婚約破棄されたので、とりあえず王太子のことは忘れます!

パリパリかぷちーの

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王都を駆け巡る、黒い噂。
その不穏な空気は、当然、王国騎士団本部にも届いていた。

「――というわけで、団長。例のポーションですが、どうにもきな臭いことになっております」

団長執務室。
副団長のダリウスが、面白がるような、それでいて探るような目で報告書を読み上げる。
その内容――『リーチュ印』のポーションにかけられた、有害性や常習性といった悪意に満ちた疑惑――を聞いても、アシュトンは表情一つ変えなかった。

「……くだらん」

アシュトンは、一言のもとにそう切り捨てた。
あのポーションが、どれほど優れたものであるか。
そして、それを作った女が、どれほど真摯に薬草と向き合っているか。
それを、誰よりも知っているのは、自分だったからだ。

「しかし、団長。噂はすでにかなりの広がりを見せています。このままでは……」

「仕掛けた人間がいるのだろう。誰の差し金だ?」

アシュトンの問いは、単刀直入だった。
ダリウスは、待ってましたとばかりに口元に笑みを浮かべる。

「さすがは団長、お見通しで。噂の発信源を辿ったところ、どうやら……王太子殿下の新しいお相手、エミリア・ベルンシュタイン嬢の取り巻き連中にたどり着きまして」

「……そうか」

アシュトンは、静かに目を伏せた。
彼の脳裏に、離宮で自分を睨みつけてきた、嫉妬に駆られた王太子の顔と、その隣で可憐な少女を演じていた令嬢の姿が浮かぶ。
卑劣なやり方だ、と腹の底で静かな怒りが燃え上がるのを感じた。

だが、彼の口から出た言葉は、どこまでも冷静だった。

「ダリウス」

「はっ」

「今すぐ、あのポーションを扱っているという商人――マルコとか言ったか。そいつをここに呼べ。それから、騎士団付きの薬剤師長もだ」

その迅速で的確な指示に、ダリウスはニヤリと笑った。
この氷の騎士が、本気になった。
これは、面白いことになる。

一時間後。
騎士団本部の応接室に呼び出された商人マルコは、哀れなほど震え上がっていた。
黒い噂のせいで店の売り上げは激減し、在庫の山を抱えて途方に暮れていたところに、騎士団からの召喚状。
もはや、死刑宣告を待つ罪人の心境だった。

「……君が、マルコか」

目の前に座る、氷の騎士団長の威圧感に、マルコは生きた心地がしない。

「は、はい! あの、ポーションの件でしたら、決してわたくしは、その……!」

「単刀直入に聞く」

アシュトンは、マルコの言い訳を遮った。

「貴店が扱う『リーチュ印のポーション』、在庫はどれくらいある?」

「へ……? 在庫、でございますか……? あと、五百本ほど……」

「そうか。では、その全てを買い上げよう。今後、あのポーションは王国騎士団の正式な御用達とする。我が騎士団が必要とする分を、優先的に納入してもらいたい」

「…………え?」

マルコは、自分の耳を疑った。
買い上げ? 御用達?
地獄の底に突き落とされると思っていたら、天国への階段が目の前に現れたような、あまりの展開に頭がついていかない。

その時、同席していた白衣の老人が、テーブルに置かれたポーションの小瓶を手に取った。
騎士団の薬剤師長だ。
彼は、中身を数滴、ガラス板に垂らすと、慣れた手つきで薬品を反応させていく。

やがて、彼は満足げに頷くと、アシュトンに向き直った。

「団長、ご報告いたします。このポーションの成分を簡易的に分析いたしましたが、噂にあるような有害な物質、及び常習性のある成分は一切含まれておりません」

そして、薬剤師長は興奮したように続けた。

「それどころか、これは……傑作ですぞ! 疲労回復に効果的な数種類の薬草が、考えうる限り最も見事な配合で調合されております! これほどのポーション、わたくしは生涯、見たことがございません!」

専門家による、最大限の賛辞。
それを聞いたアシュトンは、静かに立ち上がった。

その日の午後。
練兵場に、騎士団の全部隊が集められた。
何事かとざわめく騎士たちの前に、アシュトンが姿を現す。

彼は、一本のポーションを高く掲げると、その場にいる全員に聞こえるよう、高らかに宣言した。

「諸君に告ぐ! 本日より、この『リーチュ印のポーション』を、王国騎士団の正式な栄養補助薬として採用する!」

騎士たちの間に、どよめきが広がる。

「噂に惑わされるな! このポーションの効果と安全性は、薬剤師長が分析し、そして、この俺が保証する! これは、我々の過酷な任務を支える、確かな力となるだろう!」

団長の力強い言葉。
それは、どんな噂よりも、どんな理屈よりも、騎士たちの心を強く打った。
直ちに全員にポーションが配給され、それを飲んだ者たちから、次々と驚きの声が上がる。

「すげえ! 身体が軽い!」

「なんだこれ! さっきまでの疲れが嘘みたいだ!」

「団長、もう一本ください!」

騎士たちの間の不安は、瞬く間に熱狂へと変わった。
黒い噂は、もはや誰の記憶にも残っていない。

その日のうちに、王都には新しい情報が嵐のように吹き荒れた。

「聞いたか!? あのポーション、騎士団御用達になったらしいぞ!」

「氷の騎士団長自らが、安全性を保証したんだと!」

エミリアが丹念に作り上げた悪意の噂は、アシュトン・バレフォールという、王国で最も揺るぎない「信頼」の前に、木っ端微塵に打ち砕かれたのだった。
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