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番外編6
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このヴァレンティン公爵家に、わたくし、マーサが仕え始めてから、もう四十年以上の月日が経ちます。先代の公爵様からお仕えし、レオン様とアンテル様、お二人の坊っちゃまの成長を、ずっと見守ってまいりました。
かつてのこのお屋敷は、まるで冬のように、静かで、厳格な空気に満ちておりました。特に、アンテル様が家の実権を握るようになってからは、その静けさに、氷のような冷たさが加わったように思います。
もちろん、わたくしたちは存じておりました。アンテル様が、本当は誰よりも情が深く、優しいお方であることを。ですが、その優しさを隠すように纏われた氷の鎧は、あまりにも厚く、硬うございました。
このお屋敷に、本当の春が訪れることなど、もうないのかもしれない。
わたくしが、そんな風に諦めかけていた矢先、あの方がいらっしゃったのです。
伯爵令嬢、レノア様。今の公爵夫人様が。
「まあ大変!アルフレッド様が、またいらっしゃらないわ!」
若い侍女の悲鳴のような声に、わたくしは「またですかい」と、やれやれと溜息をつきました。
アルフレッド様。アンテル様とレノア様の間にお生まれになった、待望の跡取り息子。一歳になられ、最近よちよち歩きを覚えられてからというもの、このお屋敷の「小さな嵐」として、そのやんちゃぶりを遺憾なく発揮されております。
今日も、レノア様がお茶の準備で少しだけ目を離した隙に、プレイルームから脱走なされたご様子。
侍女たちが慌てふためく中、廊下の向こうから、凄まじい勢いで走ってくる影がございました。
「マーサ!アルフレッドはどこだ!」
山のような書類を放り出してきたのでしょう、普段は寸分の乱れもない髪を振り乱し、執務室から飛び出してきたのは、この家の主、アンテル様ご本人でした。
「それが、まだ……」
わたくしが言い終わる前に、アンテル様は「探すぞ!」と叫び、普段の冷静沈着な姿はどこへやら、自ら息子の名前を呼びながら廊下を走り始めました。
「アルフレッドー!パパだぞー!どこに隠れているんだ!」
その必死なお姿に、若い侍女たちは目を丸くしておりますが、わたくしたち古株の者たちは、もはや慣れたものです。
氷の公爵様。感情のない人形。
かつて旦那様を評した言葉は、今や遠い昔の物語。今の旦那様は、ただの、息子を溺愛する、少しばかり心配性な、新米の父親でしかありません。
「あらあら」と微笑みながら、わたくしは若い者たちに指示を出します。
「あなたたちは東棟を。あなたたちは厨房のほうをお願いします。旦那様のお邪魔にならないように、静かに、ですよ」
結局、アルフレッド様が見つかったのは、中庭の、あの薔薇のアーチの下でした。
わたくしがそっと様子を窺うと、アンテル様が、小さなアルフレッド様を、それはもう力強く抱きしめているところでした。
「……心配したじゃないか」
その声は、叱るというより、安堵に震えています。アルフレッド様は、父親のそんな心配などどこ吹く風、きゃっきゃと笑いながら、アンテル様のプラチナブロンドの髪を、小さな手でぐしゃぐしゃに掴んでおりました。
「こら、アルフレッド」
アンテル様はそう言いながらも、その表情は、見たこともないほどに、だらしなく緩みきっています。
そこへ、レノア様も駆けつけられました。
「まあ、こんなところに!アンテル、ごめんなさい。私としたことが……」
「いや、君のせいじゃない。俺が、もっと頑丈な柵を作らせなかったのが悪い」
そう言って、アンテル様は片腕でアルフレッド様を抱き上げたまま、もう片方の腕で、優しくレノア様の肩を抱き寄せます。
「アルフレッド、ママにも『ただいま』を言いなさい」
「まんま!」
アルフレッド様が、おぼつかない言葉でレノア様に手を伸ばし、奥様は「はい、ただいまでございます」と、その小さな手に頬ずりをする。
薔薇のアーチの下で、三人が笑い合う。それはまるで、一枚の絵画のように、温かく、幸せに満ちた光景でした。
わたくしは、柱の陰で、そっと胸の前で手を組みます。
氷のようだと呼ばれた坊っちゃまが、あんなお顔をなさるなんて。
静まり返っていたこのお屋敷に、あんなにも楽しそうな笑い声が響く日が来るなんて。
レノア様が、そして、小さなアルフレッド様が、このヴァレンティン公爵家に、本当の春を運んできてくださった。
ええ、侍女頭は、知っております。
このお屋敷の幸せが、これからもずっと、永遠に続いていくことを。
わたくしは、その幸せを、もう少しだけ、この場所で見守らせていただこうと、心に誓うのでした。
かつてのこのお屋敷は、まるで冬のように、静かで、厳格な空気に満ちておりました。特に、アンテル様が家の実権を握るようになってからは、その静けさに、氷のような冷たさが加わったように思います。
もちろん、わたくしたちは存じておりました。アンテル様が、本当は誰よりも情が深く、優しいお方であることを。ですが、その優しさを隠すように纏われた氷の鎧は、あまりにも厚く、硬うございました。
このお屋敷に、本当の春が訪れることなど、もうないのかもしれない。
わたくしが、そんな風に諦めかけていた矢先、あの方がいらっしゃったのです。
伯爵令嬢、レノア様。今の公爵夫人様が。
「まあ大変!アルフレッド様が、またいらっしゃらないわ!」
若い侍女の悲鳴のような声に、わたくしは「またですかい」と、やれやれと溜息をつきました。
アルフレッド様。アンテル様とレノア様の間にお生まれになった、待望の跡取り息子。一歳になられ、最近よちよち歩きを覚えられてからというもの、このお屋敷の「小さな嵐」として、そのやんちゃぶりを遺憾なく発揮されております。
今日も、レノア様がお茶の準備で少しだけ目を離した隙に、プレイルームから脱走なされたご様子。
侍女たちが慌てふためく中、廊下の向こうから、凄まじい勢いで走ってくる影がございました。
「マーサ!アルフレッドはどこだ!」
山のような書類を放り出してきたのでしょう、普段は寸分の乱れもない髪を振り乱し、執務室から飛び出してきたのは、この家の主、アンテル様ご本人でした。
「それが、まだ……」
わたくしが言い終わる前に、アンテル様は「探すぞ!」と叫び、普段の冷静沈着な姿はどこへやら、自ら息子の名前を呼びながら廊下を走り始めました。
「アルフレッドー!パパだぞー!どこに隠れているんだ!」
その必死なお姿に、若い侍女たちは目を丸くしておりますが、わたくしたち古株の者たちは、もはや慣れたものです。
氷の公爵様。感情のない人形。
かつて旦那様を評した言葉は、今や遠い昔の物語。今の旦那様は、ただの、息子を溺愛する、少しばかり心配性な、新米の父親でしかありません。
「あらあら」と微笑みながら、わたくしは若い者たちに指示を出します。
「あなたたちは東棟を。あなたたちは厨房のほうをお願いします。旦那様のお邪魔にならないように、静かに、ですよ」
結局、アルフレッド様が見つかったのは、中庭の、あの薔薇のアーチの下でした。
わたくしがそっと様子を窺うと、アンテル様が、小さなアルフレッド様を、それはもう力強く抱きしめているところでした。
「……心配したじゃないか」
その声は、叱るというより、安堵に震えています。アルフレッド様は、父親のそんな心配などどこ吹く風、きゃっきゃと笑いながら、アンテル様のプラチナブロンドの髪を、小さな手でぐしゃぐしゃに掴んでおりました。
「こら、アルフレッド」
アンテル様はそう言いながらも、その表情は、見たこともないほどに、だらしなく緩みきっています。
そこへ、レノア様も駆けつけられました。
「まあ、こんなところに!アンテル、ごめんなさい。私としたことが……」
「いや、君のせいじゃない。俺が、もっと頑丈な柵を作らせなかったのが悪い」
そう言って、アンテル様は片腕でアルフレッド様を抱き上げたまま、もう片方の腕で、優しくレノア様の肩を抱き寄せます。
「アルフレッド、ママにも『ただいま』を言いなさい」
「まんま!」
アルフレッド様が、おぼつかない言葉でレノア様に手を伸ばし、奥様は「はい、ただいまでございます」と、その小さな手に頬ずりをする。
薔薇のアーチの下で、三人が笑い合う。それはまるで、一枚の絵画のように、温かく、幸せに満ちた光景でした。
わたくしは、柱の陰で、そっと胸の前で手を組みます。
氷のようだと呼ばれた坊っちゃまが、あんなお顔をなさるなんて。
静まり返っていたこのお屋敷に、あんなにも楽しそうな笑い声が響く日が来るなんて。
レノア様が、そして、小さなアルフレッド様が、このヴァレンティン公爵家に、本当の春を運んできてくださった。
ええ、侍女頭は、知っております。
このお屋敷の幸せが、これからもずっと、永遠に続いていくことを。
わたくしは、その幸せを、もう少しだけ、この場所で見守らせていただこうと、心に誓うのでした。
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兄の名前と弟の名前ですね!婚約者が変わっています!
番外編までお疲れ様でした。
氷はいつか溶ける物ですね☺️
マーサさま、私も一緒に見守り隊したいです🫡
一気に読ませていただきました、ありがとうございます☺️