16 / 28
16
しおりを挟む
季節は巡り、王宮では、建国を祝う記念の舞踏会が催されることになった。
デュクロワ公爵家に招待状が届いた日、マーブルは、少しだけ憂鬱な気分だった。
「……行きたくない、ですわね」
自室のテラスで、リリーにぽつりと本音を漏らす。
あの婚約破棄の夜会以来、マーブルが公式の社交場に顔を出すのは、これが初めてとなる。
「お気持ちは分かりますが、お嬢様。これは王家主催の舞踏会。デュクロワ公爵家が欠席するわけにはまいりません」
「分かっているわ。……でも、きっと、また好奇の目に晒されるのでしょうね。『婚約破棄された、哀れな令嬢』だって」
ため息をつくマーブルに、リリーは励ますように微笑んだ。
「いいえ、お嬢様。今の皆様の関心は、別のところにありますわ」
「別のところ?」
「はい。『氷血公爵様のお気に入り』の令嬢は、一体どんなお姿で現れるのか、と」
リリーの言葉に、マーブルは顔を赤らめる。
確かに、アリスティードのおかげで、悪質な噂は鳴りを潜めた。代わりに、今度は、彼とマーブルの関係を、興味津々に見守る者が増えたのだ。
(あの方と、わたくし……)
そんなことを考えていた矢先のことだった。
執事が、少しだけ興奮した面持ちで、マーブルの部屋を訪れたのは。
「お嬢様!き、騎士団長閣下が、お嬢様にご挨拶に、と……!」
「えっ!?」
アリスティードが、デュクロワ公爵邸を、公式に訪れた。
その事実は、マーブルだけでなく、屋敷中の使用人たちを驚かせた。
客間で、父と共にアリスティードを迎える。
彼は、いつものように、完璧な礼服に身を包んでいた。
「本日は、どういったご用件で、アリスティード殿」
父の問いに、アリスティードは、すっと立ち上がると、マーブルの方へ向き直った。
そして、その場で、騎士の最上級の礼をとってみせた。
「マーブル・デュクロワ嬢。……来る建国記念舞踏会にて、貴女のエスコート役を、この俺に務めさせてはいただけないだろうか」
その、あまりにも真っ直ぐで、誠実な申し出。
それは、彼らの関係が、もはや『秘密の取引』などではないという、社会に対する、無言の宣言だった。
マーブルは、胸がいっぱいになりながら、こくりと頷くことしかできなかった。
そして、舞踏会の当日。
マーブルは、深紫色の、夜空を思わせるドレスに身を包んでいた。
銀の髪に映える、アメジストの髪飾り。化粧は薄く、だが、それがかえって彼女の凜とした美しさを引き立てている。
「……綺麗だ」
迎えに来たアリスティードが、マーブルの姿を見て、ぽつりと呟いた。
その率直な褒め言葉に、マーブルの心臓は、またしても大きく跳ねる。
「あなたこそ、素敵ですわ」
彼の、白銀を基調とした、騎士団長の正装。
それは、これまで見たどんな姿よりも、彼の気高さを際立たせていた。
二人は腕を組み、王宮のボールルームへと向かう。
その扉が開かれ、二人の姿が、ホールに現れた瞬間。
わあ、という、大きなどよめきと共に、会場の全ての視線が、彼らへと突き刺さった。
誰もが、息を呑んでいた。
『悪役令嬢』と呼ばれた公爵令嬢と、『氷血公爵』と畏怖される騎士団長。
その二人が並び立つ姿は、見る者を圧倒するほどの、神々しいまでの美しさと、気品に満ち溢れていたのだ。
その光景を、玉座の近くから、苦々しい表情で見つめる二つの影があった。
ジュリアン王子と、クララだ。
(……なんだ、あいつは)
ジュリアンの目に映るマーブルは、彼が知っている、いつも不機嫌そうに黙り込んでいる女ではなかった。
背筋をすっと伸ばし、アリスティードの隣で、自信に満ちた穏やかな笑みを浮かべている。
その輝くような美しさに、ジュリアンは、初めて、自分が手放したものの大きさを、はっきりと突きつけられた気がした。
隣に立つクララの、けばけばしいドレスや宝石が、ひどく安っぽく見えてしまう。
(許せない……!許せない許せない許せない!)
クララの心中は、嫉妬の炎で、燃え盛っていた。
自分が主役のはずの舞台で、自分以上に注目を浴びる女がいる。しかも、それが、自分が蹴落としたはずの、マーブル・デュクロワだという事実が彼女のプライドをずたずたに引き裂いた。
やがて、ワルツの最初の曲が流れ始める。
アリスティードは、マーブルをダンスの輪へと優雅に導いた。
「皆様、こちらを見ていますわね」
踊りながら、マーブルが少しだけ不安そうに囁く。
「気にするな。堂々としていればいい。君は、何も恥じることはないのだから」
アリスティードの力強い言葉と、しっかりと支えてくれる腕がマーブルの不安をすっと溶かしていく。
もう、何も怖くはない。
この人が、隣にいてくれるのだから。
マーブルは、心からの笑みを浮かべた。
その幸せそうな二人の姿はその夜の舞踏会で誰よりも輝いて見えた。
だが、彼らはまだ知らない。
その輝きが強ければ強いほど、濃くなる影があることを。
そして、その影の中で一人の少女が嵐を呼ぶための新たなそしてより悪質な罠を巡らせ始めていることを。
輝かしい夜は、次なる悲劇のほんの序章に過ぎなかったのだ。
デュクロワ公爵家に招待状が届いた日、マーブルは、少しだけ憂鬱な気分だった。
「……行きたくない、ですわね」
自室のテラスで、リリーにぽつりと本音を漏らす。
あの婚約破棄の夜会以来、マーブルが公式の社交場に顔を出すのは、これが初めてとなる。
「お気持ちは分かりますが、お嬢様。これは王家主催の舞踏会。デュクロワ公爵家が欠席するわけにはまいりません」
「分かっているわ。……でも、きっと、また好奇の目に晒されるのでしょうね。『婚約破棄された、哀れな令嬢』だって」
ため息をつくマーブルに、リリーは励ますように微笑んだ。
「いいえ、お嬢様。今の皆様の関心は、別のところにありますわ」
「別のところ?」
「はい。『氷血公爵様のお気に入り』の令嬢は、一体どんなお姿で現れるのか、と」
リリーの言葉に、マーブルは顔を赤らめる。
確かに、アリスティードのおかげで、悪質な噂は鳴りを潜めた。代わりに、今度は、彼とマーブルの関係を、興味津々に見守る者が増えたのだ。
(あの方と、わたくし……)
そんなことを考えていた矢先のことだった。
執事が、少しだけ興奮した面持ちで、マーブルの部屋を訪れたのは。
「お嬢様!き、騎士団長閣下が、お嬢様にご挨拶に、と……!」
「えっ!?」
アリスティードが、デュクロワ公爵邸を、公式に訪れた。
その事実は、マーブルだけでなく、屋敷中の使用人たちを驚かせた。
客間で、父と共にアリスティードを迎える。
彼は、いつものように、完璧な礼服に身を包んでいた。
「本日は、どういったご用件で、アリスティード殿」
父の問いに、アリスティードは、すっと立ち上がると、マーブルの方へ向き直った。
そして、その場で、騎士の最上級の礼をとってみせた。
「マーブル・デュクロワ嬢。……来る建国記念舞踏会にて、貴女のエスコート役を、この俺に務めさせてはいただけないだろうか」
その、あまりにも真っ直ぐで、誠実な申し出。
それは、彼らの関係が、もはや『秘密の取引』などではないという、社会に対する、無言の宣言だった。
マーブルは、胸がいっぱいになりながら、こくりと頷くことしかできなかった。
そして、舞踏会の当日。
マーブルは、深紫色の、夜空を思わせるドレスに身を包んでいた。
銀の髪に映える、アメジストの髪飾り。化粧は薄く、だが、それがかえって彼女の凜とした美しさを引き立てている。
「……綺麗だ」
迎えに来たアリスティードが、マーブルの姿を見て、ぽつりと呟いた。
その率直な褒め言葉に、マーブルの心臓は、またしても大きく跳ねる。
「あなたこそ、素敵ですわ」
彼の、白銀を基調とした、騎士団長の正装。
それは、これまで見たどんな姿よりも、彼の気高さを際立たせていた。
二人は腕を組み、王宮のボールルームへと向かう。
その扉が開かれ、二人の姿が、ホールに現れた瞬間。
わあ、という、大きなどよめきと共に、会場の全ての視線が、彼らへと突き刺さった。
誰もが、息を呑んでいた。
『悪役令嬢』と呼ばれた公爵令嬢と、『氷血公爵』と畏怖される騎士団長。
その二人が並び立つ姿は、見る者を圧倒するほどの、神々しいまでの美しさと、気品に満ち溢れていたのだ。
その光景を、玉座の近くから、苦々しい表情で見つめる二つの影があった。
ジュリアン王子と、クララだ。
(……なんだ、あいつは)
ジュリアンの目に映るマーブルは、彼が知っている、いつも不機嫌そうに黙り込んでいる女ではなかった。
背筋をすっと伸ばし、アリスティードの隣で、自信に満ちた穏やかな笑みを浮かべている。
その輝くような美しさに、ジュリアンは、初めて、自分が手放したものの大きさを、はっきりと突きつけられた気がした。
隣に立つクララの、けばけばしいドレスや宝石が、ひどく安っぽく見えてしまう。
(許せない……!許せない許せない許せない!)
クララの心中は、嫉妬の炎で、燃え盛っていた。
自分が主役のはずの舞台で、自分以上に注目を浴びる女がいる。しかも、それが、自分が蹴落としたはずの、マーブル・デュクロワだという事実が彼女のプライドをずたずたに引き裂いた。
やがて、ワルツの最初の曲が流れ始める。
アリスティードは、マーブルをダンスの輪へと優雅に導いた。
「皆様、こちらを見ていますわね」
踊りながら、マーブルが少しだけ不安そうに囁く。
「気にするな。堂々としていればいい。君は、何も恥じることはないのだから」
アリスティードの力強い言葉と、しっかりと支えてくれる腕がマーブルの不安をすっと溶かしていく。
もう、何も怖くはない。
この人が、隣にいてくれるのだから。
マーブルは、心からの笑みを浮かべた。
その幸せそうな二人の姿はその夜の舞踏会で誰よりも輝いて見えた。
だが、彼らはまだ知らない。
その輝きが強ければ強いほど、濃くなる影があることを。
そして、その影の中で一人の少女が嵐を呼ぶための新たなそしてより悪質な罠を巡らせ始めていることを。
輝かしい夜は、次なる悲劇のほんの序章に過ぎなかったのだ。
476
あなたにおすすめの小説
公爵家の家政を10年回した私が出ていったら、3ヶ月で領地が破綻しました
歩人
ファンタジー
エレナは公爵家に嫁いで10年、夫は愛人に入れ込み、義母には「家政婦代わり」と
罵られた。だが領地の財務も、商会との交渉も、使用人の管理も、全部エレナが
やっていた。ある日、義母から「あなたの代わりなんていくらでもいる」と言われ、
エレナは静かに離縁届を出した。「では、代わりの方にお任せください」
辺境の町で小さな商会を開いたエレナ。10年間の実務経験は伊達ではなかった。
商会はたちまち繁盛する。一方、エレナがいなくなった公爵家は3ヶ月で経営破綻。
元夫が「戻ってこい」と泣きつくが——
「お断りです。あと、10年分の未払い給金を請求いたしますね」
婚約破棄されたけど、どうして王子が泣きながら戻ってくるんですか?
ほーみ
恋愛
「――よって、リリアーヌ・アルフェン嬢との婚約は、ここに破棄とする!」
華やかな夜会の真っ最中。
王子の口から堂々と告げられたその言葉に、場は静まり返った。
「……あ、そうなんですね」
私はにこやかにワイングラスを口元に運ぶ。周囲の貴族たちがどよめく中、口をぽかんと開けたままの王子に、私は笑顔でさらに一言添えた。
「で? 次のご予定は?」
「……は?」
婚約破棄されたので、前世の知識で無双しますね?
ほーみ
恋愛
「……よって、君との婚約は破棄させてもらう!」
華やかな舞踏会の最中、婚約者である王太子アルベルト様が高らかに宣言した。
目の前には、涙ぐみながら私を見つめる金髪碧眼の美しい令嬢。確か侯爵家の三女、リリア・フォン・クラウゼルだったかしら。
──あら、デジャヴ?
「……なるほど」
私を見下していた婚約者が破滅する未来が見えましたので、静かに離縁いたします
ほーみ
恋愛
その日、私は十六歳の誕生日を迎えた。
そして目を覚ました瞬間――未来の記憶を手に入れていた。
冷たい床に倒れ込んでいる私の姿。
誰にも手を差し伸べられることなく、泥水をすするように生きる未来。
それだけなら、まだ耐えられたかもしれない。
だが、彼の言葉は、決定的だった。
「――君のような役立たずが、僕の婚約者だったことが恥ずかしい」
悪役令嬢ですが、今日も元婚約者とヒロインにざまぁされました(なお、全員私を溺愛しています)
ほーみ
恋愛
「レティシア・エルフォード! お前との婚約は破棄する!」
王太子アレクシス・ヴォルフェンがそう宣言した瞬間、広間はざわめいた。私は静かに紅茶を口にしながら、その言葉を聞き流す。どうやら、今日もまた「ざまぁ」される日らしい。
ここは王宮の舞踏会場。華やかな装飾と甘い香りが漂う中、私はまたしても断罪劇の主役に据えられていた。目の前では、王太子が優雅に微笑みながら、私に婚約破棄を突きつけている。その隣には、栗色の髪をふわりと揺らした少女――リリア・エヴァンスが涙ぐんでいた。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
「身分が違う」って言ったのはそっちでしょ?今さら泣いても遅いです
ほーみ
恋愛
「お前のような平民と、未来を共にできるわけがない」
その言葉を最後に、彼は私を冷たく突き放した。
──王都の学園で、私は彼と出会った。
彼の名はレオン・ハイゼル。王国の名門貴族家の嫡男であり、次期宰相候補とまで呼ばれる才子。
貧しい出自ながら奨学生として入学した私・リリアは、最初こそ彼に軽んじられていた。けれど成績で彼を追い抜き、共に課題をこなすうちに、いつしか惹かれ合うようになったのだ。
婚約破棄?はい、どうぞお好きに!悪役令嬢は忙しいんです
ほーみ
恋愛
王国アスティリア最大の劇場──もとい、王立学園の大講堂にて。
本日上演されるのは、わたくしリリアーナ・ヴァレンティアを断罪する、王太子殿下主催の茶番劇である。
壇上には、舞台の主役を気取った王太子アレクシス。その隣には、純白のドレスをひらつかせた侯爵令嬢エリーナ。
そして観客席には、好奇心で目を輝かせる学生たち。ざわめき、ひそひそ声、侮蔑の視線。
ふふ……完璧な舞台準備ね。
「リリアーナ・ヴァレンティア! そなたの悪行はすでに暴かれた!」
王太子の声が響く。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる