推しの王子に捨てられたい!〜婚約破棄を狙うが、今日も失敗〜

パリパリかぷちーの

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「……これですわ。王道中の王道、そして悲劇の決定版。……『記憶喪失』ですわ!」


朝、私は鏡の前で虚空を見つめ、焦点の合わない瞳を作る練習に励んでいました。


「お嬢様、朝から不気味な顔芸をしないでください。今度は一体何を忘れるおつもりで?」


サラが冷ややかな手つきでシーツを整えながら尋ねました。


「全てよ、サラ! 私の名前も、公爵家の名誉も、そして……愛しのアリステア様のことも! 最愛の男を忘れ、冷たく突き放す婚約者。……そんな女、王子にふさわしくありませんでしょう? 彼は絶望し、そして新しい光を求めて、別の可憐な令嬢と結ばれる……。ああ、尊い。私の存在が歴史の闇に消えていく足音が聞こえますわ!」


「……殿下が絶望した後に何をするか、お嬢様は全く予想できていないようですね。まあ、せいぜい頑張ってください」


サラの忠告を「嫉妬ね」と一蹴し、私はアリステア様が来訪されるのを待ちました。


作戦は完璧です。
昨夜、私はわざとらしく庭の木から落ちるフリをしました(芝生が柔らかくて無傷でしたが)。
そして今朝、駆けつけたアリステア様の前で、「貴方は……どなた?」と言うのです。
完璧。これぞ、完璧な悪役令嬢の幕引きですわ!


「メティ! 怪我をしたと聞いて飛んできた。……大丈夫かい!?」


扉が勢いよく開かれ、アリステア様が飛び込んできました。
今日の彼は、乱れた髪と、心配そうに歪められた眉……。
その「余裕のない美形」というジャンルにおいて、全人類をひれ伏させるほどの破壊力を持っていました。


(……っ! 尊い! 心配してくれる殿下、最高に輝いていらっしゃるわ! ……ダメよ、メティ。ここでニヤけては全てが台無し!)


私は必死に顔の筋肉を殺し、うつろな目で彼を見つめました。


「……あ、あの……。貴方は……どなた、ですの?」


言いました! 言ってやりましたわ!
部屋の空気が凍りつくのが分かります。
さあ、アリステア様。ショックを受けて、「そうか……ならばもう、私たちが会う理由はないな」と立ち去ってちょうだい!


しかし、アリステア様は立ち去るどころか、私のベッドサイドに膝をつき、私の両手を震える手で包み込みました。


「……嘘だろう、メティ。……私のことが、分からないのかい?」


その声。
震える低音。
サファイアの瞳には、今にも零れ落ちそうなほどの絶望と、そして……。
私が今まで見たこともないような、暗く深い、底なしの執着が宿っていました。


「あ……ええ。存じませんわ。……私、自分が誰かも分かりませんし、ましてやこのような美しい殿方のことは……」


「……そうか。忘れてしまったんだね。……私たちの思い出も、君が私の寝顔を盗撮しようとしたことも、私の歩いた土を小瓶に詰めたことも……」


「(それは忘れてほしかったですわ!)」


アリステア様は私の指先に、熱い、縋り付くようなキスを落としました。
その時の彼の顔は、この世のものとは思えないほど悲劇的で、そして……あまりにも美しすぎました。


「……でも、いいよ、メティ。……忘れたのなら、また最初から始めればいいだけだ。……今度は、君が二度と私のことを忘れないように、私の存在を君の脳と心に、深く、深く刻み込んであげるからね」


「……え?」


アリステア様の顔が、私の鼻先数センチまで近付きました。
彼から漂うのは、清涼なサンダルウッドの香りと、隠しきれない独占欲の熱。


「君が何も覚えていないのなら、私が教えてあげよう。……君は私の婚約者で、私の所有物だ。……君は私のことを、呼吸するのと同じくらい愛していたし、私も君なしでは生きていけない。……そうだろう?」


「あ……あぅ……(尊すぎて心臓がバックバクですわ)」


「思い出せないと言うのなら、体で覚えてもらおうか。……君が誰を愛し、誰に愛されているのか。……二十四時間、一分一秒、私が君の傍を離れず、愛を囁き続けてあげよう。……ねえ、メティ。……素敵だと思わないかい?」


アリステア様の瞳は、もはや「絶望」を通り越し、「歓喜」に近い光を湛えていました。
記憶がないことをいいことに、私を自分の色に染め直そうとする、究極の捕食者の笑顔。


(……無理。無理ですわ、これ。……殿下の『絶望した顔』が見たかったのに、これじゃあ『本気を出した執着王子』にレベルアップさせただけじゃない!)


しかも、至近距離で見つめられる彼の顔があまりにも尊すぎて、私の記憶喪失の設定が、愛の重さに耐えきれず粉々に砕け散りました。


「……っ、もう無理ですわ! アリステア様! 私、全部覚えておりますわ! あなたのまつ毛の数から、耳の裏の小さなホクロの位置まで、完璧に記憶しておりますの!」


私はガバッと起き上がり、叫ぶように白状しました。


「……メティ。……全部、覚えているんだね?」


「ええ、そうですわ! あなたのことが大好きすぎて、一瞬たりとも忘れるなんて不可能ですの! ……あ」


墓穴を掘りました。
特大の、自らの愛という名の墓穴を。


アリステア様は一瞬、きょとんとした顔をした後。
……フッと、この世の全てを支配した王のような、勝ち誇った笑みを浮かべました。


「……ふふ。はははは! ……良かった、メティ。……君の口から、改めて『大好きだ』と聞けて。……最高のプレゼントだよ」


「……だ、騙しましたわね!? 私の演技を見抜いて……!」


「最初から分かっていたよ。君が私を嫌おうとして、結局失敗する可愛らしい生き物だということはね。……だが、記憶喪失のフリをしてまで私を遠ざけようとした罪は、重いよ?」


アリステア様は私の腰をグイと引き寄せ、逃げ場を完全に塞ぎました。


「……さあ、メティ。……さっき言ったこと、実行に移させてもらおうか。……君が二度と、私のことを忘れたいなんて思わないように。……じっくりと、愛の再教育を始めよう」


「ぎゃふん!」


結局、私は婚約破棄どころか、王子の「特濃密着・記憶の再定着授業」を受ける羽目になり、その夜が終わる頃には「やっぱり殿下が世界で一番尊いですわ……!」と、完全に骨抜きにされていたのでした。


「……お嬢様。……三分持たなかったですね」


サラが部屋の隅で、呆れたようにカレンダーの印を増やしました。


「……うるさいわよ、サラ。……殿下の『絶望から狂気への変化』が、最高に……最高に、ダイヤモンドより輝いていましたわ……!」


私の「記憶喪失作戦」は、王子の「狂愛」という名のアクセルを全開に踏ませる結果に終わりました。
しかし、その執着の深さに、私はまたしても敗北の甘美さを噛みしめるのでした。


「……次は。次は……! もう、留学ですわ! 物理的に国を離れるしかありませんわ!」


私の決意は、王子の腕の中で、またしても虚しく響くだけなのでした。
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