婚約破棄?ああ、どうぞお構いなく。

パリパリかぷちーの

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アミュレットのカフェが、奇妙な形で賑わいを見せ始めた頃。

王宮の中では、冷たくぎこちない空気が流れ始めていた。

「またですの、リリア様」

王妃教育係の老婦人は、深い溜息をついて言った。

「隣国の王家の紋章を間違えるとは……。これでは、外交の場で国の恥を晒すことになりますわ」

「ご、ごめんなさい……。覚えることが、たくさんありすぎて……」

未来の王太子妃、リリア・ブラウンは、涙を浮かべて俯いた。婚約破棄騒動から数週間。彼女を待ち受けていたのは、夢見たような甘い生活ではなく、厳しく過酷な現実だった。

歴史、政治、経済、天文学、そして複雑怪奇な貴族社会の作法。彼女がこれまで生きてきた世界とは、あまりにも次元が違った。

「アミュレット様は、これら全てを十三の頃には完璧に修めておいででしたのに」

講師が、悪気なく口にしたその名前に、リリアの肩が小さく震える。

(また、アミュレット様……!)

どうして、もういない人間の名前を出すのだろう。リリアは、唇を噛み締めた。

最初は「可憐な未来の妃殿下」とちやほやしてくれた侍女たちも、リリアの物覚えの悪さや教養のなさが露呈するにつれ、その態度は少しずつ冷たくなっていった。陰で「さすがは男爵令嬢ね」「愛らしさだけが取り柄では……」と囁かれていることも、彼女は知っている。

その日の夜、リリアはエリアス王子の部屋を訪れ、いつものように彼の胸で泣きじゃくった。

「うぅ……エリアス様……。わたくし、もうダメですわ。皆、わたくしを馬鹿にして……アミュレット様と比べるのです……」

「大丈夫だよ、リリア。君は何も気にすることはない」

エリアスは、優しく彼女の髪を撫でた。しかし、その声には、以前のような熱がこもっていない。

婚約破棄をした当初、彼はリリアを守ることに使命感すら覚えていた。可憐でか弱い彼女こそ、自分が守るべき存在だと信じていた。

だが、毎日のように繰り返される涙と愚痴に、彼は正直、少しうんざりし始めていた。

(また、この話か……)

ふと、エリアスの脳裏に、別の女性の姿がよぎる。

どんなに難しい学問でも、どんなに理不尽な要求でも、眉一つ動かさず完璧にこなしていた、元婚約者の姿。彼女が涙を見せたことなど、一度もなかった。感情を表に出すこともほとんどなかったが、その分、隣にいて少しも手がかからなかったのは事実だ。

(……いや、何を考えている)

エリアスは頭を振り、目の前のリリアに笑顔を向けた。

「君は君のままでいいんだ。私がついている」

その言葉に、リリアはうっとりと彼を見上げる。しかし、彼女は気づいていなかった。エリアスの瞳の奥に、ほんの一瞬、苛立ちと失望の色が浮かんだことを。

翌日、エリアスは近衛騎士たちと剣の訓練に励んでいた。

休憩中、騎士の一人が話題の店について話し始める。

「殿下はご存知ですか? 今、王都の裏路地に、妙なカフェがあると評判なのです」

「カフェだと?」

「はい。店主はとてつもない美人なのですが、恐ろしく無愛想でして。ですが、そこで出される菓子の味は、まさに天上のものだとか」

エリアスは、興味なさそうに汗を拭う。

「それで、騎士団の連中がこぞって通い詰めているのです。特に、副団長のグレイフォード殿は毎日いらっしゃるとか。皆、店主のことを『氷の女神』だなんて呼んで崇めておりまして」

「……そうか。物好きな者たちもいたものだな」

エリアスはそう言って話を打ち切ろうとした。だが、騎士は決定的な一言を付け加える。

「その『氷の女神』というのが、何を隠そう、殿下の元婚約者であらせられた、アミュレット様なのです」

ぴたり、とエリアスの動きが止まった。

「……何だと?」

「ですから、アミュレット様がそのカフェの店主を……」

「馬鹿馬鹿しい! あの女が、商人の真似事などするものか!」

エリアスは、自分でも驚くほど強い口調で否定していた。

婚約破棄された女は、屋敷で泣き暮らしているか、あるいはどこか遠くの修道院にでも入っているものだと、そう思っていた。いや、そうであってほしかったのだ。

それなのに、なんだ? カフェの店主? 騎士団の男共にちやほやされている?

エリアスのプライドが、ぐらりと揺らいだ。面白くない。全くもって、面白くなかった。

彼はその日一日、アミュレットのことが頭から離れなかった。

そして、その夜。リリアは侍女たちの噂話から、エリアスが耳にしたことと全く同じ内容を知ることになる。

さらに、エリアスが近衛騎士に「そのカフェの場所を、詳しく調べておけ」と命じていたことまで。

(エリアス様が、あの方のことを……?)

リリアの愛らしい顔から、すっと表情が消えた。彼女の胸の中で、黒く冷たい嫉妬の炎が、じりじりと燃え上がっていた。
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