婚約破棄されたので、心置きなく殿下×騎士を推します!

パリパリかぷちーの

文字の大きさ
8 / 28

8

しおりを挟む
ガタゴトと車輪が石畳を転がる音が、心地よいリズムを刻んでいる。

王都を出発して数時間。

私たち一行は、国境の砦を目指して街道を進んでいた。

「……おい、アイビー。口元が緩んでいるぞ」

向かいの席から、呆れ声が飛んでくる。

声の主は、同乗しているキース閣下だ。

「失礼しました閣下。あまりに尊い光景が目の前に広がっているもので」

私は窓の外を指差した。

私たちの馬車のすぐ横を、二頭の馬が並走している。

白馬に跨るエリック殿下と、黒馬を駆るルーカス様だ。

「見てください、あの身長差。そして風になびくマントの対比。殿下が何か話しかけて、ルーカス様が少しだけ首を傾けて答える……この一連の動作だけで、短編が三本は書けます」

「……仕事中だ。窓に張り付いてヨダレを垂らすな」

キース閣下はピシャリと言って、手に持っていた書類で私の視界を遮った。

「むぅ……ケチ」

私は大人しく座り直した。

今回の旅の表向きは「王太子の視察」だが、私と閣下にとっては「囮作戦」の遂行中である。

(まあ、今のところ襲撃の気配はないし、平和なものですけどね)

そうこうしているうちに、馬車が速度を緩めた。

「休憩だ。少し足を伸ばすといい」

閣下の合図で、一行は街道沿いの木陰で休息を取ることになった。

私は馬車を降り、凝り固まった体を伸ばす。

「ふぅーっ! 空気が美味しい!」

「アイビー」

背後から声をかけられた。

振り返ると、そこにはなんとエリック殿下が立っていた。

しかも、なぜかお一人で。

「……殿下? どうされましたか?」

私は周囲を見渡す。

いつも影のように寄り添っているルーカス様の姿がない。

「ルーカスなら、馬の蹄鉄を確認しに行かせた。……少し、君と二人で話がしたくてね」

「私と……ですか?」

嫌な予感がする。

元婚約者に二人きりで呼び出されるシチュエーション。

通常なら「復縁の申し込み」か「更なる断罪」の二択だ。

だが、殿下の表情は深刻そうに沈んでいる。

「……少し、場所を変えよう」

殿下は私を連れて、人目のつかない林の奥へと進んだ。

(えっ、何これ。もしかして愛の告白? いやいや、まさか)

適当な切り株に腰を下ろすと、殿下は重たい口を開いた。

「実は……悩みがあるんだ」

「悩み、ですか」

「ミシェルのことだ」

あー、そっちか。

私は内心ホッとしつつ、同時に興味が湧いた。

「ミシェル様がどうかされましたか?」

「最近、彼女の様子がおかしいんだ」

殿下は眉を寄せて語り出した。

「以前は『殿下、素敵です!』と純粋な目で僕を見てくれていた。だが、最近は……何というか、視線がいやらしい」

「いやらしい?」

「ああ。僕が執務をしていると、背後からじっと見つめてくる。しかも、僕の顔ではなく、うなじや腰のあたりを」

(グッジョブ、ミシェル様!)

私は心の中でガッツポーズをした。

私の教育的指導(第7話参照)が、着実に成果を上げているようだ。

「それに、独り言も増えた。『尊い……』とか『これが公式……』とか、意味の分からない呪文を呟いている。……アイビー、君は女同士だ。何か心当たりはないか?」

「そうですねぇ……」

私は顎に手を当てて、もっともらしい顔を作った。

「それは、ミシェル様が殿下の『新たな魅力』に気づかれたからではないでしょうか」

「新たな魅力?」

「ええ。今までのような『王子様』という記号ではなく、殿下という人間そのものの……肉体的な美しさや、儚さに惹かれているのです」

「は、儚さ……? 僕がか?」

殿下は自分の鍛え上げられた腕を見て首を傾げる。

「ええ、そうですとも。そしてここからが重要です、殿下」

私は一歩踏み出した。

ここだ。

ここで私の誘導尋問(アドバイス)をねじ込むチャンスだ。

「ミシェル様が不安に思われているのは、殿下の心が『誰に向いているか』ということです」

「誰って……ミシェルに決まっているだろう」

「本当にそうですか? 殿下には、ミシェル様よりも長く、深く時間を共有している相手がいらっしゃるではありませんか」

「……? 誰のことだ?」

鈍い。

この鈍感さこそが、エリック殿下の罪であり魅力だ。

私は指を一本立てて、ゆっくりと告げた。

「ルーカス様ですよ」

「ルーカス? あいつは幼馴染で、従者だぞ。比較対象になるわけがない」

「そこです! その『当たり前すぎて意識もしない』という関係性こそが、ミシェル様を不安にさせているのです!」

私は熱弁を振るう。

「ミシェル様は感じているのです。殿下とルーカス様の間にある、入り込む隙のない絆を。だからこそ、殿下を観察し、その関係性を必死に理解しようとしているのです(腐った意味で)」

「……そうだったのか」

殿下は目から鱗が落ちたような顔をした。

「僕は、ミシェルを不安にさせていたのか……」

「はい。ですから殿下、解決策は一つです」

「教えてくれ、アイビー! どうすればいい!?」

殿下が私の肩を掴む。

その必死な顔。

ああ、なんて可愛い受け顔だろうか。

私はニッコリと微笑んで、悪魔の囁きを吹き込んだ。

「もっと、ルーカス様を頼ってください」

「え?」

「ミシェル様の前で、ルーカス様との仲の良さを見せつけるのです。『僕たちには隠し事なんてない』『僕の全てをルーカスは知っている』とアピールすることで、逆にミシェル様を安心させるのです!」

「なるほど……!」

殿下がポンと手を打つ。

「あえて絆を強調することで、ミシェルの疑念を晴らすわけか! さすがアイビー、元婚約者だけあって僕の扱いがうまいな!」

「お役に立てて光栄ですわ(違う、そうじゃないけど結果オーライ)」

完全に論理が破綻しているが、殿下は納得してくれたようだ。

これで今後、殿下からルーカス様へのスキンシップが増えることは間違いない。

私の眼福ライフが捗るというものだ。

「ありがとう、アイビー。少し気が楽になったよ」

爽やかな笑顔を見せる殿下。

その時だった。

ガサッ。

茂みの向こうから音がした。

「誰だ!?」

殿下が鋭く反応し、剣の柄に手をかける。

現れたのは、蹄鉄の確認を終えたルーカス様……ではなく。

「……お取込み中、失礼する」

氷点下の視線を携えた、キース閣下だった。

「兄上!? なぜここに……?」

殿下が驚愕の声を上げる。

キース閣下は、私と殿下の距離(かなり近い)を一瞥し、不機嫌そうに眉をひそめた。

「休憩時間が終わるぞ、エリック。それに、元婚約者と二人きりで密会とは感心しないな。ミシェル嬢がまた泣くぞ」

「あ、いや、これは相談に乗ってもらっていただけで……」

「相談? アイビーにか?」

閣下の視線が私に向けられる。

『また余計なことを吹き込んだな』という無言の圧力が凄い。

私はサッと目を逸らした。

「そ、それでは私は失礼いたします! 殿下、アドバイスをお忘れなく!」

「ああ、助かったよ!」

私は逃げるようにその場を去った。

背後で、キース閣下が殿下に何か小言を言っているのが聞こえる。

馬車に戻ると、私は座席に倒れ込んで足をバタバタさせた。

「聞いた!? 聞いた今の会話!? ……あ、誰もいなかったわ」

独り言だ。

しかし、興奮は収まらない。

(これで殿下は『積極的受け』へとジョブチェンジするはず! 次の展開が楽しみすぎるわ!)

ニヤニヤが止まらない私の元へ、しばらくしてキース閣下が戻ってきた。

ドカッと対面の席に座るなり、彼は深い溜息をついた。

「……おい、アイビー」

「は、はい!」

「お前、エリックに何を言った」

「えっと……円満な人間関係の秘訣を少々」

「……嘘をつけ」

閣下はジロリと私を睨んだが、それ以上追及はしなかった。

その代わり、ポツリと漏らした。

「エリックが戻るなり、ルーカスの肩に手を回して『今日の夕食は僕の分も食べてくれ』などと言い出したぞ。ルーカスが困惑して固まっていた」

「ブフォッ!!!!」

仕事が早い!

さすが殿下、素直すぎる!

「……お前の差し金だな」

「ぐふふ……想像しただけで白飯がいけます……」

「気持ち悪い笑い方をするな」

キース閣下は呆れつつも、どこか楽しげに口元を緩めた。

「まあいい。エリックが精神的に安定するなら、多少の奇行には目を瞑ろう。……だが」

閣下は身を乗り出し、私の額を指で弾いた。

「痛っ!」

「あまり調子に乗るなよ。……お前がエリックと二人きりでいるのを見て、少し……不愉快だった」

「へ?」

私はおでこを押さえて、閣下を見た。

不愉快?

それは、弟の貞操を心配して?

それとも、任務に集中していないことへの叱責?

閣下はフンと顔を背けてしまった。

窓の外を見つめるその横顔が、心なしか拗ねているように見えたのは、私の都合の良い妄想だろうか。

「……さあ、出発するぞ。目的地まであと少しだ」

馬車が再び動き出す。

私の「推し活」と、閣下の「害虫駆除」。

そして、ほんの少しの「恋の予感(?)」を乗せて、旅は続く。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係

紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。 顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。 ※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)

悪役令嬢まさかの『家出』

にとこん。
恋愛
王国の侯爵令嬢ルゥナ=フェリシェは、些細なすれ違いから突発的に家出をする。本人にとっては軽いお散歩のつもりだったが、方向音痴の彼女はそのまま隣国の帝国に迷い込み、なぜか牢獄に収監される羽目に。しかし無自覚な怪力と天然ぶりで脱獄してしまい、道に迷うたびに騒動を巻き起こす。 一方、婚約破棄を告げようとした王子レオニスは、当日にルゥナが失踪したことで騒然。王宮も侯爵家も大混乱となり、レオニス自身が捜索に出るが、恐らく最後まで彼女とは一度も出会えない。 ルゥナは道に迷っただけなのに、なぜか人助けを繰り返し、帝国の各地で英雄視されていく。そして気づけば彼女を慕う男たちが集まり始め、逆ハーレムの中心に。だが本人は一切自覚がなく、むしろ全員の好意に対して煙たがっている。 帰るつもりもなく、目的もなく、ただ好奇心のままに彷徨う“無害で最強な天然令嬢”による、帝国大騒動ギャグ恋愛コメディ、ここに開幕!

婚約破棄寸前だった令嬢が殺されかけて眠り姫となり意識を取り戻したら世界が変わっていた話

ひよこ麺
恋愛
シルビア・ベアトリス侯爵令嬢は何もかも完璧なご令嬢だった。婚約者であるリベリオンとの関係を除いては。 リベリオンは公爵家の嫡男で完璧だけれどとても冷たい人だった。それでも彼の幼馴染みで病弱な男爵令嬢のリリアにはとても優しくしていた。 婚約者のシルビアには笑顔ひとつ向けてくれないのに。 どんなに尽くしても努力しても完璧な立ち振る舞いをしても振り返らないリベリオンに疲れてしまったシルビア。その日も舞踏会でエスコートだけしてリリアと居なくなってしまったリベリオンを見ているのが悲しくなりテラスでひとり夜風に当たっていたところ、いきなり何者かに後ろから押されて転落してしまう。 死は免れたが、テラスから転落した際に頭を強く打ったシルビアはそのまま意識を失い、昏睡状態となってしまう。それから3年の月日が流れ、目覚めたシルビアを取り巻く世界は変っていて…… ※正常な人があまりいない話です。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

次代の希望 愛されなかった王太子妃の愛

Rj
恋愛
王子様と出会い結婚したグレイス侯爵令嬢はおとぎ話のように「幸せにくらしましたとさ」という結末を迎えられなかった。愛し合っていると思っていたアーサー王太子から結婚式の二日前に愛していないといわれ、表向きは仲睦まじい王太子夫妻だったがアーサーにはグレイス以外に愛する人がいた。次代の希望とよばれた王太子妃の物語。 全十二話。(全十一話で投稿したものに一話加えました。2/6変更)

頑張らない政略結婚

ひろか
恋愛
「これは政略結婚だ。私は君を愛することはないし、触れる気もない」 結婚式の直前、夫となるセルシオ様からの言葉です。 好きにしろと、君も愛人をつくれと。君も、もって言いましたわ。 ええ、好きにしますわ、私も愛する人を想い続けますわ! 五話完結、毎日更新

記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~

Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。 走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。

冷遇妃マリアベルの監視報告書

Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。 第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。 そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。 王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。 (小説家になろう様にも投稿しています)

処理中です...