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私の決意は、噂となってあっという間に麓の村へと広まったらしい。
翌日の朝から、私の館の前には助けを求める村人たちが列をなすようになっていた。
「こんにちは。今日はどうされましたか?」
「それが……うちの亭主が、もう何日も咳が止まらなくて」
私は訪れる人々を一人ずつ館の中に招き入れ、症状を丁寧に聞いた。
咳、腹痛、関節の痛み、原因不明の発疹。村には医者がおらず、人々は怪しげな祈祷師か、気休め程度の薬草で耐え忍ぶしかなかったようだった。
私の知識は、そんな彼らにとってまさに蜘蛛の糸だったのだろう。
「この薬草を煎じて、一日三回飲ませてください。それから、こちらの葉は蜂蜜に漬けて、喉の痛みが強い時に舐めさせるといいでしょう」
私は症状に合わせて調合した薬草を手渡し、その使い方を丁寧に説明した。
最初は誰もが、貴族であった私に対して恐縮し、遠巻きに接していた。しかし、私が身分など気にせず、真摯に彼らの話に耳を傾けるうちに、その態度は少しずつ変わっていった。
「薬師様! 旦那の咳、すっかり良くなったよ! ありがとう!」
「これは、うちの畑で採れた芋だ。大したもんじゃないが、礼だと思って受け取ってくれ」
「お姉ちゃん、これあげる!」
小さな女の子が、野原で摘んだのであろう花束を恥ずかしそうに差し出してくる。
私は差し出された花束を受け取り、その素朴な美しさに見入った。
「……ありがとう。とても綺麗ね」
私の口から、自分でも驚くほど穏やかな声が出た。女の子は嬉しそうに笑うと、母親の元へと駆けていく。
人々から向けられる、純粋な感謝の気持ち。
見返りを求めない、温かい善意。
それは、私がこれまでの人生で一度も経験したことのないものだった。
クライネルト公爵令嬢として受けてきた称賛は、常に私の家名と立場に向けられたものだったから。
「……温かい」
胸の奥が、じんわりと温かくなるのを感じた。
そんな日々を、カイルはいつも静かに見守っていた。
彼の足の傷は順調に回復しており、今では杖をつけば館の中を自由に歩き回れるようになっていた。
彼は中庭の椅子に座り、私が村人たちとやり取りする様子を、本を読むふりをしながら眺めているのが常だった。
その日の診療が終わり、私がほっと一息ついていると、カイルが静かに声をかけてきた。
「随分と様になってきたな、薬師先生」
その声には、からかうような響きがあった。
「やめてちょうだい、そんな風に呼ぶのは。私はただ、自分の知っていることを教えているだけよ」
「そうか? だが、いい顔をするようになったと思うが」
「え……?」
カイルの言葉に、私は思わず自分の頬に手をやった。
いい顔。そんなことを言われたのは、生まれて初めてだった。
いつも「氷の令嬢」「感情のない人形」とばかり言われ続けてきたのに。
「そんなことは……ないわ」
「そうか? だが、さっき花をもらっていた時、笑っていたぞ」
「笑って……? 私が?」
信じられなかった。感情を殺すことが当たり前だった私が、笑うなんて。
「自覚がなかったのか。まあ、無理もないか」
カイルはそれだけ言うと、立ち上がって空を見上げた。
「……だが、悪くない笑顔だった」
夕日が彼の横顔を照らしている。その黒曜石のような瞳が、夕焼けの色を映して、いつもより少しだけ優しく見えた。
彼の言葉と、その眼差しに、私の心臓がとくん、と小さく跳ねた。
「……ありがとう」
私は俯きながら、消え入りそうな声で礼を言った。
カイルは何も答えなかったが、二人の間に流れる空気は、決して気まずいものではなかった。
私はこの時、確かに変わり始めていた。
凍てついていた心が、辺境の地で出会った人々の温かさに触れ、少しずつ溶かされていく。
そして、その変化に一番最初に気づいてくれたのが、隣にいるこの無愛想な男だということが、なんだか不思議で、少しだけくすぐったい気持ちになった。
翌日の朝から、私の館の前には助けを求める村人たちが列をなすようになっていた。
「こんにちは。今日はどうされましたか?」
「それが……うちの亭主が、もう何日も咳が止まらなくて」
私は訪れる人々を一人ずつ館の中に招き入れ、症状を丁寧に聞いた。
咳、腹痛、関節の痛み、原因不明の発疹。村には医者がおらず、人々は怪しげな祈祷師か、気休め程度の薬草で耐え忍ぶしかなかったようだった。
私の知識は、そんな彼らにとってまさに蜘蛛の糸だったのだろう。
「この薬草を煎じて、一日三回飲ませてください。それから、こちらの葉は蜂蜜に漬けて、喉の痛みが強い時に舐めさせるといいでしょう」
私は症状に合わせて調合した薬草を手渡し、その使い方を丁寧に説明した。
最初は誰もが、貴族であった私に対して恐縮し、遠巻きに接していた。しかし、私が身分など気にせず、真摯に彼らの話に耳を傾けるうちに、その態度は少しずつ変わっていった。
「薬師様! 旦那の咳、すっかり良くなったよ! ありがとう!」
「これは、うちの畑で採れた芋だ。大したもんじゃないが、礼だと思って受け取ってくれ」
「お姉ちゃん、これあげる!」
小さな女の子が、野原で摘んだのであろう花束を恥ずかしそうに差し出してくる。
私は差し出された花束を受け取り、その素朴な美しさに見入った。
「……ありがとう。とても綺麗ね」
私の口から、自分でも驚くほど穏やかな声が出た。女の子は嬉しそうに笑うと、母親の元へと駆けていく。
人々から向けられる、純粋な感謝の気持ち。
見返りを求めない、温かい善意。
それは、私がこれまでの人生で一度も経験したことのないものだった。
クライネルト公爵令嬢として受けてきた称賛は、常に私の家名と立場に向けられたものだったから。
「……温かい」
胸の奥が、じんわりと温かくなるのを感じた。
そんな日々を、カイルはいつも静かに見守っていた。
彼の足の傷は順調に回復しており、今では杖をつけば館の中を自由に歩き回れるようになっていた。
彼は中庭の椅子に座り、私が村人たちとやり取りする様子を、本を読むふりをしながら眺めているのが常だった。
その日の診療が終わり、私がほっと一息ついていると、カイルが静かに声をかけてきた。
「随分と様になってきたな、薬師先生」
その声には、からかうような響きがあった。
「やめてちょうだい、そんな風に呼ぶのは。私はただ、自分の知っていることを教えているだけよ」
「そうか? だが、いい顔をするようになったと思うが」
「え……?」
カイルの言葉に、私は思わず自分の頬に手をやった。
いい顔。そんなことを言われたのは、生まれて初めてだった。
いつも「氷の令嬢」「感情のない人形」とばかり言われ続けてきたのに。
「そんなことは……ないわ」
「そうか? だが、さっき花をもらっていた時、笑っていたぞ」
「笑って……? 私が?」
信じられなかった。感情を殺すことが当たり前だった私が、笑うなんて。
「自覚がなかったのか。まあ、無理もないか」
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「……だが、悪くない笑顔だった」
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私は俯きながら、消え入りそうな声で礼を言った。
カイルは何も答えなかったが、二人の間に流れる空気は、決して気まずいものではなかった。
私はこの時、確かに変わり始めていた。
凍てついていた心が、辺境の地で出会った人々の温かさに触れ、少しずつ溶かされていく。
そして、その変化に一番最初に気づいてくれたのが、隣にいるこの無愛想な男だということが、なんだか不思議で、少しだけくすぐったい気持ちになった。
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