微睡む宵闇 揺蕩う薫香

萩尾雅縁

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三章

47 青い月

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 捩れる光は
 歪んだ月の
 螺旋の幻惑




 子爵さまの寮を訪ねて面会を申し込んだ。やがて現れた子爵さまは、取り巻き連中に鳥の巣頭の名をだして、言い訳がましく僕を生徒会の友人の後輩だと説明した。「何か問題でもあったの?」と苛立ちを押し隠しながらも、自分の部屋でも談話室でもなく、個別の自習室に僕を案内した。

 フェローズの森で見たことをかい摘んで話した。

 不機嫌そうだった子爵さまの面が蒼白になり、唇が小刻みに震える。

「心配要りません。もう一度行えばいいだけです。今晩、医療棟の病室は彼しかいません。それに今夜の当直はブラウン先生です。彼はね、」

 ジョイントを吸う素振りをしてみせた。
 常習のあの先生とは蛇の頃から懇意していて、たいていの事は眼を瞑ってくれる。僕が何度も医療棟のお世話になっていても、まったく問題にならなかったのはそういう経緯があるからだ。

「話をつけておきますから」

 亡霊のように生気を欠いた子爵さまを励ますように、その腕に手をかけた。

「写真を撮るんです。あの子の――思い切り惨い写真をね。あの彼の、ソールスベリー先輩の弟ですよ。あんな事件があったばかりで、世間が今一番注目しているあの彼の。あなたを脅してきたところで、スキャンダルにされて困るのは向こうの方ですよ。あの場にいたのはカレッジ寮の奨学生であることは、間違いないのですから。ソールスベリーの傷になるような真似をするわけがない」

 子爵さまは蒼白なまま頷いて、僕を抱きしめた。

「ありがとう」

 囁かれた声に応えるため、僕は、子爵さまに軽く啄むキスをあげた。

「消灯後、医療棟で」




 念には念を入れて、ブラウン先生には納得ずくで睡眠薬で眠って頂いた。世の中、知らない方が良いことなどごまんとある。――なんて、先生方の方がよくご存知だ。特にうちみたいな学校ではね。

 それにしても、医療棟というのはこういう時、実に便利だ。大方の薬品が至極簡単に手に入る。僕も眠れなかった時、睡眠薬を処方してもらったけれど、僕には合わなかったらしく悪夢が酷くなっただけだった。多少の睡眠が取れるにしても、あれでは割に合わなかったので、すぐにやめてしまった。


 夜中をまわってから、子爵さまはお供を二人連れてやって来た。僕のことを、見張りに雇ったと説明している。お仲間に加わるつもりはなかったから、それで一向にかまわない。


 キシキシと古びた床板を軋ませて、天使くんのいる病室へ向かった。昔の造りそのままの、重厚なオーク材のドアの前まで来て立ち止まり、僕は横の腰壁にもたれた。子爵さまたちはそのまま中へ入っていく。


 口を塞がれたのであろうくぐもった悲鳴と、暴れてベッドの軋む音が、開け放されたままの戸口から聞こえる。わずかな隙間だけを残してドアの大半を閉めた。


 ここに来た時には降っていた霧雨は、もう止んでいるようだった。
 ゆるりと流れる黒雲から満月に近い月が顔を覗かせている。雨跡を残す窓ガラスは、その月のおもてを歪ませ、不安定な青白い光を辺り一面に振り注がせる。

 煌々と輝く月光が飴色の廊下に窓枠の十字の影を刻む中、僕は水底のような青に揺れる廊下にだらりと座りこんだ。柔らかく、それでいてひんやりとした床板の木の感触がトラウザーズを通して伝わってくる。



「うぅ……」

 戸口の隙間から漏れ聞こえるあの子の呻き声。
 子爵さまの荒い息使い。

「あ……」

 下卑た笑い声と、連続するシャッター音が、静まり返った廊下にも鈍く響く。



 おもむろに煙草を取り出し、火を点けた。
 そして、その時、偶然手に触れた携帯プレーヤーを思い出し、取りだしてイヤホンを耳に差し込んだ。

 小フーガ ト短調――。

 ランダムに再生されるフーガの中で、これが一曲目だったことが、無性に嬉しかった。

 冴え冴えとした月光が、静寂もまた青く染める。遍く淡い輝きにフーガの螺旋がまといつく。
 銜えたままの煙草から真っ直ぐに紫煙が立ち昇る。まるで、あの月を目指してでもいるように。月に行き着く前に揺蕩い消えてしまう煙の行方を目で追いながら、流れ込むフーガの荘厳な調べに恍惚として酔いしれた。




 パイプオルガンにかき消され、霞む外界の音の中に微かな鴉の羽音を聞いたような気がして、イヤホンを外してドアの隙間に眼を向けた。

 キィィ、とドアが大きく開き、子爵さまが不機嫌そうに僕を見おろした。
「もう、いいのですか?」
 立ちあがり小首を傾げた僕を無視して、子爵さまは背を向け、きゅっと踵を返して出口へ向かった。

 お仲間にあの子がやられるところを見たくない。と、いうことか――。
 一人でやるだけの度胸もなかったくせに。独占欲だけは一人前だ……。



「このままジョイントを吸いにいらっしゃいますか?」

 子爵さまは、黙ったまま頷いた。







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