめくださいと、あれほど」
「固いことは言いっこなしですわ! それより、支度を!」
「支度、と申されますと? 今日はもう、お妃教育は……」
「ありません!」
ナーナリアは、ベッドから飛び降りて高らかに宣言した。
「今日からわたくしは自由! 自由の第一歩を踏み出しますの!」
「はあ。それで、具体的にどちらへ?」
「決まっていますわ!」
ナーナリアは、窓の外……活気あふれる王都の市街地を指差した。
「『買い食い』ですわ!」
「……はい?」
アマンダが、何を言われたのか分からない、という顔をする。
「お妃教育中は、はしたないからと禁止されていました! ですがもう関係ありません! クレープ! ジェラート! 串焼き肉!」
「(お嬢様……食べ物ばかりですわね)」
「さあ、アマンダ! 一番地味な服を持ってきて! お忍びですわ!」
「御意に」
こうして、侯爵令嬢ナーナリアの「初・お忍び買い食いツアー」は、幕を開けた。
「それから、アマンダ」
「はい」
「わたくしの大切な相棒も、一緒に行ってもらいますわ!」
「……まさか」
アマンダの顔が、わずかに引きつった。
「(ブオオオオオン!)」
屋敷の裏庭から、地響きのような雄叫びが聞こえた。
---
数時間後。王都の目抜き通り。
「わあ! 見てくださいまし、アマンダ! 焼きたてのパンですわ!」
地味な町娘の服(ただし最高級のシルク製)に着替えたナーナリアが、目を輝かせる。
「お嬢様、声が大きいです。あと、あまりキョロキョロなさいますな」
アマンダもまた、地味な侍女服(ただし最高級の(略))姿だ。
「だって、こんなに活気があるなんて!」
「いつも馬車の上から眺めていらっしゃったでしょう」
「上から見るのと、この匂いと喧騒を肌で感じるのは違いますわ!」
ナーナリアが、パン屋の匂いに引き寄せられようとした、その時。
「(グルルルル……!)」
ナーナリアの隣を歩く「それ」が、低い唸り声を上げた。
「それ」は、ナーナリアの腰の高さをゆうに超える。
黒曜石のような毛並み。
燃えるような三つの赤い目。
そして、首にはご丁寧に「ケル☆」と書かれた可愛らしい首輪。
ナーナリアの愛犬(?)、魔犬ケルベロス(推定・生後六ヶ月)である。
「こら、ケルベロス。よだれを垂らしてはいけませんわ」
「(クウン……)」
ケルベロスが、しょんぼりと三つの頭を垂れる。
「ああっ! お嬢様! だから言ったのです! ケルベロス様を連れてくるのは無茶だと!」
アマンダが、周囲の悲鳴に頭を抱えた。
「な、なんだあの魔物は!」
「ひいっ! 冥府の番犬だ!」
「逃げろー!」
「あらあら。皆様、お元気ですこと」
「お嬢様! 『お元気ですこと』ではございません! パニックでございます!」
「失礼ですわね! ケルベロスはこんなに可愛いのに!」
ナーナリアが、ケルベロスの一番真ん中の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「(ゴロゴロゴロ……)」
「犬(?)が喉を鳴らしたぞ……!」
「とにかく! アマンダ! まずはあそこのクレープ屋へ!」
「この状況でですか!?」
「ケルベロス! 『おすわり』!」
「(ドンッ!)」
ケルベロスが、三つの頭をかしげながら「おすわり」をすると、石畳が軽く揺れた。
「よし、いい子ですわ! さあ、クレープですわ!」
ナーナリアが、ケルベロス(という名の地獄の番犬)を引き連れて、クレープ屋の行列に並ぼうとした、その時。
「待て! 止まれ!」
甲高い声と共に、数名の衛兵が駆けつけた。
「市民からの通報だ! 危険な魔獣を連れている者がいると!」
「危険な魔獣? どこですの?」
ナーナリアが、きょとんとしてあたりを見回す。
「貴様だ! その黒い……三つ頭の……狼(?)は!」
衛兵の一人が、震える槍をケルベロスに向ける。
「(グルルルウウウウ!)」
ケルベロスが、槍の先を睨みつけ、牙を剥いた。
「ひいっ!」
「こら、ケルベロス。『お手』」
「(え? いま?)」という顔で、ケルベロスがナーナリアを見上げる。
「あら、違いましたわ。『伏せ』ですわ」
「……お嬢様。遊んでいる場合では」
「遊んでませんわ! この子がいかに安全か、証明しているのです!」
「貴様! 問答無用だ! その魔獣を今すぐ……!」
衛兵が、槍を構え直した。
「失礼な!」
ナーナリアが、一歩前に出る。
「この子はケルベロス! わたくしの大切な家族ですわ!」
「魔獣を家族だと!? 気でも狂ったか!」
「この子は魔獣ではありません! 『愛犬』ですわ!」
「どこに三つ頭の犬がいる!」
「ここにいますわ!」
「問答無用! 捕らえよ!」
衛兵たちが、一斉に飛びかかろうとした、その時。
「(ブオオオオオオオオオオオオン!!!)」
ケルベロスが、天に向かって盛大な遠吠えを上げた。
ビリビリと空気が震え、近くの店の窓ガラスが数枚割れる。
「「「(((……総員、退避!!!)))」」」
衛兵たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「……あら。行ってしまいましたわ」
ナーナリアは、肩をすくめた。
「皆様、お騒がせしましたわね。ケルベロス、もう大丈夫よ」
「(クウン……)」
しょんぼりするケルベロス。
「……お嬢様」
「何ですの、アマンダ」
「……とりあえず、クレープは諦めて、裏路地のジェラート屋にいたしましょう」
「それがよろしいですわね」
こうして、ナーナリアの「自由の第一歩」は、王都の衛兵たちに、消えないトラウマを植え付ける結果となった。
「それにしても、ひどいですわ。『猛犬』だなんて」
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