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黒い噂が王都を駆け巡る中、王立騎士団の内部にも不穏な空気が流れ始めていた。
「……以上が、現状です」
団長執務室で、アリスティードは副官であるカインからの報告を静かに聞いていた。
「マーブル様だけでなく、団長ご自身の采配を疑問視する声も、一部の貴族派の騎士から上がり始めています。……正直、聞き捨てならないものばかりですが」
カインは、悔しそうに唇を噛む。
彼は、アリスティードという指揮官を、心から尊敬していた。だからこそ、主君が根も葉もない噂で貶められることが我慢ならないのだ。
「……団長」
カインは意を決したように、アリスティードを真っ直ぐに見つめた。
「僭越ながら、申し上げます。ここは一度、マーブル様と距離を置いた方が、よろしいのではないでしょうか。噂がこれ以上広まる前に火消しに動くべきです。団長ご自身のため、そして騎士団の名誉のためにも」
それは、副官としてのそして一人の友人としての偽らざる忠誠心から来る言葉だった。
アリスティードは、そんなカインの思いを痛いほど理解していた。
彼はゆっくりと立ち上がると、窓辺に立ち外の訓練場を眺めた。
そこでは、騎士たちが汗を流し剣を振るっている。彼らが守るべき、この国の平和と正義。そのために己がどうあるべきか。
「カイン」
「……はい」
「お前は、俺がどのような基準で物事を判断するか知っているな」
「はい。ご自身の目で見た、事実のみを」
「そうだ」
アリスティードは、ゆっくりと振り返った。そのサファイアの瞳には一切の迷いも揺らぎもない。
「俺が見た彼女が、全てだ。噂に惑わされ無実の者を貶めるのは騎士の道に反する。俺は俺自身の目で見た真実を信じる」
それは、騎士団長としてのそしてアリスティード・ヴァリエという一人の男としての揺るぎない信念の言葉だった。
「……っ!……申し訳ありません、団長!俺は、恥ずべきことを申しました!」
カインは、己の浅慮を恥じその場で深々と頭を下げた。
主君の覚悟をしかと受け取ったのだ。
一方、その頃。
マーブルは、自室で一枚の便箋を前にペンを握りしめていた。
アリスティードに会って話をしなければならない。
これ以上、自分の個人的な我儘に彼を巻き込むわけにはいかないのだ。
『秘密の取引』を、終わりにしよう。
そう決意して、マーブルは彼をいつもの待ち合わせ場所である噴水広場へと呼び出した。
約束の時刻。
夕暮れの赤い光が差し込む広場にアリスティードは寸分違わず現れた。
「……待たせたな」
「いいえ、わたくしも今来たところですわ」
いつもと同じ何気ない挨拶。
けれど、マーブルの心は鉛のように重かった。
「アリスティード様。本日は、お詫びとそしてお話があってお呼びいたしました」
マーブルは彼に向かって、深く深く頭を下げた。
「わたくしのせいで、あなた様に多大なご迷惑をおかけして本当に申し訳ありません」
「……顔を上げろ」
「ですが!」
「顔を上げろと言っている」
有無を言わさぬ、強い口調。
マーブルはおずおずと顔を上げる。彼の表情はいつもと同じ鉄仮面だった。
「噂のことなら、気にするな」
「そういうわけにはまいりません!あなたの騎士団長としてのお立場や、ご名誉がわたくしのせいで……!」
だから、とマーブルは続けようとした。
もう、会うのはやめましょう、と。
これ以上、あなたを傷つけるわけにはいかないと。
しかし、その言葉は彼の一言によって遮られた。
「俺は、君を信じている」
「……え?」
あまりにも静かで、あまりにも真っ直ぐなその言葉にマーブルは思考が止まるのを感じた。
「くだらん噂で揺らぐほど、俺の信頼は安くない。俺が信じると決めたのは俺の目で見たありのままの君だ。……それだけだ」
淡々と、しかし一言一言に彼の揺るぎない意志が込められていた。
その瞬間、マーブルの目からぽろりと一筋の涙がこぼれ落ちた。
(……ああ、この人は)
嬉しいとかありがたいとか、そんな単純な言葉では言い表せない感情が胸いっぱいに広がっていく。
これまで、誰も信じてくれなかった。
きつい目つきと、素直でない性格。それだけで、いつも誤解され悪役だと決めつけられてきた。
元婚約者であったジュリアンでさえ、最後にはクララの涙の方を信じたのだ。
それなのに。
この人は、まだ出会ってから日も浅いこのわたくしを。
世間の声ではなく、わたくし自身を見て信じると言ってくれている。
「……っ、……う……」
込み上げてくる嗚咽を、必死で堪える。
こんなところで泣くわけにはいかない。
そんなマーブルの頭に、ぽんと大きな手が置かれた。
アリスティードの無骨でけれどとても温かい手だった。
「……泣くな」
その声は、ほんの少しだけいつもの彼より優しく響いた気がした。
この人の信頼を、裏切ってはいけない。
この人のために、自分は強くならなければならない。
マーブルは、涙をぐっとこらえると濡れた瞳で彼を真っ直ぐに見上げた。
二人の間には、もう『取引』という言葉は存在しなかった。
同じ敵に立ち向かう、たった二人の共犯者。
その絆が、固く結ばれた瞬間だった。
「……以上が、現状です」
団長執務室で、アリスティードは副官であるカインからの報告を静かに聞いていた。
「マーブル様だけでなく、団長ご自身の采配を疑問視する声も、一部の貴族派の騎士から上がり始めています。……正直、聞き捨てならないものばかりですが」
カインは、悔しそうに唇を噛む。
彼は、アリスティードという指揮官を、心から尊敬していた。だからこそ、主君が根も葉もない噂で貶められることが我慢ならないのだ。
「……団長」
カインは意を決したように、アリスティードを真っ直ぐに見つめた。
「僭越ながら、申し上げます。ここは一度、マーブル様と距離を置いた方が、よろしいのではないでしょうか。噂がこれ以上広まる前に火消しに動くべきです。団長ご自身のため、そして騎士団の名誉のためにも」
それは、副官としてのそして一人の友人としての偽らざる忠誠心から来る言葉だった。
アリスティードは、そんなカインの思いを痛いほど理解していた。
彼はゆっくりと立ち上がると、窓辺に立ち外の訓練場を眺めた。
そこでは、騎士たちが汗を流し剣を振るっている。彼らが守るべき、この国の平和と正義。そのために己がどうあるべきか。
「カイン」
「……はい」
「お前は、俺がどのような基準で物事を判断するか知っているな」
「はい。ご自身の目で見た、事実のみを」
「そうだ」
アリスティードは、ゆっくりと振り返った。そのサファイアの瞳には一切の迷いも揺らぎもない。
「俺が見た彼女が、全てだ。噂に惑わされ無実の者を貶めるのは騎士の道に反する。俺は俺自身の目で見た真実を信じる」
それは、騎士団長としてのそしてアリスティード・ヴァリエという一人の男としての揺るぎない信念の言葉だった。
「……っ!……申し訳ありません、団長!俺は、恥ずべきことを申しました!」
カインは、己の浅慮を恥じその場で深々と頭を下げた。
主君の覚悟をしかと受け取ったのだ。
一方、その頃。
マーブルは、自室で一枚の便箋を前にペンを握りしめていた。
アリスティードに会って話をしなければならない。
これ以上、自分の個人的な我儘に彼を巻き込むわけにはいかないのだ。
『秘密の取引』を、終わりにしよう。
そう決意して、マーブルは彼をいつもの待ち合わせ場所である噴水広場へと呼び出した。
約束の時刻。
夕暮れの赤い光が差し込む広場にアリスティードは寸分違わず現れた。
「……待たせたな」
「いいえ、わたくしも今来たところですわ」
いつもと同じ何気ない挨拶。
けれど、マーブルの心は鉛のように重かった。
「アリスティード様。本日は、お詫びとそしてお話があってお呼びいたしました」
マーブルは彼に向かって、深く深く頭を下げた。
「わたくしのせいで、あなた様に多大なご迷惑をおかけして本当に申し訳ありません」
「……顔を上げろ」
「ですが!」
「顔を上げろと言っている」
有無を言わさぬ、強い口調。
マーブルはおずおずと顔を上げる。彼の表情はいつもと同じ鉄仮面だった。
「噂のことなら、気にするな」
「そういうわけにはまいりません!あなたの騎士団長としてのお立場や、ご名誉がわたくしのせいで……!」
だから、とマーブルは続けようとした。
もう、会うのはやめましょう、と。
これ以上、あなたを傷つけるわけにはいかないと。
しかし、その言葉は彼の一言によって遮られた。
「俺は、君を信じている」
「……え?」
あまりにも静かで、あまりにも真っ直ぐなその言葉にマーブルは思考が止まるのを感じた。
「くだらん噂で揺らぐほど、俺の信頼は安くない。俺が信じると決めたのは俺の目で見たありのままの君だ。……それだけだ」
淡々と、しかし一言一言に彼の揺るぎない意志が込められていた。
その瞬間、マーブルの目からぽろりと一筋の涙がこぼれ落ちた。
(……ああ、この人は)
嬉しいとかありがたいとか、そんな単純な言葉では言い表せない感情が胸いっぱいに広がっていく。
これまで、誰も信じてくれなかった。
きつい目つきと、素直でない性格。それだけで、いつも誤解され悪役だと決めつけられてきた。
元婚約者であったジュリアンでさえ、最後にはクララの涙の方を信じたのだ。
それなのに。
この人は、まだ出会ってから日も浅いこのわたくしを。
世間の声ではなく、わたくし自身を見て信じると言ってくれている。
「……っ、……う……」
込み上げてくる嗚咽を、必死で堪える。
こんなところで泣くわけにはいかない。
そんなマーブルの頭に、ぽんと大きな手が置かれた。
アリスティードの無骨でけれどとても温かい手だった。
「……泣くな」
その声は、ほんの少しだけいつもの彼より優しく響いた気がした。
この人の信頼を、裏切ってはいけない。
この人のために、自分は強くならなければならない。
マーブルは、涙をぐっとこらえると濡れた瞳で彼を真っ直ぐに見上げた。
二人の間には、もう『取引』という言葉は存在しなかった。
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その絆が、固く結ばれた瞬間だった。
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