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王都、王宮の一室。エドワード王子は、山と積まれた執務書類を前に、深いため息をついていた。
「殿下、次はこちらの陳情書に目を通していただけますか?」
「……ああ、そこに置いておけ」
側近の言葉にも、気のない返事しかできない。最近、どうにも集中力が続かないのだ。原因は、分かっている。
「エドワード様!見てくださいまし!この新しいドレス、わたくしに似合うと思いませんこと?」
執務室の扉が、ノックもなしに開かれる。現れたのは、蝶のように着飾ったセラフィナだった。彼女は、王子の都合などお構いなしに、くるくるとその場で回って見せる。
「どうです?素敵でしょう?これに合わせる、新しい首飾りが欲しいのですけれど……」
「セラフィナ。今、私は仕事中だ」
「まあ、堅いことをおっしゃらないで。少しくらい、よろしいではございませんか」
甘えた声で擦り寄ってくるセラフィナに、エドワードは以前なら感じたはずの愛おしさを、今はもう感じることができなかった。むしろ、その甲高い声が、ひどく耳障りにさえ思える。
そんな時、宰相が一体の報告書を手に、部屋に入ってきた。
「殿下、北のヴァインベルク領より、定期報告が届いております」
「北から?……何か、変わったことでもあったか」
「は。それが、先日発生したという、大規模な獣害についてなのですが……」
宰相が読み上げる報告書の内容に、エドワードは耳を疑った。
「……何だと?リーファ嬢が、自ら森へ調査に?そして、帝国騎士団長と協力し、獣を討伐することなく、共存の道を探り当て、解決した、だと……?」
報告書は、リーファの的確な判断力と、領民を思う行動力、そして、見事なリーダーシップを、最大級の賛辞で称えていた。
エドワードは、呆然としていた。彼が思い描いていたリーファの姿は、婚約破棄のショックで領地に引きこもり、毎日泣いて暮らしているという、哀れな令嬢の姿だった。
だが、現実はどうだ。彼女は、自分がいない場所で、自分の知らないうちに、領主として立派にその役目を果たし、民からの信頼まで得ている。
その報告を聞いていたセラフィナが、不満げに唇を尖らせた。
「まあ、ずいぶんとお元気ですのね、リーファ様は。わたくし、てっきり、悲しみに暮れていらっしゃるものだとばかり……」
その言葉が、エドワードの心の何かに、火をつけた。
「……黙れ、セラフィナ」
「えっ……?」
「君は、リーファの爪の垢でも煎じて飲むがいい。彼女は、領民のために、たった一人で困難に立ち向かっている。それに比べて君は、毎日ドレスや宝石のことばかりではないか!」
思わず、口をついて出た本音。エドワード自身も、驚いていた。
セラフィナは、信じられないといった顔で目を見開き、やがてその瞳に、みるみるうちに涙を溜め始めた。
「ひ、酷いですわ、エドワード様!わたくしがあの方に、どれだけ酷い仕打ちをされたか、お忘れになりましたの!?それなのに、あの方の味方をなさるなんて……!」
「……本当に、そうなのか?」
「え?」
「リーファが、本当に君に嫌がらせをしたのか?この報告書を読む限り、彼女が、そのような卑劣な真似をする人間だとは、到底思えん」
そうだ。リーファは、常に誇り高く、公明正大だった。人の陰口を叩いたり、誰かを陥れたりするような真似は、彼女が最も嫌うことだったはずだ。
それに比べて、目の前で泣きじゃくるこの女はどうだ。
涙を武器に、自分に都合の悪いことから目を背けさせ、ただひたすらに甘い言葉と庇護を求めるだけ。
(……私は、本当に、この女を愛しているのだろうか)
初めて、エドワードの心に、根本的な疑問が浮かんだ。
「もう、エドワード様なんて、知りませんわ!」
泣きながら部屋を飛び出していくセラフィナを、彼は追いかけようともしなかった。
一人残された執務室で、エドワードは宰相が置いていった報告書をもう一度手に取る。そこには、自分が知らなかった一人の強く賢明な女性の姿が生き生きと描かれていた。
かつて、彼女の完璧さを「心がない」と断じたのは、自分自身だった。だが、それは間違いだったのかもしれない。
あれは、冷たさなどではなかった。ただ、ひたすらに気高く自立していただけなのだ。自分に媚びることも、甘えることもなく常に自分の足で凛と立っていただけなのだ。
その価値になぜ失ってから気づいてしまったのだろう。
エドワードは報告書を握りしめたまま、今まで感じたことのない深く重い後悔の念にただ一人苛まれていた。
「殿下、次はこちらの陳情書に目を通していただけますか?」
「……ああ、そこに置いておけ」
側近の言葉にも、気のない返事しかできない。最近、どうにも集中力が続かないのだ。原因は、分かっている。
「エドワード様!見てくださいまし!この新しいドレス、わたくしに似合うと思いませんこと?」
執務室の扉が、ノックもなしに開かれる。現れたのは、蝶のように着飾ったセラフィナだった。彼女は、王子の都合などお構いなしに、くるくるとその場で回って見せる。
「どうです?素敵でしょう?これに合わせる、新しい首飾りが欲しいのですけれど……」
「セラフィナ。今、私は仕事中だ」
「まあ、堅いことをおっしゃらないで。少しくらい、よろしいではございませんか」
甘えた声で擦り寄ってくるセラフィナに、エドワードは以前なら感じたはずの愛おしさを、今はもう感じることができなかった。むしろ、その甲高い声が、ひどく耳障りにさえ思える。
そんな時、宰相が一体の報告書を手に、部屋に入ってきた。
「殿下、北のヴァインベルク領より、定期報告が届いております」
「北から?……何か、変わったことでもあったか」
「は。それが、先日発生したという、大規模な獣害についてなのですが……」
宰相が読み上げる報告書の内容に、エドワードは耳を疑った。
「……何だと?リーファ嬢が、自ら森へ調査に?そして、帝国騎士団長と協力し、獣を討伐することなく、共存の道を探り当て、解決した、だと……?」
報告書は、リーファの的確な判断力と、領民を思う行動力、そして、見事なリーダーシップを、最大級の賛辞で称えていた。
エドワードは、呆然としていた。彼が思い描いていたリーファの姿は、婚約破棄のショックで領地に引きこもり、毎日泣いて暮らしているという、哀れな令嬢の姿だった。
だが、現実はどうだ。彼女は、自分がいない場所で、自分の知らないうちに、領主として立派にその役目を果たし、民からの信頼まで得ている。
その報告を聞いていたセラフィナが、不満げに唇を尖らせた。
「まあ、ずいぶんとお元気ですのね、リーファ様は。わたくし、てっきり、悲しみに暮れていらっしゃるものだとばかり……」
その言葉が、エドワードの心の何かに、火をつけた。
「……黙れ、セラフィナ」
「えっ……?」
「君は、リーファの爪の垢でも煎じて飲むがいい。彼女は、領民のために、たった一人で困難に立ち向かっている。それに比べて君は、毎日ドレスや宝石のことばかりではないか!」
思わず、口をついて出た本音。エドワード自身も、驚いていた。
セラフィナは、信じられないといった顔で目を見開き、やがてその瞳に、みるみるうちに涙を溜め始めた。
「ひ、酷いですわ、エドワード様!わたくしがあの方に、どれだけ酷い仕打ちをされたか、お忘れになりましたの!?それなのに、あの方の味方をなさるなんて……!」
「……本当に、そうなのか?」
「え?」
「リーファが、本当に君に嫌がらせをしたのか?この報告書を読む限り、彼女が、そのような卑劣な真似をする人間だとは、到底思えん」
そうだ。リーファは、常に誇り高く、公明正大だった。人の陰口を叩いたり、誰かを陥れたりするような真似は、彼女が最も嫌うことだったはずだ。
それに比べて、目の前で泣きじゃくるこの女はどうだ。
涙を武器に、自分に都合の悪いことから目を背けさせ、ただひたすらに甘い言葉と庇護を求めるだけ。
(……私は、本当に、この女を愛しているのだろうか)
初めて、エドワードの心に、根本的な疑問が浮かんだ。
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かつて、彼女の完璧さを「心がない」と断じたのは、自分自身だった。だが、それは間違いだったのかもしれない。
あれは、冷たさなどではなかった。ただ、ひたすらに気高く自立していただけなのだ。自分に媚びることも、甘えることもなく常に自分の足で凛と立っていただけなのだ。
その価値になぜ失ってから気づいてしまったのだろう。
エドワードは報告書を握りしめたまま、今まで感じたことのない深く重い後悔の念にただ一人苛まれていた。
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