君のような悪女とは婚約破棄だ!と言われたので帰ります

パリパリかぷちーの

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領地改革が軌道に乗り始めてから、二週間が経過しました。

私の「姉御」という呼び名はすっかり定着し、街を歩けば八百屋のおじさんから大根を、魚屋のおばさんから鯛を投げ渡されるほどの人気ぶりです。

「痛っ! おばさん、鯛は投げないで! 鱗が刺さりますわ!」

そんな賑やかな視察を終え、屋敷に戻った夜のこと。

私は執務室で、新しい特産品『激辛麻婆豆腐(仮)』の試作レポートを読んでいました。

「……ふむ。辛さが足りない、と。もっと地獄のような刺激が必要ね」

独り言を呟きながらペンを走らせていると、扉が控えめにノックされました。

「どうぞ」

入ってきたのは、セバスチャンではなくギルバート様でした。

しかし、様子がおかしいのです。

いつもなら堂々と入ってくる彼が、今日はなぜかカニ歩きのような奇妙な足取りで、モジモジと部屋に入ってきました。

背中には、何か大きな袋を隠し持っています。

その顔は、まるで宿題を忘れた子供のように強張り、視線が泳いでいました。

「……ギルバート様? 敵襲ですか?」

私は思わず身構えました。

彼がこれほど挙動不審になるなんて、よほどの事態に違いありません。

「い、いや。敵ではない。平和だ。極めて平和だ」

「では、どうなさいましたの? お腹でも痛いのですか?」

「違う。……その、ニナリー嬢」

彼は私のデスクの前まで来ると、直立不動の姿勢を取りました。

そして、意を決したように口を開きます。

「貴殿に、渡したいものがある」

「私に?」

「ああ。……日頃の感謝と、その……慰労を込めて」

彼は背後に隠していた袋を、ドサリとデスクの上に置きました。

重い音がしました。

「……これ、何が入ってますの? 鉄アレイ?」

「開けてみてくれ」

言われるがまま、私は袋の紐を解きました。

中から出てきたのは、二つの物体でした。

一つ目は、木彫りの置物です。

高さ三十センチほどでしょうか。

モチーフは熊のようですが、その表情が尋常ではありません。

目は充血したように飛び出し、牙は鋭く、爪は獲物を引き裂かんばかりに伸びています。

そして全身から立ち昇る、禍々しいオーラ。

「……呪いのアイテム?」

私は正直な感想を述べました。

「違う! 『熊の木彫り』だ!」

ギルバート様が食い気味に否定しました。

「熊……? 地獄の番犬ではなくて?」

「熊だ。私が彫った」

「え?」

私は思わず木彫りとギルバート様の顔を二度見しました。

「貴方が? これを?」

「……夜の警備中、手持ち無沙汰でな。木片を削っていたら、こうなった」

彼は少し顔を赤らめてそっぽを向きました。

「貴殿は最近、働き詰めだろう。熊は力強さと健康の象徴だ。これを部屋に置けば、魔除け……いや、精がつくと聞いたのでな」

(魔除けの効果は間違いなくあるわね。泥棒が入ってきても、これを見たら泣いて謝りそうだもの)

私はその狂気じみた造形美にしげしげと見入りました。

不器用ながらも、一刀一刀に込められた力強さ。

そして何より、私の健康を願って、夜な夜なこの怖い顔の熊を彫っていたギルバート様の姿を想像すると……。

「……ふふっ」

笑いが込み上げてきました。

「笑うな。……やはり、ご令嬢への贈り物としては不適切だったか」

彼がシュンと肩を落とします。

「花や宝石の方が良かったのだろうが、私には選び方がわからなくてな。枯れるものより、残るものがいいと思ったのだが……」

「いいえ、最高ですわ」

私は熊の頭を撫でました。

「アレン様はよく宝石をくださいましたけど、それは全て『自分色に私を染めるため』のものでした。『このネックレスをつけろ』『この色のドレスを着ろ』って。私の好みなんて一度も聞かれたことはありません」

私は熊の凶悪な目を見つめました。

「でも、これは私の『健康』を気遣ってくださったのでしょう? そのお気持ちが嬉しいですわ。……それに、この熊、よく見ると貴方に似て可愛いですし」

「に、似ているか!? こんなに凶悪な顔か!?」

「そっくりですわよ。特に眉間のシワあたりが」

「ぐぬぬ……」

「で、もう一つは何ですの?」

私は袋の底にあった、もう一つの包みを取り出しました。

瓶に入った、真っ赤な粉末です。

「それは……スパイスだ」

「スパイス?」

「南方の部族が使う『ドラゴン・ブレス(竜の吐息)』と呼ばれる激辛香辛料だ」

ギルバート様が得意げに説明を始めました。

「貴殿は最近、刺激を求めているようだったからな。眠気覚ましにもなると聞いた。舐めれば一瞬で目が覚め、三日は眠れなくなるそうだ」

「……三日?」

「ああ。戦場では、瀕死の兵士に嗅がせて無理やり起こすのにも使う」

「劇薬じゃないですか!」

私は瓶の蓋を少しだけ開けてみました。

ツンッ!

「ぶっ!! げほっ、ごほっ!!」

強烈な刺激臭が鼻の粘膜を直撃しました。

涙がボロボロと溢れ出し、喉が焼け付くようです。

「に、ニナリー嬢! 大丈夫か!?」

「げほっ、こ、これ……兵器ですわよ……!」

私は涙目でギルバート様を睨みました。

「殺す気ですの!?」

「す、すまん! 店主は『元気が出る』と言っていたのだが……!」

慌てふためくギルバート様。

その手には、私のために用意してくれた水がありました。

私はそれをひったくって一気に飲み干しました。

「はぁ……はぁ……。死ぬかと思いましたわ」

「申し訳ない。すぐに捨てよう」

彼が瓶を回収しようとしましたが、私はその手を止めました。

「待ちになさい」

「へ?」

私は真っ赤になった目で、その瓶をじっと見つめました。

脳内で、ビジネスの歯車がカチリと噛み合います。

「……これよ」

「はい?」

「これが欲しかったのよ、ギルバート様!」

私は興奮して立ち上がりました。

「さっきまで悩んでいたのです! 新商品の麻婆豆腐に何かが足りないと! そう、この暴力的なまでの刺激よ!」

「はあ……」

「この『ドラゴン・ブレス』を使えば、他店には真似できない激辛メニューが作れますわ! ターゲットは、刺激に飢えたドMな美食家たち……これはいけるわ!」

私はギルバート様の手を取り、ブンブンと握手しました。

「ありがとうございます! 貴方は天才ですわ!」

「よ、よくわからんが、役に立ったのか?」

「ええ、大いに! 木彫りの熊は『魔除け』として店の入り口に飾りますわ! 『激辛の守り神』として話題になること間違いなしです!」

「守り神……」

ギルバート様は複雑そうな顔をしていましたが、私が喜んでいるのを見て、やがて安堵の息を漏らしました。

「……貴殿が笑ってくれたなら、それでいい」

「え?」

「先ほどまで、難しい顔をしていただろう。眉間にシワを寄せて」

彼がそっと指を伸ばし、私の眉間を触れました。

その指先は硬く、けれど熱を帯びていて。

「貴殿には、笑顔が似合う。……高笑いも含めてな」

ドキリ。

心臓が跳ね上がりました。

至近距離で見下ろす彼の瞳が、あまりにも優しくて。

「……ギルバート様、それは反則ですわ」

「何がだ?」

「無自覚なのが一番タチが悪いですのよ」

私は顔が熱くなるのをごまかすために、再び木彫りの熊を手に取りました。

「と、とにかく! 素敵なプレゼント、ありがとうございました。お礼に、このスパイスを使った試作品第一号を、ギルバート様に差し上げますわね」

「……それは、毒味ということでは?」

「愛の鞭ですわ」

「お手柔らかに頼む……」

私たちは顔を見合わせて笑いました。

窓の外には満月が輝き、穏やかな夜が更けていきます。

アレン様がくれた高価なダイヤモンドよりも、この不格好な木彫りの熊と、殺人級のスパイスの方が、何百倍も私の心を温めてくれました。

(……悔しいけど、少しだけ惚れ直してしまったかもしれないわね)

私は心の中で認めました。

もちろん、本人には絶対に言ってあげませんけれど。

そんな穏やかな夜を過ごしていた私たちですが、翌日、王都からの「招かれざる客(手紙)」が到着することで、この平穏は破られることになります。

アレン王子からの、あの上から目線の復縁要請。

それを読んだ私がどう反応するか。

そして、それを横で見たギルバート様がどう動くか。

物語は、再び大きく動き出そうとしていました。
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