君のような悪女とは婚約破棄だ!と言われたので帰ります

パリパリかぷちーの

文字の大きさ
25 / 28

25

時計の針は深夜二時を回っていました。

明日は人生最大の大舞台、結婚式だというのに、私の目はギラギラと冴え渡っていました。

高級なシルクの寝間着に身を包み、羊を千匹まで数えましたが、羊たちが「売上の計算は合っていますか?」「引き出物の発注ミスはありませんか?」と話しかけてくる悪夢に変わりそうだったので諦めました。

「……喉が渇きましたわ」

私はベッドを抜け出し、ショールを羽織って部屋を出ました。

廊下は静まり返り、月明かりだけが足元を照らしています。

忍び足で階段を降り、厨房へと向かいました。

温かいミルクでも作れば、少しは落ち着くかもしれません。

しかし、厨房のドアを開けると、そこには先客がいました。

「……ん? ニナリーか?」

「ギルバート様?」

薄暗い厨房のテーブルに、巨大な影が座っていました。

ギルバート様です。

彼は片手にジョッキを持ち、もう片方の手には……食べかけのサラミを持っていました。

「……奇遇ですわね。新郎が式の前夜に盗み食いですか?」

「人聞きが悪い。……緊張で胃がキリキリするので、何か腹に入れておこうと思っただけだ」

「胃が痛いのにサラミを?」

「脂っこいものを食べると、胃壁がコーティングされる気がしてな」

「迷信ですわよ」

私は呆れて笑い、彼の向かいの席に座りました。

「私も眠れませんの。羊が反乱を起こしまして」

「奇遇だな。私の羊は、武装して行進していたぞ」

「ふふっ、似たもの同士ですわね」

ギルバート様は立ち上がり、棚からカップを取り出すと、手際よくホットミルクを作ってくれました。

蜂蜜をたっぷりと入れた、優しい甘さの香り。

「どうぞ」

「ありがとう。……慣れた手つきですわね」

「野営では自分で作るしかなかったからな。……まあ、こんなに甘いものは作らないが」

彼は自分のジョッキ(中身は水割り)を一口飲み、自嘲気味に笑いました。

「……不思議だな」

「何がですの?」

「数ヶ月前まで、私はただ剣を振るうだけの機械のような男だった。王都の社交界も、華やかなパーティも、自分とは無縁の世界だと思っていた」

彼は遠い目をして、天井を見上げました。

「それが今、こうして公爵家の厨房で、ホットミルクを作っている。そして明日には、国一番の花嫁を娶る」

「人生、何があるかわかりませんわね」

「ああ。……正直に言うと、まだ夢を見ているようだ」

彼は真剣な顔で私を見ました。

「時々、怖くなるんだ。目が覚めたら、まだあの寒々しい騎士団の宿舎にいて、全てが私の妄想だったのではないかと」

「……」

「ニナリー。……本当に、私でいいのか?」

マリッジブルーでしょうか。

最強の騎士ともあろうお方が、仔犬のように不安げな瞳を向けてきます。

「アレン殿下のように華やかさもない。気の利いたエスコートもできない。……壁ドンをすれば壁を破壊し、プレゼントには木彫りの熊を贈るような、不器用な男だぞ?」

彼は自分の大きな手を見つめました。

「貴殿はもっと、洗練された貴公子と結ばれるべきだったのではないか?」

私はカップを置き、ため息をつきました。

「……バカな人」

「え?」

「洗練された貴公子? そんな退屈な男、願い下げですわ」

私は身を乗り出し、彼の手を両手で包み込みました。

「思い出してくださいな。私たちが初めて出会った日のことを」

「……婚約破棄された直後の馬車か」

「ええ。あの時、貴方が隠れてクッキーを食べていなければ、私はただの『傷心の令嬢』として実家に帰っていたでしょう」

私の脳裏に、あの時の光景が蘇ります。

氷のように冷たい顔をしていた彼が、クッキーを見つめた瞬間に見せた、あの一瞬の隙。

それが、私の閉ざされた心に入り込むきっかけでした。

「貴方の不器用さは、欠点ではありません。最高のチャームポイントですわ」

「……そうか?」

「ええ。壁を壊すほどの情熱、熊を彫るほどの集中力、そして激辛料理を食べてくれる度量。……どれも、他の男性には真似できません」

私はニッコリと笑いました。

「アレン様との生活は、確かに華やかでした。でも、それは舞台の上で演技をしているようなものでした。常に完璧を求められ、少しでも期待から外れれば責められる。……息が詰まりそうでした」

「ニナリー……」

「でも、貴方との生活は違います。馬小屋に閉じ込められたり、嵐の夜に停電したり、サボテンを投げ落としたり……」

指折り数えてみると、ろくな思い出がありません。

でも、そのどれもが、色鮮やかで、暖かくて。

「毎日がハプニングの連続で、お腹が痛くなるほど笑って、怒って、そして食べて。……貴方となら、退屈しない人生になりそうですわ」

私の言葉に、ギルバート様は目を見開きました。

そして、ゆっくりと、噛み締めるように頷きました。

「……退屈させない自信だけはある」

「知っていますわ。明日の式でも、何かやらかしてくれるのではないかと期待していますもの」

「いや、明日は勘弁してくれ。……だが、誓おう」

彼は私の手を強く握り返しました。

「貴殿が笑顔でいられるなら、私は毎日ピエロになろうとも構わない。剣を捨てて、お笑い芸人になってもいい」

「それは困ります。騎士団長のお給料がなくなると、私の事業計画が狂いますから」

「現実的だな」

「ええ。愛とお金はセットですわ」

私たちは顔を見合わせて、深夜の厨房で忍び笑いを漏らしました。

緊張の糸が解け、代わりに心地よい温もりが胸を満たしていきます。

「……さて、そろそろ部屋に戻りましょうか。クマができてはお化粧のノリが悪くなります」

「そうだな。……少し、眠気がきた」

私たちは椅子から立ち上がりました。

去り際、ギルバート様が不意に立ち止まりました。

「ニナリー」

「はい?」

「……愛している」

不意打ちでした。

なんの脈絡もなく、ただストレートに投げられた言葉。

真っ赤な顔をして、それでも真っ直ぐに私の目を見て言われたその言葉に、私は一瞬言葉を失いました。

胸がキュンと締め付けられ、熱いものが込み上げてきます。

(……まったく、この人は)

計算も駆け引きもない。

ただ純粋な想いの塊。

これだから、敵いません。

「……知っていますわ」

私は精一杯の強がりで返しました。

でも、きっと顔は彼と同じくらい赤かったはずです。

「私も……愛していますわ。私の騎士様」

背伸びをして、彼の頬に軽くキスをしました。

「おやすみなさい。……また数時間後に、祭壇の前で」

「ああ。……待ちきれないな」

私たちはそれぞれの部屋へと戻っていきました。

ベッドに入ると、さっきまでの不安が嘘のように消え去っていました。

羊たちの行進も、もう聞こえません。

代わりに聞こえるのは、自分自身の穏やかな心臓の音と、明日への希望の足音だけ。

窓の外が白み始めています。

いよいよ、その時が来ます。

悪役令嬢ニナリーの、最初で最後の、最高に幸せな一日の始まりです。

私は枕を抱きしめ、高笑いではなく、少女のような微笑みを浮かべて目を閉じました。

「……楽しみですわ」

呟いた言葉は、朝の光の中に溶けていきました。
感想 2

あなたにおすすめの小説

誘拐された公爵令嬢ですが、なぜか皇帝に溺愛されています』

富士山麓
恋愛
舞踏会で王太子から婚約破棄を告げられそうになった瞬間―― 目の前に現れたのは、馬に乗った仮面の皇帝だった。 そのまま攫われた公爵令嬢ビアンキーナは、誘拐されたはずなのに超VIP待遇。 一方、助けようともしなかった王太子は「無能」と嘲笑され、静かに失墜していく。 選ばれる側から、選ぶ側へ。 これは、誰も断罪せず、すべてを終わらせた令嬢の物語。

婚約破棄された私は、号泣しながらケーキを食べた~限界に達したので、これからは自分の幸せのために生きることにしました~

キョウキョウ
恋愛
 幼い頃から辛くて苦しい妃教育に耐えてきたオリヴィア。厳しい授業と課題に、何度も心が折れそうになった。特に辛かったのは、王妃にふさわしい体型維持のために食事制限を命じられたこと。  とても頑張った。お腹いっぱいに食べたいのを我慢して、必死で痩せて、体型を整えて。でも、その努力は無駄になった。  婚約相手のマルク王子から、無慈悲に告げられた別れの言葉。唐突に、婚約を破棄すると言われたオリヴィア。  アイリーンという令嬢をイジメたという、いわれのない罪で責められて限界に達した。もう無理。これ以上は耐えられない。  そしてオリヴィアは、会場のテーブルに置いてあったデザートのケーキを手づかみで食べた。食べながら泣いた。空腹の辛さから解放された気持ちよさと、ケーキの美味しさに涙が出たのだった。 ※本作品は、少し前に連載していた試作の完成版です。大まかな展開や設定は、ほぼ変わりません。加筆修正して、完成版として連載します。 ※カクヨムにも掲載中の作品です。

婚約破棄だ!と言われ実家に帰ったら、最推しに餌付けされます

黒猫かの
恋愛
王国の第一王子クレイスから、衆人環視の中 で婚約破棄を言い渡されたローゼン侯爵令嬢ノエル。

『お前の顔は見飽きた!』内心ガッツポーズで辺境へ

夏乃みのり
恋愛
「リーナ・フォン・アトラス! 貴様との婚約を破棄する!」 華やかな王宮の夜会で、第一王子ジュリアンに突きつけられた非情な宣告。冤罪を被せられ、冷酷な悪役令嬢として追放を言い渡されたリーナだったが、彼女の内心は……「やったーーー! これでやっとトレーニングに専念できるわ!」と歓喜に震えていた!

断罪の準備は完璧です!国外追放が楽しみすぎてボロが出る

黒猫かの
恋愛
「ミモリ・フォン・ラングレイ! 貴様との婚約を破棄し、国外追放に処す!」 パルマ王国の卒業パーティー。第一王子アリオスから突きつけられた非情な断罪に、公爵令嬢ミモリは……内心でガッツポーズを決めていた。 (ついにきたわ! これで堅苦しい王妃教育も、無能な婚約者の世話も、全部おさらばですわ!)

ぐうたら令嬢は公爵令息に溺愛されています

Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のレイリスは、今年で16歳。毎日ぐうたらした生活をしている。貴族としてはあり得ないような服を好んで着、昼間からゴロゴロと過ごす。 ただ、レイリスは非常に優秀で、12歳で王都の悪党どもを束ね揚げ、13歳で領地を立て直した腕前。 そんなレイリスに、両親や兄姉もあまり強く言う事が出来ず、専属メイドのマリアンだけが口うるさく言っていた。 このままやりたい事だけをやり、ゴロゴロしながら一生暮らそう。そう思っていたレイリスだったが、お菓子につられて参加したサフィーロン公爵家の夜会で、彼女の運命を大きく変える出来事が起こってしまって… ※ご都合主義のラブコメディです。 よろしくお願いいたします。 カクヨムでも同時投稿しています。

王子、おひとり様で残りの人生をお楽しみください!

ちゃっぴー
恋愛
「ラーニャ、貴様との婚約を破棄する!」 卒業パーティーの真っ最中、ナルシストな第一王子ウィルフレッドに身に覚えのない罪で断罪された公爵令嬢ラーニャ。しかし、彼女はショックを受けるどころか、優雅に微笑んで拍手を送った。 なぜなら、ラーニャはとっくに王子の無能さに愛想を尽かし、この日のために完璧な「撤退準備」を進めていたからだ。

愛さないと言われた妻、侍女と出て行く

菜花
ファンタジー
お前を愛することはないと夫に言われたコレットは、その日のうちに侍女のイネスと屋敷を出て行った。カクヨム様でも投稿しています。