微睡む宵闇 揺蕩う薫香

萩尾雅縁

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三章

39 七月 帰宅

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いばらの中の眠れる姫君
目覚めた時は
知らない場所




 青灰色に囲まれる僕の家の居間に入って来た鳥の巣頭を、しっかりと抱きしめた。

「逢いたかったよ」
「僕もだよ、マシュー」

 鳥の巣頭の背中が小さく震えている。一年前よりも背が伸びている。僕はもうこいつの肩までしかない。

「もう、僕はきみの後輩なんだね。学校に戻れても上手くやっていけるか不安だよ」
 こいつの顔を見あげ、やんわりと微笑んだ。決して卑屈に見えないように。
「大丈夫だよ。僕がきみを守ってあげる」
「副寮長になるんだって? それに生徒会にも」

 夏期休暇に入り、自宅に戻るよりも先に僕の家を訪れた鳥の巣頭は、初めは外見こそ大人びて見えたけれど、やはり鳥の巣頭だった。はにかむように微笑み、言い訳するように口ごもる。

「きみが戻ってきたときに困らないようにと思って……。柄じゃないけれど引き受けたんだよ」
「きみは昔から、皆に慕われていたもの」

 偽善的で押しつけがましいところも昔のまま。人間、一年やそこらで変われるわけがない。

「きみは、なんだかますます綺麗になったね。研ぎ澄まされて――。冬の夜空の青い月みたいだ」
 僕を見つめるこいつの瞳が艶を帯びる。
「ルナティック?」
 くすっと笑った僕に、鳥の巣頭の顔色がさっと変わり哀しげに歪んだ。

「冗談だよ。僕はぜんぜん、正気」
 こいつの首に腕をまわし、抱きしめて耳許で囁いた。
「僕の部屋へ来る? きみがいなくてずっと寂しかったんだ。きみのことばかり考えてたんだよ」



 ドアの開く音に、腕を離した。鳥の巣頭は耳まで赤くなって俯いている。

 母がお茶を運んできたのだ。

「母さん、僕の部屋でいただくよ。今から、夏期休暇に読んでおかないといけない本のリストを作ってもらうんだ。学校の様子も、もっと落ちついて聴きたいし」



 トレイごと受け取って僕の部屋へ向かった。鳥の巣頭は母と話していて、かなり遅れて部屋に入ってきた。

 こいつは、休暇の度に僕の様子を訊ねに家に来ていたのだそうだ。月一回の面会日毎、母を慰め、励ましていたこいつの話を聞かされた。

 もう、どうだっていいけれどね。
 僕は戻ってきたのだから。


 鳥の巣頭は、カチャリと自分で鍵をかけた。
 なんだ、駄目だよ、マシュー、て言わないのか。
 僕は微笑んで、ベッドに腰を下ろしてボタンを外す。



「好きだよ、マシュー」

 首を仰け反らせ、応えるように背中に廻した腕に力をこめる。

「マシュー、」

 子爵さまは、まだジョイントを吸っているだろうか? 
 梟には逢えるかな?

「愛している」

 白い天井はあそこに似ていて嫌だな。
 母さんに言って塗り替えてもらおう。

「愛しているよ、マシュー」

 早く学校が始まればいいのに。
 この家、退屈すぎる。

「あ、マシュー……」


 そうだ、煙草――。

 やっと僕を離して、傍らに身体をずらせた鳥の巣頭の額の汗を拭ってやった。




「ねぇ、煙草を買ってきてくれる? もうジョイントは吸わないよ。でもイライラが溜まるとまた欲しくなるかも知れないから、代替品を持っておくように言われているんだ」
「マシュー、でも――」
「学校では吸わないよ。約束する」

 せめてこれくらいは役に立てよ。

「お願い。僕はまだこの家から一人で外出させてもらえないんだ。テキストを買ってくるって言えばいいじゃないか。こんなんじゃ、息が詰まってしまうよ。きみだって、直ぐに帰ってしまうんだろ? きみがずっといてくれるなら、何もいらないのに……」

 鳥の巣頭の唇を、人差し指で撫でた。
 鳥の巣頭は僕を抱きしめる。

「また来るから。八月の終わりには僕の時間も自由になるよ。僕の家に来ればいい。父もきみのこと、すごく心配しているんだよ」

 夏の間、こいつはボート部の合宿だの、試合だので忙しい。新学期までの二ヶ月間は、僕だって家庭教師と勉強だ。

 品行方正に過ごしていれば、少しくらい自由にしてもらえるよね。



「きみから僕の両親に頼んでくれる? それなら、煙草なんかいらないよ。きみさえ居てくれればいいのだもの」

 にっこりして、こいつに丁寧にキスをした。優しく、宥めるような大人のキス。教わったばかりの。
 煙草なんて、別にいいんだ。たんに、今、切れているってだけだもの。また家庭教師の先生に分けてもらうよ。

 せいぜい勉強して、試験勉強に励まないとね。



 僕のいないこの一年に何があったのか、鳥の巣頭は教えてくれない。子爵さまの名を出さない。
 次年度の寮長は良く知っている。あいつなら、問題ない。
 梟の約束は今でも有効?
 こいつは何を考えている?

 僕を陥れてあんな場所に放り込んだ、卑劣な鳥の巣頭。
 僕と子爵さまをあんな形で引き離した。

 きっとあの人はもう、僕のことなんか忘れている。
 もともと、僕のことなんか見ていなかったもの。
 それでも、ただの身代わりにすぎなくても、そんなことで、僕は生徒会に入れたのに。

 お前が、僕が手に入れるはずだったもの全部、掠め盗っていった。


 かならず、取り返してみせる……、僕の手に。






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