断罪された悪役令嬢ですが、ハッピーエンド(仮)を目指します!

パリパリかぷちーの

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王宮の第一厨房は、天国のような香りに包まれていた。
完璧な焼き色がついたシュー生地に、ルーナが今しがた炊き上げた、なめらかなカスタードクリームが、たっぷりと詰められていく。
バニラビーンズの甘く、芳醇な香り。

「ん~! 完璧ですわ!」

ルーナは、出来上がったばかりのシュークリームにかぶりついた。
サクッとした歯触りの皮(シュー)から、濃厚で、しかし、しつこくない極上のクリームが溢れ出す。

(ああ、やはりこのオーブンは天才ですわ! この完璧な皮の『浮き』と『焼き色』! 別荘の窯では、こうはいきません!)

「…」

厨房の隅では、アレクシス・ラインフォルトが、同じく「検分」という名目で、無言のまま、二個目のシュークリームを味わっていた。
その青い瞳は、もはや「氷」ではなく、目の前の美味に対する、率直な「感動」に、わずかに潤んでいるようにさえ見える。
彼は、マリアの断罪が終わった今、この女(ルーナ)が、次に何を要求してくるのか、そして、自分はどうすべきか、思考を巡らせていた。

(任務は、終わった)
(マリア嬢は追放され、エリオット王子も、国王陛下から厳罰を受けた。王宮の混乱は、これで収束する)
(だが…この女は…)

「さて!」

ルーナは、クリームのついた口元を、優雅にナプキンで拭った。

「わたくしの三日間の『苦行』も、これで報われましたわ。アンナ! 次は、マカロンの試作に入りましょう! あのオーブンの『乾燥焼き』の性能を試しませんと!」

「はい、お嬢様!」

(まだ作る気か)
アレクシスが、この女の底なしの創作意欲に、感嘆とも呆れともつかない溜息をつこうとした、まさにその時だった。

バァン!!

厨房の重厚な扉が、許可もなく、乱暴に開け放たれた。
厨房中の料理人たちが、ビクリと肩を震わせ、一斉にそちらを向く。

「ルーナ!」

そこに立っていたのは、第二王子、エリオットだった。
その姿は、惨憺(さんたん)たるものだった。
いつも完璧に整えられていた銀髪は乱れ、軍服のボタンは掛け違え、その顔色は、まるで幽霊のように、土気色をしていた。
マリアの断罪と、その後の、国王(父)からの冷酷な「判決」(私財での負債全額返済)が、彼のプライドを、根こそぎ打ち砕いた後だった。

「あら、殿下」

ルーナは、その無様な姿を見ても、眉一つ動かさなかった。
彼女は、ボウルに残ったカスタードクリームを、スプーンですくいながら、心底面倒くさそうに応じた。

「まだ何か、ご用でございますの? わたくし、大変、忙しいのですが」

「い、忙しい…?」

エリオットは、厨房に充満する甘い香りと、頬にクリームをつけたままのルーナを見て、愕然とした。

(俺が! 俺が、人生最大の屈辱を味わっている、この時に!)
(この女は! わたくしの『戦場』だのなんだのと言って、ただ、お菓子作りをして、遊んでいただけだというのか!)

「貴様…!」

怒りが、一瞬、こみ上げた。
だが、それは、すぐに、別の、もっと惨めな感情に取って代わられた。
「懇願」だった。

彼は、アレクシスが厨房の隅にいることに気づいていた。
だが、もはや、プライドも、体裁も、気にしてはいられなかった。
彼は、よろよろと、ルーナの作業台に、歩み寄った。

「ルーナ…!」

「はい」

「俺は…! 俺は、間違っていた!」

エリオットは、ついに、その言葉を口にした。
ルーナは、カスタードをすくう手を、ぴたりと止めた。

「はぁ。今さら、ですの?」

「そうだ! 今さらだ! だが、気づいたんだ!」

エリオットは、作業台に、両手をついた。
まるで、それがないと、立っていられないかのように。

「あの女は…マリアは、詐欺師だった! 俺を、俺の地位を、利用していただけだったんだ!」

「まあ、大変でしたわね」

ルーナの返事は、あまりにも、他人事だった。

「それもこれも、殿下が、ご自分で選んだ方ではございませんか。わたくしには、関係のないことですわ」

「関係なくない!」

エリオットは、叫んだ。

「君が、いなくなったからだ! 君が、完璧すぎたからだ! 俺は、君のあの完璧さに、息が詰まって…少し、可愛い、か弱い女に、癒されたかっただけなんだ!」

(うわぁ…)
ルーナは、本気で引いていた。
(最低の言い草ですわね)

「それで、その結果が、今の、あの惨状ですわ。自業自得、としか、申し上げようがございません」

ルーナは、ボウルを置くと、アンナに目配せした。

「アンナ。わたくしの調理器具(マイ・ツール)を、荷馬車に。別荘に帰りますわよ」

「待て!」

エリオットは、ルーナの腕を、掴もうとした。
だが、その手がルーナに触れる前に、黒い影が、間に割って入った。
アレクシスだった。

「殿下」

「…なんだ、アレクシス! どけ!」

「ルーナ嬢は、貴方様の『所有物』ではございません。お手を触れぬよう」

「なっ…貴様、たかが騎士の分際で、俺に指図を…!」

「今は、『監視役』として、最後の忠告を申し上げております」

アレクシスの、氷の目が、まっすぐにエリオットを射抜く。
エリオットは、その気迫に、たじろいだ。

「ルーナ!」

エリオットは、アレクシス越しに、叫んだ。

「頼む! 俺を、助けてくれ!」

「…」

「王宮は、今、マリアの負債と、外交問題で、めちゃくちゃだ! 父上は、俺に、全責任を取れと…!」

「はぁ。そうですか」

「だが、君さえいれば! 君の、あの完璧な知識と、アッシュフィールド公爵家の力さえあれば、こんなもの、すぐに立て直せる!」

エリオットは、ついに、最後のプライドを捨てた。
彼は、アレクシスの前で、頭を、下げた。

「俺が、愚かだった! あの日の断罪は、全て、間違いだったと認める! だから、どうか…!」

彼は、顔を上げた。
その目は、涙で、充血していた。

「俺の隣に、戻ってきてくれ、ルーナ! もう一度、俺の、婚約者に…いや、俺の、妃になってくれ!」

「「「…………」」」

厨房中の、全ての音が、止まった。
料理人たちも、アンナも、息を呑んだ。
アレクシスも、無表情のまま、ルーナの答えを待っていた。

ルーナは、じっと、エリオットを見つめていた。
その顔には、何の感情も浮かんでいなかった。
彼女は、まるで、道端に落ちている、興味のない石でも見るかのような目で、王子を見ている。

やがて、彼女は、ゆっくりと、口を開いた。

「え、」

「…?」

「面倒なので、お断りしますわ」

「…………は?」

エリオットは、自分が、何を言われたのか、理解できなかった。

「ですから、お断りいたします、と、申しましたの」

ルーナは、心底、不思議そうな顔で、首を傾げた。

「なぜ、わたくしが、そんなことを、しなくてはなりませんの?」

「な、なぜ!? 俺は、この国の、王子だぞ! 次期国王、かも、しれないんだぞ! お前を、王妃にしてやると、言っているんだ!」

「それですわ」

ルーナは、きっぱりと言い放った。

「それだから、嫌なのですわ」

「…なに?」

「王妃教育は、地獄です。社交は、苦痛です。分厚い本を読むより、わたくしは、分厚いステーキを焼いている方が、よほど好きですわ」

「そ、そんな、理由で…」

「あなた様のお世話は、その、わたくしが今、最も愛している、このスチームコンベクションオーブンで、一週間、焦げ付かせた鍋を、素手で洗うくらい、面倒くさいですわ」

「め、面倒くさい…!? 俺が、オーブンの焦げ付き、だと…!?」

エリオットは、その比喩の意味が、半分も分からなかったが、自分が、とてつもない侮辱を受けていることだけは、理解した。

「ええ。わたくし、やっとの思いで、手に入れたのですわ。この世で、わたくしにとって、最も価値のあるもの」

「か、価値のあるもの…? (公爵家の)財産か!?」

「いいえ」

ルーナは、にっこりと、悪役令嬢のように、美しく笑った。

「『自由』と『昼寝』と『お菓子作りの時間』ですわ」

「…」

「殿下。あなた様は、ご自分で、わたくしに、それを、くださいましたのよ? あの『婚約破棄』という、わたくしの人生で、最も素晴らしい、贈り物で」

「あ…あ…」

エリオTットは、膝から、崩れ落ちた。
負けた。
完敗だった。
権力でも、金でも、地位でもない。
「面倒くさい」という、ただ、それだけの理由で、彼は、国一番の女(資産)に、完膚なきまでに、振られたのだ。

「ああ、そうだわ」

ルーナは、何かを思い出したように、アレクシスを振り返った。

「副団長様。わたくし、王都に呼び戻された、精神的苦痛に対する『慰謝料』として、このオーブン、やはり、別荘に持って帰ることは、許可されませんこと?」

「…本気で、アッシュフィールド公爵家と、王家の間で、戦争を起こす気か、貴様は」

「ちぇっ。冗談ですわよ。仕方ありませんわね…」

ルーナは、名残惜しそうに、オーブンを、もう一度、撫でた。

「では、殿下」

彼女は、床に崩れ落ちたまま、動けない元婚約者に、完璧なカーテシーを見せた。

「わたくしの『任務』は、これにて、本当に、完了ですわ。二度と、わたくしの、安らかな『謹慎』を、邪魔なさいませんように。ごきげんよう」

ルーナは、アンナを伴い、アレクシスの横をすり抜け、堂々と、厨房を後にした。
残されたのは、甘いシュークリームの香りと、プライドも、未来も、何もかもを失った、王子の、空っぽな背中だけだった。
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