婚約破棄と追放ですか。悪役令嬢ですものね。

パリパリかぷちーの

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パーティー会場の喧騒を背に、私はたった一人で夜の闇へと足を踏み出した。

王家からの迎えの馬車はなく、クライネルト公爵家の紋章が入った馬車が、主を静かに待っていた。御者も従者も、私に視線を合わせようとはしない。まるで汚物でも見るかのような、あるいは存在しないものであるかのように、彼らは私を扱った。

揺れる馬車の中で、私は窓の外を流れる夜景を無心で眺めていた。

怒りも、悲しみも、不思議と感じなかった。心の中は、嵐が過ぎ去った後の凪いだ海のように静まり返っている。

やがて馬車は、見慣れた壮麗な公爵家の屋敷に到着した。しかし、深夜の帰宅にもかかわらず、玄関ホールには誰の姿も見えない。いつもなら侍女頭のマーサが出迎えてくれるはずなのに、そこには冷たい静寂が広がっているだけだった。

「……お父様は、書斎でお待ちです」

執事が、感情を押し殺した声でそれだけを告げた。私は頷き、慣れた足取りで屋敷の奥へと進む。

重厚なマホガニーの扉をノックすると、中から低く、不機嫌な声が響いた。

「入れ」

許可を得て書斎に入ると、そこには厳しい表情をした父、アルブレヒト・フォン・クライネルト公爵が腕を組んで立っていた。

「アール。……一体、どういうことだ」

地を這うような声だった。

「パーティーでの醜態、殿下から全て伺った。我がクライネルト家に、どれほどの泥を塗れば気が済むのだ、お前は!」

父の怒声が、静かな書斎に響き渡る。

「弁明があるなら言ってみろ!」

「……弁明は、ございません」

私は静かに答えた。

「ございません、だと? 事実無根であると、そう言わんばかりの口ぶりだな!」

「事実かどうかは、もはや重要ではございません。殿下がそう判断され、わたくしとの婚約を破棄なさった。それが全てです」

私の冷静な態度が、父の怒りの炎にさらに油を注いだようだった。

「この出来損ないが! 幼い頃から王太子妃となるべく教育を施してきたというのに! お前のその感情のない人形のようなところが、殿下のご不興を買ったのだ!」

父の言葉は、鋭い刃となって心を抉る。

昔からそうだった。私が何をしても、父が私を褒めることはなかった。常に求められるのは、クライネルト公爵家にとって有益であること。王太子妃という立場を完璧にこなすための、精巧な人形であることだけだった。

感情を見せればしたたかだと叱られ、感情を殺せば氷のようだと罵られる。

どうすれば、この人は私を認めてくれるのだろうか。そんな問いは、とうの昔に考えるのをやめていた。

「王家への申し訳が立たん。……もはや、お前を王都に置いておくわけにはいかなくなった」

父は苦々しくそう吐き捨て、最終宣告を下した。

「北の辺境にある、古い館へ行け。蟄居だ。追って最低限の荷物を送らせるが、侍女も護衛もつけん。お前はそこで、我が家の恥として静かに余生を過ごせ」

それは、貴族社会からの完全な追放を意味していた。

「……承知いたしました」

しかし、私の口から出たのは、やはり同じ言葉だった。

「その態度はなんだ! 少しは悲しむとか、許しを乞うとか、そういうものはないのか!」

「ございません。全ては、お父様のお心のままに」

私は深く一礼し、踵を返した。

これ以上ここにいても、交わす言葉など何もなかった。

書斎の扉を静かに閉め、自室へと向かう長い廊下を歩く。窓から差し込む月明かりが、私の影を床に落としていた。

ようやくたどり着いた自室の扉を開け、中に入って鍵をかける。

誰にも見られていないことを確認すると、私はゆっくりと息を吐いた。

「……終わった」

絞り出すような、安堵の声だった。

追放。蟄居。それは多くの令嬢にとって、死刑宣告にも等しい絶望だろう。

けれど、今の私にとっては違った。

王太子妃教育という名の鳥かご。クライネルト公爵令嬢という名の重い枷。

その全てから、私はようやく解放されたのだ。

窓辺に寄り空を見上げる。星が、驚くほど綺麗に輝いていた。

「これからは、自由に生きられる」

北の辺境領地。そこには、私の好きな薬草がたくさん自生していると聞く。

これまで禁じられてきた趣味に、これからは心ゆくまで没頭できる。

私の心は、追放の絶望ではなく未知なる未来への密かな期待で、静かに満たされていくのだった。
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