断罪された悪役令嬢ですが、ハッピーエンド(仮)を目指します!

パリパリかぷちーの

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ルーナが、監視役のいない自由な別荘で、極上のフォカッチャと昼寝をようやく満喫していた、まさにその頃。

王都の王宮内は、冷たく張り詰めた、最悪の空気に包まれていた。

「ありえません! まったくもって、ありえませんわ!」

王妃教育を司る教導室に、甲高い老婦人の怒声が響き渡った。
声の主は、王妃教育係の筆頭、クロムウェル侯爵夫人。
建国以来の名門貴族の出身で、現王妃(エリオットの母)も育て上げた、生粋の教育係である。

「マリア様!」

「は、はいぃっ!」

侯爵夫人の厳しい視線に射抜かれ、マリア・ベルは、小動物のように肩を震わせた。
可憐なレースのドレスも、潤んだ瞳も、今の侯爵夫人には何の効力も持たない。

「何度、申し上げたらお分かりになりますの!? ティーカップは、ソーサー(受け皿)ごと持ち上げてはなりません!」

「で、でも…手が滑りそうで…」

「言い訳をお聞きしているのではありません! これは、貴族の作法の、基本中の基本! それが、三週間経っても、まだ身につきませんか!」

「うぅ…だ、だって、ルーナ様は…」

「ルーナ様の御名を、ここで口になさらないで!」

侯爵夫人は、扇子をテーブルにピシャリと叩きつけた。

「あの方(ルーナ)は、確かに生意気で、可愛げのない令嬢でした。わたくしも、好いてはおりませんでした」

「……」

「ですがね、マリア様。あの方は、今あなたが苦戦しているその作法を、十歳の時点で、完璧にマスターなさっておりましたわ」

「そ、そんな…」

マリアは、顔を青くした。

王都に戻ってきたアレクシス・ラインフォルトによる「秩序回復」は、凄まじいものだった。
彼は、戻るなりエリオット王子に謁見し、「これ以上、国家の体面を汚すならば、騎士団は王子個人の警護を放棄し、国王陛下の勅命のみを遂行する」と、半ば脅迫に近い形で、王子の言動を封じ込めた。

エリオットも、あの「氷の騎士」の本気の怒気に、さすがに反論できなかった。
(ルーナの時とは、気迫が違う…!)
彼は、しぶしぶながら、隣国の大使に正式に謝罪。
マリアは、表立った夜会への出席を「教育が完了するまで」禁止され、この教導室に、事実上「軟禁」されることになったのだ。

「よろしいですか。昨日の歴史学の授業」

侯爵夫人の隣に控えていた、初老の歴史学者が、青ざめた顔で震えながら口を開いた。

「ま、マリア様は…我が国の、初代国王の御名を、まだ覚えておいでではありません…」

「だって、長くて、難しいお名前ですもの…」

「三週間! 三週間も、同じことをお教えしております!」

「そればかりか!」

今度は、政治学の教師が、泣きそうな声で続けた。

「隣国の『エルビオン王国』との関係性をお教えしておりましたら、『エルビオン? それは、甘いクリームの入ったお菓子ですわよね?』と…!」

「それは『エクレア』です、マリア様!」

「ひぃぃ!」

教師たちの、悲痛な叫びが、次々とマリアに突き刺さる。
彼女が、この三週間で習得した「王妃教育」は、ほぼゼロに等しかった。
ルーナが「地獄」と呼んだ、あの高度な教育内容の、入り口にすら立てていないのだ。

「もう…もう、いやですわ…!」

ついに、マリアは泣き崩れた。
いつもの、男たちの庇護欲を誘う、可憐な泣き顔で。

「皆様、わたくしに厳しすぎますわ! わたくし、こんなことのために王宮に来たのでは…!」

「では、何のためにいらしたのです」
侯爵夫人の、冷たい声が遮った。

「わたくしは、エリオット様の、愛する…」

「そのエリオット殿下ご自身が、今、どれほど苦しい立場に置かれているか、お分かりでないのですか!」

「え…?」

マリアは、きょとんと顔を上げた。

「殿下は、あなた様を庇ったことで、国王陛下、並びに、全閣僚から厳しい叱責を受けられました。王位継承権の剥奪さえ、議論に上がっているのですよ!」

「そ、そんな…! だって、エリオット様は、わたくしが『素直で可愛い』から、いいって…」

「『素直』と『無知』は、違います!」

侯爵夫人の怒声が、再び響いた。

「公の場でスープの音を立て、外交官を侮辱し、国費を(お茶会代やドレス代に)使い込む…! それが、殿下の選んだ『未来の王妃候補』だということが、どれほど殿下の面目を潰していることか!」

「…っ」

マリアは、ぐうの音も出なかった。

その時、荒々しい足音と共に、教導室の扉が開かれた。

「そこまでだ、侯爵夫人」

「!」

エリオット王子が、眉間に深いシワを寄せ、立っていた。
その顔には、以前のような自信はなく、明らかな「焦燥」と「疲労」が浮かんでいた。

「エリオット様!」

マリアが、救いを求めるように、彼の腕に駆け寄ろうとする。

「うるさい! 泣くな!」

「えっ…」

エリオットは、マリアの手を、冷たく振り払った。
マリアは、信じられないという顔で、その場に立ち尽くす。

「エリオット様…? どうして…」

「お前のせいで、俺の立場が、どれだけ悪くなっていると思っているんだ!」

エリオットは、ついに溜め込んでいた不満を爆発させた。

「あ、謝罪だ! 説教だ! アレクシス(副団長)にまで、反逆まがいの忠告をされる始末だ!」

(俺は、ただ、可憐なマリアを守りたかっただけなのに!)
(なぜ、こんなに面倒なことばかり起こるんだ!)

「そ、そんな…わたくし、エリオット様のために、頑張って…」

「頑張っているなら、なぜ、初代国王の名前の一つも覚えられんのだ!」

「だ、だって…」

「ルーナは!」

エリオットは、自分が口にした名前に、はっと息を呑んだ。
マリアの顔が、絶望にこわばる。
教師たちも、固唾を呑んで、王子を見つめている。

エリオットは、苦々しく、言葉を続けた。

「…ルーナは、完璧だった」

「……」

「作法も、歴史も、政治も、ダンスも…! あの女は、何一つ、俺に恥をかかせたことはなかった!」

「エリオット様…ひどい…」
マリアの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。

「うるさい!」

エリオットは、自分の苛立ちを、もはや制御できなかった。
(そうだ。ルーナは、いつも完璧だった)
(完璧すぎて、可愛げがなかった。冷たかった)
(だが、俺は、こんなにも『面倒』ではなかった!)

彼は、今になって、自分が「婚約破棄」という行動で、何を手放し、何を背負い込んでしまったのかを、痛感し始めていた。
可憐で、素直で、庇護欲をそそるヒロイン。
それは、確かに男の自尊心を満たした。
だが、その「無知」と「無能」の尻拭いをするのは、他ならぬ、自分自身だったのだ。

「マリア。お前は、もう一度、一からやり直せ」

「え…?」

「男爵令嬢としての、最低限の作法からだ!」

エリオTットは、侯爵夫人に、言い放った。

「夫人! こいつに、徹底的に叩き込め! 王妃教育など、まだ早い! まずは、人間としてのマナーからだ!」

「エリオット様!? いやぁぁぁ!」

「かしこまりました、殿下」

侯爵夫人は、扇子の陰で、わずかに口の端を吊り上げた。

「…ルーナがいれば」

エリオットは、教導室を去り際に、誰にも聞こえない声で、そう呟いた。
(いや、違う。アイツは悪役令嬢だ。俺は、間違っていない)
(間違っていないはずだ…!)

王子の苛立ちは、頂点に達していた。
彼が自ら選んだ「ヒロイン」が、ただの「ポンコツ」であるという疑惑。
その疑惑が、彼のプライドを、内側から確実に蝕み始めていた。
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