君のような悪女とは婚約破棄だ!と言われたので帰ります

パリパリかぷちーの

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「ううっ……気持ち悪い……もう帰りたい……」

ベルンシュタイン領から王都へ向かう馬車の荷台で、ミューア男爵令嬢がゾンビのような声を上げていました。

彼女は高級なドレスを着ていますが、肥料用の麻袋と野菜の入った木箱に挟まれ、すっかり憔悴しきっています。

「あら、ミューア様。まだ生きてらっしゃいましたの? 生命力だけはゴキ……いえ、野生動物並みですわね」

私は客車の窓を開け、後方を確認しました。

「ひどいぃ……なんで私がこんな目に……」

「予算削減ですわ。それに、貴女の好きな『自然との共生』ができる特等席ですもの。感謝していただきたいくらいです」

私はピシャリと窓を閉めました。

振り返ると、向かいの席ではギルバート様が眉を下げて座っています。

「……さすがに可哀想ではないか?」

「甘いですわ、ギルバート様。彼女が私にしてきたことは、こんなものではありません。私の紅茶に塩を入れたり、ダンスシューズに画鋲を仕込んだり……陰湿な嫌がらせの数々、忘れてはいませんわ」

「画鋲……? それは犯罪レベルではないか?」

「ええ。ですから、これは正当な教育的指導です」

私はバスケットからサンドイッチを取り出しました。

「それより、お腹が空きましたわ。はい、あーん」

「っ!?」

ギルバート様が赤面して固まりました。

「な、何を……」

「手が塞がっているでしょう? 地図を見ていらしたじゃないですか」

「いや、置けばいいだけの話で……」

「あら、私の手作りはお嫌いですの?」

「……食べる」

彼は観念したように口を開けました。

パクり。

「……美味い」

「でしょう? 特製マスタードが効いていますの」

私たちはそんなバカップルじみたやり取りを繰り返しながら、王都への旅路を進みました。



数日後。

私たちは王都の城壁の前に到着しました。

久しぶりに見る王都の景色ですが……何かがおかしいのです。

「……暗いですわね」

街全体が、どことなくどんよりとしています。

以前は活気に満ちていた大通りも、人通りが少なく、歩いている人々の顔も死んだ魚のように生気がありません。

道の端にはゴミが溜まり、野良犬が徘徊しています。

「清掃局が機能していないのか?」

ギルバート様が険しい顔で窓の外を見ました。

「おそらく、予算が下りていないのでしょうね。清掃局への配分を決めていたのは私でしたから」

「……貴殿がいなくなって数週間で、これか」

「行政というのは、歯車が一つ狂えば連鎖的に崩壊するものですわ。ましてや、その歯車を回していたのが私一人だったとなれば、当然の結果です」

馬車が王宮の門に近づくと、衛兵たちが気だるそうに槍を持って立っていました。

しかし、私たちの馬車の紋章を見た瞬間、彼らの目の色が変わりました。

「ベ、ベルンシュタイン家の紋章!? まさか、ニナリー様がお戻りになられたのか!?」

「おい、急いで門を開けろ! 救世主のお帰りだ!」

ギギーッ!

重厚な門が、かつてない速さで開かれました。

衛兵たちが整列し、敬礼をして迎えてくれます。

「ニナリー様! お待ちしておりました!」

「ゴミの収集が来なくて困っていたのです!」

「給料の未払いをなんとかしてください!」

馬車の窓越しに、悲痛な叫びが次々と投げかけられます。

私は優雅に手を振りました。

「皆様、ごきげんよう。……苦労されているようですわね」

「へ、へい! もう限界でさぁ!」

「アレン殿下じゃ話にならなくて……」

「でしょうね。まあ、とりあえず通してくださる?」

馬車は歓声に包まれながら王宮の敷地内へと入っていきました。

その後ろで、荷台のミューア様が「私よぉ! 次期王妃のミューアよぉ! 誰か降ろしてぇ!」と叫んでいましたが、誰も彼女には見向きもしませんでした。



王宮に到着するなり、私たちは休む間もなく国王陛下の執務室へと案内されました。

「陛下がお待ちです。至急、お入りください」

侍従長の顔色も悪く、目の下には濃いクマができています。

重い扉が開かれ、私たちは中へと入りました。

そこにいたのは、この国の最高権力者、ヴァロワ国王陛下……のはずでした。

「……陛下?」

執務机に突っ伏している、白髪の老人が一人。

私が声をかけると、彼はゆっくりと顔を上げました。

その顔は、数週間前に見た時よりも十年は老け込んだように見えます。

「……おお、ニナリーか。待っていたぞ……」

声も枯れ果てています。

「お久しぶりでございます、陛下。……随分とお疲れのようですが」

「誰のせいだと思っている」

国王陛下は恨めしそうに私を見ました。

「そちがいなくなってから、この国はめちゃくちゃだ。アレンの馬鹿息子が、あそこまで無能だとは知らなかった」

彼は深い溜息をつき、机の上の書類の山を指差しました。

「見てみろ、この未決裁の書類を。外交、財務、内政……全てが滞っておる。余が代わりにやろうとしたが、老体にはキツすぎてな。三日前から腰が痛くて動けん」

「それはお気の毒に」

私は淡々と返しました。

「ですが、それは王家内部の問題ですわ。婚約破棄された部外者の私には関係のないこと」

「そう冷たいことを言うな。……なあ、ニナリーよ」

陛下は縋るような目で私を見ました。

「戻ってきてはくれんか?」

「……はい?」

「婚約破棄は取り消す。アレンには厳しく言い聞かせるし、あのミューアとかいう小娘も追放しよう。だから、もう一度アレンの婚約者として、この国を支えてくれんか?」

あまりにも虫のいい提案に、私は呆れて笑ってしまいました。

「お断りします」

「即答か! 頼む、給料も弾むぞ! 特別手当もつけよう!」

「お金の問題ではありません。生理的な問題です」

私はキッパリと言い放ちました。

「アレン様の顔を見ると蕁麻疹が出るのです。それに、私にはもう心に決めた方がおりますので」

「な、なに!? 新しい男か!?」

陛下がガタッと立ち上がりました。

「どこのどいつだ! アレンより良い男など、そうそういるわけが……」

「ご紹介しますわ」

私は一歩横にずれ、背後に控えていたギルバート様を示しました。

「私の新しい婚約者、ギルバート・ヴォルファート辺境伯令息です」

「……は?」

陛下の口がポカンと開きました。

ギルバート様は一歩前に出ると、騎士の礼をとりました。

「お初にお目にかかります、陛下。……いや、騎士団長としては毎日会っておりますが」

「ギ、ギルバート!? 『氷の騎士』か!?」

陛下は目をこすり、二人を交互に見比べました。

「ま、まさか……最強の悪役令嬢と、最強の騎士がくっついたのか?」

「はい。最強の布陣でしょう?」

私はギルバート様の腕に手を絡ませ、左手の薬指をこれ見よがしに見せつけました。

大粒のサファイアが、執務室の照明を受けてギラリと輝きます。

「こ、これは……」

陛下は絶句しました。

ヴォルファート辺境伯家は、国境を守る武門の名家であり、その武力は王軍に匹敵すると言われています。

その嫡男と、筆頭公爵家の令嬢が手を組んだのです。

下手に敵に回せば、王家そのものが危ういレベルの権力集中です。

「……してやられたわ」

陛下は椅子にドサリと座り込みました。

「これでは、無理に引き剥がすこともできん。ギルバート相手に強権を発動すれば、騎士団が一斉蜂起しかねんからな」

「ご理解が早くて助かりますわ」

私はニッコリと微笑みました。

「というわけで、アレン様との復縁は不可能です。諦めてください」

「……わかった。認めよう」

陛下はガックリと項垂れました。

「だが、ニナリーよ。このままでは国が滅びる。アレンとの結婚は無しでいい。だが、仕事だけは手伝ってくれんか? 『特別顧問』として」

「顧問、ですか?」

「ああ。王宮に出入りして、アレンの尻拭い……いや、指導をしてやってほしい。もちろん、報酬は言い値で払う」

私は少し考えました。

正直、王宮の仕事に戻る気はありませんでしたが、このまま国が傾いて私の実家の商売に影響が出るのも困ります。

それに、ギルバート様を王都に留めるためには、私もここにいる理由が必要です。

「……条件があります」

「何でも言え」

「一つ。私の地位は『王太子妃』ではなく『特別行政顧問』とし、アレン様とは対等の立場とすること」

「うむ、認めよう」

「二つ。報酬はアレン様の私財から天引きすること」

「おお、名案だ。あやつの小遣いをゼロにしよう」

「三つ。……ギルバート様を昇進させてください」

「昇進?」

私はギルバート様を見上げました。

彼は驚いた顔をしています。

「彼は騎士団長として十分な働きをしていますが、その地位に見合う待遇を受けていません。彼を『近衛騎士団総長』兼『辺境伯』として、王都での発言力を高めていただきたいのです」

「……なるほど。お主を守るための盾を強化したいわけか」

陛下はニヤリと笑いました。

「いいだろう。ギルバート、今日からお主は総長だ。ニナリーの護衛任務を最優先事項として命じる」

「はっ! ありがたき幸せ!」

ギルバート様が力強く応えました。

「交渉成立ですわね」

私は満足げに頷きました。

これで、アレン様に怯えることなく、堂々と王都で生活できます。

しかも、高額な報酬付きで。

「では陛下、早速ですが溜まっている書類を持ってこさせてください。……あと、アレン様をこの部屋に呼んでいただけますか?」

「アレンを? 何をする気だ?」

「ご挨拶ですわ。……感動の再会を、させて差し上げませんとね」

私の目が冷たく光ったのを、陛下は見逃しませんでした。

「……手加減してやってくれよ。あやつも、バカだが私の息子だからな」

「善処しますわ」

こうして、私は『特別顧問』という新たな肩書きを手に入れ、正式に王宮へ帰還することになりました。

扉の向こうから、慌ただしい足音が近づいてきます。

「父上! ニナリーが戻ったというのは本当ですか!?」

聞き覚えのある、能天気な声。

アレン王子が、何も知らずに飛び込んでこようとしています。

私は扇を開き、口元を隠して準備を整えました。

さあ、第二ラウンドの開始ですわ。

アレン様、覚悟はよろしくて?
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